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§01 芽を奪う桜果パフェ
灯台下のクラシック・トリック
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「?!」
声を出さずに、響は瞬きをする。
「どうしたの、ひびき君?」
「あ、いや……思ったより美味しくて」
適当に口を濁しながら、アイスの山にスプーンを突き立てる。不自然でない程度に食べ続けながら、小声で影に話しかける。もちろん直接本人にではなく、首元の葉を通してだ。
「(おいおい、注意深く、って、こういう事かよ)」
『まだ驚くのは早いですよ。それはともかく、気づいてくれないなんて寂しいですね』
「(はいはい、俺には観察力が無いよ……あんたの今の姿、周りには見えてるのか?)」
『はい?』
「(昨日の夜、警察に見えないとか言ってただろ。俺にしか見えないバケモノって意味かと)」
『流石に私の身体は、きみのために存在しているわけではありませんよ。思い上がらないでください』
「(そ、そこまでは言ってないだろ。俺の脳内の妄想だったらまだ良かったけどな)」
『ふふふ。嘘は吐いていませんよ、夜中に男子とはいえ家を襲う強盗を捕らえようと、義憤にかられ、「人間」を見ることにだけフォーカスの向いた頭の固い人間集団には、私の姿は見えないでしょうからね』
「(……もし、信頼できる霊媒者とか、勘の鋭い友達を、『霊が家に出た』って呼び出したら?)」
『私の姿は見えていたでしょうね。きみは気にしませんでしたが、私が学校に直接ついていかなかったのもそういうわけです。あのくらいの多感そうな子供がいるとまず間違いなく一人二人は見えるんですよ』
「(……へえ)」
『つまり、信じる者には今の私は見えます。テストに出ますよココ』
「(え?)」
「すみません、注文を」
その時、影が手を挙げ、実際の声で言った。
「(あんたも頼むのかよ……)」
『ラストチャンスですよ、響くん』
「(え?)」
先ほどパフェを持ってきた店員が、また戻ってくるとオーダーのメモを構えた。
「ご注文お伺いします」
(あ? この声って……)
「待ってください」
取り憑かれたように響は立ち上がり、店員の帽子のつばを弾いた。
「……っ! 何をするっ!」
「……それは、俺の台詞なんですけど」
『ね? 注意深くすべきだったでしょう?』
その店員は、小折春樹だった。
「先輩……うちの高校、一部除いてバイト禁止じゃありませんでしたっけ」
「これはアルバイトではない、ボランティア活動だ」
「なんで、よりによって飲食店でボランティアを……」
「……」
ふて腐れたような顔をして、小折は横を向いてしまう。気まずさに思わずため息をついた響の制服の袖を、湯上が引いた。
「ひびき君、私と来てるのにほったらかしにするの、良くないよ?」
「悪い湯上、分かるだろ。今大事な……」
言いながら見ると、彼女は、まるで状況が分かっていないかのように首をこてん、と傾けた。
「そこの店員さんなんかに構っても、パフェが溶けちゃったら可哀想だよ?」
「や、店員っていうか、お前達知り合いだろ?」
「うん? ひびき君は私と一緒にパフェ食べに来たんだよ? 他の人とじゃないもん」
「くそっ、話が通じねぇ」
たとえ響の予想が外れていて二人に特別な面識がなかったとして、有名らしくクラスにもよく押しかけてくる小折を湯上が知らない訳がない。それでなくても学校の先輩に会ったと気付いたら多少は驚いたり挨拶くらいしても良さそうなものだ。それを、彼女は響以外は居ないとばかりに一切態度を変えない。響はゾッとして手を振り払うが、それ以上に動揺を見せたのは小折だった。
「…………どうして」
落ちた帽子を震える手で拾いながら、呻くような呟くような声がだんだん大きくなる。
「……何故無視する、桃音」
「ねえ、ひびき君、食べないの? 私が取っちゃうよ?」
「……何故私を見ない」
「湯上悪い、先に食べててくれ。やっぱりお前が話すと話が進まない」
「えー、私だけ?」
「……」
「俺のパフェのさくらんぼもやるから」
「本当?!」
学校中の男子にクリティカルヒットする笑顔を煌めかせた湯上がさっそく忌々しいさくらんぼを取ってくれるのを横目に見ながら、響は小折の方を振り返った。息苦しい。湯上とのやり取りが気に入らなかったのだろうか、やっとこちらを向いた顔は眼光がやけに鋭くなっている。場所が場所なら殴りかかられていそうだ。
「……何故だ」
「あー、とりあえず先輩に聞きたいんですけど」
「貴様、誑かしたな。そうでなければ、湯上桃音が異性と二人でこのような店を訪れる訳がない」
「……先輩がボランティアしてるのは、接客だけですか?」
小折の言葉を無視して聞くが、睨みつけられるだけで返事がない。
(店内であんまり言い争いになるのは避けたいよな……って、は?)
チラリと周囲を見渡すと、店員が客と揉めているという状況なのに、何故か誰も響達を見ていない。それどころか全く異変など無いかのように振る舞い、他の店員が駆けつけもしない。
「……どういう事だよ、これ」
『ああ、これは私ですよ』
一人だけ、のほほんとした声を返したのは影だった。
『君と先輩の近くの空気を変えています。感じませんか?』
「空気? そんな、何のファンタジーだよ」
先程からどこか息苦しいのは、店内の人々の動きが軽やかで明るく見えるのは、気のせいだろうか?
『ここの空気は他とズレている。声も姿も、別の空気には特徴あるものとして届くことはありません』
「どうやって」
『植物は光合成で酸素混じりの空気を作るでしょう? 私も作ったんですよ』
粘つく空気が鼻から喉を通って肺に流れ込み、なんとか全身を巡ってゆっくりと吐き出される。呼吸が辛いだけでなく全身の動きも全て遅くなっているような奇妙な感覚に、響は目眩を起こした。いや、これは酸欠だろうか。なんとか見やれば、小折も何か感じているのか青い顔をしていた。
(ああ、そういえば)
『すみません、注文を』
小折は影の声を聞いて注文を取りに来た。影の声が聞こえ姿が見えていた。つまり小折こそが、「多感そうな子供の中の一人や二人」なのだろう。敏感に決まっている。
『ちなみに湯上桃音もこの空気の中に入っているのですが、ショクブツに鈍感な体質の上自己中心的で主観的な「自分の世界」で物を見ているため普段通りなのでしょうね』
湯上は何も気づいていないかのようにパフェを食べ進めている。響に話しかける事も忘れ、まるで周囲の客や店員と同じだ。……「空気」の対象外で響も小折も見えなくなっていると言われる方が、まだ信じられた。
「お前も怪しい呪いを……」
影とのやり取りを聞いて、小折はぽつりと言葉を漏らす。
「……小折先輩」
「貴様に話す事は無い」
「俺、数日前にこの店の商品で酷い目に遭ったクレーマーなんですけど」
「!」
「紅茶のティーバッグで、ちょっとした火傷を」
小折春樹は顔を上げた。目が響に異変がないか探っている。その視線だけで、何か仕組んだと認めたようなものだった。
「土産品の包装にも関わってるんですね」
「い、いや、僕はそのような事知らないな。何のことだか」
その反応で何も知らないと言うのは、無理がある。一人称まで変わってしまっているのだ。しかし、それ以上は聞いても話しそうにない。響はため息をついた。多分、息苦しいからだ。
その時、二人の間にニヤニヤしながら影が割り込んだ。
「おやおや、見事なクロですねぇ、これは。微笑ましいくらいの小悪党だ」
「影」
「時間が掛かり過ぎです、響くん。今日は初陣である事を加味しましたが、次からはここまでは待ちませんよ」
「……まだ、確信に至ってない」
「おや、事此処に至って、二時間ドラマサスペンスみたいにラスト十分で衝撃の犯人! なんてどんでん返しが欲しかったんですか? 私はきみを楽しませるために居るわけではありません」
どこまでも、とぼけた声だった。
「そんなつもりはない」
「じゃあ分かるでしょう。犯人は小折春樹ですよ」
「っ……いや、まだだ」
反応を見るに、小折が何か仕掛けたのだろうということは、認めるしかない。それは響にも分かる。問題は、それが命に関わるような……影の言うような、差し迫った危機なのか、だ。
「目的が分からない。それに、手段も方法も動機も、何も分からないだろ。あんたに助けられたとはいえ、俺はほぼ無傷で生きてるから、まだ信じられない。ただ自白みたいな状況証拠だけで、……殺されそうになったとか、信じられるかよ」
「……ころされ、そうに? それは……」
「きみは甘すぎやしませんか、響くん」
その言葉に小折が反応したが、それは完全に無視して影はため息をつく。
「人権至上主義となった現在の人間社会において、耐え難い強烈な痛みを受けておきながら相手に明確な害意、未必の故意たる殺意が無かったと? それとも、もう一回苦しんで手遅れになるところまで至らないと分からないんですか。それを人間は『死ななきゃ分からない』と言うんですよ? それと、ユーモアのある表現は好みですが、今回ばかりは正しく訂して……訂正してください。きみが受けたのは火傷ではなく一肢全体に及ぶ肉体的破壊と侵食です。腕が無くなってもきみは笑ってられますか?」
「……」
「そんな蠱惑的な目で見ても駄目です。早く下らない日常とやらの幻惑を捨てて下さい。言っておきますがきみは、自力で気づいていたはずですよ」
影は切り捨てるように言うと、小折の前に身を乗り出す。
「さて、小折春樹でしたか。きみ、誰にこのささやかな『お呪い』を聞きました?」
「っひ……」
「誰かに言われたんでしょう? そして貰ったんでしょう? ショクブツを」
怯えるように後ずさった小折は、何かに躓いたように足をもつれさせ、床に尻をつけた。影が何かしたらしい。
「逃げないでくださいよ。ただでさえタダ働きしていて退屈で腹が減って、憂さ晴らしに嬲りたい所を我慢してるんですから」
「たっ、助けろ貴様……ひっ!!」
「そんなノイズ混じりの悲鳴は、美味くない」
ビリビリとした空気が辺りに満ちる。完全に逃げる気力を失ったように、小折は地面に脚をだらりと伸ばした。
「もう一度聞きます。きみに悪戯を教えてショクブツを差し向けさせたのは、誰ですか?」
「し、知らない……」
「今更言い逃れを?」
「本当に知らないんだっ! そ、そもそも、死ぬような事を私がするわけがないだろう! ほんのちょっとした」
「副作用って知ってます?」
影はゆっくりと屈み込むと、顔を近づける。
「知らなかったから人間が死にました。それ、過失致死になるのではないですか? まあ人間の裁きなんてどうでも良い事ですが」
「な……そうだ、過失というならば、私ではなくあの女の責任だろう! 私が受けた説明が間違っていたのだ」
「あの女とは?」
「ろ、ロサルゴサ」
ピクリと影の右眉が動いた。
「若い女だった。レースのついた帽子を被っていたから顔も知らない。ただ、そう呼べ、と……」
「ほう。おや。まあ。なるほど。ふふ……ふふふふふ」
その途端、影は不気味な声で笑い出した。
「ふふふふふふふ、ふふふふふ。ロサ・ルゴサとはまあ滑稽な。受け取りましたよローズヒップ、貴女の無粋で低俗な挑戦状は。いやあ面白いですね、貴女がこのような下賤なジャブを仕掛けてくるとは。しかも世にありふれた怪盗譚の如き名乗りを上げて……声を大にして誇示しなければ私が気づかないとでも思ったのですか? それとも、愚かな顕示欲か。いずれにせよスマートなやり方ではありませんねえ。証拠も山ほど残っています。……利け者と名高い貴女も、実際のところは大したことが無かったらしい」
挑発するような声は、響にも小折春樹にも向けられていない。むしろ影が向いているのは我関せずとばかりにパフェを平らげている湯上桃音の方だ。
(まさかこの状況で、湯上まで何かあるって?)
……それが違った事を、すぐに響は思い知る事になる。
「?!」
ソレは、パッと見で「バラ」と認識するのは難しい、柔らかい赤紫の花弁を大きく開いた花だった。花弁が多いが、恐らくは野生の原種。愛の象徴として飾られるそれとは大きく異なる花は、しかし奇妙に妖艶な気配を放っていた。
「ローズヒップが薔薇の実なのは知っていますか? 実はヒップというのはその単語だけで『薔薇の実』を指すのですが、まあ、細かいことは置いておきましょう。観賞用の薔薇は花の成長に栄養を注いでいる分実りが弱いので、原種の方が実を頂くには適しています。ショクブツ的にいっても弱体化したアレより原種の方が強く、厄介。……アレは」
ただ花があるというだけでは驚かなかっただろう。挿さっていたのが花瓶なら、違和感は無かっただろう。
「アレは、Rosa rugosa……浜茄子を模しているのですよ」
響の食べる予定の、少しアイスが溶け始めたパフェのトールグラスを花瓶替わりに、ソレは挿さっていた。
「な、何の冗談……」
「来ますよ、響くん」
次の瞬間、グラスからアイスに塗れた茨が噴き出した。
声を出さずに、響は瞬きをする。
「どうしたの、ひびき君?」
「あ、いや……思ったより美味しくて」
適当に口を濁しながら、アイスの山にスプーンを突き立てる。不自然でない程度に食べ続けながら、小声で影に話しかける。もちろん直接本人にではなく、首元の葉を通してだ。
「(おいおい、注意深く、って、こういう事かよ)」
『まだ驚くのは早いですよ。それはともかく、気づいてくれないなんて寂しいですね』
「(はいはい、俺には観察力が無いよ……あんたの今の姿、周りには見えてるのか?)」
『はい?』
「(昨日の夜、警察に見えないとか言ってただろ。俺にしか見えないバケモノって意味かと)」
『流石に私の身体は、きみのために存在しているわけではありませんよ。思い上がらないでください』
「(そ、そこまでは言ってないだろ。俺の脳内の妄想だったらまだ良かったけどな)」
『ふふふ。嘘は吐いていませんよ、夜中に男子とはいえ家を襲う強盗を捕らえようと、義憤にかられ、「人間」を見ることにだけフォーカスの向いた頭の固い人間集団には、私の姿は見えないでしょうからね』
「(……もし、信頼できる霊媒者とか、勘の鋭い友達を、『霊が家に出た』って呼び出したら?)」
『私の姿は見えていたでしょうね。きみは気にしませんでしたが、私が学校に直接ついていかなかったのもそういうわけです。あのくらいの多感そうな子供がいるとまず間違いなく一人二人は見えるんですよ』
「(……へえ)」
『つまり、信じる者には今の私は見えます。テストに出ますよココ』
「(え?)」
「すみません、注文を」
その時、影が手を挙げ、実際の声で言った。
「(あんたも頼むのかよ……)」
『ラストチャンスですよ、響くん』
「(え?)」
先ほどパフェを持ってきた店員が、また戻ってくるとオーダーのメモを構えた。
「ご注文お伺いします」
(あ? この声って……)
「待ってください」
取り憑かれたように響は立ち上がり、店員の帽子のつばを弾いた。
「……っ! 何をするっ!」
「……それは、俺の台詞なんですけど」
『ね? 注意深くすべきだったでしょう?』
その店員は、小折春樹だった。
「先輩……うちの高校、一部除いてバイト禁止じゃありませんでしたっけ」
「これはアルバイトではない、ボランティア活動だ」
「なんで、よりによって飲食店でボランティアを……」
「……」
ふて腐れたような顔をして、小折は横を向いてしまう。気まずさに思わずため息をついた響の制服の袖を、湯上が引いた。
「ひびき君、私と来てるのにほったらかしにするの、良くないよ?」
「悪い湯上、分かるだろ。今大事な……」
言いながら見ると、彼女は、まるで状況が分かっていないかのように首をこてん、と傾けた。
「そこの店員さんなんかに構っても、パフェが溶けちゃったら可哀想だよ?」
「や、店員っていうか、お前達知り合いだろ?」
「うん? ひびき君は私と一緒にパフェ食べに来たんだよ? 他の人とじゃないもん」
「くそっ、話が通じねぇ」
たとえ響の予想が外れていて二人に特別な面識がなかったとして、有名らしくクラスにもよく押しかけてくる小折を湯上が知らない訳がない。それでなくても学校の先輩に会ったと気付いたら多少は驚いたり挨拶くらいしても良さそうなものだ。それを、彼女は響以外は居ないとばかりに一切態度を変えない。響はゾッとして手を振り払うが、それ以上に動揺を見せたのは小折だった。
「…………どうして」
落ちた帽子を震える手で拾いながら、呻くような呟くような声がだんだん大きくなる。
「……何故無視する、桃音」
「ねえ、ひびき君、食べないの? 私が取っちゃうよ?」
「……何故私を見ない」
「湯上悪い、先に食べててくれ。やっぱりお前が話すと話が進まない」
「えー、私だけ?」
「……」
「俺のパフェのさくらんぼもやるから」
「本当?!」
学校中の男子にクリティカルヒットする笑顔を煌めかせた湯上がさっそく忌々しいさくらんぼを取ってくれるのを横目に見ながら、響は小折の方を振り返った。息苦しい。湯上とのやり取りが気に入らなかったのだろうか、やっとこちらを向いた顔は眼光がやけに鋭くなっている。場所が場所なら殴りかかられていそうだ。
「……何故だ」
「あー、とりあえず先輩に聞きたいんですけど」
「貴様、誑かしたな。そうでなければ、湯上桃音が異性と二人でこのような店を訪れる訳がない」
「……先輩がボランティアしてるのは、接客だけですか?」
小折の言葉を無視して聞くが、睨みつけられるだけで返事がない。
(店内であんまり言い争いになるのは避けたいよな……って、は?)
チラリと周囲を見渡すと、店員が客と揉めているという状況なのに、何故か誰も響達を見ていない。それどころか全く異変など無いかのように振る舞い、他の店員が駆けつけもしない。
「……どういう事だよ、これ」
『ああ、これは私ですよ』
一人だけ、のほほんとした声を返したのは影だった。
『君と先輩の近くの空気を変えています。感じませんか?』
「空気? そんな、何のファンタジーだよ」
先程からどこか息苦しいのは、店内の人々の動きが軽やかで明るく見えるのは、気のせいだろうか?
『ここの空気は他とズレている。声も姿も、別の空気には特徴あるものとして届くことはありません』
「どうやって」
『植物は光合成で酸素混じりの空気を作るでしょう? 私も作ったんですよ』
粘つく空気が鼻から喉を通って肺に流れ込み、なんとか全身を巡ってゆっくりと吐き出される。呼吸が辛いだけでなく全身の動きも全て遅くなっているような奇妙な感覚に、響は目眩を起こした。いや、これは酸欠だろうか。なんとか見やれば、小折も何か感じているのか青い顔をしていた。
(ああ、そういえば)
『すみません、注文を』
小折は影の声を聞いて注文を取りに来た。影の声が聞こえ姿が見えていた。つまり小折こそが、「多感そうな子供の中の一人や二人」なのだろう。敏感に決まっている。
『ちなみに湯上桃音もこの空気の中に入っているのですが、ショクブツに鈍感な体質の上自己中心的で主観的な「自分の世界」で物を見ているため普段通りなのでしょうね』
湯上は何も気づいていないかのようにパフェを食べ進めている。響に話しかける事も忘れ、まるで周囲の客や店員と同じだ。……「空気」の対象外で響も小折も見えなくなっていると言われる方が、まだ信じられた。
「お前も怪しい呪いを……」
影とのやり取りを聞いて、小折はぽつりと言葉を漏らす。
「……小折先輩」
「貴様に話す事は無い」
「俺、数日前にこの店の商品で酷い目に遭ったクレーマーなんですけど」
「!」
「紅茶のティーバッグで、ちょっとした火傷を」
小折春樹は顔を上げた。目が響に異変がないか探っている。その視線だけで、何か仕組んだと認めたようなものだった。
「土産品の包装にも関わってるんですね」
「い、いや、僕はそのような事知らないな。何のことだか」
その反応で何も知らないと言うのは、無理がある。一人称まで変わってしまっているのだ。しかし、それ以上は聞いても話しそうにない。響はため息をついた。多分、息苦しいからだ。
その時、二人の間にニヤニヤしながら影が割り込んだ。
「おやおや、見事なクロですねぇ、これは。微笑ましいくらいの小悪党だ」
「影」
「時間が掛かり過ぎです、響くん。今日は初陣である事を加味しましたが、次からはここまでは待ちませんよ」
「……まだ、確信に至ってない」
「おや、事此処に至って、二時間ドラマサスペンスみたいにラスト十分で衝撃の犯人! なんてどんでん返しが欲しかったんですか? 私はきみを楽しませるために居るわけではありません」
どこまでも、とぼけた声だった。
「そんなつもりはない」
「じゃあ分かるでしょう。犯人は小折春樹ですよ」
「っ……いや、まだだ」
反応を見るに、小折が何か仕掛けたのだろうということは、認めるしかない。それは響にも分かる。問題は、それが命に関わるような……影の言うような、差し迫った危機なのか、だ。
「目的が分からない。それに、手段も方法も動機も、何も分からないだろ。あんたに助けられたとはいえ、俺はほぼ無傷で生きてるから、まだ信じられない。ただ自白みたいな状況証拠だけで、……殺されそうになったとか、信じられるかよ」
「……ころされ、そうに? それは……」
「きみは甘すぎやしませんか、響くん」
その言葉に小折が反応したが、それは完全に無視して影はため息をつく。
「人権至上主義となった現在の人間社会において、耐え難い強烈な痛みを受けておきながら相手に明確な害意、未必の故意たる殺意が無かったと? それとも、もう一回苦しんで手遅れになるところまで至らないと分からないんですか。それを人間は『死ななきゃ分からない』と言うんですよ? それと、ユーモアのある表現は好みですが、今回ばかりは正しく訂して……訂正してください。きみが受けたのは火傷ではなく一肢全体に及ぶ肉体的破壊と侵食です。腕が無くなってもきみは笑ってられますか?」
「……」
「そんな蠱惑的な目で見ても駄目です。早く下らない日常とやらの幻惑を捨てて下さい。言っておきますがきみは、自力で気づいていたはずですよ」
影は切り捨てるように言うと、小折の前に身を乗り出す。
「さて、小折春樹でしたか。きみ、誰にこのささやかな『お呪い』を聞きました?」
「っひ……」
「誰かに言われたんでしょう? そして貰ったんでしょう? ショクブツを」
怯えるように後ずさった小折は、何かに躓いたように足をもつれさせ、床に尻をつけた。影が何かしたらしい。
「逃げないでくださいよ。ただでさえタダ働きしていて退屈で腹が減って、憂さ晴らしに嬲りたい所を我慢してるんですから」
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「そんなノイズ混じりの悲鳴は、美味くない」
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「もう一度聞きます。きみに悪戯を教えてショクブツを差し向けさせたのは、誰ですか?」
「し、知らない……」
「今更言い逃れを?」
「本当に知らないんだっ! そ、そもそも、死ぬような事を私がするわけがないだろう! ほんのちょっとした」
「副作用って知ってます?」
影はゆっくりと屈み込むと、顔を近づける。
「知らなかったから人間が死にました。それ、過失致死になるのではないですか? まあ人間の裁きなんてどうでも良い事ですが」
「な……そうだ、過失というならば、私ではなくあの女の責任だろう! 私が受けた説明が間違っていたのだ」
「あの女とは?」
「ろ、ロサルゴサ」
ピクリと影の右眉が動いた。
「若い女だった。レースのついた帽子を被っていたから顔も知らない。ただ、そう呼べ、と……」
「ほう。おや。まあ。なるほど。ふふ……ふふふふふ」
その途端、影は不気味な声で笑い出した。
「ふふふふふふふ、ふふふふふ。ロサ・ルゴサとはまあ滑稽な。受け取りましたよローズヒップ、貴女の無粋で低俗な挑戦状は。いやあ面白いですね、貴女がこのような下賤なジャブを仕掛けてくるとは。しかも世にありふれた怪盗譚の如き名乗りを上げて……声を大にして誇示しなければ私が気づかないとでも思ったのですか? それとも、愚かな顕示欲か。いずれにせよスマートなやり方ではありませんねえ。証拠も山ほど残っています。……利け者と名高い貴女も、実際のところは大したことが無かったらしい」
挑発するような声は、響にも小折春樹にも向けられていない。むしろ影が向いているのは我関せずとばかりにパフェを平らげている湯上桃音の方だ。
(まさかこの状況で、湯上まで何かあるって?)
……それが違った事を、すぐに響は思い知る事になる。
「?!」
ソレは、パッと見で「バラ」と認識するのは難しい、柔らかい赤紫の花弁を大きく開いた花だった。花弁が多いが、恐らくは野生の原種。愛の象徴として飾られるそれとは大きく異なる花は、しかし奇妙に妖艶な気配を放っていた。
「ローズヒップが薔薇の実なのは知っていますか? 実はヒップというのはその単語だけで『薔薇の実』を指すのですが、まあ、細かいことは置いておきましょう。観賞用の薔薇は花の成長に栄養を注いでいる分実りが弱いので、原種の方が実を頂くには適しています。ショクブツ的にいっても弱体化したアレより原種の方が強く、厄介。……アレは」
ただ花があるというだけでは驚かなかっただろう。挿さっていたのが花瓶なら、違和感は無かっただろう。
「アレは、Rosa rugosa……浜茄子を模しているのですよ」
響の食べる予定の、少しアイスが溶け始めたパフェのトールグラスを花瓶替わりに、ソレは挿さっていた。
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「来ますよ、響くん」
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