文系男子と理系女子の恋愛事情

桐生彩音

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第二巻

017 理系女子の初観劇(その8)

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 誰もが注目する舞台からただ一人、目をらしている人物がいる。
「気づいてはいない、みたいね……」
「ほら、来て良かったじゃない」
「分かったわよ、莉絵りえ
 入り口近くの壁際にもたれかかる紗季の隣で、同じくもたれかかっている傷んだ茶髪を首元で縛っている同年代の女性、野秋のあき莉絵は前方の舞台をながめていた。
 元々、紗季は日曜日に観劇に訪れるつもりだった。
 土日は診療所も休診だが、その間に往診やイベント等の医療スペースを運営するために出張したりすることがある。その他にも用事はあるが、基本的に曜日を問わずに発生するので、平日の診療が潰れることの方が多い。だから土曜日に診察の依頼があった紗季は、日曜日に観劇する話を周囲にし、土曜日は自らの仕事に取り掛かっている、はずだった。
「あのね、東条とうじょう君はまだ研修医の立場なんだから……今日みたいに往診の代理をさせるのはやめてくれない?」
「と言っても、介護老人の定期健診でしょう? 半ば看護師みたいなあいつなら余裕だって」
「色々面倒になるんだから、もう……」
 どこで聞きつけたのか、野秋が診療所の研修医兼看護師代理である紗季の後輩、東条秀明ひであきに往診を押しつけてから、紗季を公民館まで引っ張ってきたのだ。馬鹿な若者だった時にできた友人でもあるが、現在は診療所に勤務しているただの薬剤師である彼女が、普段は付き添わない往診についてきた時点で気づくべきだったかもしれない。
 さすがに基本的な診察は紗季が済ませたが、それ以外の雑用を全て東条に押しつけてから駆けつけたので、到着した頃にはすでに劇は始まっていた。目立たないように入ってきたのもあるが、丁度舞台上の演出か、叫びながら飛び蹴りをかますシーンだったので、観客の目が舞台に釘付けだったのだ。
 もしトイレとかで席を立たれていればアウトだろうが、それでも稲穂から目立たぬ位置に陣取れたので、紗季は舞台そっちのけで見つめることができたのだ。
 フリーマーケットの時は視界に納めていても稲穂に変化はなく、体調を崩したのは一定の距離に近づいてからだ。理屈は分からないが、紗季の気配を感じた途端に精神的なショックを受けるのであれば、離れた場所から見つめればいいと状況証拠だけで判断した野秋の仮説は正しかったらしい。
 今は稲穂の様子をながめながら、紗季は自らの白髪を指にからめてもてあそんでいる。
「しかし……」
 薬剤師にはあるまじきヘビースモーカーである野秋は、煙草代わりになりそうなものはないかとポケットを探りながら呟いた。
「……あの、生きていたのね」
「うん……私も半分諦めていたから、正直驚いた」
 紗季が子供を産み捨てたことは、野秋には既知だった。しかしそれを知ったのは、再会して同じ診療所で働くようになってからだ。
 紗季が身籠みごもっていたことは知っていたが、その後どうなったかまでは知らなかったのだ。
 子供を堕胎させるのか、それとも出産して育てるつもりかは知らなかったが、もうすぐ生まれるだろう数日前から、紗季は野秋をはじめとした馬鹿な若者だった時の仲間達の前に現れなかったからだ。
 野秋自身も紆余曲折あって薬剤師となり、内縁の旦那と共に暮らしているのだが、丁度求人を募集していた紗季に再会するまでは胎内の小さな命のことなど、考える余裕もなかった。
「今は立派な人に育てて貰っているみたいだから安心だけど……怒られちゃった」
「何言ったのよ?」
「私は殺されても良かったんだけどね……『あの娘の将来これからのためです』って、止められたのよ」
「当然でしょう」
 とうとう何もなくて諦めたのか腕を組み、さらに深くもたれかかりながら、野秋は紗季に言う。
「いっそ慰謝料だとか言って、有り金全部渡した方がまだましよ。大金で多少性格がゆがむかもしれないけど、罪に問われて刑務所に送られるよりかはまだ、ね」
「……一応、遺書の準備もできているのに」
「だから重いって」
 観劇中の稲穂を見つめていた紗季だが、その視線を切って野秋の方を向く。
「なんか……性格が変わったよね、莉絵」
「お互い様。ほんと、歳は取りたくないわね……」
 野秋は顎をしゃくり、紗季に舞台を見るように促した。
 ライフルの様な長銃を構えていた役者が、その先にいる役者に対して引き金を引く動作をしてから、舞台が暗転した。話の流れからして、『勇者』と呼ばれていた役者のシーンに入るのだろうと当たりをつけた紗季は、昔馴染みの少年の友人が出てくるのを、じっと待った。
「……まだまだ青いわね」
「でも……」
 紗季も腕を組み、舞台を静かに見つめた。
「……いい舞台だと思うわ」
 その彼女達に近づく影に、気づかないまま……



 ****************************************



 ……いつも、夢に見ていた。
 幼い頃に出会った唯一無二の友達。王族の女の子と、魔族の男の子。
 多分あの二人の中で、自分が一番幼いのだろうと思う。
 迷子になっても、いつも女の子が探しに来てくれた。
 いじめられても、いつも男の子が助けに来てくれた。
 そして二人が話していると……その頭の良さに、嫌気がさしていた。
 いつもあの二人の後を追いかけていた。
 女の子から勉強を教わり、男の子から戦い方を教わり、二人について生きながら成長し、壁を越えようとしないまま生きていく。
『『王』は『勇者』に、『魔王』を討てと命じる』
 その物語を聞いて以来、二人について生きていくという考えが、自分の中で正しいものだと、揺るぎない真実だと思った。
『僕』が勇気を出さなければいい。勇気ある者に、『勇者』にならなければ、いつまでも三人、一緒に生きていける。戦う以外にも競う手段なんて、この世界にはいくらでもある。たとえ関係が変わろうとも、敵対するよりはよっぽどいい。
 だから、『僕』は『勇者』にならない。



 そう決めたはずなのに、目の前で男の子が泣いているのを見つけてしまってから、その考えは間違っていることに気がついた。



『『王』は『勇者』に、『魔王』を討てと命じる』
 お父さんが男の子の父親を殺してから、全てが変わってしまった。
 葬儀中、他の魔族達に罵声を浴びせられながらも、『すまない……すまない……』とただ頭を下げていたお父さんを見たくなくて、いつも遊びに来ていたダークの城内、男の子に教えてもらった抜け道を通って中に入ってうろついていると、誰かが泣いているのが聞こえてきた。
 こっそり近寄って来てみると、そこにいたのは、いつもいじめっ子や野生の獣を狩る、強い男の子じゃなかった。
 自分と同じ、ふとしたきっかけで感情があふれ出る、どこにでもいる子供だった。
 それを見て、『僕』は子供ながらに悟った。
 人は何かしら、役割を持って生きているのかもしれない。『僕』に与えられた役割が『勇者』だった。けれども、その役割を軽く見過ぎていた。
 お父さんが男の子の父親とよく一緒にいたから、『僕』達もずっと一緒にいられると思っていた。でも『勇者』という役割は仕事や名誉じゃない、宿命呪いだ。
 その義務から逃れるには、それこそ死ぬしかない。
 役割を軽く見れたのは、何も知らない子供だったからだ。
 何もしなければ『勇者』にならなくても大丈夫たと思い込める、思慮の浅い子供だったからだ。
 だから向き合う。最後にどうなるかは分からない、『勇者』になるのかどうかも、だ。それでも、強くなろうと誓った。
 その時から、『僕』は『俺』になった。
 強くなってあの二人と、フェイやヤンジと一緒に生きていく。
 恋愛とかはその感情が生まれたら生まれたで、その時に考えればいい。ただ二人と同じ道を歩いていく。それだけが望みだったのに……



 ヤンジが伏兵を撃ち殺してすぐのことだった。真っすぐに何かが襲い掛かってきたのは。
 撃ち終えた長銃に再び魔力を込める暇はない。ヤンジは長銃を盾にして、振り下ろされた剣を受け流した。そのまま蹴りを放つが、相手が動く方が早い。
「やっぱり、手遅れだったか……」
 役割に飲まれかけていたのは、自分だけ・・・・ではない・・・・
 そのことに気づきながらも、ずっと目を背けてきたのは、自らの過失だ。
 剣で傷つけられた長銃はもう、魔弾を放つことはできないだろう。このまま棍棒の代わりにしてもいいが、勇者の証・・・・である剣・・・・を相手にするには、はっきり言って役不足だ。
 おまけに、普段に比べて動きが鈍っている。おそらくは『魔王』の役割が、自ら『勇者』に討たれようと抵抗しているのだろう。このままではあっさりと殺されるかもしれない。先代や、それ以前の先祖達のように。
 足掻あがくためか、意地で役割に反抗しているのか、分からないままヤンジは、愛用の魔弾銃を抜く。
 そして銃口を自らの幼馴染・・・に向けた。



「ビング! やめてお願いっ!?」



 ……皮肉にも、フェイの叫びが戦闘開始の合図となってしまう。
 ヤンジは正気を失い、うわごとを呟きながら剣を振りかぶるビングへと駆け出した。
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