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5章 stay with me
stay with me
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最近、天野さんはケーキを持ってこなくなった。
少し残念な気持ちもあるが、今までがイレギュラーなだけだったのだろう。それに、と私は真梨子さんを見る。
真梨子さんの雰囲気が変わったように感じる。柔らかくなったというか、穏やかになったような気がする。聞いてみたい様な気もするが、勘違いかもしれないので、やめておく。
「すみれさん。ちょっと銀行に行ってくるから、任せていい?」
私は「もちろんです」と頷く。
レジカウンター内に座り、店番をする。7月に入ってから猛暑日が続いている。ジリジリと焼くような日差しが、コンクリートから反射して眩しい。
ポロロン、ポロロン。
ベルが鳴って、ひかるが入ってくる。
「ども!」
「いらっしゃいませ」
笑みを含んだ声で、私は挨拶する。ひかるは、いつもはつらつとしていて、パワーで溢れている。きっと、悩みなんてすぐ吹き飛ばしてしまうのだろう。羨ましい。
「あれ? 店長はー?」
「今、外出中なの」
「そっか。このあいださ、若い兄ちゃんと2人で飲んでるとこ見かけたんだ」
「本当?」
それって、やっぱり、天野さんかな。
私はちょっぴり嬉しくなる。天野さん、よかったねと心の中で拍手を送った。
「すみれは? 最近、どうなの?」
店内が、少し暗くなったように感じた。
ひかるは琥珀糖の入った小瓶を1つ1つ手に取っている。こちらは見ない。
ピンクや黄色の琥珀糖が、不気味に光を落としていた。
「それが……まだ……」
言い訳だ。私はうつむく。
ひかるに相談していたのだ、直哉さんとの関係を。
「早く言うべきだと思うよ。お互いのためにもさ」
ひかるは、まだこちらを見ない。軽蔑、しているのだろうか。私が早く言わないから。
チクリと胸が痛んだ。机の下で組んだ手が、力を失って解けた。
「いち、に、さん……いち……」
船の数を上手く数えられない。どこから数え始めたのか、どこまで数えたのか、わからなくなっていた。
ひかるに言われたから、別れを告げるのか。誰かの後押しがないと、動けない自分が情けなかった。
次、ちゃんと最後まで船を数えたら、直哉さんに連絡しよう。
そう決めて数え始めた時だった。床の上のスマートフォンが鳴った。直哉さんからの、電話だった。
「急にごめんね」
改札から出てきた直哉さんは、私を見つけると手を振った。
「時間が出来たから、会いに来ちゃったよ」
私も顔に笑顔を貼り付ける。
大丈夫。船はちゃんと数えられたから。
「あの……。直哉さん」
「何?」
彼は少しかがんで、私を覗き込む。
「海の方へ行きませんか?」
「いいよ」と何も知らない彼は、私の手を繋ぐ。いつものように。けれども私は、彼の手をきちんと握りしめることが出来なかった。
夜でも生暖かい風が吹いていた。
ビールを片手に、外で飲んでいる人たちが、ちらほらいる。
なるべく静かなところで、ひと気がある方がいい。今から起こることに、心臓は警鐘を鳴らしている。胸が張り裂けて、死んでしまいそうだ。
呼吸が浅くなる。
言わなければならない。
「大丈夫?」
声をかけられて、足を止める。
今。今しかない。
「直哉さん、私……」
顔を上げて言いかけた私を見て、直哉さんは顔を少しだけ傾けた。それから、困ったように微笑んだ。1歩近寄り、私の背中を引き寄せ抱きしめた。
「ごめんね」
抱きしめられたまま、私は目を見開く。
耳元で囁いて、直哉さんは私を優しく解き放つ。痛そうに微笑むと、彼は踵を返して去って行った。明るくて、賑やかな場所へ。
生ぬるい風が、通り過ぎた。直哉さんの匂いが、消えていく。
力無くその場にしゃがみ込んだ。
呼吸がおかしかった。息はどうやってするものだったか、思い出せない。
「……ずるい」
別れの言葉も、言わせてもらえないなんて。いや、ずっと言おうとして言えなかった私を、直哉さんは知っていたのかもしれない。
中途半端な私の、中途半端な恋は、
中途半端に終わった。
涙で濡れた頰が、引きつっている。小港荘に帰ってきた私は、真っ先に飾り棚に向かった。
足取りがふらついている。
飾り棚の上には、直哉さんがくれた「恋を運ぶ鳥」がちょこんと、座っている。
それを握りしめて、力を込める。腕が震える。涙がどっと溢れた。
床へ向かって、鳥を力一杯叩きつけた。
高い音が響いて、鳥の置物は真っ二つに割れた。可愛らしい表情の頭がとんで、ゴロゴロっと鈍い音をたてて、手をついた私の元へ転がってきた。
粉々に、姿形も残らないように、割ってしまいたかったのに、最後の最後に躊躇してしまった。
鳥の胴体と頭をかき集める。噛み締めた奥歯から、苦痛の声が漏れ出た。
割れてしまった鳥を握りしめたまま、首を垂れて声を上げて泣いた。
これでよかったのだ。これで。邪魔者の私は、消えなくてはならない。
けれど、どうして。
どうして、私じゃないのだろう……。
少し残念な気持ちもあるが、今までがイレギュラーなだけだったのだろう。それに、と私は真梨子さんを見る。
真梨子さんの雰囲気が変わったように感じる。柔らかくなったというか、穏やかになったような気がする。聞いてみたい様な気もするが、勘違いかもしれないので、やめておく。
「すみれさん。ちょっと銀行に行ってくるから、任せていい?」
私は「もちろんです」と頷く。
レジカウンター内に座り、店番をする。7月に入ってから猛暑日が続いている。ジリジリと焼くような日差しが、コンクリートから反射して眩しい。
ポロロン、ポロロン。
ベルが鳴って、ひかるが入ってくる。
「ども!」
「いらっしゃいませ」
笑みを含んだ声で、私は挨拶する。ひかるは、いつもはつらつとしていて、パワーで溢れている。きっと、悩みなんてすぐ吹き飛ばしてしまうのだろう。羨ましい。
「あれ? 店長はー?」
「今、外出中なの」
「そっか。このあいださ、若い兄ちゃんと2人で飲んでるとこ見かけたんだ」
「本当?」
それって、やっぱり、天野さんかな。
私はちょっぴり嬉しくなる。天野さん、よかったねと心の中で拍手を送った。
「すみれは? 最近、どうなの?」
店内が、少し暗くなったように感じた。
ひかるは琥珀糖の入った小瓶を1つ1つ手に取っている。こちらは見ない。
ピンクや黄色の琥珀糖が、不気味に光を落としていた。
「それが……まだ……」
言い訳だ。私はうつむく。
ひかるに相談していたのだ、直哉さんとの関係を。
「早く言うべきだと思うよ。お互いのためにもさ」
ひかるは、まだこちらを見ない。軽蔑、しているのだろうか。私が早く言わないから。
チクリと胸が痛んだ。机の下で組んだ手が、力を失って解けた。
「いち、に、さん……いち……」
船の数を上手く数えられない。どこから数え始めたのか、どこまで数えたのか、わからなくなっていた。
ひかるに言われたから、別れを告げるのか。誰かの後押しがないと、動けない自分が情けなかった。
次、ちゃんと最後まで船を数えたら、直哉さんに連絡しよう。
そう決めて数え始めた時だった。床の上のスマートフォンが鳴った。直哉さんからの、電話だった。
「急にごめんね」
改札から出てきた直哉さんは、私を見つけると手を振った。
「時間が出来たから、会いに来ちゃったよ」
私も顔に笑顔を貼り付ける。
大丈夫。船はちゃんと数えられたから。
「あの……。直哉さん」
「何?」
彼は少しかがんで、私を覗き込む。
「海の方へ行きませんか?」
「いいよ」と何も知らない彼は、私の手を繋ぐ。いつものように。けれども私は、彼の手をきちんと握りしめることが出来なかった。
夜でも生暖かい風が吹いていた。
ビールを片手に、外で飲んでいる人たちが、ちらほらいる。
なるべく静かなところで、ひと気がある方がいい。今から起こることに、心臓は警鐘を鳴らしている。胸が張り裂けて、死んでしまいそうだ。
呼吸が浅くなる。
言わなければならない。
「大丈夫?」
声をかけられて、足を止める。
今。今しかない。
「直哉さん、私……」
顔を上げて言いかけた私を見て、直哉さんは顔を少しだけ傾けた。それから、困ったように微笑んだ。1歩近寄り、私の背中を引き寄せ抱きしめた。
「ごめんね」
抱きしめられたまま、私は目を見開く。
耳元で囁いて、直哉さんは私を優しく解き放つ。痛そうに微笑むと、彼は踵を返して去って行った。明るくて、賑やかな場所へ。
生ぬるい風が、通り過ぎた。直哉さんの匂いが、消えていく。
力無くその場にしゃがみ込んだ。
呼吸がおかしかった。息はどうやってするものだったか、思い出せない。
「……ずるい」
別れの言葉も、言わせてもらえないなんて。いや、ずっと言おうとして言えなかった私を、直哉さんは知っていたのかもしれない。
中途半端な私の、中途半端な恋は、
中途半端に終わった。
涙で濡れた頰が、引きつっている。小港荘に帰ってきた私は、真っ先に飾り棚に向かった。
足取りがふらついている。
飾り棚の上には、直哉さんがくれた「恋を運ぶ鳥」がちょこんと、座っている。
それを握りしめて、力を込める。腕が震える。涙がどっと溢れた。
床へ向かって、鳥を力一杯叩きつけた。
高い音が響いて、鳥の置物は真っ二つに割れた。可愛らしい表情の頭がとんで、ゴロゴロっと鈍い音をたてて、手をついた私の元へ転がってきた。
粉々に、姿形も残らないように、割ってしまいたかったのに、最後の最後に躊躇してしまった。
鳥の胴体と頭をかき集める。噛み締めた奥歯から、苦痛の声が漏れ出た。
割れてしまった鳥を握りしめたまま、首を垂れて声を上げて泣いた。
これでよかったのだ。これで。邪魔者の私は、消えなくてはならない。
けれど、どうして。
どうして、私じゃないのだろう……。
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