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第四章
97 王女様
しおりを挟む「イヴ! イヴっ……起きろっ」
「…………ん」
「っ、イヴ! しっかりしろ! 逃げるぞ!」
体を揺さぶられて目を開ければ、深紅の髪が視界に揺れていた。
必死な形相をするギルバート様の額から汗が滴り落ち、懐からは小刀が取り出されて、ぎらりと鈍く光った――。
「っ、殺す気か?!」
「馬鹿! 動くなよ!」
ぺしりと頬を叩かれて、意識が覚醒する。
俺はいつのまにか両足を拘束されており、縄を切ってくれたギルバート様は、息を荒げていた。
「説明してる時間がない! グレンが時間を稼いでくれているから、今すぐここを出る!」
「グレン……?」
両手の縄はそのままで、ギルバート様に担ぎ上げられた俺は、状況が理解出来ずにされるがままになっていた。
部屋を出れば、なにやら揉めているような声が聞こえてくるし、騎士団員四名が白目を剥いて転がっている。
ギルバート様が俺を拉致ろうとしているのかと察して、拘束された両手で背中を叩いた。
「ギル! 考え直してくれ!」
「静かにしろ、馬鹿! 捕まってもいいのかよ? イヴだけじゃない、アレン達も共犯になるぞ!」
「っ…………」
その言葉に、俺は押し黙る。
何があったのかさっぱりわからないが、今は抵抗しない方が良さそうだ。
外に出れば、すでに太陽が昇っており、昼間を過ぎていることが把握出来た。
茶毛の馬が用意されており、ギルバート様は俺を担いだまま飛び乗った。
「行くぞ!」
「待て! ギルバート! イヴくんを離せ!」
俺を馬に跨がらせたギルバート様は、声の主に振り返る。
顔色の悪いゴッド副団長と目が合った瞬間、首筋にひんやりとしたものが触れる。
「来るな! イヴがどうなっても良いのか!」
「っ……落ち着け! 団長は必ず戻ってくる!」
「信用できるかっ! あいつはイヴを売ったんだ! イヴがいないと! イヴがいないと、妹を救うことが出来ないんだっ!」
つんざくようなギルバート様の声色は真剣そのもので、少しだけ泣きそうになっている気がした。
「二人とも落ち着いて! 何があったかわかりませんが、俺はクラリッサ王女様を助けに行きます。それから必ず戻って来るので、俺を……俺とギルバート様を信じて下さいっ!」
カタカタと震える手が俺の喉元に食い込み、俺はぐっと声を漏らした。
「っ、イヴ、ごめんっ、わざとじゃ……」
「ああ、わかってる。俺は大丈夫だから。安心して? 妹さんは俺が必ず救うから……。ギル、大丈夫だから……」
小刀を握りしめる手にそっと口付けて、癒しの力を使う。
肩の力が抜けたギルバート様に、背後から抱きしめられる。
「イヴっ、イヴっ、頼むっ、」
「うん。ギルの悩みに気付いてあげられなくてごめんな……。今からでも間に合うのなら、ギルの願いを叶えさせてくれ……。俺たち、友達だろ?」
こくこくと頷くギルバート様が、俺の肩に顔を埋めて涙する。
首筋を流れる水滴は、すごく熱く感じた。
「ゴッド副団長、申し訳ありません。友人を救いに行ってきます。必ず戻って、その後に処罰を受けますので、今は見逃して下さい。お願いします」
「…………必ず戻って来てくれ」
「っ、はい! ありがとうございます!」
にこりと微笑むと、ゴッド副団長が天を仰ぐ。
その後ろから、騎乗したグレンが駆け抜けて、俺たちのもとに辿り着く。
「イヴ様の護衛に」
「グレン! ありがとな」
一刻を争う状況だと告げるギルバート様に、グレンも同意しており、やはり重大な何かが起こったことがわかった。
直様馬を走らせて、クラリッサ王女様が待つ宿屋に全速力で向かう。
景色が飛ぶように流れ、状況を説明して欲しいが、口を開けば舌を噛みそうだ。
前のめりになるギルバート様の危機迫った様子に、今は会話どころではないことが伝わって来る。
大人しく前を向きながら、俺の秘密を知るアレンくん達の無事を祈った――。
日が傾きかけた頃、ようやく目的の宿屋に到着したが、王女様が滞在するような場所とは到底思えないような古びた宿屋だった。
本当に体調が悪くなって、急遽滞在することになったのだろう。
エヴァさんの話していた通りだと思っていると、ギルバート様が馬から飛び降りる。
「あっ、悪い。腕の縄、まだだったな」
本気で忘れていたらしいギルバート様が、小刀で縄を解いてくれる。
手首を回しながら俺が馬から降りると、赤く擦り傷になった部分をそっと撫でられた。
「傷付けるつもりじゃなかったのに……」
「別にいいって。ギルがやったわけじゃないんだろ?」
「ああ……」
「そんなことより、早く妹さんに会いに行こう」
「っ……イヴッ、ありがとう」
「お礼はあとで。全力を尽くすけど、まだ治せるかわからないしな?」
唇を噛み締めるギルバート様は、ぶんぶんと激しく首を振った。
「いや、来てくれただけで嬉しい……。俺なんかを信じてくれて、嬉しい……」
「当たり前だろ? 友達なんだから」
潤む深紅色の瞳が激しく揺れて、顔をくしゃりと歪ませたギルバート様。
これが嘘の笑みなら、なかなか演技派だが、俺の目には心からの笑顔に映っていた。
「イヴ様、お早く」
「ああ、行こう」
ギルバート様の手を引いて宿屋に入り、二階の個室に案内してもらう。
扉を開ければ、寝台の上で上体を起こしていた美少女が、翡翠色の目を見開いた。
「お兄様っ!」
「クラリッサ!」
ギルバート様が一目散に駆け寄る。
妹を抱きしめ、黄を帯びた赤色の髪が揺れる。
会いたかったと告げる王女様は、幸せそうな顔で涙を流していた。
「救世主を連れてきたぞ! もしかしたら、お前の足が治るかもしれない!」
「まあ! 癒しの聖女様が?! どちらに?! ご挨拶しないとっ!」
きょろきょろと大きな目を動かすクラリッサ様は、手櫛で髪を整える。
「イヴ・セオフィロス。俺の大切な友人だ」
ギルバート様が俺の肩を組みニカッと笑うが、クラリッサ様は驚いたように目を瞬かせた。
「えっ……」
「なんだ? 知り合いじゃないよな?」
「え、ええ、でも……お、おとこ……」
「そこ?!」
思わずツッコんでしまったが、王女様がぺこぺこと頭を下げて謝罪し始めた。
「申し訳ありません! 聖女様と聞いていたので、てっきり女性の方かと……」
「ああ……期待外れですみません」
「っ、いえ全く! お兄様よりお美しいです!」
「おい!」
不貞腐れるギルバート様がじっとりとした目で妹を見るが、翡翠色の瞳は物珍しそうに俺だけを見つめていた。
「すぐにでも治癒を始めたいのですが、この場所では少し問題があります。大事にならないよう、俺の家に来ていただけますか?」
「はいっ。ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い致します」
丁寧に挨拶してくれたクラリッサ様は、俺より二つ歳下で華奢なお方だ。
馬車で移動した方が良いのだろうが、俺は一刻も早く騎士団の元に戻らなければならないため、馬で移動をすることになった。
フードを被り、顔を隠したクラリッサ様をギルバート様が抱き上げようとしたが、その役割は俺が代わる。
「イヴ?」
「どんな状況になっているかはわからないけど、クラリッサ様の身の安全の為には、俺が一番適任だ。なにせ、癒しの聖女様だからな? 利用しようと思う人がいても、誰も俺を殺そうとはしないだろう」
「っ、」
「……あ、ギルに言ったわけじゃないからな?」
妹さんの前で話してしまったからか、うんともすんとも言わなくなった王子様は、ばつの悪い顔で俯いてしまった。
「お兄様……。私の為に、危ないことをするのはやめてくださいと、何度も言いましたよね? 聖女様に迷惑をかけるようなことはしないでください。わかりましたか?」
「…………ああ、わかってるよ」
「いいえ。わかっていないから忠告しているのです! もし私の足が治ったとしても、お兄様が聖女様を利用しようとするなら、私はお兄様と縁を切りますからねっ!」
ふんすと息巻くクラリッサ様は、足が不自由だが元気いっぱいの可愛らしい女の子だ。
たじたじになっているギルバート様も、妹さんのことを溺愛しているのが伝わって来る。
彼女がいてくれたら、ギルバート様も暴走しないだろうと察した俺は、さっそくクラリッサ王女様に手を差し出した。
白く華奢な手を掴み、羽のように軽い美少女を横抱きにした。
「きゃあ!!」
「すみません、痛かったですか?」
「っ、い、いいえ……」
フードを目深に被り、俺にしがみつくクラリッサ王女様をしっかりと抱きしめた俺は、颯爽と宿屋を後にした。
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