坂の途中のすみれさん

あまくに みか

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3章 夜をわたる

ミルクティーブラウン

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「色味、どうしましょうか?」
 目の前には、ブラウン系からカラフルな毛束がずらりと並んだ、カラーチャートが広げられている。
 時間をどう潰していいか、わからなくなったわたしは、美容院に駆け込んだ。予約もしていないし、このお店のことも全く知らない。どんな髪型にするかさえ、決めていなかった。
「そうですねぇ」
 わたしは、暖色系の色味を眺める。
 昔見た映画を思い出したのだ。嫌な出来事にあった主人公が、涙でメイクをにじませながら、ネイルサロンに駆け込むのだ。
「暖色系は今年のトレンドですよね」
 わたしの視線を追って、美容師の女性が横から声をかけてきた。
 ブラウンの髪にレッドやピンク、ヴァイオレットの色味を混ぜて何度か染めたことがあった。陽翔が「可愛い」と褒めてくれた色でもある。
「そうなんですかー! じゃあ、ピンクにしようかな」
 今年のトレンドはわたしも把握済みだった。トレンドにのっておけば間違いないだろう。
「わかりました。明るさはどうしますか?」
 聞かれて、わたしはカラーチャートから顔をあげて、鏡に映る自分を見た。

 衝撃だった。

 今、流行りの髪型。
 今、流行りのメイク。
 今、流行りの服。
 それから、元カレが「可愛い」と言った髪色のままのわたし。

「ちょっと待って」
 美容師さんが目を見開いて、それからにっこりと笑ってうなずいた。
「色味、変更しますか?」
 わたしは鏡越しにではなく、直接彼女を見た。
「この色、わたしに似合いますか?」
 直感的に選んだ色をわたしは指差した。落ち着いたベージュの色。暖色系の入っていない色。
「ミルクティーベージュですね。少し甘めの上品な色合いが、お客様の雰囲気に合うと思います」
「本当ですか?」
「ただ時間が経つと、前に染めていた赤みがどうしても出てきてしまうかもしれないです」
 それを聞いて、思わず笑ってしまった。だって、いかにも今のわたしらしいから。
 元カレを引きずっているなんて、馬鹿みたい。
 もう努力したって、陽翔は別の女のものなんだ。
 塗りつぶしちゃおう、そう思った。
「お願いします!」
 髪の毛に薬剤が塗られていく。微かに鼻にツンと香る匂いが好きだった。昔憧れた、アニメのヒロインが変身するシーンみたいで、心が踊る。
「いつもは暖色系のカラーですか?」
 美容師さんに聞かれて、わたしは頷いた。
「じゃあ、今回はイメチェンですね」
 彼女は何故だか嬉しそうだ。
「そうですね。そうなるといいな」
「私も全力を尽くしますね!」
 こぶしをギュッと握りしめて、気合いを入れた彼女はまるで、アニメのキャラクターみたいで可愛いらしかった。思わず微笑んでしまう。
 美容師のその子は、白っぽい金髪をお洒落に編み込みにしている。今どきのカラコンを入れた瞳に、ぱきっとしたピンク色のアイシャドウ。ブラウスに黒のキャミワンピを重ねている。
 女子大生にいそうな、よくある格好なのに、何故だか彼女は特別に見えた。同じような格好をした人が沢山いても、彼女だけは光って見えるような。
 背筋が真っ直ぐだからかな。それとも、目が生き生きとしているからかな。
「私最近、断捨離したんですよー」
 唐突に美容師さんは話し始めた。
「服が好きで、もうクローゼットがいっぱいになっちゃって。それで、SNSで見たんですけどね、ワンシーズン10着だけで暮らすっていうのを見て、コレだ! って思ったんですよー」
「10着ですかー?」
 相槌を打ったけれど、わたしも似たような投稿を何回も見たことがある。
「それで、10着だけ残したらどうなったと思います?」
「どうなったんですか?」
「モノトーンの服だけになっちゃったんです!」
 彼女は可笑しそうに笑った。
「流石にさみしいと思って、差し色も残したんですけどね。沢山ある色や柄の中から、実用的なものを残したらモノトーンになるのって、面白いなって」
「お仕事してるからじゃないですか? どうしても柄ものとか派手な色は避けないといけないじゃないですかー」
「そうなんですよー」
 でも、と彼女は手を動かしながら続けた。
「ゼロになった感じがして、気分が軽くなりました」
「ゼロに?」
「またここから始めればいいじゃんって」




 髪が染まっていく。
 誰かに好かれたくて選んだ色ではなくて、わたしが選んだ色。
 わたしも、ゼロになれるのだろうか。
 ゼロになったわたしは、どうなるのだろう?
 ゼロになれば、自分が見つかるのだろうか。
 自分らしさって、何だろう。
 誰かに好かれたいって思って、その人に合わせようと努力することは、悪いことなのだろうか。

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