好きになれない

木原あざみ

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「キャンプ? 来てくれるなら大歓迎だけど。むしろいいの?」

 十七時を過ぎていつもどおりスタッフルームの椅子を引いた日和は、さっそくキャンプについて切り出した。
 真木の説明によれば、八月の上旬に一泊二日。県内のキャンプ場で行う夏の恒例行事であるらしい。
 璃音たちの言っていたとおりで、七月になると会議を開いて食事班やイベント班などの班を決め、そこから先は生徒主導で準備を進めていくのだという。
 六月の中旬にはキャンプに先駆けたスタッフ会議を行う予定であったらしく、日和の参加の有無も確認しようと思ってくれていたそうだ。
 もろもろの説明の終わりに、改めて意思を確認されて日和は頷いた。

「はい。来てすぐの俺が参加して、ご迷惑でなければ」

「日和くんは来て二ヵ月と思えないくらい馴染んでるけど。それはさておいても良い機会だとは思うよ。準備期間も含めると二ヶ月ほどキャンプの話題ばかりになるから。一歩距離を詰めるには」
「はい」
「いろんな一面を見ることができるしね」

 思わずといったふうに真木の顔から笑みがこぼれる。

「……なに?」

 訝しげな問いかけに、日和ははっとして首を振った。おかしい。本格的に調子を崩している気がする。

「ええと、これはキャンプとはべつの相談というか、報告なんですけど」

 理由は考えないことにして、日和はもうひとつの懸念事項を持ち出した。ちらりと閉めたドアの先を気にした日和に真木が首を小さく傾げる。癖なのだろうか。気難しそうな空気が抜けて、どこかあどけない。
 少し前にもかわいいなと思ったことを思い出しかけて、日和は固まった。

「日和くん?」
「いや、あの」
「どうしたの、さっきから。調子悪い?」

 言葉のまま、真木が手を伸ばして来た。冷たい指先が首筋に触れる。

「熱はなさそうだけど……って、日和くん、本当にどうした」
「いや、その、あの、だから」

 子どもにするのと同じように、真木の手は日和の調子を測っている。つまり、それだけで、それだけだ。おかしいのは、日和だ。

「ええと、その、体調に問題はないんですが」

 きっと変な顔をしているに違いないと思いながらも、せめてもの意地でさり気なさを装った。身体を引けば自然と指先が離れていく。

「あの、実は、香穂子ちゃんのことなんですけど」
「香穂子ちゃん? 俺が外に出てたときに、なにかあった?」
「なにかというほどのことではないんですけど、なにかになる前にお伝えしておこうかなと」

 まっすぐに見つめてくる瞳に映る自分は、なぜか緊張しているように見える。

 ――なんだ、日和くん。知らなかったの?

 塩見の声がぐるぐると頭の中を回り始めていた。いや、そうだったとしても、なんの関係もないはずだ。妙に意識をすること自体が失礼だ。気を静めるために言い聞かせる。黙り込んだ日和は不審だったに違いない。

「言いにくいこと?」

 心配そうな声に、日和は勢いよく首を振った。

「いや、違います。そういうわけじゃないんですけど、あの」
「うん。どうした?」
「自意識過剰みたいで恥ずかしいんですけど、香穂子ちゃんから好意めいたものを感じることがあって」
「あぁ、……うん」
「そういう場合、どう対処するのが一番良かったのかなと思って。おまけに、恵麻ちゃんもそのことに気が付いて、フォローまでしてくれたような気がして」

 後半はなんとも情けなかったが事実だ。日和の説明に頷いていた真木が困ったように笑う。

「あー、悪い。ごめんね、日和くん」
「いや、べつに真木さんは悪くは」
「いや、俺が悪い。なんというか……気を悪くしたらごめんね」
「いえ」
「日和くんが美形だってことを忘れてた」

 一般的に気を悪くする台詞だったのかもしれないが、日和にとっては違う。

「真木さん」
「なに? 今後はちょっと気を付ける。俺も間に入るようにするし」
「それもそうなんですけど。実は俺も忘れてたんです」
「なにを? 美形ってことを?」

 きょとんとした後に、堪え切れなかったように破顔する。その顔を見つめながら、日和も笑った。

「つい。ここがいいところで」
「誰も顔で判断したりしないからな」

 言葉にしなかったすべてを読み当てられて、日和は眉を下げた。けれど、嫌じゃない。ここは落ち着く。この場所は――。

「凛音たちも、なんというか、良くも悪くも空気を読み過ぎるから。だから、いろいろとしんどいこともあるんだろうけど。いい子なんだよ」
「わかります」

 まだ、二月ほどしか一緒に過ごしていないけれど、それでも。
 彼がここで働こうと思った気持ちが、少しわかったような気がした。ここが正規の学校ではなかったとしても、この人に出逢えた子どもたちは幸せだろうとも思う。
 そういえば、本当に昔。小さかったころは、そんなふうな――生徒たちのことを一心に考えられる教師になりたいと思っていたこともあったっけ。「先生」と呼ばれる人間は、みんな素晴らしいのだと無邪気に信じていたころの話だ。
 教師とて人間だ。いろんな人がいる。けれど、出逢えたことを嬉しく思う人もいる。こんなふうに。
 ここに通っている子たちにとって、ほんの少しでも自分もそういうふうに思ってもらえたらいい、とらしくないことを日和は考え始めていた。
 ずっと忘れていた懐かしい感情を思い出したことも、ぜんぶこの人の影響なのだろうか。気恥ずかしさはあったけれど、嫌な気はしなかった。
 また来週よろしくお願いします、と告げて、つぼみを後にする。夕暮れの中なか自転車を押しながら、終わったそばから一週間後を楽しみにしている自分に気付いて、日和はそっと苦笑を零した。
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