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74 ベアテル
しおりを挟む二重の衝撃で立っていられなくなったベアテルは、膝をついた。
高笑いする声が消え、目の前はぼやけている。
遠くから魔物が近付いてくる気配を察したが、勝てる見込みはないだろう。
死を覚悟したベアテルだったが、刺されたはずの胸部の血は止まっていた。
(……なぜ?)
それでも、血の匂いに引き寄せられる魔物の大群が、凄まじい勢いでベアテルの元に向かってくる。
(っ……俺はまだ、死ねないっ)
暗闇の中に、ふわふわと浮かぶ銀色の光を捉えた瞬間、ベアテルは剣を抜いていた――。
魔物の断末魔が響く。
何事だと、アカリを先頭に、討伐部隊の者たちが集まってくる。
不死鳥バルドヴィーノが吐いた炎により、辺りが昼間のように明るくなった。
そして、ベアテルの周りに積み上げられた大量の魔物の死骸が照らし出され、壮絶な光景に皆が息を呑んだ。
「こ、こんな魔物の大群を、ひとりで始末したのか!?」
「っ、次元が違う……」
「スゲェ!! さすがベアテル様だっ!!」
生きていることが奇跡だと、討伐部隊の者たちから尊敬の眼差しを向けられる。
しかし、今回の旅に聖女は参加していないため、ベアテルの治療はできない。
皆がベアテルを心配している中、ひとり放心状態のテレンスに書簡を見せつけたベアテルは、口角を上げる。
致命傷を負ったベアテルを森に置き去りにし、祝杯を上げていたテレンスは、知らなかった。
テレンスが切り捨てた人間が、出立前、ベアテルに最大の祈りを捧げていたことを――。
「っ……バケモノめ。お前がレヴィの伴侶になったとしても、一生愛されることはないっ」
ベアテルを罵るテレンスが、獣のように喚く。
心優しき王子の仮面が剥がれたテレンスは、獣の血が流れるベアテルよりも、獣らしいと思った。
(俺は、あのお方を守る為に行動するだけだ。愛されるために伴侶に迎えるわけではない)
もうレヴィとは無関係となった人間の発言など、聞く必要はない。
テレンスのことなど気にも留めず、不死鳥バルドヴィーノのもとへ向かった。
「先に王都に戻ることになりますが、勇者様のことは頼んでもよろしいでしょうか。――あのお方のことは、俺が守ります」
『ああ、任せろ。それから、馬鹿王子の話したことは無視していいぜ? お前の全身からは、ご主人様の匂いがプンプンしてるんだからな! 頑張れよ』
こうべを垂れるベアテルが、不死鳥バルドヴィーノにアカリのことを託せば、夜空に向かって美しい鳴き声を上げた。
◇
『獣の分際で、この私を見下ろすだなんて……。不敬だと思わなかったの?』
「っ、はっ……はっ……はっ……」
ぐっしょりと寝汗をかいていたベアテルは、飛び起きていた。
悪夢から目覚めた瞬間に、ドッ、ドッ、と嫌な音を立てている心臓を押さえる。
とうの昔に完治しているというのに、一度、剣で貫かれた心臓は、今も痛みを覚えていた。
「…………大丈夫。俺は、生きてる」
窓の外を見れば、ベアテルの愛おしい人が、動物にベリーの実を与えていた。
死の森で動物たちに囲まれるレヴィは、奇跡のような人だ。
レヴィの眩い笑顔を守るためだけに、ベアテルは生きている――。
だから、テレンスがレヴィを捨て、勇者を選んだことを知る必要はない。
ベアテルがテレンスに殺されかけたことも。
愛する人が、己の欲望のために殺人まで犯す男だなんて、知らなくていい。
真実を知れば、きっとレヴィは悲しむ――。
そして、同情されるだろう。
元婚約者とはいえ、レヴィはテレンスのために償うと言い出しそうだ。
生涯、ベアテルのそばにいてくれるだろう。
だが、そんな惨めな思いまでして、レヴィに愛されたいとは思わない。
ベアテルの願いは、レヴィが本当にやりたいことをして、毎日楽しく過ごしてほしいだけだった。
それでも、ベアテルの中に流れる獣の血が、今すぐレヴィを喰らい尽くせと、訴えている――。
離縁できないよう、力ずくでベアテルの伴侶の座に縛り付けることも可能だ。
獣の血のせいで、ぐらぐらと気持ちが揺れる。
どれだけレヴィが愛らしくても、理性を保つベアテルは、陛下からの報告を待っていた。
(勇者を異世界に帰す儀式が整えば、彼女は王都に飛んで帰ってくるだろう)
異世界には、アカリの大切な人がたくさんいる。
仮に、テレンスと恋仲に発展したとしても、もうドラッヘ王国に戻ってくることはないだろう。
魔王討伐の旅では、夜になると、誰かを思い出して涙するアカリを目撃したことのあるベアテルは、そんな予感がしていた。
(……そして、いつかテレンスが、あのお方を迎えにくる)
最初の数年はアカリを待つだろうが、テレンスならば必ずレヴィを取り返しに来る。
今のレヴィの評判を知れば、必ず――。
レヴィを奪われたくないのであれば、ベアテルはレヴィに治癒をさせなければいいだけだ。
だが、それではレヴィの輝かしい未来を奪ってしまうことになる。
だからベアテルは、レヴィが動物の治癒をすることを止めない。
『っ……バケモノめ。お前がレヴィの伴侶になったとしても、一生愛されることはないっ』
ふいに、テレンスの言葉が蘇る。
(あのお方に愛されることなどないのだから、俺は誤解されようと構わない。無関心でいられるより、恨まれた方がマシだ)
テレンスの言葉など気にも留めていなかったベアテルだが、レヴィが離縁に動き出したことで、心に重くのしかかっていた。
突然衣装を購入したり、休暇を取ったりと、レヴィの行動は悪妻とは程遠く、周りの者たちにとっては辺境伯夫人として当然の行動だった。
だが、ベアテルだけは、精神的に追い詰められていることに、誰も気付いていなかった――。
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