初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように

ぽんちゃん

文字の大きさ
30 / 50

28 最後に、一度だけ 《ロミオside》

しおりを挟む



 どうしても振り切れない過去を抱えたまま、僕は小屋に足を踏み入れた。
 懐かしい香りと、ほんのり湿った木の匂いが胸を刺す。

 ブリトニーに手を引かれ、昔のように床に並んで腰を下ろす。
 彼女が語る子どもの頃の思い出を、僕は黙って聞いていた。


「昔は、いつもここで遊んでたのに……。今では、気軽に会うこともできなくなっちゃったね」


 へらりと笑うブリトニー。
 かつて枝のように細かった腕は、いまは健康的に肉付きがよくなっている。
 けれど、どこか寂しげな瞳から、僕は目を逸らせなかった。


「ここに来たのには、ロミオに会えたらって気持ちもあったけど、他に理由があるの……」

「……なにかあった?」

「実はね、ペレアス様から婚約の申し込みがあったの」

「えっ……」


 思わず声が漏れる。
 ペレアス――マティス侯爵家の放蕩息子。
 女遊びが激しいと噂され、最近ブリトニーに付き纏っていた相手だ。
 準男爵家の娘が断れる相手ではない。

 膝を抱えるブリトニーの姿には、諦めが滲んでいた。

(僕が助けてあげられたらよかったんだけど……)

 胸の奥が痛む。
 慰めたいのに、どんな言葉をかければいいのかわからない。

 そんな僕を見上げて、ブリトニーは小さく口を開いた。


「ロミオ。明日も、会えないかな……?」


 心臓が跳ねる。
 けれど――明日はルキナ様の生誕祭。
 大切な日だ。


「っ、でも、ペレアス様と婚約するのなら、なおさら僕とふたりでいては――」

「お願いっ! 一日だけでいいの。……最後に、ロミオと過ごしたい」


 ブリトニーの大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
 言葉にされなくても、理解してしまった。
 ――僕たちは、きっと互いが初恋の相手だったのだ、と。

(……ブリトニーを、放っておけない)

 どうしても断りきれなくて、僕は頷いてしまう。


「わかった」

「っ、ありがとう! ロミオ」


 僕が頷くと、ブリトニーは子どものように喜び、抱きつこうとした。
 だが僕は、その勢いから逃れるように身を引く。


『生誕祭の日は、どうしても早く帰ってきてほしいの……』


 ルキナ様の、あの憂いを帯びた横顔が脳裏をよぎったからだ。


「でも、明日は長くはいられない。ルキナ様の生誕祭があるんだ。……ごめん」


 謝る僕に、ブリトニーは驚くほどあっさりと引いた。


「…………そっか」


 駄々をこねることもなく、ただ静かに微笑んだブリトニー。
 昔のわがままな少女ではなく、運命を受け入れる令嬢の顔。
 その落ち着きがかえって僕の胸をざわつかせた。



 その後は、ほとんど言葉もなく、僕たちはまた明日と別れた。

 外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。
 近くで待っていた護衛のブラッドが、気配もなく現れる。


「ロミオ様、戻られますよね?」


 ルキナ様が待っていることを、彼の眼差しは雄弁に物語っていた。


「……すまない。明日の朝、用ができたんだ。ブリトニーがルキナ様に誕生日の贈り物を渡したいようで、約束してしまった」


 なぜだろう。
 嘘を口にしたはずなのに、言葉は堰を切ったように流れ出てしまう。
 ブラッドはただ無言で、観察するように僕を見ていた。


「かしこまりました。では、宿をとりましょう」


 導かれるまま辿り着いたのは、高位貴族御用達の高級宿。
 広間では煌びやかなシャンデリアが輝き、僕たちは丁重に出迎えられる。
 豪華な晩餐が並べられても、僕はほとんど手をつけられなかった。
 ブリトニーの瞳と、あっさりと引いたあの微笑みが、頭から離れなかったから――。

(ルキナ様に話すべきか……いや、ご迷惑をおかけするだけだ)

 理屈ではわかっている。
 望まない婚姻は、貴族ならば珍しくない。
 それでも、助けたいと願ってしまう自分がいた。



 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝。
 ブラッドが起こしに来るよりも早く、僕は小屋へと向かっていた。
 ルキナ様を裏切っているわけではないと、自分に言い聞かせながら――。


「ロミオ! 来てくれたのねっ!」


 僕の姿を見ただけで大喜びするブリトニー。
 無邪気さと、女らしい艶やかさの混ざったその笑顔に、胸が揺れる。

(今日だけ……今日で、最後だ)

 そう決意して、会えなかった年月を埋めるように言葉を交わした。

 ――気づけば、窓の外は薄暗い。
 いつのまにか夕方になり、空からぽつ、ぽつと雨が落ちてきていた。


「しまった!! もう戻らないとっ」

「今から戻るの? 危ないわ?」

「でも、ルキナ様との約束が――ッ!」


 その言葉を、ブリトニーの唇が塞ぐ。
 唐突な口づけ。
 それが僕の、初めての口づけだった。


「雨だから仕方ないよ。ルキナ様もわかってくれるわ? だから、もう少し一緒にいて……。今日で最後だから。お願い。最後に、思い出がほしいの」


 震える手がドレスの紐をほどく。
 彼女の意図を理解した瞬間、息が止まる。

(せめて初めての相手だけは、僕でありたいと……そう願ったんだ)

 望まぬ婚約を前にした必死の行動。
 その思いを拒むことが、僕にはできなかった。

(これで、ブリトニーの心が救われるなら……)

 最後に、一度だけ。

 そう自分に言い聞かせ、僕は彼女を受け入れた。
 その選択が、ルキナ様を深く傷つけることになるとは、考えもしないままに――。




















しおりを挟む
感想 121

あなたにおすすめの小説

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

私が行方不明の皇女です~生死を彷徨って帰国したら信じていた初恋の従者は婚約していました~

marumi
恋愛
「あら アルヴェイン公爵がドゥーカス令嬢をエスコートされていますわ」 「ご婚約されたと噂を聞きましたが、まさか本当だとは!」 私は五年前までこの国の皇女エリシアだった。 暗殺事件に巻き込まれ、幼なじみで初恋の相手だった従者――アルヴェイン公子と共に命からがら隣国、エルダールへ亡命した。 彼の「必ず迎えに来る」その言葉を信じて、隣国の地で彼を待ち続けた……。 それなのに……。 やっとの思いで帰国した帝国の華やかなパーティー会場で、一際目立っているのは、彼と、社交界の華と言われる令嬢だった――。 ※校正にAIを使用していますが、自身で考案したオリジナル小説です。 ※イメージが伝わればと思い、表紙画像をAI生成してみました。

【完結】優しいあなたに、さようなら。二人目の婚約者は、私を殺そうとしている冷血公爵様でした

ゆきのひ
恋愛
伯爵令嬢であるディアの婚約者は、整った容姿と優しい性格で評判だった。だが、いつからか彼は、婚約者であるディアを差し置き、最近知り合った男爵令嬢を優先するようになっていく。 彼と男爵令嬢の一線を越えた振る舞いに耐え切れなくなったディアは、婚約破棄を申し出る。 そして婚約破棄が成った後、新たな婚約者として紹介されたのは、魔物を残酷に狩ることで知られる冷血公爵。その名に恐れをなして何人もの令嬢が婚約を断ったと聞いたディアだが、ある理由からその婚約を承諾する。 しかし、公爵にもディアにも秘密があった。 その秘密のせいで、ディアは命の危機を感じることになったのだ……。 ※本作は「小説家になろう」さん、カクヨムさんにも投稿しています ※表紙画像はAIで作成したものです

記憶喪失の婚約者は私を侍女だと思ってる

きまま
恋愛
王家に仕える名門ラングフォード家の令嬢セレナは王太子サフィルと婚約を結んだばかりだった。 穏やかで優しい彼との未来を疑いもしなかった。 ——あの日までは。 突如として王都を揺るがした 「王太子サフィル、重傷」の報せ。 駆けつけた医務室でセレナを待っていたのは、彼女を“知らない”婚約者の姿だった。

処理中です...