初恋を諦めたあなたが、幸せでありますように

ぽんちゃん

文字の大きさ
38 / 50

36 狡猾

しおりを挟む



 カリスタ王女殿下が優雅に退いていくと同時に、私は小さく息を吐いた。
 友人たちが心配そうに視線を寄せてくる。
 私は微笑んで「大丈夫よ」と返したけれど――胸の奥には、刺されたような痛みがまだ残っていた。

 そんな張りつめた空気を打ち消すかのように、ニコレットが「そういえば!」と明るい声を上げる。


「ルキナ様、この間、観劇に行っていたでしょう? 見かけたのよ!」

「まあ、本当? だったら声をかけてくれればよかったのに」

「いいえ、あれは声なんてかけられないわ。だって――ジークレイン様とご一緒だったんですもの!」


 その一言に、場の空気がぱっと華やぐ。
 宰相補佐として大人たちに囲まれながらも、落ち着いた笑みを絶やさないジークレイン様。
 ニコレットはそんな彼を、うっとりと目で追っていた。


「羨ましいわぁ。ルキナ様は本当に幸せ者よ」

「私も嫉妬しちゃう!」

「それに、そのドレスも……とても上品ですわ。そして何より――ジークレイン様のお色ですものね」


 やがて話題は、自然と私の装いに及ぶ。
 アヴェリンが微笑ましげに告げる。
 淡い薄紫色のドレスを眺める友人たちは、感嘆の息を漏らした。


「ルキナ様は、本当に愛されているのね」


 ――愛されている。
 その言葉に、思わず胸がちくりとした。


「……そう、かしら? 私たちはもともと仲が良かったし、婚約したからといって、大して変わっていないと思うわ」


 私の言葉に友人たちは驚いたように目を見合わせ、オーロラが一歩進み出る。


「あれだけお忙しいジークレイン様が、ルキナ様の出席なさるパーティーの出席者名簿をすべて確認していらっしゃるのは――有名なお話ですわ」

「え……?」


 耳を疑った。
 近頃、私が招かれるのは、伯爵家以上の限られた社交ばかり。
 どうやら万が一にも、ロミオやブリトニーと顔を合わせぬよう、激務に追われる彼自らが目を通していたというのだ。


「最初は、ルキナ様が傷つかれぬようにとのご配慮かと思っていました。けれど違いましたの」


 オーロラはわざとらしくにやりと笑い、声を潜めた。


「――ジークレイン様が、ロナン卿に仰ったそうですわ。『ルキナがロミオと再会して、昔の想いが蘇ったら嫌だから。絶対に会わせたくないんだ』って」

「「「~~~~っ!!!!」」」


 息にもならぬ悲鳴が弾け、友人たちは頬を赤らめ、興奮したように私の手を握る。


「あの完璧なジークレイン様が……恋をすると普通の青年のようになるなんて!」

「ルキナ様の心が揺れ動かないか、不安で仕方ないみたい」

「素敵だわ! 私もそんな風に愛されたい!」


 彼女たちの熱に押され、私の胸もまた、じんわりと温かくなる。


「ルキナ様は魅力的だから、誰にも取られたくないと思うのも無理はないわね。だって私も、ルキナ様が大好きだもの」


 ニコレットが茶目っけたっぷりに片目をつぶる。

(きっと、私に元気がなかったから、励ましてくれているのね……)

 友人たちの気遣いに、胸を打たれる。
 楽しい会話の渦に包まれていた、そのときだった。

 その幸福感を切り裂くように――背後から冷たい感触が襲った。


「きゃっ――!」


 見下ろせば、薄紫色の布地に赤黒い染みが広がっていく。
 グラスを持ったまま立ち尽くすのは、カリスタ王女殿下の悪友。
 わざとらしい仕草で目を見開き、口元を覆っていた。


「まあ、ごめんなさい。手が滑ってしまったの」


 くすくすと笑いが漏れ、周囲がざわめく。
 その視線の先――にこやかな笑みを浮かべ、余裕に満ちた瞳でこちらを眺めるカリスタ王女殿下がいた。

(……やはり、あなたの仕業なのね)

 背中から裾へと広がる赤は、まるで私の尊厳を踏みにじるかのようだった。


「ルキナ」


 そのとき、ジークレイン様が迷いなく歩み寄り、私を庇うように立った。


「ごめんなさい……せっかくいただいた大切なドレスなのに……」

「謝る必要なんてない」


 低く、穏やかな声。
 ジークレイン様は私をそっと抱き寄せ、濡れた布地に触れぬよう気遣いながら、周囲を見回す。
 空のグラスを手にしたカリスタ王女殿下の悪友へ、穏やかに微笑んだ。


「あなたも怪我などはされていませんか?」

「っ……」


 その声色は優しく、誰が聞いても淑女を気遣う紳士のそれ。
 ニコレットたちは感嘆の声を上げた。
 けれど、その瞳には一片の笑みもなく、冷ややかな光が潜んでいた。
 悪友の顔から血の気が引く。


「だ……大丈夫でございます……」


 か細い声で震える彼女を一瞥すると、ジークレイン様は再び微笑んだ。


「それなら安心しました」


 そう言って、柔らかに微笑みを浮かべているけれど、二度と同じことをさせまいとする圧を感じた。

(やっぱり私のために怒ってくれているのね……)

 胸に喜びが広がる、そのときだった。


「まあ、ルキナ様。お怪我はございませんの?」


 声をかけてきたのは、カリスタ王女殿下だった。
 つい先ほどまで私を輪の外に追いやっていたのに、今は心底心配しているような顔で近づいてくる。
 まるで舞台女優のような演技力。
 その狡猾さに、背筋がゾッとした。

















しおりを挟む
感想 121

あなたにおすすめの小説

狂おしいほど愛しています、なのでよそへと嫁ぐことに致します

ちより
恋愛
 侯爵令嬢のカレンは分別のあるレディだ。頭の中では初恋のエル様のことでいっぱいになりながらも、一切そんな素振りは見せない徹底ぶりだ。  愛するエル様、神々しくも真面目で思いやりあふれるエル様、その残り香だけで胸いっぱいですわ。  頭の中は常にエル様一筋のカレンだが、家同士が決めた結婚で、公爵家に嫁ぐことになる。愛のない形だけの結婚と思っているのは自分だけで、実は誰よりも公爵様から愛されていることに気づかない。  公爵様からの溺愛に、不器用な恋心が反応したら大変で……両思いに慣れません。

『影の夫人とガラスの花嫁』

柴田はつみ
恋愛
公爵カルロスの後妻として嫁いだシャルロットは、 結婚初日から気づいていた。 夫は優しい。 礼儀正しく、決して冷たくはない。 けれど──どこか遠い。 夜会で向けられる微笑みの奥には、 亡き前妻エリザベラの影が静かに揺れていた。 社交界は囁く。 「公爵さまは、今も前妻を想っているのだわ」 「後妻は所詮、影の夫人よ」 その言葉に胸が痛む。 けれどシャルロットは自分に言い聞かせた。 ──これは政略婚。 愛を求めてはいけない、と。 そんなある日、彼女はカルロスの書斎で “あり得ない手紙”を見つけてしまう。 『愛しいカルロスへ。  私は必ずあなたのもとへ戻るわ。          エリザベラ』 ……前妻は、本当に死んだのだろうか? 噂、沈黙、誤解、そして夫の隠す真実。 揺れ動く心のまま、シャルロットは “ガラスの花嫁”のように繊細にひび割れていく。 しかし、前妻の影が完全に姿を現したとき、 カルロスの静かな愛がようやく溢れ出す。 「影なんて、最初からいない。  見ていたのは……ずっと君だけだった」 消えた指輪、隠された手紙、閉ざされた書庫── すべての謎が解けたとき、 影に怯えていた花嫁は光を手に入れる。 切なく、美しく、そして必ず幸せになる後妻ロマンス。 愛に触れたとき、ガラスは光へと変わる

離婚寸前で人生をやり直したら、冷徹だったはずの夫が私を溺愛し始めています

腐ったバナナ
恋愛
侯爵夫人セシルは、冷徹な夫アークライトとの愛のない契約結婚に疲れ果て、離婚を決意した矢先に孤独な死を迎えた。 「もしやり直せるなら、二度と愛のない人生は選ばない」 そう願って目覚めると、そこは結婚直前の18歳の自分だった! 今世こそ平穏な人生を歩もうとするセシルだったが、なぜか夫の「感情の色」が見えるようになった。 冷徹だと思っていた夫の無表情の下に、深い孤独と不器用で一途な愛が隠されていたことを知る。 彼の愛をすべて誤解していたと気づいたセシルは、今度こそ彼の愛を掴むと決意。積極的に寄り添い、感情をぶつけると――

花言葉は「私のものになって」

岬 空弥
恋愛
(婚約者様との会話など必要ありません。) そうして今日もまた、見目麗しい婚約者様を前に、まるで人形のように微笑み、私は自分の世界に入ってゆくのでした。 その理由は、彼が私を利用して、私の姉を狙っているからなのです。 美しい姉を持つ思い込みの激しいユニーナと、少し考えの足りない美男子アレイドの拗れた恋愛。 青春ならではのちょっぴり恥ずかしい二人の言動を「気持ち悪い!」と吐き捨てる姉の婚約者にもご注目ください。

いくら政略結婚だからって、そこまで嫌わなくてもいいんじゃないですか?いい加減、腹が立ってきたんですけど!

夢呼
恋愛
伯爵令嬢のローゼは大好きな婚約者アーサー・レイモンド侯爵令息との結婚式を今か今かと待ち望んでいた。 しかし、結婚式の僅か10日前、その大好きなアーサーから「私から愛されたいという思いがあったら捨ててくれ。それに応えることは出来ない」と告げられる。 ローゼはその言葉にショックを受け、熱を出し寝込んでしまう。数日間うなされ続け、やっと目を覚ました。前世の記憶と共に・・・。 愛されることは無いと分かっていても、覆すことが出来ないのが貴族間の政略結婚。日本で生きたアラサー女子の「私」が八割心を占めているローゼが、この政略結婚に臨むことになる。 いくら政略結婚といえども、親に孫を見せてあげて親孝行をしたいという願いを持つローゼは、何とかアーサーに振り向いてもらおうと頑張るが、鉄壁のアーサーには敵わず。それどころか益々嫌われる始末。 一体私の何が気に入らないんだか。そこまで嫌わなくてもいいんじゃないんですかね!いい加減腹立つわっ! 世界観はゆるいです! カクヨム様にも投稿しております。 ※10万文字を超えたので長編に変更しました。

『紅茶の香りが消えた午後に』

柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。 けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。 誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。

冷酷伯爵ディートリヒは、去った妻を取り戻せない

くろねこ
恋愛
名門伯爵家に政略結婚で嫁いだ、正妻エレノア・リーヴェルト。夫である伯爵ディートリヒ・フォン・アイゼンヴァルトは、 軍務と義務を最優先し、彼女に関心を向けることはなかった。 言葉も、視線も、愛情も与えられない日々。それでも伯爵夫人として尽くし続けたエレノアは、ある一言をきっかけに、静かに伯爵家を去る決意をする。 ――そして初めて、夫は気づく。 自分がどれほど多くのものを、彼女から与えられていたのかを。 一方、エレノアは新たな地でその才覚と人柄を評価され、 「必要とされる存在」として歩き始めていた。 去った妻を想い、今さら後悔する冷酷伯爵。前を向いて生きる正妻令嬢。 これは、失ってから愛に気づいた男と、 二度と戻らないかもしれない夫婦の物語。 ――今さら、遅いのです。

こんな婚約者は貴女にあげる

如月圭
恋愛
アルカは十八才のローゼン伯爵家の長女として、この世に生を受ける。婚約者のステファン様は自分には興味がないらしい。妹のアメリアには、興味があるようだ。双子のはずなのにどうしてこんなに差があるのか、誰か教えて欲しい……。 初めての投稿なので温かい目で見てくださると幸いです。

処理中です...