ゼラニウム

ぴぽ子

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ピンク

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 聞き馴染みのある声の持ち主は、以前私が期待をしてしまった彼女持ちの男性。
 もう二度と会うことはないと思っていた。会いたくなかった。
 彼がクリニックに患者として来院するたびに冷や汗をかく。彼が私にあの事で話しかけてくることはなかったが、いつも私に何か言いたげな瞳で見つめてくる。彼の症状は落ち着いてきて、服薬ももう終わりになったので、クリニックにはもう来ていない。   
 これであの人とは完全に終わったと思った。思ってたのに!!


 「お久しぶりです。空町さん。」

 ひえー!話しかけられた。でも、ここは冷静に返さないと。動揺はしないんだから。

 「お久しぶりです。」

 情けない男とわかっていながらも、やはり彼の美貌に逆らうことはできず、私の心臓はドクドクと馬鹿みたいにときめこうとしている。
 落ち着いてくれ、私の全細胞!!!!

 「これ返します。」

 大野さんがテーブルの上に千円札を3枚置き、スッと私の所に寄せた。

 「なんですかこれは。」

 「あの日、空町さんが置いていったお金です。あの日は僕が奢ると言ったので…これはいただけません。」

 「そうですか…」

 ここで「返さなくて結構です。」とか面倒くさいやり取りをするのは馬鹿馬鹿しいので、素直にお金を受け取った。

 「あの後、彼女とは別れました。」

 「え?!そうなんですか。」

 びっくりしてしまい、腹から声が出てしまった。マスターが一瞬ビクッとしたのが視界に入った。

 「彼女の実家で、ご両親と一緒にお話しをしました。彼女をまた泣かせてしまいましたが、ご両親は納得してくれて別れることができました。」

 「それでよかったんですか?」

 「はい。」

 大野さんが体ごと私の方を向いて、口角を上げて微笑んだ。「これでよかったんだ」という思いが伝わってくる。

 「空町さんは僕と出会った日、かなりずかずかと僕のパーソナルスペースに入ってきましたね。びっくりしましたが、他人のはずなのに何故か全然嫌な感じがしませんでした。
 空町さんに性的欲求を恋愛的好きと勘違いしていると言われてからずっと考えていました。そうして、やっと気づくことができました。
 僕は貴女の体を求めてるのではなく、貴女の存在を求めていたんです。
 僕は浮気をしたという前科があり、優柔不断そうな一面も見せてしまったとは思いますが、それでも空町さんだけを想い、大切にする自信があります。
 僕の側にいてもらえませんか?」

 私の頭は真っ白になった。この人はいったい何を言っているのだろうか。
 こんな情けない男信じていいのか?私いいように口説かれてるだけなのかもしれない。
 だって、すごく美形なこの男性が、たいして可愛くもない私を求めるだなんてあるわけがない。彼女と別れて、逆ナンで出会った私を選ぶはずがない。
 ありえない。ありえない。でも、鼓動は高まってる。胸がギュッとして、なにかが込み上げてくる。

 「不甲斐ない男かもしれませんが、空町さんに見合う男になります。空町さんとずっと一緒にいたいです。」

 この場にいたらダメだ。逃げよう。
 そう判断した私は「お釣りは大丈夫です。」とマスターにお金を渡し、急いで店を出て行った。


 こんなことでトキメク私馬鹿みたい。一回寝ただけの男。それだけ。それ以上も以下もないんだから、あんなことを言われる筋合いはない。
 私の頭の中はごちゃごちゃだった。高さはたいしてないピンヒールで全力疾走する私。周りの人が二度見してくる。


 バス停に向かう途中で転けた。派手に転んだわけではないが、足を軽く捻ってしまった。一人では立てない。
 結局もう21時だ。外は暗いし寒い。ここら辺の人間は他人に冷たいから、女性が座り込んでいても手を差し伸べる紳士はいない。

 私は独りなんだ。


 震える肩にフワッと温もりを感じた。誰かがコートをかけてくれた。

 「待たせてしまいすみません。手を貸すので、あそこのベンチまで行きましょう。」

 大野さんは私を支えるように起こした。そして、私の顔を覗き込んだと思えば「失礼します。」と小声で言い、ヒョイっと私をお姫様抱っこした。
 人通りが多いわけではないけど、数人は人がいるのでちょっと恥ずかしくなる。


 私をベンチに座らせると「タクシーを呼びますね。」とスマホを取り出した。
 寒いからなのか、足からくる痛みのせいなのか私は震えていた。私の隣に大野さんがゆっくり座った。

 「もうすぐにでも来れるそうです。駅に近いバス停なのでタクシーがたくさん通っててよかったです。…あ!帰りバスでしたか?!」

 私は小さく頷いた。

 「いや、でも、タクシーで家の前まで送ってもらった方がいいですよね。僕がお金出しますのでそこは安心してください。」

 少しテンパった大野さん。自己解決した大野さんのニコッと笑う顔を見ると、クスッと笑ってしまった。

 「大野さん。」

 「はい。」

 「私の側にずっといてくれますか。」

 私の急な質問に大野さんは一瞬目を大きく開いて少し固まったが、すっと優しい笑顔に変わり、私の手を握った。

 「はい、もちろんです。来年も5年後も10年後も、ずっと側にいます。空町さんの側にいてもいいですか?」

 「はい。私の側にいてください。」

 大野さんが私を抱き寄せて、少し震えた声で言う。

 「ありがとう。ありがとう。ありがとうございます。」

 私の瞳からぽつぽつと涙が落ちた。まるで、今まで心に溜まった孤独がいっきに溢れるかのように。大野さんもまた涙目だ。
 私の顎をくいっと持ち上げると、少し充血した目で私を見つめた。そして、大野さんの柔らかい唇が私の唇と重なる。




 「彼女を家まで送ってください。お願いします。」

 タクシーに私を乗せると、1万円札を私に握らせた。

 「住所を運転手さんに言ってください。お家に着いたら連絡してくださいね。では。」

 私から離れて扉を閉めようとする大野さんの手を掴んだ。大野さんは「どうしたんだろう。」と頭に“?”を浮かべたような顔をした。

 「私のこと独りで帰らせるんですか?側にいるって言ったくせに?」

 大野さんが「え?」というちょっと馬鹿っぽい表情をした。

 「だから!私を家まで送ろうとはしないんですかって!私の家に来てもいいよって言ってるんです。」

 私は照れくさくなって大野さんと目を合わすことができず、目線を下に落とした。

 「いいんですか?」

 私がコクッと頷くと、大野さんはタクシーの扉を閉め、反対のとこから急いで入ってきた。

 「是非、行かせていただきます。よろしくお願いします。」

 と、堅苦しい言葉で返事をした。顔は真っ赤だ。


 タクシーが走る中、私達はずっと手を繋いでいた。


 
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