月鏡の畔にて

ruri

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第四話 霞立つ湖

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 沈む太陽が山のみねふちに触れ、白い輝きが一瞬放たれる。光が収束すると空は彩度を失っていき、やがて真黒く染まって高く月が昇る。

 月鏡の夜の訪れだ。

 風鳴りのしじまに冴えた空気。鏡のような湖面は闇一色で、そこにたったひとつ黄金の月がゆらめいている。この光景こそ、ここが月鏡と呼ばれる所以ゆえんだ。
 伝説では、ここには水の神、いわゆる蛇神が住まうとされている。知を司る神で、冬とこおりの象徴でもあるらしい――――


 前触れなく気づく。
 これ、夢だ。

 なぜなら、後ろを振り返ってもいつもの街がないからだ。図書館も住宅街も、その他の建物も。
 もう一度湖の景色をまじまじと見つめてみると、ぽっかり空いた深い穴に水が満ちているようで、そして――――

 私の左前に誰かいる。十歳くらいの男の子だ。銀色の髪に貴族風の服を着ている。白い霞のせいで顔はよく見えない。
 少年が濃い霧で隠された足元へ――違う、湖へ向けて何か言っている。言葉の端々が震える独白のようなそれは、年相応な泣き言だった。私はその声に耳をすませる。



『君はどっかで聞いてるかな。話を聞いてよ。少しでいい。これっきりにするし、金輪際こんりんざい秘密にし続けるから。


 ……おれはもう忘れたいよ。


 君はいつくしみの子だ。いつだって嘘で誤魔化して、自分の心や身体を人のために使ってる。どうやっても自分を好きになれないでいた。不器用で愛しい子だった。
 だから先に死んだんだろ。結局君もおれを置いていったんだ。

 そしたら、君の身体はおれのものになった。最初こそ馬鹿みたいに意気揚々としていたけど、今際いまわきわの『約束』がおれを虚しく生かして、もう12の満月を数えるよ。おれね、こんなに物を想ったのは初めてだった。
 でもさ。この体は、気分と欲のままに自由に生きて、傲慢ごうまんに振る舞って平気で他者をおとしめる、おれには合わなかった。このまんまじゃもたないよ。おれは消えたいなんて思ってる、そんなんじゃ君に向ける顔がない。

 だから忘れてしまいたい。

 記憶から心まで何もかも君の完璧な鏡うつしになって、おれの本当の心さえ上書きしたら。何食わぬ顔で生きていけるだろ。『約束』だって守れる。いつかの君みたく氷の壁を築いてひとりでいれば、二度と大切な人を失わなくて済む。


 君は聞いていないだろうね。でも、あの『約束』を後悔してはいないんだよ。弱音を吐くのは今夜が最後にするから、ゆるしてよ。


 遠い未来になら解放されるかな。夜明けは必ず来るように、氷がいつか融けるようにさ。本心を見せても、真実を明かしても、すべて笑って受け入れてくれるような人が現れたなら。

 だから、それまでは救いを待つよ。

 この月鏡げっきょうほとりで、永久に…………』




 は、と目がめた。
 肌を刺す冷えた空気に身震いする。熱はすっかり下がっている。体調もマシだ。違和感を覚えてしまうくらいに。
 さっき見た夢の内容は……まだ覚えてる。ただの夢のはずなのに、大切な言葉だと思えた。私は取り急ぎその辺にある紙と筆を手にして、風景や言葉、声色、思い出せる限りを書き付けた。


 そして、泡のように呟く。


 みずうみだ、と。


 私は外行きの服に袖を通し、病み上がりの体で鞄を手に家を飛び出した。肌が寒気かんきに撫でられても温度を感じず、非現実の中を走っているかのようだった。適当な嘘をついて開館前の図書館に入れてもらい、貸出の記憶を頼りに目録を調べた。
 見つけた資料には、ありえないことが書かれていた。でも信じるしかなくて、本を胸に抱いて目を閉じた。

 この一連の不思議な夢を見せていたのは、月鏡――『記憶』する湖であるということを。
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