夢の続きの話をしよう

木原あざみ

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後日談

前編.

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 好きになった人は、凛とした人だった。

 ふとしたときに、きれいだなぁと思うことがあるから、不思議だった。自分が同性も異性も恋愛対象としてみることのできる人間だということは自覚していたけれど、まさか六年間も一緒に過ごすことになる部活動の仲間をそういう目で見ることになるとは想像もしていなかったし(だって、そんなのものすごく面倒くさい)、そもそもでいえば、その先輩の顔が好みのタイプだというわけでもなかったのだ。
 だから、なにがどうしてそうなったのか、自分でもよく分からない。きっかけだったら、たぶん言える。ターニングポイントとなるものがあったときもたぶん分かる。積もり積もってきたものがあふれた瞬間。その積もりはじめがいつなのかは、分からないけれど。
 物心ついたころからずっとサッカーばかりで、もちろんその中で誰かを「いいな」と思う瞬間はあったけれど、それはすぐに消えてなくなってしまうようなものだった。サッカーと比べるまでもないものだった。だから、そういう意味では、初恋と呼ぶものだったのかもしれない。
 

 ――あ、

 こっち見る、と思った瞬間に目が合った。

「おまえのそれって、癖?」
「え?」
「だから、その、やたら人の顔、見るの」
「あぁ」

 視線が煩いと言われているのだと分かったけれど、すみませんと笑う。どうすれば周囲にうまく溶け込めるか。波風立てずにサッカーに集中できるか。そのために自分はどうあるべきか。そんな計算が、昔からいつも頭の隅にあった。くだらないとしか言いようのない僻みで、自分のしているものを台無しにされたくなかったからだ。
 人に気を使って自分を殺していた、というよりは、優先順位の問題だった。無駄な軋轢のない場所でサッカーに集中したかった。
 どちらかと言えば、人に好かれる性質だったことも幸いしていたのか、もって生まれた性格にも救われたのか、それが苦痛だと感じたことはなかった。ただ当たり前のこと。そう、思っていた。
 けれど、――だから、さりげなさを装いながら、周囲をよく見ていたのは事実だと思う。指摘されたことはあまりなかったけれど。
 呆れたように自分を見ていた視線が離れていく。

「べつに、いいけど」

 手元の日誌に目線を落としたまま、彼が言う。突き放しているようでいて、受け入れてくれているということを、いつしか知った。会話が途絶え、ペンを走らせる静かな音だけが二人きりの部室に響く。相変わらず、真面目だなぁと思う。自分だったら、もっと適当に当たり障りのないことを記入して終わらせる。富原さんにしてもそうだろうと思う。いつもやっているルーチンワークだからという理由もあるかもしれないけれど、ここまで時間をかけて書かないだろう。

 ――真面目というか、融通が利かないというか。

 その割には、見た目のとっつきにくさときつい口調で損をしているというか。
 もっと人当たりよくしていれば、妙な軋轢は生まないだろうに。深山の中等部に入学して間もないころ、思っていたことだ。
 明け透けと評してしまえる物言いに、苦手だと感じてもいた。けれど。

「おまえ、いい加減、戻れよ」

 視線も合わないまま告げられたそれが、同室者とあまり一緒の時間を過ごしていない後輩を案じているのだとは分かっていた。不在の富原さんの代わりに先輩が残って日誌を記入しているのは当然で、けれど、俺が付き合って居残っている言い訳になる理由はない。先輩はひとりでも寂しいなんて微塵も思わないだろうし、むしろ俺の相手をする時間が無駄だくらいのことは思っていそうな気もする。
 だから、ここに居残っているのは、ぜんぶ俺の勝手だ。

「戻っても疲れるんで、ここで休憩させてくださいよ」

 そう冗談交じりに訴えると、先輩は折れてくれることを知っていた。本当にお人好しで、ちょっと心配したくなるくらい、押しに弱い。

「……変なやつ」

 この人は、俺を俺として見てくれる。サッカーの才能だけでない、俺を。そう思ったときに知ったのだ。言い方がきつくても、この人は他の誰かのように、陰で悪く言うこともなければ、人によって態度を変えることもない、平等でまっすぐな人なのだ、と。俺とは違う。
 俺は、特別にしたくなる。

「やだな。そんなこと言うの、先輩だけですって」

 そんな思考は追いやって、いつもの顔で笑う。なにか言いたげな視線がちらりと寄こされたけれど、結局、先輩はなにも聞かなかった。またペンの走る音がする。先輩の字はきれいだ。癖がなく読みやすい。適当に書いてもいいような振り返りを、静かに回想して文字にしている。自分たちのことを見てくれていない、なんて口さがない同学年の部員が言うことがあるけれど、そうではない。この人は、案外と全体をよく見ている。けれど、そんなこと、誰も知らなくていい。自分がこうして知っていればいいと思っていた。
 滅多とないから、かもしれない。けれど、俺は、こうして誰もいない部室で二人きりで過ごす時間が、好きだった。
 深山に在籍していた六年間のうち、この人と一緒に過ごすことができた時間はその半分ほどでしかない。
 それでも、一番たくさん見ていたのは、この人の横顔だったような気がしている。


 昔から、どこか大人びたところのある人だった。
 率先してバカ騒ぎに興じるようなチームメイトが多かった中で、そういったタイプではなかったからかもしれない。たったの一つなのに、交わることの決してない年齢差を意識していたからなのかもしれない。

 ――だから、あんまり変わってないように見えるんだよな。言ったら怒るだろうけど。

 運転中の横顔を助手席から盗み見ながら、とりとめのないことを考える。怒られるというよりかは、嫌な顔をされるだけかもしれない。もちろん、変わったなと感じるところもいくらでもあるのだけれど、十年近く前に、大人になったらどんな風になっているんだろうと想像して遊んでいた予想図の範囲内にあるというか、数年ぶりに顔を見ても、漠然とすぐに「あぁ、先輩だな」と得心してしまうのだ。

「おい」

 前方を向いたまま、かけられたうんざりとしたそれに、小さく瞬く。相変わらず、気配に目ざとい。

「気が散る」

 そんな可愛い神経してないでしょ、と思ったけれど、言わない。その代わりに笑う。

「事故らないでくださいよ」
「おまえ乗せて事故ったら、どんな軽微なのでもニュースで流されそうだから嫌だ」
「俺が大事だから気を付けるくらい言ってくれてもよくないですか、それ」
「生徒乗せてるほうが緊張する。責任重大過ぎて」
「……ひとくくりにされたくないんですけど、なんとなく」
「できるわけないだろ。おまえにだったら責任とれるけど、生徒に何かあっても責任とれねぇし」

 たまに妙に男前なこと言うんだよなぁ、と思う。ついでに、この人、元々がゲイなわけでもバイなわけでもないだろうし、俺がいなかったら、適当に可愛い女の子と結婚して子どもでもつくって、男の子だったりしたら、サッカー教えたりして。平和な家庭像を体現してたんじゃないのかなぁ、なんて。

 ――あぁ、でも、先輩の遺伝子の入った子どもは見てみたかったかも。

「先輩って、お姉さんいるんでしたっけ」
「いるけど」
「結婚されてるんでしたっけ」
「してるけど」
「子どもさんとか」
「いるけど。というか、なに。どこからその話になったわけ」
「似てます?」
「……似てねぇよ。姉貴の旦那似」

 根負けしたような応答によって得た情報に、なんだと小さく落胆するのと、なんとはなしに安堵を覚えたのがほぼ同時だった。「聞いてみたかっただけです」

「あ、そう」
「はい」

 そういえば、この人、俺のことは過剰に心配するくせに、自分の家族のことはあまり話題にしない。

 ――自分で割り切ってるなら、それはそれでいいんだけどな。俺がどうのこうのと言うものでもないし。

 そのあたりの葛藤というべきか、細やかさというべきか、は、俺とは相いれないとも割と昔から感じている。だからこそ、できるかぎり尊重すべきなのだろうと思ってもいるけれど。

「おまえって、本当……」

 呆れたような声に、あ、これはまた、半ば無意識に見ていたらしいと悟る。この人、よくこの愛想のなさで教師なんてものしてるなぁと思わなくもないが、中高時代の自分が懐いていたように、案外と生徒も慕っているのかもしれない。

「いや、まぁ、いいんだけど。昔から、そういうところ変わってるよなと思って」
「そういうところ?」
「人の顔ばっかり見て楽しいか?」
「楽しい、……まぁ、楽しいですね」

 人の、というよりかは、先輩の、ではあるとは思うけど。ついでに、毎日会っているわけじゃないんだから、たまに会ったときくらい見ていてもいいじゃないかとも思うけど。

「先輩を見てるのは、好きですよ、俺」

 見ているだけで幸せな気分になれる光景というものがあるとしたら、こういう場面なのかもしれないと思う程度には。

「……やっぱり、おまえ、変」

 今の間は呆れてたんじゃなくて、反応に困っていただけだな。そんなことを考えながら、「先輩くらいからしか言われないですよ」と軽口で返す。実際、俺のことをそういう風に評する人はそんなに多くはない。

「まぁ、べつに、好きにしたらいいけど」

 わりといつも好きにしてます、とは心の中でだけ呟いて、思う存分堪能させてもらうことにする。居心地悪そうに吐かれた溜息に思わず笑ってしまったら、「可愛くない」と愚痴めいたそれが返ってきた。
 昔の自分が可愛かったかどうかはさすがによく分からないけれど、この数ヶ月だけで何度か言われている気はする。俺の自覚があろうがなかろうが、先輩の中ではそうなんだろう。
 心当たりのある変化は、いくつかないことはないけれど、それもさすがに黙っておこうと思う。
 俺の言動で振り回されて困っている先輩の顔を見るのが、結構、好きだ、ということは。
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