好きになれない

木原あざみ

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好きになれない1

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「ぴよちゃんは、夏のキャンプに参加するの?」

 おもむろに雪人に問いかけられて、日和はゆっくりと瞳を瞬かせた。午後の光の中でいくつもの瞳が自分を見つめている。まだどこか緊張気味の香穂子を中心に据えて、女の子たちばかりで話をしていたのだ。
 日和が気を遣うまでもなく、恵麻たちはやってきたばかりの香穂子に優しく接している。凛音が言うようにたしかに「いまどきのかわいい女の子」だが、彼女をはじき出す空気はつぼみには存在していなかった。
 その様子をテーブルの端で見守っているうちに、気が抜けてしまっていたらしい。反応の鈍い日和に焦れたように雪人が唇を尖らせる。

「あー、ぴよちゃん、話を聞いてなかったでしょ」
「いや、ごめん。聞いてた、聞いてたよ」

 苦笑いで日和は首を傾げる。

「ただ、キャンプってなにかなと思って」

 同じく初耳だったらしい香穂子も隣に座る恵麻を見る。その視線に応じて、恵麻が説明を買って出た。

「あのね、毎年、八月にみんなでキャンプをするんだ。七月くらいから準備もみんなでしてね、すごく楽しいんだよ」
「そうそう、みんなでカレーを作ったり肝試ししたりね」
「へぇ、楽しそうだね。香穂子ちゃんも参加する?」
「え……と」

 日和の問いかけに香穂子の瞳が揺れる。あれ、これ。もしかして。地雷を踏んだだろうか、と固まりかけた日和を他所に、香穂子が日和を見上げた。少女と成熟した女の狭間のようなそれで。

「日和さんが行くなら、行こうかな」

 嫌な汗が掌に滲む。すっかり、忘れていた。自分に舌打ちしたい感情を呑み込んで、日和はどうにか害のなさそうな笑みを浮かべてみせた。

「みんな来るなら、楽しいんじゃないかな。凛音ちゃんたちもみんな来るんだよね」

 わざとらしく逸らし過ぎたかもしれないが、それが精いっぱいである。笑顔だけは維持したまま、凛音に視線を向ける。無邪気な声が「うん」と応じてくれたことに、日和は心底ほっとした。

「今年はねー、あたしはごはんを作る担当をしようと思うんだ」
「ごはんかぁ。いいね」
「あたしはね、今年も肝試し。香穂子ちゃんも一緒にする?」

 続いた恵麻の声が自分に気を使っていることがわかってしまって、日和の自信は地に落ちた。この二ヶ月、自分なりに頑張っていたつもりだが、結局のところ、俺はなにも変わっていないのかもしれない、と思う程度には。
 不満そうな香穂子の視線に気が付かないふりを続けることしか、もはやできない。

 ――真木さん、早く帰って来ねぇかな。

 久しぶりに顔を出した学人がくとにバスケをしようと強請られるかたちで、真木が男の子たちを連れて公園に向かったのが小一時間前のことだ。
 少しの間なら自分一人でも大丈夫かと思ったが、撤回したい。無理だ。常に同じ空間にいてほしい。

「まきちゃんたち、遅いねぇ」

 日和と同じことを考えていたのか、凛音が壁の時計を見上げた。もうそろそろ四時になる。

「本当だね。でも、もう帰って来るんじゃないかな」

 願望たっぷりの日和の応えに、「どうだろうね」としたり顔の雪人がもったいぶった間をつくる。

「だって、バスケでしょ。また学人が泣いてるんじゃないの」
「泣くって、学人くんが?」

 定時制の高校にこの春から通い出したという少年は、どちらかと言えば気の強そうな顔をしていたのだが。首を傾げた日和に、雪人が嬉々として話し出した。この話をしたかったらしい。

「だって、前にも泣かされてたもん、まきちゃんに」
「三月にスポーツ大会があって。みんなでバスケをやったんだけど」

 参加していなかった香穂子や日和にもわかるように恵麻が注釈を入れる。

「そのときにね、まきちゃんが大人気なく1ON1で学人にボロ勝ちして」
「学人も負けず嫌いなんだよね。何回やっても勝てないからって最後には泣いちゃって」
「まぁ、まきちゃんが全く手加減しなかったからだけどね」
「なんか、想像できた……」

 居合わせていない場面がいとも簡単に脳裏に浮かんで、日和は小さく笑った。

「まきちゃんはなんでもできるんだよ」

 自分のことのように胸を張った凛音がかわいくて、眼を細める。胸に詰まっていたしこりがひとつ落ちたような感覚。自分がなにをしたわけでもないのだが、笑顔は妙薬ということなのかもしれない。
 スポーツ大会の話題にはそこまでの興味をそそられなかったのか、香穂子とのどかは本棚に少女漫画を探しに移動をしていた。その横顔にさきほどまでの色は見当たらない。

 ――これも俺がなにをしたわけでは一切ないけど、とりあえず良かった。

 ほっと胸を撫で下ろして、日和は盛り上がる凛音たちの話に耳を傾けた。

「でも、結局、優海さんの例のアレで決着して」
「例のアレ?」
「そっか。ぴよちゃん、聞いたことないよね。優海さんとまきちゃんと一緒になるタイミングで入ってないから」
「じゃあ、きっと、キャンプで見れるよ!」

 いつのまにか、自分がキャンプに参加することは決定事項になっているらしい。
 まぁいいかと日和は苦笑した。本来の自分だったらば、なにかしらの理由を付けて断っていたに違いない。でも、と日和は思う。
 嬉しそうな瞳を向けられて、悪い気がするわけがない。

 ――キャンプに本当に参加できるかどうかは、真木さんに聞いてみないとわからないけど、終わってからでも聞いてみようかな。

「優海さんのアレっていうのはね、ちょっとすごいよ。優海さんがあの笑顔で、『基生もとき、ちょっといらっしゃい』って言うときの破壊力が異常だよねと言う話でもあるんだけど。あぁ、まきちゃんご愁傷様的な意味で」
「真木さん、基生っていうんだ?」
「そうそう。どっちが下の名前かわからないよね……と言おうと思ったけど、ぴよちゃんも似たようなレベルだね。日和智咲」
「よく覚えてたね」

 自己紹介のときに一度言ったきりのはずだ。感心した日和に、璃音が不思議そうな顔をする。なにを言ってるのと言わんばかりだ。

「覚えてるよ。当たり前でしょ」

 一年以上同じゼミに所属していた先輩の顔と名前を一致させていなかった自分が極悪人に思えて、内省する。やっぱり、俺はもう少しくらい周囲を気にして生きたほうがいいのかもしれない。

「それでね、優海さん、普段はまきちゃんとか、まきくんって呼んでるんだけど。たまに下の名前で呼ぶと、ぜーったいお説教だから」
「左手一本しか使いませんから、もう一回やりましょうって言わされて、対戦させられてた。左手一本とかまりつきかよってまきちゃん言ってたけど、結局、まきちゃんの圧勝だったよね」
「すごい」
「優海さんがあとで言ってたんだけど。まきちゃん、高校生の時、バスケで全国大会に出てるんだって」
「それ、強くて当たり前なんじゃ……」

 それで手加減する気ないとか鬼かよ、との本音は呑み込んだ。いろんな意味で自分にはひっくり返っても真似はできない。

「でも、学人。次は負けないって言って、今、通信の高校のバスケサークルに入ったんだよ。練習嫌いだって言ってたのに」
「へぇ」
「走り込み中心でつまらないとも言ってたけど。でも、まだ続けてるみたい」
「それは、すごいね」

 その子も、上手に発破をかけたあの人も。
 人を変えるということは、人に一歩を踏み出させるということは、とてもパワーのいることだ。
 玄関から賑やかな声が響いて、恵麻たちがぱっと視線を向ける。ごく自然と「おかえり」と出迎える言葉が日和の口からも零れていた。
 家。家、なぁ。けれど、家であるからこそ余計に家主がいなければ落ち着かないのだろう。耳に届いた真木の声に、日和はほっと力を抜いた。
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