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好きになれない3
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机上に伏せていたスマートフォンに手を伸ばして、日和は欠伸をかみ殺した。午前零時四十二分。
「終わった……」
スマートフォンの画面を眺めたまま、眠い頭で考える。電話はしたい。けれどさすがに、この時間にかけるのは忍びない。
――明日の朝はバイト入ってないはずだけど。でも、つぼみはあるし。
あの人、忙しいからなぁ。
自然と眉間に皺が寄る。コンビニの早朝バイトって、なんでやってるんですか。そう尋ねてみたのは、二ヵ月ほど前のことだった。つぼみの外で時間を共にするようになって、その忙しさが目に付いたのだ。
返ってきたのは、「つぼみの給料だけじゃ厳しいから」という身も蓋もない上に、それ以上のなにをも言えなくなる台詞だったのだけれど。
言葉にしない不満が滲み出ていたのか、「民間のフリースクールなんてどこもそんなものだし、つぼみは格段にマシな部類だ」とも諭されてしまった。
――いや、だからって、安心とかできないし。金銭面の問題じゃなくて体力的な心配というか。若さにかこつけて酷使してるだけじゃないんですか。いつか無理がたたりますよ、とか。……まぁ、言えないけど。
言っても聞いてもらえないだろうが、心配するのは日和の自由だ。とは言え、自分の寂しさを優先して電話をしたいと思っている時点で、「子ども」なのかもしれない。
ラインだけ。送るだけ送って既読にならなかったら大人しく寝る。決めて送信すること数分。既読に切り替わらない画面を恨みがましく見つめながら、日和はベッドに倒れ込んだ。
この時間帯に仕事しないで寝ているのなら、それはそれでいい。言い聞かせて溜息。真木は自宅でも書類仕事をよくしているが、朝方勤務のアルバイトを週の半分は入れているからか、生活リズムは規則正しい。日和が泊まるときも、半ば無理やり日付が変わる前にベッドに押し込まれている。
他愛もないことをつらつらと思い浮かべていると、手の中でスマートフォンが急に振動し始めた。危うく取り落としかけて、――表示された名前に、一気に目が覚める。
「も、もしもし!」
「真夜中でも元気だね、おまえ」
勢い込んだ日和とは対照的に、スマートフォン越しに聞こえる声は静かだった。
疲れ切って沈みかけていた心が、ゆっくりと浮上する。
「もう終わったのか?」
「終わりました。……ちょっと、疲れる」
零してしまった愚痴にも、真木は否定的なことは言わなかった。「そうだろうな」
「日誌とか指導案とかが大変なのはもちろんなんですけど。一日中、ずっと気を張ってるみたいで。家に帰ると、どっと疲れが」
「真面目だからな。学校にいる間中、手ぇ抜けてないんだろ」
「……真木さんは」
「ん?」
「どうだったんですか。実習期間中」
「あー……」思い出すように数秒。言葉が途切れた後に、返ってきたのは「どうだったかな」とのはっきりしない応えだった。
「四年も前だしな。でも、あれだろ。おまえ、モテてるだろ。女の子に」
「実は、それもすごくストレスで」
黙っていてもどうせバレるのだ。日和は観念して吐き出した。好かれることが嬉しくないわけではない。ただ、ラインはやってるの、だの。連絡先を教えて、だの。彼女はいるの、だの。
答えづらい質問を休み時間中ぶつけられることも、同じく教育実習に来ている他の男子学生から僻みと同情の入り混じった視線を向けられることも、精神的にくるものがある。おまけにあの年ごろの女の子は「秘密」だとか「ごめんね、内緒」だとかでは諦めてはくれないのだ。その場は立ち去ったとしても、次の日に同じ質問をぶつけてくるのだから切りがない。
「恵麻ちゃんたちが懐かしい……。思えば、あの子たち、俺の連絡先なんて興味なかったんだろうな」
振り返って考えれば、香穂子にも最後まで聞かれなかった。
「あの子たちからしたら、おまえはちゃんとスタッフだったんだろ。どの子もみんな、そういう一線は引いてるよ」
「じゃあ、今は」
「中学生からしたら、教育実習生なんて、体の良い遊び相手だろ」
にべもなく言われて、日和は口を曲げた。
「そりゃ、そうかも、知れないですけど」
「まぁ、教師になったら、そうじゃなくなるよ」
当たり前の事実として真木が言う。
「明日もやることいっぱいだろ。早く寝ろ」
「真木さん」
「なに」
「声が聞けて、嬉しかった」
「そうか」
「うん。ありがとう」
通話を終わらせないといけない。わかっているのに、なかなか切れなかった。続く沈黙に、「寝ろよ」と真木が苦笑する。けれど、それだけだ。真木はいつも日和が切るまで待っていてくれる。甘やかされている、と思う。
「逢いたい」
口を吐いたそれに、真木が笑った。まるきりの子ども扱いに、声が尖る。いつも、いつも。俺ばかりだ。
「寂しくないんですか。俺は寂しい」
「俺に絡んでる暇があったら、早く寝ろ」
ほら。やっぱり、と思う。やっぱり、答えてくれない。不貞腐れて黙り込んだ日和に呆れた声が囁く。
「ほら。電話、切れるか?」
「切れます。……大丈夫」
黙っているうちに、急速に眠くなってきた。後半はしっかりと言葉になっていたかどうか、自信がない。「寝てるだろ」と静かな声が笑う。寝てませんと反論したつもりだったが、もしかすると夢の中だったかもしれない。もう一言、二言。声が聞こえたような気がしたけれど、なにを言っているのかまではわからなかった。まるで、あの部屋で一緒に寝ているみたいだ、と思った。
「終わった……」
スマートフォンの画面を眺めたまま、眠い頭で考える。電話はしたい。けれどさすがに、この時間にかけるのは忍びない。
――明日の朝はバイト入ってないはずだけど。でも、つぼみはあるし。
あの人、忙しいからなぁ。
自然と眉間に皺が寄る。コンビニの早朝バイトって、なんでやってるんですか。そう尋ねてみたのは、二ヵ月ほど前のことだった。つぼみの外で時間を共にするようになって、その忙しさが目に付いたのだ。
返ってきたのは、「つぼみの給料だけじゃ厳しいから」という身も蓋もない上に、それ以上のなにをも言えなくなる台詞だったのだけれど。
言葉にしない不満が滲み出ていたのか、「民間のフリースクールなんてどこもそんなものだし、つぼみは格段にマシな部類だ」とも諭されてしまった。
――いや、だからって、安心とかできないし。金銭面の問題じゃなくて体力的な心配というか。若さにかこつけて酷使してるだけじゃないんですか。いつか無理がたたりますよ、とか。……まぁ、言えないけど。
言っても聞いてもらえないだろうが、心配するのは日和の自由だ。とは言え、自分の寂しさを優先して電話をしたいと思っている時点で、「子ども」なのかもしれない。
ラインだけ。送るだけ送って既読にならなかったら大人しく寝る。決めて送信すること数分。既読に切り替わらない画面を恨みがましく見つめながら、日和はベッドに倒れ込んだ。
この時間帯に仕事しないで寝ているのなら、それはそれでいい。言い聞かせて溜息。真木は自宅でも書類仕事をよくしているが、朝方勤務のアルバイトを週の半分は入れているからか、生活リズムは規則正しい。日和が泊まるときも、半ば無理やり日付が変わる前にベッドに押し込まれている。
他愛もないことをつらつらと思い浮かべていると、手の中でスマートフォンが急に振動し始めた。危うく取り落としかけて、――表示された名前に、一気に目が覚める。
「も、もしもし!」
「真夜中でも元気だね、おまえ」
勢い込んだ日和とは対照的に、スマートフォン越しに聞こえる声は静かだった。
疲れ切って沈みかけていた心が、ゆっくりと浮上する。
「もう終わったのか?」
「終わりました。……ちょっと、疲れる」
零してしまった愚痴にも、真木は否定的なことは言わなかった。「そうだろうな」
「日誌とか指導案とかが大変なのはもちろんなんですけど。一日中、ずっと気を張ってるみたいで。家に帰ると、どっと疲れが」
「真面目だからな。学校にいる間中、手ぇ抜けてないんだろ」
「……真木さんは」
「ん?」
「どうだったんですか。実習期間中」
「あー……」思い出すように数秒。言葉が途切れた後に、返ってきたのは「どうだったかな」とのはっきりしない応えだった。
「四年も前だしな。でも、あれだろ。おまえ、モテてるだろ。女の子に」
「実は、それもすごくストレスで」
黙っていてもどうせバレるのだ。日和は観念して吐き出した。好かれることが嬉しくないわけではない。ただ、ラインはやってるの、だの。連絡先を教えて、だの。彼女はいるの、だの。
答えづらい質問を休み時間中ぶつけられることも、同じく教育実習に来ている他の男子学生から僻みと同情の入り混じった視線を向けられることも、精神的にくるものがある。おまけにあの年ごろの女の子は「秘密」だとか「ごめんね、内緒」だとかでは諦めてはくれないのだ。その場は立ち去ったとしても、次の日に同じ質問をぶつけてくるのだから切りがない。
「恵麻ちゃんたちが懐かしい……。思えば、あの子たち、俺の連絡先なんて興味なかったんだろうな」
振り返って考えれば、香穂子にも最後まで聞かれなかった。
「あの子たちからしたら、おまえはちゃんとスタッフだったんだろ。どの子もみんな、そういう一線は引いてるよ」
「じゃあ、今は」
「中学生からしたら、教育実習生なんて、体の良い遊び相手だろ」
にべもなく言われて、日和は口を曲げた。
「そりゃ、そうかも、知れないですけど」
「まぁ、教師になったら、そうじゃなくなるよ」
当たり前の事実として真木が言う。
「明日もやることいっぱいだろ。早く寝ろ」
「真木さん」
「なに」
「声が聞けて、嬉しかった」
「そうか」
「うん。ありがとう」
通話を終わらせないといけない。わかっているのに、なかなか切れなかった。続く沈黙に、「寝ろよ」と真木が苦笑する。けれど、それだけだ。真木はいつも日和が切るまで待っていてくれる。甘やかされている、と思う。
「逢いたい」
口を吐いたそれに、真木が笑った。まるきりの子ども扱いに、声が尖る。いつも、いつも。俺ばかりだ。
「寂しくないんですか。俺は寂しい」
「俺に絡んでる暇があったら、早く寝ろ」
ほら。やっぱり、と思う。やっぱり、答えてくれない。不貞腐れて黙り込んだ日和に呆れた声が囁く。
「ほら。電話、切れるか?」
「切れます。……大丈夫」
黙っているうちに、急速に眠くなってきた。後半はしっかりと言葉になっていたかどうか、自信がない。「寝てるだろ」と静かな声が笑う。寝てませんと反論したつもりだったが、もしかすると夢の中だったかもしれない。もう一言、二言。声が聞こえたような気がしたけれど、なにを言っているのかまではわからなかった。まるで、あの部屋で一緒に寝ているみたいだ、と思った。
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