海鳴き様と暮らした郷

松山あき

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第五章 再会

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 久しぶりに昼と呼べる時間に仕事を終えた清一郎は、いつものように港を覗いてから帰路につく。
 和夫も誘ったが、今日は金を出し合い闇市で買った肉を若い連中と食べる約束をしていたらしい。
 たくましくこの町になじんでいる様子に微笑ましくなり、清一郎は和夫の頭を撫でてやった。

 港には珍しくいいメバルが残っていたので、それを一尾、土産にぶら下げて玄関をくぐった。
 少しずつ体格も戻ってきてはいるが、勝はまだ細い。食糧が限られた時代だが、なるべく栄養は摂らせてやりたいと清一郎は考えていた。

「ただいま。」

 ガラガラとすっかり聞き慣れた音を立てるガラス戸の向こうに勝の靴があるのを見て、そういえば勝は今日は休みだと言っていたなと思い出す。

 あれから勝はあの夜の話をしない。
 清一郎も冷静な部分では「望んではくれないのか?」と言ってきた勝の心を理解していた。
 だが、どうしようもなく強情な自分がそれは情けだと、ただの優しさだと足を引っ張る。

 臆病な清一郎を責めることも、毎夜迫ることもなく、勝はただ許される限り布団を寄せ合うことしかしなかった。
 きっと無防備に清一郎に寄り添う勝は、夢にうなされ泣いている間清一郎に抱きしめられていることなど考えたこともないのだろう。
 細い身体は存外温かく、泣き止んだ後に手放すのを毎回ためらうよう清一郎を、ずっと知らずにいてほしいとさえ思ってしまう。

「……ああ、帰ったか。すまない。」

 勝は珍しく奥の源吉の部屋から顔を出した。
 着替えなどの勝の私物はほとんどがそこにあるが、大抵は居間か清一郎の部屋にいるので少し意外だった。

「海野さんが残した書物や覚書を読んでいてな。忙しくて中々進んでいないが、海鳴き様も帰りたいのではないかと思っているのだ。」

「そうじゃなあ……。愛がないのは苦しいじゃろう。」

 両親の骨とともに海に還った海鳴き様の半分。愛は憎しみを強くするが、同時に憎しみだけで存在するのも辛いことだろうと清一郎も想像した。
 源吉はトキ子を弔うまでの五十年、海鳴き様をトキ子から離す方法を調べ続けてきた。
 海鳴き様を還すきっかけが眠っていてもおかしくない。

「清一郎は何か買ってきたのか?」 
 
「今日はメバルが一つだけ買えたんじゃ。夕飯は作るから、もう少し読んでてええよ。」

「ありがとう。麦飯とサツマイモを水に浸してあるから使ってくれ。」

 先日進駐軍から配給があったおかげだろうか。麦飯があるとは嬉しい知らせだ。
 今日は勝に腹いっぱい食事を食べさせてやれるかもしれないと思うと、清一郎も張り切って食事の仕度に取りかかる。

 次第に麦飯の炊ける温かな匂いが漂ってくると、勝もお腹が空いてきたのか台所に顔を出してきた。

「もう少しで出来上がるからの。待っててくれるか?」

「ここで待ってる。」

「面白いもんは何もないぞ?」

「……お前は本当に朴念仁だな。」

 呆れたようにため息をついて勝は言うと、そのまま台所の入り口で清一郎を見るので、なんだか落ち着かない気持ちになりながら仕度を続けた。

 やはり炊きたての飯は違うな、と仕事の疲れが癒える心地に浸りながら清一郎はサツマイモ入りの麦飯を頬張った。
 残った分はおにぎりにして明日勝と自分の弁当にするつもりだが、温かものは今しか食べられない。

「うん。サツマイモも良いものだな。少し甘みがある。」

「まだ畑が戻らんのか、味が薄いもんも多いからのお。ところで、何か分かりそうか?」

 勝が熱中して読んでいた書物などは清一郎も少しは目を通していた。
 日本各地の似たような伝承や憑き物に関する本が中心で、少しだけ拝み屋や祓い屋について書かれたものも混ざっていた。

 清一郎が読んでも理解するので精一杯ではあったが、勝は学もあるので何か考えが思いつくかもしれまい。

「いや。覚書も読んだが、海野さんが生涯かけても分からなかったのだ。そう簡単にはいかないようだ。」

「そうか。日本はしばらく平和じゃ。落ち着いたら都会に出て調べてもええ。田舎にない本もあるかもしれん。」

「ついでに喫茶店にでも寄るか?」

 いつか郷で勝が誘ってくれたように二人で銀座の喫茶店に行くのも良いかもしれない、と清一郎は頷いた。
 郷にいたときは断ることしかできなかったが、今はそれに応えることができる。
 
 そう考えたところで清一郎はまた無意識に町にいる時間を延ばそうとしている時間に気づいてしまった。
 ただ、暗い顔をしていると勝を心配させてしまうので、ごまかすようにして麦飯を口に突っ込んだ。

「メバルは勝が食うとええ。直に寒くなるから、風邪を引かんようにせんと。」

「それはお前も一緒だろう。良いから半分食え。裏のトミばあさんがまた来てくれって言ってたぞ。」

「まぁた雨漏りか。それとも戸の建て付けかのう。」

 トミばあさんは戦争で息子を亡くしてしまったこともあってか、家の調子が悪いとすぐに清一郎を呼びに来る。
 勝が行こうと言っても、坊っちゃんを屋根に上げられないと騒ぐので、清一郎の仕事になっている。

「明日も早く終わりそうじゃ。行ってやるかの。」

「そうしてやってくれ。トミばあさんはお前を息子か孫みたいに思っているから顔が見たくて仕方がないのだろう。」

 それはどうだろうかと、清一郎は思ってしまう。
 行けば行ったで、すぐに修理は終わる。作業をする清一郎をずっと見ていたのに「本当にちゃんとやったんか?」と目を細めてくるところがある。
 そのくせ帰りに必ず飴をくれるのだから憎めない。こんな時代にどこに隠し持っているのか、清一郎はいつも不思議でならなかった。

 平和な時代になり、清一郎の日常も平和そのものだ。
 腹いっぱい飯は食えないが、何とか皆それぞれに助け合って生きている。
 仕事もあり、時々怒られたり揶揄われたりしながら町の皆と話をし、隣に勝がいてくれる。

 そういう日常がずっと続いてほしいと思う反面、いつそこから弾き出されるのかと怯える自分と清一郎はうまく付き合えずにいる。
 早く町を出てしまえばこんな気持ちも無くなるのかもしれないと思いつつ、明日は勝にいい食べ物を買ってやれるかと清一郎は考えていた。
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