初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように

ぽんちゃん

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30 離れて自覚する 《ロミオside》




 気づけば、空は茜色に染まっていた。
 ルキナ様を裏切り、失った喪失感に胸を押し潰され、僕はただ立ち尽くしていた。
 けれど、この小屋に居続けることもできず、重い足を引きずるように歩き出す。

 幸運にも、辻馬車を見つけた。
 揺られながら目的地へ向かうことはできたけど、激しい衝撃に全身が痛み、吐き気まで覚える。

(……うっ。乗り心地、最悪だ)

 今まで当然のように与えられていた馬や馬車が、どれほど質の高いものだったのかを思い知らされる。
 保護していただいている身だと、あれほど感謝していたはずなのに――。
 いつから僕は、それを当然の権利のように享受していたのだろう。
 自分の傲慢さに、愕然とする。

 そうして辿り着いたフルニエ男爵家では、父が出迎えてくれた。


「ロミオ……大きくなったな。元気だったか?」

「っ、父さん!」


 久方ぶりに見る父の姿は、痩せて表情も穏やかになっていた。


「腹が減っているだろう。簡単だが、飯を用意してある」


 小さな卓に並べられていたのは、屋台で買った焼き鳥と、焦げの残る野菜炒め。
 決して豪華ではないが、僕のために用意してくれたという事実だけで胸が熱くなる。
 ただ――

(……もしかして、公爵閣下は僕の裏切りを予見して、今日の帰宅を父さんに知らせていたのかな)

 そうでなければ、父が二人分の食事を準備しているはずがない。
 僕の心の揺らぎも、すべてお見通しだったのかもしれない――。
 そう考えると、泣きたくなった。

(僕は、なんて恩知らずな人間だったんだ……)

 そのとき、卓を囲みながら、父はぽつりと語った。


「リヴィエール公爵様の紹介で病院に入り、酒を断つことができた。リヴィエール公爵夫妻や周囲の助けで、ようやく立ち直れたんだ。もう二度と、お前を傷つけはしない……今まで本当にすまなかった」


 深々と頭を下げる父と、和解はできた。
 けれど、心にぽっかりと空いた穴は埋まらない。

 アルコールに依存した父ではないことが嬉しいはずなのに――ルキナ様を失った今の僕には、何も響かなかった。





『あなたのヒーローをお返しします。末永くお幸せに』


 ルキナ様の文字を眺めて、過ごす日々。
 ブリトニー宛の文を、僕は彼女に渡すつもりはなかった。


「ルキナ様がいないと、こんなに静かなんだな……」


 フルニエ男爵家に戻ってからというもの、屋敷は驚くほど静かだった。
 けれどそれは、心を休めてくれる静けさではない。
 胸の奥に、冷たい風が吹き抜けていくような虚ろな静けさだった。


 ――こんなとき、ルキナ様ならすぐに僕の異変に気づいてくれて、寄り添ってくれるのに……。


 食卓についても、真っ先に思うのはルキナ様のことだった。
 彼女がいれば、「朝はちゃんと食べておくのよ」と微笑んでくださったはず。
 けれど、その優しい声も、確かな気配も、ここにはなかった。

 気づけば、日常のあらゆるところにルキナ様の面影が染みついている。
 離れてみて、ようやく気づいた。
 僕はどれだけルキナ様の存在に救われていたのか。
 ルキナ様が笑ってくれるだけで、どれほど前を向けたのか。


 ――今さら気づいたところで、もう遅いのに……。


 離れて、ようやくルキナ様への愛を自覚した。

 ルキナ様への想いが募っていく。
 そんな中、ふと新聞に踊る文字を見たとき、僕は目を疑った。


「ルキナ様が……ジークレイン様と、婚約……? あの二人って、兄妹のはずじゃ……」


 新聞を握る手が震える。
 二人が兄妹だと信じていた僕には、到底受け入れられなかった。
 けれど、父の口から語られた真実は、僕にさらなる絶望を与えた。


「レイン……いや、ジークレイン様の生物学上の父親は、私……なんだ。だから、近親婚にはならない」

「………………は?」

 
 まあ、信じられないよな、と苦笑いする父。


「私も信じられなかった。だからあの子を遠ざけて、あの子を傷つけてしまった……」


 父が冗談を言っているわけではないことを悟り、僕は言葉を失った。


「ロミオはてっきり知っていると思っていた。あの子がロミオの面倒を見ていることは、社交界で知らない者はいなかったからな? 入院中もよく話を聞いていたし、私も安心していたんだ」

「っ、」


 いつも僕を気にかけてくれていたジークレイン様のことを思い出す。

(僕には特に厳しく接していたのは、全部、僕のためだったんだ……)

 新聞には、ジークレイン様が長年ルキナ様を密かに想っていたことが記されていた。
 僕を案じ、忠告を重ね、それでも身を引いてくれていた兄の想いを、僕は裏切っていたのだ。

 その事実を飲み込んだ瞬間、胸の内に押し寄せたのは、自分自身への怒りと、絶望。
 そしてルキナ様の隣に立つ資格を、自分で壊してしまったという取り返しのつかない現実。


「ジークレイン様に謝りたい。……ルキナ様に会って、あの日のことを説明したい。本当に僕が好きな人は、ルキナ様だと伝えたい――」
 

 針のむしろになる覚悟で、僕は夜会に出席する。
 けれど、ルキナ様に許してほしくて向かった先で僕を待っていたのは、初恋の人の醜い姿だった。














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