海鳴き様と暮らした郷

松山あき

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第六章 災害

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 全てを話し終えたとき、誰も何も言わなかった。月は高く昇っていて皆がどんな表情をしているのか、清一郎にはよく見えなかった。

 沈黙だけが続くのに誰も動こうとしない。
 その気持ちを清一郎はよく分かる気がしていた。

 清一郎も海鳴き様が恨みを持った存在だと信じたくはなかった。だが、あのゾクリとするほど冷たいのに腹が燃えるほど熱い影は恨みの感情だと言われれば納得できる。
 海鳴き様が人間の心だと確信できるのは、異常な現象を身を持って体験したせいもある。
 そうでない皆が目を逸らしたいような気持ちでいるのは、清一郎とてよくわかった。

「清一郎、なんでそれを皆に聞かせたんじゃ。」

 震える声でリツが言った。リツは生き残った中で最も年上でもあった。
 一番長く郷の掟と文化の中にいて、誰よりも長く海鳴き様と暮らしてきて、先代の依代のトキ子を慕っていた。
 そのリツが小さな声で清一郎にもう一度問いかけた。

「お前はこんな酷いことを皆に聞かせて、どうしよって言うんじゃ。」

 誰もが皆、大なり小なり海鳴き様を慕っていた。郷の中心にある社をきれいにして、夏には感謝を伝える祭りまでした。
 その海鳴き様が、先祖の酷い行いのせいで自分たちを恨んでいるなど考えたくもないのだろう。

 だが、その事実は罪の先にある郷で共有しなければいけないし、その上で考えなければいけないことがあった。

「…………郷を、捨ててほしい。冬の間だけでええ、ここを捨てて、沖の町で生活してくれんか。」

「清一郎!!お前は言うに事欠いて、そんな恐ろしいことを俺たちにせえっちゅーのか?!!」

 正吉という年嵩の男が清一郎の胸ぐらを掴んだ。
 そうされて当然のことを言っている自覚はあるので、清一郎は黙って正吉にされるがままその激しい感情を受け止めた。

「お前は沖でええ生活しとるからそんなことが言えるんじゃろうが、俺たちは、ここで、貧しいけど懸命に暮らしてきたんじゃ。みんなで手を携えて。お前は人を殺して、人の心を捨ててきたんか!!」

「長も言うとった!お前は沖の者に言われるがまま人を殺しに行ってええ暮らししとるって!!」

 清一郎が戦争に行ったことを長はそのように伝えていたのかと、清一郎は悲しくなった。
 そうしなければ沖では生きてはいけず、そして行った先では自分の心が擦り減る思いをした。今でもあの島で籠もった二ヶ月を思い出すだけで涙が出そうになるのに、そのように思われていたことがさみしいように感じる。
 
「そんなわけねえだろ!!」

 郷の人間の勘違いに誰よりも敏感に反応したのは、満州で空腹を経験して今もなお物がどこにもない現状を知る和夫だった。

「和夫、やめんか。」

 制止も聞こえていないかのように正吉の腕を清一郎から引き剥がすように引っ張ると、眉間に深くシワが寄るほど睨みつけて怒鳴りつけた。

「いい暮らしなんてどこにもねえよ!!この国のどこにも!!」

 和夫を拒絶するしかなかった田舎にも、今暮らしている港の町にも、そして国で一番栄えているであろう東京にさえ、皆の言ういい暮らしはない。
 誰もが腹を空かせて、それでも手を取り合って生きる。郷と変わらない人の結びつきが沖にもある。

「……おじさん、あにぃは変わっとらんよ。だから来てくれたんじゃなか?今日みんなで食べた雑炊も、あにぃ達が持ってきた米なんよ。」
 
 控えめに言うフミの声を聞いて、正吉がまず清一郎の身体を離した。すると和夫も手を引いてその場緊張が解けていく。

 ほっと肩を撫で下ろしたフミの言葉を続けるように勝が口を開いた。

「和夫の言うように、我々もこの郷に援助を続けられるほどの物資はない。だが、我々を支援してくれる相手はある。……ただしその恩恵をこの郷にはくれてやれん。」

「なんでじゃ……。」

「お前たちが籠もってきたからだ。」

 誰に咎があるわけではない。ただ郷の人間は掟を守ってきただけだ。
 だがその敬虔で慎ましい暮らしが、自らの首に手をかけていたことをここに残った人間は誰も知らない。

「私たちは郷を開放し、外から調査の人間が入れるよう許可を求めてきた。だが、長たちはそれを拒否し続けてきたのだ。……我々を支援する先は、味方でない者に手を差し伸べるほど優しくはない。おそらく明後日この郷を去った後、援助は何もできないだろう。」

「俺も勝も海の向こうにまで行ったが、海鳴き様は怒ったりせんかった。沖に出たらいかんなんて初めから言っとらん。だから、皆が春を迎えるためにも、この郷の過ちを正すためにも、一度郷を捨ててほしいんじゃ。」

 清一郎たちの切実な説得に明確に答える者はいなかった。
 皆にはひた隠しにし、依代という生け贄を捧げ続けた郷の罪を直視するのは難しく、そして掟に従い善の心で生きてきたことが過ちであるとすぐに飲み込めるものでもない。
 
 皆一様に顔を見合わせるばかりで言葉を発することは躊躇われている。
 清二郎やフミでさえ、不安そうにお互いの顔を見るだけで決断はできないようだった。

「私の中にいる海鳴き様は確かにこの郷を恨んでいたが、今は自らの子である郷の人間が大勢亡くなり悲しんでおられる。……返事は明後日の朝各々に聞く。それまでに考えてくれ。」

 勝がそう締めくくると、一人二人とその場を去っていった。
 この家も皆の寝床になる。清一郎たちは自分たちも屋根の下に入れてもらえるとは思っておらず、簡単に野営ができるよう準備をしてきた。
 三人で家を抜け出して野営の予定地へと向かっていく。

 普段は高い木々に覆われたここも、山崩れのおかげで星が瞬いている。
 その美しさが吉兆なのか凶兆なのか占うことは清一郎にはできなかった。
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