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§04 根濁してマロウブルー
試しに劇薬インスリンショック
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「瓶児様!」
「……止めぇ。怪我も何もしなんだわ」
ぱらり。助け起こそうとする者の手を払って、賀茂瓶児はゆっくりと起き上がる。
「しかし、例の呪物は奪われました」
「そうやにゃあ……にゃあられたわ……」
「瓶児様、お言葉が」
「知っとる。はぁ、この地は押さえとるゆうアピールかぁ。ああいうんが絡むと、計画みぃんなわやくちゃにされてまう。青闇ぃ、式や。澄谷全体に撒きぃ」
「計画通りに?」
「計画通りに、や。目的は何も変わりゃせんやろ」
手の中で紙片が舞い踊る。蜂の群れに変わると飛び去っていく。小さな紙風船は鳥に、硬く折り込まれた紙は虫に、鼠に、獣に。しかし最も多いのは、人だ。
「ふぅーー。……あ、青闇ぃ。これ、学校にぎょうさん送っときぃ」
「澄谷高校にですか?」
「そぉや。甘えた案山子にも、そろそろ大概にしてもらおうやないの」
ゆったりと飛ぶ鷹のような式神が、空を横切る細い赤糸を噛み切った。
目の前で、細かな傷をつけられ続けた最後の赤糸が、とうとう絶たれる。
「……地理歴史の時間も半分は過ぎたか」
小折春樹は首をもたげた。
「ここまで攻撃を受けては、式の侵入は拒めんな……だが防衛としては十分な成果だ」
切れて落ちた糸を集め拾うとかぎ針を手にし、小折春樹は素早く蜘蛛の意匠を編み上げる。
「術師本人の侵入は決して許さん。そして、入り込んだ虫は蜘蛛にでも化け物にでも喰わせてやろう。……おい、外は?」
「はっ、はいい……たね子さんが分家の皆さんと世間話してますけど……みなさん穏やかなのが怖いんですがあ……」
「問題ない」
「えー」
「奴らも愚かではない。伍番邸は既に幾度も式の攻撃を受けたが、それでも邸の中に居るのが最も安全だ。ここに来た時点で既に、御降の中でも意見が割れたというポーズは完了している。……どうせ土御門もこの展開を読んで陽行の許可を出したな。古狐め」
「つまり……?」
「賀茂と御降。十師陽行の終わりに優位を失っていた方が、このふざけた揉め事の責任を負う事になる」
「全っ然ダメじゃないですかぁ、それ」
「勝てば良かろう。その為にも、癪だがまだ時間が必要だな」
「癪ぅ?」
「まだ駒が揃っていない」
掌から赤い蜘蛛が滑り落ちて糸を引き這い出す。
赤い蜘蛛が1匹、車窓に張り付く。
「バンダちゃんの考えでは、ウチらの勝利に必要な大事な大事な要素が一つ、まだあるっす。それが揃うまで、絶対この追いかけっこで捕まる訳にはいかないっすよ!」
『だぃ……じな、よう、そ?』
「そうっす。だからあと30分くらいファイトっす墓標っち!」
「簡単に言ってくれるね! ……大事な要素君は、大丈夫かな」
「あ、墓標っち、そのヤバヤバ運転スタイル映したくないんであんまり喋っちゃダメっすよ。コンプラ意識っす」
「言ってくれるね???」
爆走する車と同じ速さで、白い大鳥が数羽、雲を切り裂き迫る。道路を蹴り、アスファルトを蹴り砕いて、ぴたりと後ろについた。
「うーん相っ変わらず動物の解釈がパワフルっすね、瓶児っちは! 動物讃歌っすかね? 式神の扱いの精度よりこっちのが凄いと思っちゃうんっすよ、バンダちゃんは」
「でもまあ、この速度でチェイス出来てるなら問題ないよ。墓標さんに任せときなって。御降の後押しもあるしね」
車体に張り付いた蜘蛛が糸を吐く。糸は紡ぎながら織り込まれ、綾取紋となって途切れる。飛ばされて獣の身体に貼り付くと、その身体は砕け、紙片となって弾け散った。
砕けた紙片の幾つかは赤く染まり、同じように他の式神に触れては壊してゆく。次々に増えてゆく赤い紙屑が煙となって背後を埋めた。
「こっちもフルパワーっすね! なんかウイルスの真似っこしてないっすか?!」
「蜘蛛の糸とDNAあたりのイメージを重ねて術で表現してる感じかな? 澄谷全体に」
「墓標っち、クワイエットプリーズ」
「ちぇー。胡蝶、よろしく」
「はい」
助手席でずっと黙っていた女児は、シートベルトの上から大きな十字剣を抱えたまま、言葉を引き継いだ。
「御降様は、綾取糸の防御システムを澄谷全体に仕掛けられていました。その際、攻撃を受けると式神の術を少しずつ読み取り、解読する機構を仕込んでいたのではと思います。その情報を元に対策陣を設計されたのです。ウイルスのイメージというのは、細胞を破壊して増殖するように、術を壊しながら己の式を式神用の紙に上書きする方法のことでしょう」
「うーん胡蝶っちは賢いっすねー」
「僕が言おうとしてたんだけど」
「ヤバヤバ墓標っちも凄いっすよ!」
(ヤベ……)
その頃響は、鬼門だった知識問題のヤマを的中させていた。
(さっきまで詰め込んでた所だ! マジか! いける!)
先ほどから全く手が止まらない。
(勝った……)
カタン。
どこかでシャーペンが落ちる音がした。
響のものではない。今握っている。気にしている余裕もない。
のだが、視線が机の上から床にずれた。
(いや、だから俺のペンじゃねえって)
目の向きを戻す。
「そこ、何キョロキョロしてるんですか!」
急に声が飛んできた。
顔を上げる。……誰も反応していない。見回りの教師も響が顔を上げたことすら気づいている素振りがない。
(幻聴……っつーかこれ……!)
窓の方を見やると、烏が数羽、わざとらしく飛び去っていくのが見えた。
(は? 嫌がらせ? あいつらの?)
テストの邪魔?
次の瞬間、響は脇腹を噛まれて地面と鉄の棒に叩きつけられた。
どう吹っ飛んだのか分からない。すぐさま身体は熱くなり、刺し傷とすり傷を火口に一瞬燃え上がった後、ゾッとするほど冷たくなる。身体は重力のままに倒れようとして、錆びた鉄棒に絡んでいた太い蔓が首や腕に引っかかったことで、中途半端に動きを止めた。
柔らかい蔓が喉をじわりと潰す。半ば反射的にもがく身体は、螺旋状の植物にさらに丁寧に身を絡めさせる結果になった。
首が締まる。汗が一瞬、視界を縦に区切る。
じっとりとした雨の気配と草の匂いが五感を包む。
(あ)
死ぬ。
どうやって助かったのか思い出せない。
(……は?)
腕が平らなものに触れた。手探る。乾いた紙が一枚。白に印刷の黒と黒鉛の黒。答えの分かる問題。刷ってからさほど経っていない臭い。誰かの膠着した咳払いの音。
(違ぇ。今テスト中だった)
それもヤマを当てて書けば書くほど確実に点が入るボーナスタイム中の。呆けている場合ではない。響は紙とペンを机に押さえて、空いた手を軽く二つに畳んだ。
ポップコーンが弾けるごと音がして、教室内につむじ風が吹いた。
小さなざわめきが起きるがすぐに消える。当然だ。テストが中断されない程度の事件で騒ぐわけにはいかない。あと紙屑と消えたのは、いつの間にか教室の後ろ側に立っていた見回りの教師が1人と、虫が数匹……いや、正体は式神だから「枚」数えで良いのかもしれない。
とにかく静かになった。
(バカにしやがって。書き終わるまで絶対ぇ邪魔させねえ……)
8割方埋めれば良いとか、そういう気分ではなくなった。別に妨害されながら満点を取っても賀茂瓶児とかいう奴が降参するわけではないが、何も気にしないだろうが、気分が収まらない。
「影、いいよな」
小さな声で呟くと、返事のつもりか、予備として置いていた木の鉛筆が独りでに1/6回転した。
同時に、紙の擦れる音が周囲から近づいてくる。窓を叩く。ドアの隙間をすり抜ける。袖から鳴る。誰かの答案用紙が震える。
(いや多っ?!)
「……ちぃ。あらくたっ」
賀茂瓶児は口元を扇子で隠す。
「瓶児様?」
「何でもないわ。ああ、青闇ぃ。あれ、持てきとるにゃろ。出しいな」
「あれは……かしこまりました」
青闇の取り出した木箱の中からかすかに漏れた黒い煙を見咎めて、他の陰陽師に、かすかに動揺が走る。
「瓶児様、それは霊鬼やんか……?」
「……流石に、許可ぁあらへんのでは?」
瓶児は鼻で笑う。
「気にしぃやなあ。持ってくのは構へんいう話やったやんか。緊急時に使たらあかんの?」
「そやけんど、瓶児様……」
ぱちり。痛いほどの音で瓶児は扇子を閉じた。
「あんたら、まさか分からいで言うとるんやないやんな。なあ。あんなもん野放しにしとけるわけないやろ?」
扇子の先はまっすぐ高校を示した。
『あわ、……わ……』
「……数、多いっすね?」
「多いのです。完全にミツダマ様の霊魂の居場所を特定されたとは思えないのですが。そもそも車全体に目隠しをしています」
「うーん、それっぽい物体を手当たり次第追尾して、反撃があったら応援呼んでくる感じっすかね?」
『ぁ……』
砂煙ならぬ紙煙をあげる背後を遠い目でミツダマは見ている。
「だんだんヤバいのが集まって来ちゃうのは必然っすけど、今更止められないっすね。墓標っち、もう少し行けそうっすか?」
「うん、今のままなら……っと。胡蝶!」
「はい、墓標さま」
車の天井が開く。
するり。
同時に、どうやったものか、身丈を超える十字剣を引き抜いた胡蝶が、刀身を上に突き上げた。
『っ?!』
単純な動きだ。しかし、上から獲物に飛びかかる大きな獣の腹を真っ直ぐ貫くには十分だった。
「……駄目なのです」
刺されたまま、大きな赤い四肢が車体を掴み、揺らす。中は強く掻き回され、フレームが大きく歪む。
「こっちのドアは開けられるっす!」
芽咲万朶は後部ドアを開くとミツダマの手を引いて連れ出す。そのまま有無を言わせず背に負ぶった。
「オーケー。僕らも大丈夫だよ」
斜め真っ二つに切り裂かれた車の上面が滑り落ち、墓標と胡蝶が脱出する。その時にはもう、屋根にあの巨躯は張り付いていない。
「御降の対抗術が効かないタイプの式か。雨は……まあ無理だろうね」
一瞬土砂降りの雨が周囲に降り注ぐが、すぐ止む。宙から飛び掛かってくる赤い獣の身体に遮られて、ほとんど道路にも降らないくらいだった。
「鬼。呪いで強固に守られた、特別製の式神だ」
「バンダちゃん分かるっすよ……これ霊鬼っす。なーんか瓶児っちが周囲の反対押し切って出した隠し玉って感じの奴じゃないっすか!」
喋りながら芽咲万朶は鬼の爪をかわして足元に転がり込んだ。ミツダマを背負ったままで。
「荒々しいのは御免っす!」
『きゅ』
「あ、ウチの動きも荒っぽいっすね?!」
道路が揺れる。アスファルトが砕けて跳ね上がる。
「っと! いやそのまま。君のスキルだと立ち止まったら死ぬよ!」
「そうっすよねっ! ひゅー!」
「胡蝶、今何分?」
「15分経過しました」
「ここから15分は厳しいね。バンダちゃん、別れようか。先にミツダマを目的地まで連れて行ってあげて」
「えっ、いや無理っすよ! 霊鬼がウチとミツダマっちを追いかけてくるだけっす!」
「大丈夫大丈夫。僕と胡蝶が足止めするから」
胡蝶の剣の一振りが鬼の身体を両断する。しかし、崩れたのは一瞬。紙の繊維が伸びて絡まり合うように、霊鬼は身体をたちまち修復させていく。
そのまだ弱い継ぎ目に向けて墓標が何かを投げる。小規模だが爆発が起きた。端の焦げた大穴が開く。
「ね?」
「いや穴もすぐ塞がってるじゃないっすか……安心できないっすよ」
「おかしいなあ。式神に書かれた呪文をうまく切り、文法の穴を突いてピンポイント爆破で攻撃性を一発で無効化する天才的な一手。効くと思ったんだけど」
「……そやなぁ。対策はしとるけんど、そこが弱点いうんはほんまや」
「っ?!」
「おお、怖。そないに睨みよることないやろ、十字架の」
鬼の背から姿をのぞかせた装束姿の男……賀茂瓶児は、扇子を口元に当てて目を細めた。
「ああ、なるほど。欠損した式をその場で書き直す術師がセットとは……相当に贅沢な式神だね……」
墓標は目隠しの布を手で押さえて息をついた。
「でも良いのかな、瓶児様。澄谷で霊鬼暴れ回らせたりして。流石にそこまでやって良いなんて土御門様は言わないでしょ?」
「おんや? 先に仕掛けてきたのはそちらはん、にゃったろう?」
「いやいや、まさか。ご高名な賀茂様が物の順序の勘違いで後始末に大層苦労なさるのは忍びないと思って申し上げてるんだ、よっ」
墓標は胡蝶の手から十字剣を素早く取り、勢いのまま瓶児へ投げつける。式神の巨躯の上へ真っ直ぐ飛ぶ剣を瓶児は少ない動きで避けるが、剣は宙で向きを変え、再び瓶児を狙った。式神の肩を切り裂いて落ちる。
「結構真面目に考えてみようよ。そもそも、ミツダマなんて名前の霊、いくらでも居るでしょ。御降の土地で、一般人の敷地に地縛霊として存在しててこれまで何十何百年前から全く気づかれなかったっていうのも筋の通らない話だよ。何が賀茂様方を十師陽行に駆り立てちゃったのかな」
「……ふ。あんた、それで情報屋気取りなん」
「言われちゃったっすね……」
「そうだよ。分からないことはわりと素直に聞く! このスタイルでなんと10数名を擁する事務所やらせてもらってます」
「墓標っち、誇らしげに言うことじゃないっす!」
「いやいや、実際どうかな。今回はこんな事になっちゃったけど、ぜひ今度僕が仕事を受けてなかった時には依ら」
「二度とせんわ。営業もなっとらへんやないの」
「駄目じゃないっすか!」
……そう、やたらと声をかける芽咲万朶が少しずつ遠ざかっている事は、見なければ気づけない。そうと感じさせないように、音量を調整し、風を読んで、同じ声が賀茂瓶児へ届くようにしている。
しかし、その彼女にパッとしがみつく人物がいた。
「こんっ!」
「な……マカヤキっち?! おねんねしてるはずじゃ?!」
「見つけましたわ! わたくしを欺こうなどと100年遅いですわよ芽咲万朶!」
急に立ち止まればペースが乱れる。瓶児の目が、すぅとそちらに向いた。
「ちょっ、ちょっと離れるっすよ! マカヤキっち、今だけはダメっす!」
「あなたの甘言は聞き飽きましたわ……ぎゃんっ!」
鬼の爪が近くの道路を叩く。衝撃が女子2人をまとめて巻き込んだ。
「瓶児様! やり過ぎだ!」
墓標と胡蝶が間に割り込む。
「……わたしはよろしいけんど、十字架の。そのお人形はん壊れてもええのん?」
「……胡蝶の事を言ってるなら、『出来るもんならやってみせなよ』って答えになるかな!」
「そ。ほな……」
続く言葉は瓶児の口からは出ない。代わりに鬼の爪が振り下ろされる。
「待てよ!」
鋭く手を打つ音。
鬼の腕が砕ける。紙屑が一斉に宙を舞う。突然の強風に巻き上がったアスファルトの欠片と青い落ち葉が混ざり、瓶児の視界を完全に遮る。
「ナイス響君! ありがとう!」
再び視界が開けた時には、もう芽咲万朶も墓標も、誰の姿も見えない。1人を除いて。
「おっ前、散っ々試験邪魔しやがって! あれわざとだろ! わざとだよな?!」
響は結局、答案用紙の最後まで回答し終えることは出来なかった。それで、諦めて早くに教室を抜け出した。今の戦況は全く把握していないが、つまりは。
「お前の相手は俺だ!」
「いきっとるん? さぶいぼ出るわあ……」
何とでも言えばいい。ヒーロー気取りの台詞には一つ、確かな効果がある。無茶をする時に言うと確かに勇気が出る。
……まあ、ナチュラルに「だぜ」とか言う小学生と最近話したことがなければなお良かったのだが。
「……ほぉんまに。案山子の相手しとる暇ぁあらへんのやけどな」
どことなく浮ついた声に聞こえたのは気のせいか。装束姿の白塗り男は、首をゆっくりと回した。
「……止めぇ。怪我も何もしなんだわ」
ぱらり。助け起こそうとする者の手を払って、賀茂瓶児はゆっくりと起き上がる。
「しかし、例の呪物は奪われました」
「そうやにゃあ……にゃあられたわ……」
「瓶児様、お言葉が」
「知っとる。はぁ、この地は押さえとるゆうアピールかぁ。ああいうんが絡むと、計画みぃんなわやくちゃにされてまう。青闇ぃ、式や。澄谷全体に撒きぃ」
「計画通りに?」
「計画通りに、や。目的は何も変わりゃせんやろ」
手の中で紙片が舞い踊る。蜂の群れに変わると飛び去っていく。小さな紙風船は鳥に、硬く折り込まれた紙は虫に、鼠に、獣に。しかし最も多いのは、人だ。
「ふぅーー。……あ、青闇ぃ。これ、学校にぎょうさん送っときぃ」
「澄谷高校にですか?」
「そぉや。甘えた案山子にも、そろそろ大概にしてもらおうやないの」
ゆったりと飛ぶ鷹のような式神が、空を横切る細い赤糸を噛み切った。
目の前で、細かな傷をつけられ続けた最後の赤糸が、とうとう絶たれる。
「……地理歴史の時間も半分は過ぎたか」
小折春樹は首をもたげた。
「ここまで攻撃を受けては、式の侵入は拒めんな……だが防衛としては十分な成果だ」
切れて落ちた糸を集め拾うとかぎ針を手にし、小折春樹は素早く蜘蛛の意匠を編み上げる。
「術師本人の侵入は決して許さん。そして、入り込んだ虫は蜘蛛にでも化け物にでも喰わせてやろう。……おい、外は?」
「はっ、はいい……たね子さんが分家の皆さんと世間話してますけど……みなさん穏やかなのが怖いんですがあ……」
「問題ない」
「えー」
「奴らも愚かではない。伍番邸は既に幾度も式の攻撃を受けたが、それでも邸の中に居るのが最も安全だ。ここに来た時点で既に、御降の中でも意見が割れたというポーズは完了している。……どうせ土御門もこの展開を読んで陽行の許可を出したな。古狐め」
「つまり……?」
「賀茂と御降。十師陽行の終わりに優位を失っていた方が、このふざけた揉め事の責任を負う事になる」
「全っ然ダメじゃないですかぁ、それ」
「勝てば良かろう。その為にも、癪だがまだ時間が必要だな」
「癪ぅ?」
「まだ駒が揃っていない」
掌から赤い蜘蛛が滑り落ちて糸を引き這い出す。
赤い蜘蛛が1匹、車窓に張り付く。
「バンダちゃんの考えでは、ウチらの勝利に必要な大事な大事な要素が一つ、まだあるっす。それが揃うまで、絶対この追いかけっこで捕まる訳にはいかないっすよ!」
『だぃ……じな、よう、そ?』
「そうっす。だからあと30分くらいファイトっす墓標っち!」
「簡単に言ってくれるね! ……大事な要素君は、大丈夫かな」
「あ、墓標っち、そのヤバヤバ運転スタイル映したくないんであんまり喋っちゃダメっすよ。コンプラ意識っす」
「言ってくれるね???」
爆走する車と同じ速さで、白い大鳥が数羽、雲を切り裂き迫る。道路を蹴り、アスファルトを蹴り砕いて、ぴたりと後ろについた。
「うーん相っ変わらず動物の解釈がパワフルっすね、瓶児っちは! 動物讃歌っすかね? 式神の扱いの精度よりこっちのが凄いと思っちゃうんっすよ、バンダちゃんは」
「でもまあ、この速度でチェイス出来てるなら問題ないよ。墓標さんに任せときなって。御降の後押しもあるしね」
車体に張り付いた蜘蛛が糸を吐く。糸は紡ぎながら織り込まれ、綾取紋となって途切れる。飛ばされて獣の身体に貼り付くと、その身体は砕け、紙片となって弾け散った。
砕けた紙片の幾つかは赤く染まり、同じように他の式神に触れては壊してゆく。次々に増えてゆく赤い紙屑が煙となって背後を埋めた。
「こっちもフルパワーっすね! なんかウイルスの真似っこしてないっすか?!」
「蜘蛛の糸とDNAあたりのイメージを重ねて術で表現してる感じかな? 澄谷全体に」
「墓標っち、クワイエットプリーズ」
「ちぇー。胡蝶、よろしく」
「はい」
助手席でずっと黙っていた女児は、シートベルトの上から大きな十字剣を抱えたまま、言葉を引き継いだ。
「御降様は、綾取糸の防御システムを澄谷全体に仕掛けられていました。その際、攻撃を受けると式神の術を少しずつ読み取り、解読する機構を仕込んでいたのではと思います。その情報を元に対策陣を設計されたのです。ウイルスのイメージというのは、細胞を破壊して増殖するように、術を壊しながら己の式を式神用の紙に上書きする方法のことでしょう」
「うーん胡蝶っちは賢いっすねー」
「僕が言おうとしてたんだけど」
「ヤバヤバ墓標っちも凄いっすよ!」
(ヤベ……)
その頃響は、鬼門だった知識問題のヤマを的中させていた。
(さっきまで詰め込んでた所だ! マジか! いける!)
先ほどから全く手が止まらない。
(勝った……)
カタン。
どこかでシャーペンが落ちる音がした。
響のものではない。今握っている。気にしている余裕もない。
のだが、視線が机の上から床にずれた。
(いや、だから俺のペンじゃねえって)
目の向きを戻す。
「そこ、何キョロキョロしてるんですか!」
急に声が飛んできた。
顔を上げる。……誰も反応していない。見回りの教師も響が顔を上げたことすら気づいている素振りがない。
(幻聴……っつーかこれ……!)
窓の方を見やると、烏が数羽、わざとらしく飛び去っていくのが見えた。
(は? 嫌がらせ? あいつらの?)
テストの邪魔?
次の瞬間、響は脇腹を噛まれて地面と鉄の棒に叩きつけられた。
どう吹っ飛んだのか分からない。すぐさま身体は熱くなり、刺し傷とすり傷を火口に一瞬燃え上がった後、ゾッとするほど冷たくなる。身体は重力のままに倒れようとして、錆びた鉄棒に絡んでいた太い蔓が首や腕に引っかかったことで、中途半端に動きを止めた。
柔らかい蔓が喉をじわりと潰す。半ば反射的にもがく身体は、螺旋状の植物にさらに丁寧に身を絡めさせる結果になった。
首が締まる。汗が一瞬、視界を縦に区切る。
じっとりとした雨の気配と草の匂いが五感を包む。
(あ)
死ぬ。
どうやって助かったのか思い出せない。
(……は?)
腕が平らなものに触れた。手探る。乾いた紙が一枚。白に印刷の黒と黒鉛の黒。答えの分かる問題。刷ってからさほど経っていない臭い。誰かの膠着した咳払いの音。
(違ぇ。今テスト中だった)
それもヤマを当てて書けば書くほど確実に点が入るボーナスタイム中の。呆けている場合ではない。響は紙とペンを机に押さえて、空いた手を軽く二つに畳んだ。
ポップコーンが弾けるごと音がして、教室内につむじ風が吹いた。
小さなざわめきが起きるがすぐに消える。当然だ。テストが中断されない程度の事件で騒ぐわけにはいかない。あと紙屑と消えたのは、いつの間にか教室の後ろ側に立っていた見回りの教師が1人と、虫が数匹……いや、正体は式神だから「枚」数えで良いのかもしれない。
とにかく静かになった。
(バカにしやがって。書き終わるまで絶対ぇ邪魔させねえ……)
8割方埋めれば良いとか、そういう気分ではなくなった。別に妨害されながら満点を取っても賀茂瓶児とかいう奴が降参するわけではないが、何も気にしないだろうが、気分が収まらない。
「影、いいよな」
小さな声で呟くと、返事のつもりか、予備として置いていた木の鉛筆が独りでに1/6回転した。
同時に、紙の擦れる音が周囲から近づいてくる。窓を叩く。ドアの隙間をすり抜ける。袖から鳴る。誰かの答案用紙が震える。
(いや多っ?!)
「……ちぃ。あらくたっ」
賀茂瓶児は口元を扇子で隠す。
「瓶児様?」
「何でもないわ。ああ、青闇ぃ。あれ、持てきとるにゃろ。出しいな」
「あれは……かしこまりました」
青闇の取り出した木箱の中からかすかに漏れた黒い煙を見咎めて、他の陰陽師に、かすかに動揺が走る。
「瓶児様、それは霊鬼やんか……?」
「……流石に、許可ぁあらへんのでは?」
瓶児は鼻で笑う。
「気にしぃやなあ。持ってくのは構へんいう話やったやんか。緊急時に使たらあかんの?」
「そやけんど、瓶児様……」
ぱちり。痛いほどの音で瓶児は扇子を閉じた。
「あんたら、まさか分からいで言うとるんやないやんな。なあ。あんなもん野放しにしとけるわけないやろ?」
扇子の先はまっすぐ高校を示した。
『あわ、……わ……』
「……数、多いっすね?」
「多いのです。完全にミツダマ様の霊魂の居場所を特定されたとは思えないのですが。そもそも車全体に目隠しをしています」
「うーん、それっぽい物体を手当たり次第追尾して、反撃があったら応援呼んでくる感じっすかね?」
『ぁ……』
砂煙ならぬ紙煙をあげる背後を遠い目でミツダマは見ている。
「だんだんヤバいのが集まって来ちゃうのは必然っすけど、今更止められないっすね。墓標っち、もう少し行けそうっすか?」
「うん、今のままなら……っと。胡蝶!」
「はい、墓標さま」
車の天井が開く。
するり。
同時に、どうやったものか、身丈を超える十字剣を引き抜いた胡蝶が、刀身を上に突き上げた。
『っ?!』
単純な動きだ。しかし、上から獲物に飛びかかる大きな獣の腹を真っ直ぐ貫くには十分だった。
「……駄目なのです」
刺されたまま、大きな赤い四肢が車体を掴み、揺らす。中は強く掻き回され、フレームが大きく歪む。
「こっちのドアは開けられるっす!」
芽咲万朶は後部ドアを開くとミツダマの手を引いて連れ出す。そのまま有無を言わせず背に負ぶった。
「オーケー。僕らも大丈夫だよ」
斜め真っ二つに切り裂かれた車の上面が滑り落ち、墓標と胡蝶が脱出する。その時にはもう、屋根にあの巨躯は張り付いていない。
「御降の対抗術が効かないタイプの式か。雨は……まあ無理だろうね」
一瞬土砂降りの雨が周囲に降り注ぐが、すぐ止む。宙から飛び掛かってくる赤い獣の身体に遮られて、ほとんど道路にも降らないくらいだった。
「鬼。呪いで強固に守られた、特別製の式神だ」
「バンダちゃん分かるっすよ……これ霊鬼っす。なーんか瓶児っちが周囲の反対押し切って出した隠し玉って感じの奴じゃないっすか!」
喋りながら芽咲万朶は鬼の爪をかわして足元に転がり込んだ。ミツダマを背負ったままで。
「荒々しいのは御免っす!」
『きゅ』
「あ、ウチの動きも荒っぽいっすね?!」
道路が揺れる。アスファルトが砕けて跳ね上がる。
「っと! いやそのまま。君のスキルだと立ち止まったら死ぬよ!」
「そうっすよねっ! ひゅー!」
「胡蝶、今何分?」
「15分経過しました」
「ここから15分は厳しいね。バンダちゃん、別れようか。先にミツダマを目的地まで連れて行ってあげて」
「えっ、いや無理っすよ! 霊鬼がウチとミツダマっちを追いかけてくるだけっす!」
「大丈夫大丈夫。僕と胡蝶が足止めするから」
胡蝶の剣の一振りが鬼の身体を両断する。しかし、崩れたのは一瞬。紙の繊維が伸びて絡まり合うように、霊鬼は身体をたちまち修復させていく。
そのまだ弱い継ぎ目に向けて墓標が何かを投げる。小規模だが爆発が起きた。端の焦げた大穴が開く。
「ね?」
「いや穴もすぐ塞がってるじゃないっすか……安心できないっすよ」
「おかしいなあ。式神に書かれた呪文をうまく切り、文法の穴を突いてピンポイント爆破で攻撃性を一発で無効化する天才的な一手。効くと思ったんだけど」
「……そやなぁ。対策はしとるけんど、そこが弱点いうんはほんまや」
「っ?!」
「おお、怖。そないに睨みよることないやろ、十字架の」
鬼の背から姿をのぞかせた装束姿の男……賀茂瓶児は、扇子を口元に当てて目を細めた。
「ああ、なるほど。欠損した式をその場で書き直す術師がセットとは……相当に贅沢な式神だね……」
墓標は目隠しの布を手で押さえて息をついた。
「でも良いのかな、瓶児様。澄谷で霊鬼暴れ回らせたりして。流石にそこまでやって良いなんて土御門様は言わないでしょ?」
「おんや? 先に仕掛けてきたのはそちらはん、にゃったろう?」
「いやいや、まさか。ご高名な賀茂様が物の順序の勘違いで後始末に大層苦労なさるのは忍びないと思って申し上げてるんだ、よっ」
墓標は胡蝶の手から十字剣を素早く取り、勢いのまま瓶児へ投げつける。式神の巨躯の上へ真っ直ぐ飛ぶ剣を瓶児は少ない動きで避けるが、剣は宙で向きを変え、再び瓶児を狙った。式神の肩を切り裂いて落ちる。
「結構真面目に考えてみようよ。そもそも、ミツダマなんて名前の霊、いくらでも居るでしょ。御降の土地で、一般人の敷地に地縛霊として存在しててこれまで何十何百年前から全く気づかれなかったっていうのも筋の通らない話だよ。何が賀茂様方を十師陽行に駆り立てちゃったのかな」
「……ふ。あんた、それで情報屋気取りなん」
「言われちゃったっすね……」
「そうだよ。分からないことはわりと素直に聞く! このスタイルでなんと10数名を擁する事務所やらせてもらってます」
「墓標っち、誇らしげに言うことじゃないっす!」
「いやいや、実際どうかな。今回はこんな事になっちゃったけど、ぜひ今度僕が仕事を受けてなかった時には依ら」
「二度とせんわ。営業もなっとらへんやないの」
「駄目じゃないっすか!」
……そう、やたらと声をかける芽咲万朶が少しずつ遠ざかっている事は、見なければ気づけない。そうと感じさせないように、音量を調整し、風を読んで、同じ声が賀茂瓶児へ届くようにしている。
しかし、その彼女にパッとしがみつく人物がいた。
「こんっ!」
「な……マカヤキっち?! おねんねしてるはずじゃ?!」
「見つけましたわ! わたくしを欺こうなどと100年遅いですわよ芽咲万朶!」
急に立ち止まればペースが乱れる。瓶児の目が、すぅとそちらに向いた。
「ちょっ、ちょっと離れるっすよ! マカヤキっち、今だけはダメっす!」
「あなたの甘言は聞き飽きましたわ……ぎゃんっ!」
鬼の爪が近くの道路を叩く。衝撃が女子2人をまとめて巻き込んだ。
「瓶児様! やり過ぎだ!」
墓標と胡蝶が間に割り込む。
「……わたしはよろしいけんど、十字架の。そのお人形はん壊れてもええのん?」
「……胡蝶の事を言ってるなら、『出来るもんならやってみせなよ』って答えになるかな!」
「そ。ほな……」
続く言葉は瓶児の口からは出ない。代わりに鬼の爪が振り下ろされる。
「待てよ!」
鋭く手を打つ音。
鬼の腕が砕ける。紙屑が一斉に宙を舞う。突然の強風に巻き上がったアスファルトの欠片と青い落ち葉が混ざり、瓶児の視界を完全に遮る。
「ナイス響君! ありがとう!」
再び視界が開けた時には、もう芽咲万朶も墓標も、誰の姿も見えない。1人を除いて。
「おっ前、散っ々試験邪魔しやがって! あれわざとだろ! わざとだよな?!」
響は結局、答案用紙の最後まで回答し終えることは出来なかった。それで、諦めて早くに教室を抜け出した。今の戦況は全く把握していないが、つまりは。
「お前の相手は俺だ!」
「いきっとるん? さぶいぼ出るわあ……」
何とでも言えばいい。ヒーロー気取りの台詞には一つ、確かな効果がある。無茶をする時に言うと確かに勇気が出る。
……まあ、ナチュラルに「だぜ」とか言う小学生と最近話したことがなければなお良かったのだが。
「……ほぉんまに。案山子の相手しとる暇ぁあらへんのやけどな」
どことなく浮ついた声に聞こえたのは気のせいか。装束姿の白塗り男は、首をゆっくりと回した。
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