夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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第十四話

78.

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 不運が重なる日と言うものは、たまにある。例えば、休み時間に生徒に授業の質問と言う題目を盾に襲撃され、終わらせるはずだった仕事が手に付かず残業になったり。
 例えば、担任の教師がいないときに限って、受け持っている生徒が何かをやらかして、副担任である俺が引き取りに行かなければならなかったり。
 例えば、名ばかり顧問のはずの部活動中に野暮用を押し付けられて帰りそびれたり。
 例えばーー、何がなんでも早く帰らせてもらおうと決めていた土曜日の練習中に、監督の持病の腰痛が悪化し、病院に連れて行かなければならなかったり。

「すまなかったな、佐野」
「いえ、俺のことは気にせず、ゆっくりして下さい」

 病院からそのまま監督の家まで送り届けたは良いものの、奥さんは六時頃まで戻られないらしい。
 布団に入ってもらったが、流石にあと二時間、この家に一人きりにしておくのも気が引ける。
 もう大丈夫だと言う監督の台詞は苦笑で返す。ここまで来れば仕方がない。

「あと二時間ほどでしたら、居ますよ、ここに。お邪魔じゃなければですが」
「邪魔ではないが、試合は良いのか?」
「あぁ、テレビでも見れますから」

 会場まで足を運ぶなんて言った記憶はなかったのだが、監督の頭の中ではそう言うことになっているらしい。

「しかし、A代表に同時に二人も深山の出身者がいると思うと、なんだか箔が付くな。今の生徒たちにも」
「監督のおかげですよ」
「持ち上げるな。俺は大したことは何もしていない。才能は持って生まれた宝だ。指導者にできることは、それをいかに潰さず上手に伸ばしてやれるか、と言うことだけだ」

 当然と言う顔で監督はさらりと口にしたが、それが出来ず、エゴで選手を潰す人間もいる。
 そう言う意味では、俺は深山で良かった。サッカーを好きなままでいられた。
 だから、こうして戻ってくることができた。

「でも、俺は、深山で、監督のもとでやれて良かったですよ」
「そうか」
「残る道もあったのに、逃げ出してすみません」

 あの当時、監督はリハビリをして戻ってこいと言ってくれていた。たいした選手でもなかったのに、捨てようとはしなかった。
 捨てたのは、俺だ。逃げ出したのは、俺だ。サッカーからも、折原からも。

「何を言うか。今のおまえを見ていたら、おまえの判断で間違いがなかったことはすぐに分かる」
「だったら良いんですけど」
「おまえがまだ大学生だったころ、折原と顔を出してくれたときにも言っただろう」

 そう言えばそんなこともあった。あの日も、気は乗らなかったが、折原に誘われたことを理由にして、深山に行った。

 ――あれがなかったら、たぶん、俺は今、ここにいないんだろうな。

 そう思うと、どこまでを考えてのかは知らないけど。でも。

 ――俺の人生、本当にあいつに引っ張られて、影響されてるんだな。

 自分の方が先に生まれて、歩き出したはずなのに。少し変な気もするが、けれど、苦笑ひとつで胸に落ちてくる。
 いつか。
 ふと、そう祈るように思っていたことを、思い出した。
 いつか、青い日本代表のユニフォームを着て。日本を代表するような、選手になって。世界に羽ばたいていく。そこに、俺は要らないだろう、と。
 本当に、自分にはないものをすべて持っている後輩を応援していたのか。それとも、俺が逃げる言い訳だったのか。今となっては、分からないと思ってしまうようなそれを。

「この間、話した部活の話なんだが」

 監督の声に、意識が現実に戻って来た。現実。サッカーを捨てたはずで、そのくせ、またこうして戻って来て。折原の隣に立つことを選んだ、今。

「有り難いお話だとは思うんですけど、どうして、また、急に」

 興味がないと言えば嘘になるが、はっきりと断言はできない。俺一人で決めることができる問題ではない、と言うこともあるけれど。

「おまえは昔から周囲をよく見ていて、公平に接することができるし、……そうだな。うちの部の在り方を良く知っているだろうと言う点も有り難いが」
「まぁ、OBですからね。そこは一応」
「佐倉のようなタイプの生徒にしろ、時枝のようなタイプの生徒にしろ。俺の手で受け止めきれないところのフォローをしてくれるんじゃないかと思ってな」

 実際のところ、全く上手くフォローできているつもりも、積極的に気を回しているつもりもなかったのだが。監督の目にそう映っていたらしいことに、少し驚いた。

「これも前に言ったかもしれないが、ここの学生だったころも、佐野は人あしらいが上手かっただろう。ポジションは違うとは言え、一学年下にあんな才能の塊がいれば、思うところがあってもおかしくはないのに、上手く周囲に馴染ませていた」
「そうですかね」

 否定するのもわざとらしくて、苦笑で受け流す。そんなに良いものではなかったと本当に思うのだが。

 ――まぁ、この人の前で「先輩」をしてたのなんて。本当に一年にも満たない期間だったからな。おまけに、寮内でのことなんて、知らないだろうし。

「もちろん、折原自身の努力もあったが。あの年代にそれができるのは、立派だったと思うぞ」

 そんなことはない。俺の一番はいつも折原だった。それを必死で隠して、あるいは、誤魔化すために公平であろうとしていたかもしれないけれどるけれど。 
 おまえに一番懐いていると言われれば、そんなことはないと面倒くさい顔をしてみせながらも、嬉しかった。
 他の誰がいても、一番最初に自分に声をかけて来るところも、嫌いではなかったし、かわいかった。
 嬉しかったと言うよりかは、自尊心をくすぐられて喜んでいただけなのかもしれない。
 あのころ、明確に「好き」だったかどうか、自分でもよく分からないのは、いろいろなものが混ざりに混ざっていたからだと今なら分かる。
 嫉妬や、プライドや、不安や、あるいは、年上としての矜持や、そう言ったさまざまが。
 再会してすぐのころ。折原が同じような観戦チケットをくれたことがある。今の自分を見て欲しい、とあの眼で言って。
 そして、思い知ったはずだった。
 学生時代の幻影に囚われていたのは自分だけで、立ち止まっていたのは自分だけで。折原はそうではなかったと言うことに。

 ――そう、思ってたんだけどな。ずっと。

 停滞しているのは自分だけだと。しこりを抱いているのも自分だけだと。
 けれど、そうではなかったのかもしれない。
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