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好きになれない3
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しおりを挟むきれいだから好きなわけでも、好きだからきれいに見えるわけでもないと思うのだけれど、でも、やっぱりそうだと思う。首筋のラインや、細身だけれどきれいに筋肉の乗った身体も。薄い暗闇の中、ベッドにその肢体を押し倒して見下ろしているだけでも、十分に嬉しいし楽しい。
ゲイじゃないと思っていたんだけどな、なんて考えていたのも、もうずっと前の話だ。好きな人に触れたいと思うのも、視界に収めているだけで幸せだと思うのも、当たり前の話だ。日和にとっては。
その沈黙の居心地が悪いのか、真木の指先が日和の頬に伸びてくる。触られるのは嬉しいが、性急にことを進めたいわけでもない。特に、今日は。指を掴んで、シーツに押し戻す。
「ねぇ、真木さん」
瞬いた瞳一面に、自分が映り込んでいる。派手な顔立ちではないが、整った面立ちだ。それなり以上にモテてきたんだろうなぁ、とも思う。
「俺も触りたい」
「……なんで」
「なんでって、好きだから。だから、触りたいに決まってるじゃないですか」
この半年強、似たようなことは何度も訴えてきた自覚はあるが、改めて訴える。今までは真木が言うならと退いていたけれど、今日はそのつもりはない。じっと見つめていると、困ったふうに視線が逸れた。けれど、掴んだままの指先は逃げようとはしなくて。
「おまえ、さぁ」
溜息交じりの声が日和を呼ぶ。
「さっきも思ったんだけど」
「はい」
「言ってて恥ずかしくないわけ、そういう台詞」
「え?」
「俺は普通に恥ずかしい。おまえのその顔で言われると。なんか」
予想外の言葉に日和はしばし黙り込んだ。じわじわと脳が認識し出すにつれ、なんだか恥ずかしくなってくる。
「え、っと……。真木さんって、俺の顔、好きだったんですか」
「幻滅したかったらしていいけど。普通に、好きだよ。はじめて見たときから、格好良い子だなとは思ったし。だからと言って、手を出す気はなかったんだけど。――って、なんの説得力もねぇな、これ」
「真木さん」
「なんだよ」
「俺、生まれてはじめてこの顔で良かったって思ったかもしれない」
「……おまえって、本当」
「なんですか」
「いや、単純だよなって思って。思い込みも激しいし。もう、本当になんで、こう」
諦めたように溜息を吐いているくせに、幸せそうに見える。
「かわいいんだろうな、おまえ」
この人の言う「かわいい」は、それこそなんで、こんなに慈愛が籠っているように響くのだろう。
存在すべてを受け入れてもらえるように響くのだろう。だから、純粋に嬉しいと思うことができる。見た目だけで選ばれたわけではないと信じることができる。
「それで。え、と。……いいんですか」
「だから」
どこか焦れたような声だった。
「わざわざ聞くなよ、そんなこと」
仕方がないから、ではなく、好きだから許されている。その核心を持てることが、こんなに幸福だとも知らなかった。
触れるだけのキスのつもりが止まらなくて、角度を変えながら、何度も深く唇を合わせる。応えてもらえることが嬉しくて、その舌先に吸い付く。キスなんて要らない。必要のないことは、しなくていい。突き付けられていた緩やかな拒絶は、もう、ずっと向こうだ。
首筋に、鎖骨に、胸に。身体中すべてに口付けたいような心地で、キスを落とす。日和の下で、くすぐったそうに真木が小さく身を捩る。制止の声はかからなかった。
色の白い肌は、少し強く吸うと簡単に華が散る。それが気に入って鎖骨に唇を押し当てた。一度、二度。繰り返すと、真木が緩く頭を振った。
「っ……痕、付けるなよ」
顔を上げて瞳に不満を込めれば、声が和らぐ。
「見えないところなら良いけど。あきの相手してると、はだけるときあるから」
大きくはだけるような服を着なければ良いだろ、と思ったが、言うのは止めた。そう言えば、一年目の夏の終わり。つぼみで雨に濡れたこの人を見て、居た堪れない気持ちになった。触れたいのだと思い知って、けれど、触れられなかった。
無防備と言うか、隙がないように見えて隙があると言うか。でも、そうでなければ、そもそも、あの冬の夜。俺を家に入れてくれなかったかもしれないし。そのことに感謝をすべきなのだろうけれど、自分以外の前ではして欲しくないとも思う。そう言う代わりに、言葉を紡ぐ。
「こういうときまで、仕事の話を持ち出さなくても良くないですか」
「事実だろ」
「そういう真木さんも好きですけど」
それも事実だ。見えないように気を付ければ良いと思いながら、同じ場所にもう一度口付ける。咎める視線を無視して囁く。
「真木さんはいつも余裕で、俺ばっかり必死みたいだ」
あまりにも子どもじみていただろうか。そう思ったのは、真木の眉間に皺が寄ったからだ。するりと手の下から指先が抜けていく。
「真木さ……、うわ」
乱雑と言っていい手つきで頭を掻き回されて、日和は小さく声を上げた。間近で合った瞳はもの言いたげで、どきりとする。
――俺、怒られるようなこと、言ったかな。
それとも、あれかな。調子に乗り過ぎたかな。いやでも、このくらい、許されても良くないかな。そんなことをぐるぐると考えていると、溜息がその唇から零れ落ちる。
「あのな」
憮然とした声が、言い聞かせる調子で続く。
「勘違いさせるようなことをした自覚はあるから、一応、言うけど」
「はい?」
「今まで誰ともそういうことをしてないとは言わないけど。その、そんなに慣れてはいないというか……受け身の経験はあんまりないというか」
「え? はい」
「だから。おまえにマウント取られると、どうしていいか分からなくて、困ったんだよ」
困っていた。というか、もしかすると、照れていた、あるいは緊張していた。だから、主導を取っていたかった。
頭の中で積み上がってく解に、日和はゆっくりと瞬いた。溜息は呑み込む。どちらかと言えば、俺が吐きたいくらいだけど。
「そういうことは、言ってくださいよ」
「言えるわけないだろ」
それは、俺が年下だからなのか。俺が男との経験がなかったからなのか。両方だろうな、と日和は判じた。なんとなく。本当になんとなくではあるけれど、多少は思考が読めるようになってきた。
「あんたって、本当」
呑み込んだ溜息の代わりに、声を落とす。この人に、こんな呆れた声を自分が出す日が来るとは思わなかったけれど。
「面倒な人ですね」
「……だから言っただろうが」
「なんかすごく損した気分で、でも、得した気分です」
怒っているわけではなく、決まりが悪いだけらしい。改めて唇にキスを降らせる。軽く歯を立てられて吸われた舌先が、八つ当たりみたいでかわいい。知らない面は、知っていけば良い。その時間が許されていることは、幸いだ。
絶え間なくキスと愛撫とを繰り返して、全身を知る。時折、焦れた瞳が咎めるが、ここぞと微笑んで「半年も我慢したんだと思えば、良くないですか」と囁けば、ぐっと黙り込む。それもまたかわいく見えて、しっとりと汗ばんだ額にまた口付ける。言語中枢が崩壊したみたいに「かわいい」と言う言葉しか出てこない。自分と同じ男なのに。そう思うのも事実だけれど、そう言う問題ではないのだろうとも思い知っている。
この人だからだ。好きな人だからだ。
「っ……」
中を探る指が二本に増えたあたりで、殺し切れない息遣いが耳を打つようになった。思えば、じっくりと時間をかけて、日和の指で解きほぐしていくのも初めてのことだ。
快感を堪える少し苦しそうな顔も、日和にはたまらなく色っぽく見えるのだけれど、堪えずに委ねる姿も見てみたいと思う。
「真木さん」
呼びかけに、伏せられていた瞳が持ち上がる。熱に潤んだそこに映り込んでいるのは自分ひとりだ。そう思うと、ぞくりと快感に似た征服欲が走る。
大事にしたい。とびきり優しくしたい。誰にも見せたことがない顔を見せて欲しい。すべてを自分のものにしてしまいたい。相反する欲望を混ぜて溶かしたような声で囁く。
「声、聞かせて」
「ひよ……っ、り……」
内側をなぞる指の腹が良いところを掠めたのか、日和の下で身体がびくりと跳ねる。
「っ、ぁ……」
口元に手を押し当てて声を殺す仕草は健気だったが、日和は動きを止めなかった。もう一度、囁く。
「声」
ぎゅっと閉じられていた瞳が瞬いて、眉間に力が籠る。睨まれているのか煽られているのか分からないなと思いながら、笑う。
「俺の好きにして、良いんでしょ」
駄目押しに、その顔が揺れる。甘さと理性と、快感と。そのすべてに付け込んでやりたい気分で、耳朶を噛む。吐息の中に潜む甘やかさにくらりとした。本能のまま乱暴にしたい欲望に蓋をして、口を覆い隠したままの手を取った。甲に触れるだけのキスを落として、背に誘導する。
迷う瞳の色からは、理性はもう後方へと押し流されているのが見て取れた。頷くと、躊躇いがちにもう片方の手も背中に回る。逡巡するような力加減で縋るのがかわいかった。
「ふ……っ……」
熱っぽい呼吸に、否応なしに情感が煽られる。このまま内側からどろどろに溶かして甘やかしたいような、煽られるがまま思い切り腰を打ち付けて泣かしたいような。二択を思い浮かべながら、日和は身体の奥を暴く指先を三本に増やした。時間をかけて解した中は、あっさりと質量を呑み込んでいく。それでも圧迫感はあるのか、小さく背中が震えて、日和の身体に回された腕に力が籠る。押し殺した喘ぎが、骨に響いた。
「もう良い」だの、「楽しくないだろ」だのと、羞恥に耐えられなくなったらしいころに訴えてきていたのだが、「楽しいですよ」と笑顔で囁いたのが最後、それきり黙り込まれてしまった。けれど、事実だ。楽しい。贅沢を言うならば、もっと素直に心を明け渡してくれたら、とは思うけれど。
肩に押し当てられた前髪は、しっとりと濡れていた。どうせ、自分も似たような有様のはずだ。
この体勢、密着度が高いのは嬉しいしかわいいけど、顔が見えないのが惜しいな。まぁ、でも、と思う。
また、次がある。身体を繋げながらも満たされなかった半年分の飢餓が一挙に押し寄せたみたいに、そんなことを考える。そして、ふと気が付いた。
「声、噛んでたのって。聞いたら、俺が萎えるとか思ってた?」
びくりと大袈裟なほど、肩が跳ねる。
「そんなわけないのに」
「ノンケの男に……っ、最初から、ハードル上げられるか」
「それって、俺に嫌われたくなかった?」
消えそうな声に、日和はひっそりと口角を上げた。
あぁ、もう、この人って、なんでこうかわいいんだろう。馬鹿みたいに面倒臭いけど、かわいい。俺より年上の、しっかりとした男の人なのに。
「もうちょっと、俺を信じたほうが良いですよ。俺、どれだけあんたにつれなくされても、嫌いになれなかったのに」
何度いらないと言われたか知れない。何度すげなくされたか、知らない。それでも、ずっと好きなままだった。自分の中にこんな苛烈さがあることも、一途さが潜んでいたことも、知らなかった。
面倒臭がりでやる気がなくて、諦めが早い。本気になると言う感覚がよく分からない。そんな調子で、二十二年間、生きてきた。これからもそうだろうと思っていたのに、そうでなくなった。
今ここにいる自分が、この人に出逢って、変わったすべてだ。
「っ、もう……いい、から」
細い声が耳朶を打つ。視界いっぱいに瞳が広がったと思った次の瞬間、熱に熟れた唇に塞がれる。理性を根こそぎ奪い取っていくようなキス。
「早く」
欲しい、と欲を隠さない声で囁かれて、熱くなる。
欲しいと言った。この人が。今までずっと、なにもいらないと言っていた人が。もう手放せなくなると言って、俺を選んだ。
「真木さん」
たまらなくなって声が震えた。
「真木さん」
好きだ。好きだ。ずっと、好きだった。それだけで、走り続けてきた自分の感情が、落ち着きどころをやっと見つけたような気分だった。
十分に柔らかくなったそこに先端をあてがう。びくりとまた身体が揺れて、縋り付く力が強くなった。こめかみに唇を押し当てると、塩の味がした。啄むようなキスを繰り返して、ゆっくりと腰を進める。
「ぁ……っ……」
苦しそうな呼吸に、動きを止めて待つ。荒い息を整えながら、大丈夫だと告げるように、額が擦り付けられる。たまらなかった。深く抉りたい衝動を触れるだけのキスに変えて、慎重に律動を開始する。
「っ、好きに……してっ、良い……」
熱っぽい吐息の狭間に告げられた言葉に熱がたまる。あぁ、もう、なんで、この人は。
「だったら」
煽られ過ぎて、正直こちらだって限界だ。情欲を孕んだ声を落とす。
「大事にさせてください」
驚いたように瞳が見開かれる。じっと見つめ返しているうちに、ふっとその瞳が緩んだ。幸せそうに。無意識に言葉が零れ落ちる。好き。
「――好きです」
応える強さで背に爪を立てられると、もう本当にたまらなかった。頭の片隅に残る理性にしがみ付いて、ゆっくりと腰を揺らす。内股が震えて、快感を伝えていた。
「ん……っ、あ、ぁ……」
その声に、肌に、熱に。この人を相手にしていると言う事実に、頭がいっぱいになる。イきそうと最後を告げた瞬間、ぎゅっと頭ごと抱きしめられた。その匂いで胸が詰まる。
名前を呼ぼうとした刹那、ずっと好きだったのだと。吐息のような声が耳に落ちてきた。
何度も抱き合ったことはある。けれど、そのときの比ではなく、繋がっている、と思った。
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