海鳴き様と暮らした郷

松山あき

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第五章 再会

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「トミばあさん、とりあえずこれで何とかなると思うが、ダメそうなら言ってくれ。」

 翌日、清一郎は仕事終わりに裏の家に行き、トミばあさんの用事を聞いた。
 すると案の定古い戸の建て付けが悪い、何とかしろと言うので早速修理を始めた。

 海辺の街だからか、木材は湿気を吸って膨張しがちだ。本来であればかんなを使って薄く少しずつ削るのが良いが、専門的な道具は清一郎も持っていない。
 見ればそこまで大きく膨らんでいるわけではなさそうなので、とりあえず蝋を塗りつけて滑りをよくしてみた。
 これで何とか冬を越して、春になったら少し削るようにしようと清一郎は考えて作業を終える。

「じゃあ、ばあさん。また来るからの。」

「ほれ、アンタ。今日はこれを坊っちゃんにやんな。」

 そう言って今日は別れ際に小鉢を差し出してきた。
 何かと思い覗き込むと、大根のぬか漬けが入っていた。

「ばあさんが漬けたんか。」

「悪いか。」

「いや、美味そうじゃ思っての。勝も喜ぶわ。ありがとうな。」

 玄関先でそんなやりとりを続けていた清一郎だが、不意に強い視線を感じて振り返る。
 そこには和夫とよくケンカをするインパールから帰った男が立っていて、清一郎達を睨みつけていた。

「なんだい、なんか用かい。」

 男は荒くれ者が多いが、港の女は気が強い。相手が体格のいい男だろうが怯まずに問いかける。

 その様子に清一郎もヒヤリとしたが、男は清一郎に舌打ちするだけで、肩で風を切るようにして立ち去っていった。

「なんだい、ありゃあ。」

「すまんな。あんまり好かれてないようでの。」

「アンタじゃなか。あの男、人間はみんな敵じゃ思っとる。戦場帰りだかなんだか知らんが、愛想もなくていい迷惑じゃ。」

 人生経験を重ねてるだけあって、トミばあさんの見立ては鋭いようにも思えた。
 インパールも激戦だったという。あの男も何と戦っているのか分からないような経験をしてきたのだろう。

 男については何も言わず、清一郎はトミばあさんの家を出た。
  
 清一郎は勝の役場での仕事をよく知らない。
 ある時は戸籍の整理をしていると言い、またあるときは復員兵の登録や就職の手伝いなど様々な仕事をしている。
 勝本人に聞くと、何でも屋でたらい回しにされていると話すので、おそらくいろいろな場所で頼りにされているのだろうと想像していた。

 冬晴れのある昼。乾いたさわやかな風が海へ吹き付ける度に身が震えそうになる日のことだ。
 荷物を船に積み終えた清一郎は艀の上で汗を拭っていた。

 荷物は下ろすより積む方が腕を試される。無闇矢鱈に積んでは予定の荷物が積みきれなかったり、下ろす際に苦労してしまう。
 清一郎もその辺りの勘所が戻ってきて、若い連中を引き連れて指揮を任されることも増えていた。
 もちろん重たいものや大きな荷物はガタイのいい清一郎の領分でもあるので、清一郎自身も積極的に動く。

 ひと仕事を終えて陸に上がると、珍しく勝が出迎えてくれた。
 片手に紙の束を抱えておりパタパタと風に吹かれるたび音を立てている。きっと勝は今日も“たらい回し”にされているのかと清一郎も苦笑した。

「精が出るな、清一郎。」

「仕事か?珍しいのお。」

「港の調査だ。進駐軍は魚市場の整備計画が気になるらしくてな。一応わが家の土地でもあるから私がついてきたのだ。」

 同じように艀から上がってきた仲間たちに弥七のもとへ行くよう声をかけてから清一郎は勝の側へと歩み寄る。
 汗を拭っていた手ぬぐいを頭に巻き直す間、勝と少しだけ言葉を交わそうと互いに微笑みあった時だった。

「他の連中は働かせて、恥知らずな上に良いご身分だな。」

 昨日こちらを睨んでいた男が清一郎にも聞こえるよう大きな声でそう言った。
 それを聞いていた周りの男たちは、早々に回収しようと男の肩や腕を掴んで「おい、坊っちゃんだぞ、やめろ。」と注意する。

 町で生まれ育った人間や波多野家に恩がある人間ならいざ知らず、男は新しく町に流れ着いたばかりだ。
 勝がいるのもお構い無しに、押さえつける腕を振り払った。

「坊っちゃんと仲良しだと良いなァ、いろんなこと許してもらって。」

「お前……ッ!!」

 勝にしても間接的に侮辱されたようなものだ。思わず怒りを露わにして男と清一郎の間に入ろうとするので、清一郎は慌てて勝を止めた。

「怒ることでもなか。……すまんな。二、三挨拶するだけのつもりじゃった。仕事に戻るぞ。」

 そうだな、と口々に言い、勝も一旦は怒りの矛を納めてくれた。
 その様子にほっと息をつく一方、勝は清一郎をしっかりと睨んでいて、きっと帰ったら叱られるのだろうと予想する。

 だが、清一郎の態度や周りの反応は男の怒りに油を注いでしまったようで、皆と一緒に倉庫へ足を向けた清一郎の胸ぐらを力強く掴んだ。

「てめえはッ、そうやってヘラヘラしやがって!!」

「お、おい。本当にやめとけって。」

「うるせえ!こんなヤツが普通に歩いてて腹が立たねえのかよ!!」

 この男もよっぽどやるせない思いがあるのだろうか、と清一郎は冷静に見つめていたが、周りはついに清一郎がケンカを始めるのではないかと冷や汗をかき始めている。
 勝もさすがに男の怒りがおかしな方向に行っていることに気がついて、清一郎を守るように背にかばい間に入ろうとした。

「俺は知ってんだぞ。おめえが玉砕攻撃で生き永らえたことも、アメリカの捕虜になったことも。ハッ。不忠者な上に恥さらしたあ、ふてえ野郎だ。」

 まっすぐに睨んで清一郎の一番弱いところを的確に突いてきた。
 清一郎の胸の奥に自分が生きてしまった日の悔しさと絶望が蘇るが、この感情とも付き合いが長くなってきたのもあって反応することはなかった。

 そんな清一郎の代わりのように勝は眉を吊り上げて噛み付くように声を荒げる。

「貴様、いい加減にしろッ!!」

「おお、こわ。……なあ、てめえも何とか言ったらどうだ。それとも徴兵逃れはケンカからも逃げるのか?」

 ぐっと勝の肩を強く引き止めに入った清一郎に非情な一言が向けられて、その場の誰もが声を上げることができなくなった。

 昔から町にいる人間は、清一郎の生まれ育った郷がそういうところだと知っている。
 閉鎖的で限られた人間が限られた時間だけ外界と接する小さな集落。外に出られない掟の為に徴兵を拒み続けた徴兵逃れの郷であると。

 だが、新しく町に流れ着いた男がそれを知っているのは、町の人間が清一郎を未だにそう呼ぶからに他ならない。

 やはり変えられないのだと、ため息とともにいろいろな感情や感覚が流れ出てしまうような錯覚に陥る。 
 遠くから聞こえる弥七の「何やっとるんじゃ!!」という声さえもぼんやりと靄がかかっているように感じた。

 皆が優しくしてくれるから先延ばしにしてきたが、この辺りが潮時なのかもしれないと、清一郎は驚きと心配を織り交ぜた顔でこちらを見る勝に微笑んでやる。

「……ええ。本当のことじゃ。お前さんが腹を立てることじゃなか。」
 
 これが一方的な暴力であることは清一郎も分かっていた。
 だからと言って勝が自分の名を貶めるかもしれないのに食ってかかることではない、絶対に。清一郎はそう思うからこそ、勝を止めた。

 清一郎の望みとは反対にクシャリと顔を歪めた勝は悔しそうに唇を噛んだ後、その目に涙を滲ませながらこちらを見上げる。
 
 もう一度大丈夫だと伝えるべく首を横に振ろうとした清一郎の頬にバシッという音と共に痛みが走った。

 その頬に触れて初めて勝に叩かれたのだと分かった。
 そこに含まれた感情を、清一郎はなぜだか懐かしく感じながらも呆然と立ち尽くす。

 頬にピリピリとした余韻が残る中、男も驚いたようで清一郎の胸ぐらを掴む手が離れていってしまう。

 周囲も騒然となり時間が止まったように感じる中、勝だけは動くことができていて、今度は拳を握って思い切り男の頬を殴りつけた。

「お、おい……。坊っちゃん!」

 やせっぽっちで普段は温厚な勝だが、さすが元軍人と言うべきか、衝撃はしっかり相手に伝わっていて、若干身体がよろめている。

「生きていて何が悪いッ!!」
 
 その様子さえどこか現実ではないように感じながらただ驚くばかりの清一郎を置き去りに、勝は男を怒鳴りつけた。

「私は自ら兵に志願し、毎日懸命に生きて、この町のために働く清一郎を誇りに思っている。貴様こそ恥とは何たるかを知れッ!!」

 男が反撃の機会を失っている間に弥七や若い連中が押さえつけるが、そうするまでもなく、力強く、まっすぐに叱りつける勝に戦意もすっかり削がれているように見える。

 だが、勝の怒りはおさまる気配もなく、今度は再び清一郎に向き直り意志の宿った強い視線をこちらに注ぐ。
 ずっと焦がれたこの夏の刺すような日差しに似た瞳が、こんなにも強い悔しさをまとわせて清一郎を見つめるのは二度目だ。
 海鳴き様の依代に選ばれたのだと知り、諦めと喜びに笑った清一郎に見せたのと全く同じ表情だ。

「お前もだ、清一郎ッ。この町に……私とここにいたいと少しでも願うなら、そんな諦めた顔をするな!!私や町の者がお前を望んでも、清一郎が諦めたらどうしようもないだろう!!」

 五年前も今も、勝だけが清一郎の諦めを許さなかった。
 海鳴きの郷に生まれたから、長男だから、よそ者だからと諦めることがうまくなった清一郎に、勝だけが怒りをぶつけてくる。
 
 ついに堪えられなくなった涙が勝の眼尻から溢れたとき清一郎の時間も動き出したように感じられた。

 怒り冷めやらぬ様子で肩を怒らせながらその場を立ち去ろうとする勝を見て、清一郎は衝動的にその袖を掴んだ。
 勝は振り払おうとわずかな抵抗を見せたが、清一郎はそれでも離すことなく、上着にシワができそうなほど指先に力を込める。

「……帰ってもいいんか、あの家に。」

 勝も今清一郎の疵を目の当たりにしただろう。
 あの男が言ったのは、清一郎が生まれてしまい、生きてしまっている以上ずっと付き纏い、そして幾ばくか勝の評判に傷をつけるものだ。

 それを背負っていてもこの町にいても良いのかと、清一郎は願いを込めて勝に尋ねた。
 勝はゆっくり振り返ると、やはり涙は溜めたままギロリと清一郎を睨みつける。

「……良いに決まっている。今日も明日も一年後も十年後も、帰ってこい。」

 清一郎は喉や胸の奥にずっと詰まっていたものが流れ出すような気がした。
 喜びと呼ぶには穏やかで、安堵というには騒がしい胸のうちをどう表して良いかわからず、溶けていく緊張をそのままに勝を見つめる。

「そうか。……そうじゃったか。」

 気の利いた言葉は何も出てこない清一郎の側にただ勝は寄り添う。
 清一郎が掴んだ袖をいつでも振り払うことはできたのに、勝は自分からは決して離さないでいてくれた。

 勝の言葉やその優しさに、清一郎はこの町にきて始めて自分がよそ者ではないのだと思うことができた。
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