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28 最後に、一度だけ 《ロミオside》
どうしても振り切れない過去を抱えたまま、僕は小屋に足を踏み入れた。
懐かしい香りと、ほんのり湿った木の匂いが胸を刺す。
ブリトニーに手を引かれ、昔のように床に並んで腰を下ろす。
彼女が語る子どもの頃の思い出を、僕は黙って聞いていた。
「昔は、いつもここで遊んでたのに……。今では、気軽に会うこともできなくなっちゃったね」
へらりと笑うブリトニー。
かつて枝のように細かった腕は、いまは健康的に肉付きがよくなっている。
けれど、どこか寂しげな瞳から、僕は目を逸らせなかった。
「ここに来たのには、ロミオに会えたらって気持ちもあったけど、他に理由があるの……」
「……なにかあった?」
「実はね、ペレアス様から婚約の申し込みがあったの」
「えっ……」
思わず声が漏れる。
ペレアス――マティス侯爵家の放蕩息子。
女遊びが激しいと噂され、最近ブリトニーに付き纏っていた相手だ。
準男爵家の娘が断れる相手ではない。
膝を抱えるブリトニーの姿には、諦めが滲んでいた。
(僕が助けてあげられたらよかったんだけど……)
胸の奥が痛む。
慰めたいのに、どんな言葉をかければいいのかわからない。
そんな僕を見上げて、ブリトニーは小さく口を開いた。
「ロミオ。明日も、会えないかな……?」
心臓が跳ねる。
けれど――明日はルキナ様の生誕祭。
大切な日だ。
「っ、でも、ペレアス様と婚約するのなら、なおさら僕とふたりでいては――」
「お願いっ! 一日だけでいいの。……最後に、ロミオと過ごしたい」
ブリトニーの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
言葉にされなくても、理解してしまった。
――僕たちは、きっと互いが初恋の相手だったのだ、と。
(……ブリトニーを、放っておけない)
どうしても断りきれなくて、僕は頷いてしまう。
「わかった」
「っ、ありがとう! ロミオ」
僕が頷くと、ブリトニーは子どものように喜び、抱きつこうとした。
だが僕は、その勢いから逃れるように身を引く。
『生誕祭の日は、どうしても早く帰ってきてほしいの……』
ルキナ様の、あの憂いを帯びた横顔が脳裏をよぎったからだ。
「でも、明日は長くはいられない。ルキナ様の生誕祭があるんだ。……ごめん」
謝る僕に、ブリトニーは驚くほどあっさりと引いた。
「…………そっか」
駄々をこねることもなく、ただ静かに微笑んだブリトニー。
昔のわがままな少女ではなく、運命を受け入れる令嬢の顔。
その落ち着きがかえって僕の胸をざわつかせた。
その後は、ほとんど言葉もなく、僕たちはまた明日と別れた。
外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
近くで待っていた護衛のブラッドが、気配もなく現れる。
「ロミオ様、戻られますよね?」
ルキナ様が待っていることを、彼の眼差しは雄弁に物語っていた。
「……すまない。明日の朝、用ができたんだ。ブリトニーがルキナ様に誕生日の贈り物を渡したいようで、約束してしまった」
なぜだろう。
嘘を口にしたはずなのに、言葉は堰を切ったように流れ出てしまう。
ブラッドはただ無言で、観察するように僕を見ていた。
「かしこまりました。では、宿をとりましょう」
導かれるまま辿り着いたのは、高位貴族御用達の高級宿。
広間では煌びやかなシャンデリアが輝き、僕たちは丁重に出迎えられる。
豪華な晩餐が並べられても、僕はほとんど手をつけられなかった。
ブリトニーの瞳と、あっさりと引いたあの微笑みが、頭から離れなかったから――。
(ルキナ様に話すべきか……いや、ご迷惑をおかけするだけだ)
理屈ではわかっている。
望まない婚姻は、貴族ならば珍しくない。
それでも、助けたいと願ってしまう自分がいた。
◇ ◇ ◇
翌朝。
ブラッドが起こしに来るよりも早く、僕は小屋へと向かっていた。
ルキナ様を裏切っているわけではないと、自分に言い聞かせながら――。
「ロミオ! 来てくれたのねっ!」
僕の姿を見ただけで大喜びするブリトニー。
無邪気さと、女らしい艶やかさの混ざったその笑顔に、胸が揺れる。
(今日だけ……今日で、最後だ)
そう決意して、会えなかった年月を埋めるように言葉を交わした。
――気づけば、窓の外は薄暗い。
いつのまにか夕方になり、空からぽつ、ぽつと雨が落ちてきていた。
「しまった!! もう戻らないとっ」
「今から戻るの? 危ないわ?」
「でも、ルキナ様との約束が――ッ!」
その言葉を、ブリトニーの唇が塞ぐ。
唐突な口づけ。
それが僕の、初めての口づけだった。
「雨だから仕方ないよ。ルキナ様もわかってくれるわ? だから、もう少し一緒にいて……。今日で最後だから。お願い。最後に、思い出がほしいの」
震える手がドレスの紐をほどく。
彼女の意図を理解した瞬間、息が止まる。
(せめて初めての相手だけは、僕でありたいと……そう願ったんだ)
望まぬ婚約を前にした必死の行動。
その思いを拒むことが、僕にはできなかった。
(これで、ブリトニーの心が救われるなら……)
最後に、一度だけ。
そう自分に言い聞かせ、僕は彼女を受け入れた。
その選択が、ルキナ様を深く傷つけることになるとは、考えもしないままに――。
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