好きになれない

木原あざみ

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 四月は、一年の中で最も学生が構内に溢れ返る季節だ。高校を卒業したばかりの新入生が、まだ真面目に講義に出席しているからである。加えて、新入生をサークルに勧誘するために、在学生も足しげく足を運ぶのでいっそうの賑やかさを見せているのだ。
 その喧騒に辟易としながら、日和はゼミの教室のある棟に足を踏み入れた。ほんの少し、ざわめきが遠くなる。小さく息を吐いてエレベーターのボタンを押した日和の肩を、誰かが叩いた。

「おはよう、日和くん」
「おはよう、ございます」

 華やかな塩見の笑顔におされて、日和も笑みを浮かべる。文句なしに美人だとは思うが、少し苦手なのだ。

「あいかわらず眠そうだね。昨日は遊んでたの?」
「いや、……」
「冗談よ。だって、日和くん、ゼミの飲み会もちっとも参加しないじゃない」

 かすかに責める色の浮かんだ瞳に、日和は慌てて首を振った。

「あの、その……今度の新歓は行きますから」
「本当? そんなこと言って、新年会も来なかったよねぇ。成実さんたち寂しがってたよぉ」

 誰だ、成美さんって。まったく思い当たらなかったが、おそらく三月末で卒業していった先輩の一人だろう。
 到着したエレベーターの戸を押さえて先を譲ると、にこりと微笑んで塩見が黒髪を揺らした。誰か駆け込んできてくれないだろうかとの願いもむなしく、人が来る気配はない。
 諦めて、日和は五階のボタンを押した。

「そういえば、日和くんさ」
「はい?」
「どうだった? つぼみは」

 一応、気にかけてはくれていたらしい。日和は視線をさ迷わせた。

「あー……」

 どう答えようかと悩んでいるうちに、エレベーターが目的の階に着く。ゼミの教室は、すぐそこだ。
 この愛想の良さとテンションの高さがあれば、彼女はつぼみでも大人気だったことだろう。そんなことを想像しながら、ゼミの戸を引く。当たり前の顔で塩見は敷居を先に跨いでいった。
 既に半分近くが埋まっている席に向かって、「おはよう」と塩見が明るく声をかける。その後ろに続いてしまった所為で、無意味に目立ってしまった。心持ち頭を下げながら、いつもの席に腰を下ろす。途端、

「それで? どうだったの、つぼみ」

 対向線上に座った塩見に話を振られてしまった。まだ話は終わっていなかったらしい。

「なんとか、初日は無事に終わりました」

 人目のある場所で言える感想なんて、たかが知れている。ぼそりと応じた日和に、塩見が大袈裟に眉を寄せた。

「なによ、それ。覇気がないなぁ、日和くんは。駄目だよ、そんなのじゃ。教育実習に行く前に、つぼみで鍛え直してもらいなよ」
「ははは」

 俺の評価なんて、緒戦そんなものだ。愛想笑いを浮かべた日和に、塩見は満足そうに笑う。

「折角なんだから、頑張ってね。真木さんの曜日に入ってるんでしょ? 顔のわりに怖い人じゃないから、安心して大丈夫」
「……そうすかね」

 というか、なんでみんなしてあの人のことを「怖そう」と評するのだろうか。なんだか少し不安になってきた。

「ぱっと見は怖いかもしれないけど。あんなところで正規職員をやっているだけあって優しいし。まぁ、がんばってね!」

 義務のような激励を終えた塩見は、日和の返答を待たずして隣席の同級生へと顔を向け直した。その横顔から視線を逸らして、溜息まじりにルーズリーフを取り出していると、左隣からそっと声がかかる。

「お疲れさま」

 同期生の水原だ。苦笑の強いそれに、日和は視線だけで頷いた。人付き合いの良くない日和が気になるらしく、持ち前の面倒見の良さを発揮して、こうしてよく声をかけてくれるのだ。

「実際、どう? 断り切れなくて行っただけでしょ、日和」
「まぁ、そうだけど」
「塩見さんからのお願いを断れなかったのは同情するけどさ。引き受けたんだから、最後までやれよ。途中で辞めたら怒られるぞ、塩見さんに」

 辞めたがっていること前提の助言に、日和は少し考えて首を振った。

「大丈夫」
「え? なにが?」
「いや、だから。辞めないし。案外、悪くなかったし」

 不審な視線にめげずに日和は続ける。

「そりゃ、疲れなかったとは言わないけど。行ってみたら、……まぁ、その、生徒もかわいかったし」
「おまえが」

 信じられないものを見るような視線に変わったが、嘘は言っていないはずだ。

「本当に。来週もちゃんと行くから。ご心配なく」

 いくら自分が適当な人間だからと言っても、「また来週」と笑顔で別れた相手との約束を、面倒だからという理由で反故にはできない。無断で来なくなる人間も多いと真木は言っていた。そう考えれば、自分なんてまだマシな人間ではないかと思えてくる。底辺レベルの争いかもしれないが。
 つぼみに行く前は、不登校児なんて面倒臭いに違いないと決めてかかっていた日和だが、参加してみて反省したのだ。
 当たり前の話ではあるけれど、同じ場所にいるからと言って、同じ人間であるはずがない。日和には見えていないだけで、難しいところも繊細なところも勿論あるのだろうけれど、それを踏まえても十分すぎる良い子たちだと思う。
 だからこそ、考えてしまうところはあるのだけれど。
 どうして、あんな子たちが不登校なのだろうなぁ、と。
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