好きになれない

木原あざみ

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好きになれない1

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「はい。はい、よろしくお願いいたします。お忙しいところお時間を頂きましてありがとうございました」

 通話終了のボタンをタップして、日和は深々と息を吐いた。スマートフォンに触れる指先がかすかに湿っている。

 ……緊張、した。

 だがしかし、これは教師になるために避けては通れない道だ。最初の難関を突破した思いで日和はスマートフォンをジーンズの尻ポケットにねじこんだ。

「煙草、吸いたい」

 なんとなく、あのキラキラとした子どもたちを前にしてヤニ臭いのはいかがなものかと思うので、月曜日の夜以降は吸わないようにしているが、今日は木曜日だ。
 ぼそりと呟いて、大学の裏庭にある喫煙所へと足を向ける。午前十時三十分にして、今日一日の体力と精神力を使い切った気分だ。
 教員免許の取得を目指している日和は、来年の六月に三週間の教育実習を控えている。母校での実習の内諾を得るためにはこの時期に連絡を入れる必要があるのだ。
 一年は先の話だが、内諾を得たことで一気に現実味が増してきた。

 ――教育実習、なぁ。

 意識しないまま溜息が漏れる。三週間。中学校に。想像だけでしんどい。
 週に一度つぼみにボランティアとして参加し始めて一ヵ月が経った。楽しい楽しくないをさておけば、疲れることに違いはないのだ。
 それが毎日。それも、つぼみとは比べ物にならない人数の生徒。授業計画。くわえて生徒だけではなく教師陣ともうまく付き合わなければならない。
 薄暑の光に焼かれながら、日和は二度目の溜息を吐き出す。

 ――そういえば。

 連想的にひとつの顔がふと浮かんだ。
 天職であるというように、生徒たちと接している横顔。抜群に人当たりが良いという見た目でもないのに、ほっとする空気を持つ不思議な人。
 あの人も教員免許を持っているのだろうか。それとも、教師として働いた経験もあるのだろうか。つぼみの実態は知らないが、民間のフリースクールはどこも赤字ギリギリの運営だと聞いたことがある。数年と持たずに潰れていくところも多いのだ、と。社会保障が充実しているとも思えない。それでも、あそこを選んだ人種。なんとなく流されるまま教師になろうとしている自分とはぜんぜん違う。


 喫煙所にはまばらな人影はあったが、大きな話し声は響いていない。そのことに安堵して、日和は中に足を踏み入れた。混ざった煙草の匂いがきつくなる。ヘビースモーカーではないつもりなのだが、たまに無性に吸いたくなってしまうのだ。
 入口から少し離れた壁際を陣取って、煙草に火を点ける。

 ――あの人は、似合いそうで、でも、似合わないな。

 元ヤンという評を聞いた際は、言い得て妙だと少し思ってしまったが、子どもに害を与える可能性のあるものを摂取しないようにも思う。

 ――煙草の匂いなんて、したこともないし。

「あれ。日和くん、よく会うね」
「あ、……お疲れ様っす」

 軽やかな声に、吸いさしを口元から離す。喫煙所に入ってきた塩見は、日和のすぐ近くに場所を定めた。

「どうしたの。いいことでもあった? 一人で笑ってたけど」
「え、マジすか」
「マジだよ。日和くんイケメンだから許されるけどさぁ、その辺の男がやってたら、ただの変態だよ」

 キャスター特有の甘い香りが鼻を突く。なんとなく、塩見が好みそうな銘柄だと思った。

「話は変わるんだけど。真面目にボランティアやってるみたいだね。このあいだ、久しぶりにブログを見たんだけどさ。なんか似合わないこと書いてるから、笑っちゃった」
「……やめてくださいよ、恥ずかしい」
「だって、そうじゃん。普段の日和くんとギャップあり過ぎ。みんなも元気にしてるの?」
「あー、そうですね。してますよ」

 早く吸い終わんねぇかなぁと辟易しながら、日和も紫煙を吐き出した。

「結構、いろんな子がいるからさ。驚かなかった? 雪くんとか」
「ちょ……塩見さん」
「誰も聞いてないって。変なところで真面目だね。似合わないよ、日和くん。それとも真木さんにきつく言われでもした?」
「そういうわけじゃないっすけど」

 むしろ、真木はそういったことを日和に言わない。それが信用だというのなら、後ろめたいことをしたくないとも思う。
 なんでもないことのように笑って、塩見は灰を叩いた。

「まぁ、でも、真木さんもある意味では当事者だもんねぇ。人一倍、気にはかけてるかもね、もしかしたら」
「……え?」

 瞳を瞬かせた日和に、塩見は首を傾げた。

「あれ。聞いてないの? 真木さん、ゲイでしょ」
「それ、俺がここで聞いていい話なんですか」

 自分の声のトーンが下がったような気がして、最後の一息をことさらゆっくりと吐き出す。苛立ったとしたら、他人の目のある場所で、デリケートな話題を持ち出した塩見に対してなのか。

「いいんじゃない? みんな知ってるもの。というか、日和くんも知ってると思ってた」

 塩見はけろりと応じて、設置されている灰皿に吸いさしをねじ込んだ。細い煙が立ち上る。

「日和くん、中身はともかく顔だけは良いんだから。狙われないようにね」

 冗談だったのだろうが、日和は笑えなかった。
 そのまま立ち去って行った華奢な背中が視界から消えてから、新しい一本を取り出す。余計なコミュニケーションをとった所為か、全く苛々が消えない。それどころか増したような気さえする始末だ。
 ゲイだろうが、ノーマルだろうが。
 良識のある大人が、ボランティアに来ている大学生に手を出すなんて有り得ないだろう。もしそれが有り得ると思うのなら、――一年間もあそこにいて、塩見はあの人のなにを見てきたのかと。他人事であるはずなのに腹が立って、日和は思わず天を仰いだ。
 いや、いやいや。ないない。他人がどう言われようとも、それどころか自分がなにを言われようと、面倒臭いを持論に反論らしい反論を試みたことすらなかった。まぁ、仕方ない。まぁ、いいや。まぁ、そういう見方もできなくもない。だから、まぁ、仕方がない。
 それが日和のスタンスだったはずだ。
 俺らしくない。思えば、たかだか週に一回のボランティアを名目に禁煙していることもそうだ。なんだか、いつもの自分とずれている。

 ……ま、いいか。そんな気分なんだろ、きっと。今の俺が。なんとなく。

 そう結論付けて、頷く。そうだ。それだけだ。決め打って、日和は、残ったもやもやを煙と一緒に吐き出した。

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