海鳴き様と暮らした郷

松山あき

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第三章 二人の手紙

36《勝視点》

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――二十一歳 九月

 清一郎から手紙が届かない。前回清一郎の手紙を受け取ったのが昨年末。すでに九ヶ月近くが経っており、もしかしたら手紙を運んでいた輸送船が魚雷か戦闘機に襲われて紛失したのかもしれない。
 太平洋は今や連合軍が占拠しており、物資の輸送も命がけの状況になっている。そのせいか手紙がどこかへ消えてしまうのはよくあることのようだった。

 米軍が日本海にも出てくるものだから物資は滞りがちで、誰もが皆飢えと貧しさに喘ぎながらも、勝てば腹いっぱい飯が食えると思いながら耐えている。

 そういった状況でもあったので、勝は清一郎や故郷への心配が日増しに強くなっていくような心地がしていた。

「波多野、釘宮中尉がお呼びだ。」

 以前“遊び”に連れ出されて以降、釘宮から話しかけられることも増えていたが、このように呼び出されるのは初めてで勝も周囲も驚きを隠せなかった。

 物資不足が深刻化する中で、さすがの釘宮もオーデコロンはつけなくなったが、優雅な振る舞いは忘れない。
 浮世離れした中尉と、その中尉が気に入っているように見える勝はあらぬ噂を立てられることもあり、そのせいかこちらを見る視線の中に下世話なものが混じっているように感じる。
 そのことに辟易しながらも、勝は肩を落として釘宮の待つ部屋へと向かった。

 重厚な扉を叩いて合図を送れば、中から「入れ」と冷めた声で釘宮が返してきた。

「波多野であります。中尉殿のお招きで参上致しました。」

 軍で定められた通りに挨拶と敬礼を行う勝に視線だけ寄越した釘宮だが、儀礼のように行われるべき敬礼を見せることなく「楽にしなさい」と勝に命じる。
 多少破天荒ではあるが、形式をそれなりに大事にする釘宮がこのように振る舞うのは珍しいことで勝は困惑しつつ片腕を下げた。

「……お前、このあとはここの警護だったね。」

「は。」

 いつもその瞳に温度を宿さない釘宮が真っ直ぐに、けれどもとても哀れむような視線を勝に向ける。
 何もかもがいつもと違う様子にいよいよ勝は困惑するが、釘宮が殿上人である以上待つことしかできず、しばらくの間沈黙が流れた。

 釘宮は何かを考え込むように視線を伏せた後、ふーっと長く息をついた。
 それから一つ、机から官給の便箋を取り出す。
 やや厚みのある封筒に書かれた文字は勝のよく知るもので、驚きと困惑に目を見開いた。

「……お前の思い人のものだから拝借したが、今回は一度私のもとに渡るようできていたのかもしれない。」

「どうして、中尉殿が清一郎のことを……。」

 誰にも話したことのない淡い思いのはずだった。
 家族にも自分の心を晒したことはなく、軍に入ってから知り合った者には清一郎の名前さえ出したことがない。
 清一郎の手紙を釘宮が持っていること以上に、それは衝撃的なことだった。
 
 勝の恥ずかしさに震える唇に釘宮は驚いたのちに、可笑しそうに笑う。

「お前、覚えていないのか?あの夜、自分で言ったではないか。」

「え……。」

 釘宮と個人的な話をしたとすればあの娼館での夜だが、勝は女の話に耳を傾けたことは覚えていても自分から何かを話した記憶はない。

「男の秘所に興味があるようだから女か私で試すか聞いたんだが、お前は何て答えたと思う?」

「……あ、あの……まさか。」

 あの日は多少酩酊していたことは勝も自覚があった。そうでなければあのような手紙を書いたりしない。
 それに男の隠れた良い所の話もしっかり覚えていて、女の話に合わせるフリをしてそこの慣らし方を自ら聞いていた。
 
 だが釘宮の質問には全く覚えがなく、よくよく考えるとそこから官舎に戻るまでの記憶がない。
 自分が失態を犯した可能性に初めて気づき勝は顔を青くした。

「“そのようなことは清一郎と致します”。そうはっきり答えていたぞ。」

 今度は顔を赤くしていいのか分からず、かといってみっともなく慌てふためくこともできずに勝は真顔で硬直してしまった。

 そんな様子を察して控えめな声で笑った後に、釘宮はやや厚みのある封筒を差し出して再び神妙な表情に戻る。
 不器用な文字が並ぶそれが何か重大なものを告げるもののような気がして、勝の心に困惑が蘇る。
 もしかしてこの人は中身を読んだのだろうかと、羞恥と嫉妬の感情が芽生えたとき、勝の心を察したかのように釘宮が口を開いた。

「私は読んでいない。……だが、それは今すぐここで読みなさい。お前が拒むなら命令してもいい。」

 両手で手紙を受け取った勝に釘宮が静かに告げる。
 その理由も意味も分からないまま、けれども読まれて困る内容などないことも分かっていたので、勝は封筒の中身を取り出した。
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