好きになれない

木原あざみ

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好きになれない1

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「なんていうか、思ったより、寒い」
「そうか? 涼しくいくらいだろ」 

 けろりと返されて、自分が鍛えていないのが原因だろうかと、日和は己の不健康さを省みた。

 ――いや、でも、そこまで、たるんだ身体はしてないと思うんだけど。

 若さでなんとかなっているだけじゃないのか、との突っ込みは聞こえなかったことにした。半袖から露出している二の腕を所在なく擦る。もう七月も終盤なのに。

「悪い意味じゃないけど。日和はあれだな、山の中とか来たことねぇだろ、あんまり」
「ない、ですねぇ。というか、俺、本当にアウトドアと縁がなかったので」

 素直に認めて、日和は降り立った場所をぐるりと見渡した。木々に囲まれた、人工的な平地。来月、つぼみの生徒たちとともに来ることになるキャンプ場だ。つぼみから車で一時間強。たったそのくらいの移動で、自然の豊かなところにたどり着けるのか、との感動は、上着を持ってきたらよかったに取って代わられている。寒い。

「――に行ったところに川もあるんだけど。一応、泳げるところ。……日和?」

 聞いてんのか、てめぇと言わんばかりのドスに、日和は慌てて首を振った。

「聞いてます、聞いてます。行ってみたいです、川!」

 真木がキャンプ場の下見に行くという話を耳にして、付いて行きたいと手を上げたのは他ならぬ自分だ。一度も訪れたことのない場所で、生徒たちを先導できる自信が皆無だったのである。滔々と訴えた日和に、「相変わらず、真面目だね」の一声で真木は帯同を許可してくれた。時間給とか出ないよ、との釘も刺されたが、真木も出ていないに違いない。

 ――でも、本当に人間って変わるもんだな。

 そんな理由で、日曜日の朝も早くから山奥に足を運ぶようになるのだから。おまけに、一緒に出かけられてちょっと嬉しいと思ってもいる。心の中の馬鹿な子どもは見ないふりで、真木の後ろについて、舗装された砂利道を行く。
 日和と呼ばれるようになったのは、ここ最近のことだ。夜に子どもたちに勉強を教え始めたころから、帰る時間が遅くなり始めた。子どもたちが帰路に着いてからも、真木の仕事を手伝ったり、ブログを書いたり。適当な理由を付けてスタッフルームに居残って、一緒に戸締りをするのが当たり前になったころ。
 子どもたちに対するような、あるいは、羽山への態度のような。ゆっくりとした柔らかな物言いとは違うものへと変化していった。

 ――さすがに、嬉しいとは本人を前にして言えないけど。

 けれど、距離が詰まっていくことがわかるのは、やはり「嬉しい」。今まで、積極的に対人関係を築いてこなかったからこそ、余計に。
 道を抜けたところに広がっていたのは、小さな川だった。今も何人か小学校低学年くらいの子どもが遊んでいる。

「寒くないのかな」

 思わず呟いた日和に、真木が小さく笑った。「おまえが寒いだけだろ」

「……まぁ、そうです、けど」
「川の流れも速くはないし、今まで誰も溺れたことはないらしいけど。気を付けて見てやって。絶対、視界には納めておくように。スタッフと一緒のとき以外は入るのは禁止。もちろん、前日の雨とかで雨量が上がってたら駄目な」
「あ、はい」
「そういや、日和って泳げるの?」
「え、と。俺の通ってた中学も高校も水泳の授業ってなくて」
「へぇ、そういうところもあるんだな」
「だから、小学校の時に泳いだのが最後の記憶なんですけど。五十メートルは行けた気が」

 ちなみに、最後に泳いだのは大学一年の夏だ。断り切れずに、同じ科の友人たちと海に行ったときのこと。浅瀬で浮かんでいただけなので、「泳いだ」にカウントしていいのかどうかも疑わしいが。

「あの、絶対に眼を離さないようにします。というか、浅瀬以外、行かせません」
「いや、それはもちろんなんだけど。溺れないでね、日和も。本当に」

 役に立たないと言われないだけマシだと、日和は頷いた。言わずもがな、真木は泳げるのだろう。凛音たちいわくの「まきちゃんはなんでもできる」だ。

 ――そう思うと、この人の学生時代って、いわゆる上位ヒエラルキーだよな。身長もべつに低くないし、顔も悪くないし。気遣いもできるし。

 年の差だけではなく、埋まり切らないものは盛り沢山だ。なんとなく拗ねた心地のまま、日和は白状した。

「キャンプも小学校低学年くらいのころに一回やったことがあるだけで、火を起こしたこともなければ、テントを張ったこともないですし、野外で一晩過ごしたこともほとんどありません」
「あー、いや、うん。大丈夫、大丈夫。バンガローだし。夜に怖いって泣いても慰めてあげるし」
「……泣きませんから」

 憮然と言い返した日和に、真木が声を上げて笑った。珍しい。

「日和って、そういうところ、かわいいよな、本当」
「かわいいって、俺も二十一なんですけど」
「知ってる、知ってる。でも、それとこれとはまたべつものだろ」

 べつもの。じゃあ、俺が真木さんのことをかわいいと思う瞬間があるのも、別の問題なのだろうか。

「それにこうやって、下見にまで付いてきてくれてるんだ。それだけで本当に十分。頼りにしてる」

 それだけで十分。無償のボランティアとして参加している学生だからなのか。性分なのか。真木はあまり過分を求めない。十分。頼りにしてる。ありがとう。現状に日和が付けるほんのわずかのプラスアルファに、真木は僥倖だと言わんばかりの顔をする。
 それが嬉しくて、けれど、最近は少し悲しい。そんなことを言ったとしても、意味がわからないと一笑に付されるのだろうけれど。

「それにしても」

 処理しきれない感情を誤魔化すように、話題を変える。

「キャンプの準備にかかりきりになると聞いてはいましたけど。本当に本格的なんですね。その、なんというか、子どもたちが主体で」
「あぁ、すごいだろ、結構」
「本当に。びっくりしました」

 嬉しそうに首肯されて、日和も頷く。キャンプに参加するスタッフと生徒、全員が集まっての「キャンプ会議」が行われたのがつい一月前。七月に入ったばかりの土曜日のことだった。
 キャンプにおける役割を決める会議だ。生徒主体といってもきっと優海や真木といった正職員がうまく主導するのだろう。勝手に想像していた日和のイメージは、始まってすぐに一蹴された。
 どの子もみんな、キャンプについてしっかりと考えて、自分がやりたい役割を思い描いて臨んでいる。
 スタッフが日常の会話の折々にキャンプの話を出し、モチベーションを底上げしていたことを差し置いても、みんな意欲的で、なにより楽しそうだった。
 スケジュール調整を行うしおり作成班、肝試しを企画するイベント班、昼食と朝食を担当する食事班A、夕食を担当する食事班B。
 キャンプを経験している在籍年数の長い生徒が中心になって会議を進め、個々の希望と人員のバランスを見ながら、班に生徒とスタッフを振り分ける。そして班が決まった後は、班リーダーの選出と、キャンプまでに行う準備の進行予定を組み立てる。
 計画を立てることが苦手な生徒ももちろんいるけれど、なにくれとなく周囲がフォローし、全体で一つの場をつくり上げていて。
 いい会議だな、と本心で思った。
 ちなみに、ではあるけれど、事前にスタッフ会議で申告しておいたおかげなのか、香穂子とは違う班に配属された。男手が欲しいと恵麻に請われ、日和はイベント班に。香穂子はのどかたちとしおり班になった。

「俺、学生のころとか、こういう会議で積極性を見せたことなんてなかったタイプなんで。純粋にすげぇなとも思いましたよ」
「そんなこと言っても、日和は役を押し付けられてたタイプだろ」
「なんでわかるんですか?」
「ついでに言えば、口ではしぶしぶ言いながらも、しっかり無難以上にこなし切ってたタイプ」
「……なんでわかるんですか」

 ずばり言い当てられて、日和は瞳を瞬かせた。たしかに、自分はそうだった。面倒な役割を押し付けられても――やらなかったことでなにかを言われるほうが嫌だったという後ろ向きな理由ではあるが――、日和は最後までやり切らなかったことはない。
 そのおかげで、「じゃあ、またよろしくね」と、次々に白羽の矢を立てられていた気もするけれど。

「わかるよ」

 なんでもないことのように真木は言う。

「だって、すごい真面目だもん、おまえ。はじめて見たときは、やる気のない上に頼りなさそうな兄ちゃんが来たなと思ったけど」
「……」
「しょうがねぇだろ、初対面の人間に、袖掴んで引き留められた俺の身にもなれ。おまけに子どもならともかく、俺よりずっとタッパもある成人済みの男だぞ。恵麻たちがひよこだって言ったときは言い得て妙だなとも思ったけど。まぁ、でも」
「でも?」

 あの優しそうだった顔の裏で、そんなことを思っていたのか。いまさらながらに知ったところで、返す言葉もないけれど。聞きたいような聞きたくないような心境で続きを促した日和に、真木が目を向けた。その瞳がふっと和らぐ。

「さっきも言ったけど。すげぇ真面目。それで、器用そうな見た目のわりに要領が悪くてとろいくせに、誠実。生徒たちのこともしっかり考えてくれて、手伝ってくれる」

 日和の返事を待つでもなく、真木が川辺から背を向ける。楽しそうな高い声が響いていて、来月も晴れていればいいなと思った。自然の中で遊ぶことも、生徒たちの楽しみの一つだ。真木の言葉を噛みしめているうちに、胸が詰まりそうになって、その感慨が恥ずかしくて、そんなことを考える。現実逃避だ。認められない、今はまだ、なにも。でも、嬉しい。
 そんなふうに、自分を見てくれた人が、果たして何人いただろう。

「そんないいやつが、学生時代も頼りにされてないわけないだろ」

 ――そんなこと、なかったんです、とは言えなかった。たぶん、きっと、俺は、そんなふうに思われていなかった。やる気がないよね、と。そのくせ、なんでもできていいよね、と。あとは見た目を褒められることばかりだった。もちろん、そうさせた原因の一端が自分だとわかっている。けれど。

「ちなみに。去年、肝試しをしたのは、あっちの山のほうなんだけど。見に行ってみる?」

 先を行っていた真木が振り返る。その顔をしっかりと見れないまま、「お願いします」と日和は頷いた。
 木漏れ日から落ちて来る夏の日差しが、彼を照らす。きれいだ、と思った。

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