夏霜の秘め事

山の端さっど

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零壱 薔薇散る仮面舞踏会

二片

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 舞踏会に使われているのは外交に使われる虹紀こうき風の建物で、大理石の床や砕いた色硝子がらすを継いだ窓が美しい。廊下が広くとられているのも特徴で、僕は今、その廊下にある向かい合わせの柔椅子そふぁに腰から上を寝かせていた。男が僕に肩を貸し、ここまで連れてきたのだ。

「すみません、付き合わせてしまって」
「いいえ。大事はないようで良かったです」

 男の声は柔らかい。声だけ聞いていれば、心がむしろ安らいでしまうほどに。
 しかし、僕の感覚は、この響く悪意をきっかけに、心安らぐことを許してはくれない。
 何より、臭う。

(まるで腐臭だ)

 そう感じてしまうだけなのか、緊張状態の中で、恐ろしく感覚が冴え渡っているのかは分からない。僕の鼻は、品の良い香水に混ざって、彼から漂うほんのわずかなを、捉えていた。
 まさか、ここに来る前に殺めてきたなどということは無いだろうが……。

「本当に、救護室でなくて良かったんですか?」
「よくあることなんです。休めば落ち着きますから」

 当然最初には救護室を勧められた訳だが、これまた当然、断った。具合が悪いのは本当とはいえ、流石にこれを診させるわけにはいかない。医者が下手に診たままを言えば、僕に疑いが戻るか、環樹たまきの医者はこの程度とめられかねない。
 しかし、行き先を男に任せたのは失敗だった。この場所はまずい。人が近づかないのだ。会場に人が集まるぶん、扉の外へ抜ける者などほとんど居ない。かわやへ行くにも少し廊下を歩めば済む。この柔椅子は会を抜け出した要人や男女が秘め話などするのに向いた席で、もしここで刃物を突きつけられようと、悲鳴すら誰にも届かないだろう。

「ああ、申し遅れました。私は夏冬かとうと言います」
「僕は霜月そうげつです。先ほどはありがとうございます。この会場に来るのは初めてで、休める場所など知らなかったもので助かりました」

 男の名乗りに合わせて、僕も仮の名を名乗る。正体を明かす必要のない仮面舞踏会ますかれいどで、僕に偽にしろ名を明かした理由が分からない。何を企んでいるのか、痛みの消えない体を横たえたまま、意識だけは張り詰めさせておく。
 会場を知らないというのは、ちょっとしたかまかけだ。それとなく、夏冬と名乗った男がこの会場のこの場所に休める場所があることを知っていたことをとがめている。僕が演じる「霜月」という男は、どこかにぶく能天気である、ということにしてあるので、本気で助かったと思っているような口調だ。

「お力になれたのなら、良かったです。環樹には慣れていないのですが、ここへ来る途中で館の図を見かけていまして」

 僕は胸の内だけで、動揺を抑えこむ。
 虹紀や竜背りょぜ波慟はどぅの国の者が、この会場だけならともかく、「環樹には慣れていない」などという物言いをするとは考えられない。僕が言ったのと同じように返しても良かったはずを、夏冬はあえてそう言った。自らが四国の出身でない、つまり他国から入り込んだと……露霧ろうむの者だと、言っているようなものだ。
 なぜ、自ら紛れ込んだことを明かす?

「目ざといんですね。あはは、見習わないとなあ」
「霜月さんは、どちらからいらしたんですか?」

 来た。
 先ほどから僕の反応をうかがっているのは感じていたが、ここで直接来たか。わざわざ情報を先に出したのが僕の出身を聞き出すためだけとは思えないが、これからのやり合いのための重要な一手なのだろう。つまり、僕も、簡単に嘘をくわけにはいかない。もし彼らしか知らない事柄を出されたら答えられず、嘘がばれてしまう。しかし、「会場をよく知らない」と言ってしまったことで環樹の者だとも名乗り辛い。

 僕が迷ったのは、「霜月」を名乗る時にははかりごとなどできそうもない人物を演じることにしているからだ。
 人の油断を誘うには、己の油断を見せれば良い。怪しまれないためには、道化になれば良い。そんな考えで使う「霜月」は、調べ事をするときによく用いる変装だ。偽りの己なのだから秘め事がなくとも問題がない。
 嘘を吐くところを簡単に見せては、その像が揺らいでしまう。話を続けるのに、それでは都合が悪すぎた。「霜月」を崩さないためには、強い印象が必要だ。嘘を誤魔化せるだけの……

「ああ、僕のような者を見たことありませんよね。僕は環樹なんですけど、外の国へ出たことがほとんどないんです。といって、どうも仮面舞踏会なんて大層な名前のものは似合わなくて」

 言いながら、仮面を外した。
 素顔を見せる、仮面舞踏会の参加者としても忍びとしてもこれ以上の油断はないだろう。だからあえてさらした。
 もちろん、危険だ。素顔ではないが、鋭い者が見れば化粧の類の下にある特徴を読み取られる危険がある。つまり素の僕だ。只者ではないと分かっている相手に顔を知られるなど、どれだけ愚かかなど分かっている。
 それでも、疑いを消すにはこうするしかなかった。そう割り切るしかない。
 さて、相手はどう出る?



「……ははっ。確かに、このままでは暑苦しいですね」

 夏冬は破顔して、仮面を……僕と同じように、はぎ取った。



 顔を晒した以上、お互いこれから知らぬ仲ではいられない。そんなことは、僕も彼も分かっている。
 顔見知りになるかどうか。その決定権は、彼の方にあった。僕と関わりたくなければ、顔を晒さずに去れば良い。また会っても、僕が彼を見分けられない以上知らぬ振りができる。
 だが、彼は、僕に顔を見せて、今、覚えさせている。
 僕の何が利用できると思われたのか分からない。もしかしたら、無能を演じたお陰で、簡単に騙せそうだと思ったのだろうか? いずれにせよ、ただの駒としてだったとしても、一定の評価は得たらしい。
 ここで終わりの関係ではなく、これから時間をかけて腹の内を探り合っていく。お互いがそう決めたのだ。

「実は今日、私はただ数合わせに連れて来られただけでして。霜月さん同様、詳しくないんです」

 この男の悪意の深さから、その程度の小物でないのは明らかだったが、僕は何も言わなかった。
 男の態度には自信が感じられる。おそらく、言動や振る舞いに失敗したところはないのだろう。
 つまり僕は、彼が言う通りの人間ではないことに、その悪意に、。そんな様子を見せてはいけないのだ。

「僕も、ただの下の末にいる忍びです。まだ、この舞踏会にも出たことが無かったくらいの、駆けだしですけどね」

 多少言い方が悪いかもしれないが、嘘は吐いていないはずだ。少なくとも、自分で大物だとは思わない。

「えっと、それで、夏冬さんはどちらの国の人なんですか?」
「実はですね。……露霧、なんです」

 霜月という人格を考えて、あえてとぼけておくと、意外な答えが返ってきた。

「えっ、あの、最近国を開いた?」
「はい。今頃、露霧からも忍びが来ていることが明かされてあちらも盛り上がっているところだと思いますよ」

 夏冬は会場の方向を示すと、微笑んだ。
 ……最初から、明かす気だったのか。劇的な演出をすることで、舞踏会に参加している各国に露霧という国を強く印象付ける狙いがあったのだろう。何より、記録に残る形で参加したことになる。無理に入り込むような形になっているのが気になるが、おそらくそこにも対策は打ってあるのだろう。一部だけの受付か運営には、話を通してあったのかもしれない。いずれにせよ、は今頃忙しくしているだろう。

「そうなんですね、面白い。露霧国の方とお会いするのは初めてです」

 これは嘘だ。露霧のことは探りたいとは思っていたが、現れたこともこの趣向も面白いとは思わない。そして、露霧国らしき刺客は、まれに見ることがある。

「僕もです。最初に会ったのが貴方で良かった」
「また会えるといいですね」
「はは、でも次の機会、来年の舞踏会かもしれませんね」
「いえ。……案外、すぐに会えるかもしれません」

 何かそんな用件があっただろうか?

「実は、ここだけの話なのですが」

 夏冬が、耳に口を寄せた。お互いの髪が少し重なり合って、動く。

「近いうちに、環樹国の皆さんをお呼びして忍び同士での合同練習が企画されているとか」
「そうなんですか? 全然知りませんでした」

 明るい声を崩さないよう言ったが、内心は驚きでいっぱいだった。他国に自国の忍びを晒すようなこと、これまでされた試しがない。そのうえ、その計画を僕は全く聞いたことがなかった。

「夏冬さん、詳しいんですね」
「いえいえ、たまたま噂が聞こえてきたもので。ああ、でも、秘密にしておいてくださいね? もし噂が間違っていたら恥ずかしいので」

 穏やかな表情ひとつ揺るがさず、彼は言ってのけた。あくまでも僕と同じく、何も知らないと貫き通す気らしい。
 この男、こんな情報を持っているところをみると、かなりの上役の可能性もある。

「はい、秘密ですね」

 僕は笑顔で言った。

「……あ、ちょっと具合が良くなってきたかもしれません」

 これは嘘ではない。「響」にはもともと慣れのようなものがあって、本当はどれだけ強くとも1分くらいで落ち着くものなのだ。
 ただ、この男の悪意は強すぎて、慣れるのに時間が掛かった。感覚からして、およそ半刻(一時間)。これだけの間、この痛みを持続させる悪意を抱えているのだ、目の前の男は。
 何者だというのか。

「それでは、もう少し付き添いいたしたいのですが、少し挨拶回りをしなければならないもので……」

 そう言って、彼は身を起こす。それまでずっと、僕の近くに顔を寄せたままだったのだ。

「はい、またいつか……夏冬さん」

 僕もゆっくりと柔椅子から背を持ち上げた。回復した、と印象付けるためだ。これで去りやすくなるだろう。
 彼は仮面をまた着けて、最後にちらと僕を振り返ると薄く笑った。

「また会いましょう、霜月さん」



「……っはあ……」

 完全に響が消えたのを感じ取ると、僕は弱々しい息を吐いて、もう一度倒れ込んだ。ずっと感じていた痛みから解放されたことで、妙に頭が軽く、ふわふわする。

 僕は、彼にどんな人間だと思われたのだろうか?
 最後に見た彼の目を思い出す――正確には、目の形をした悪意の塊を。
 きっと去り際で、ほんの少し、注意が逸れていたのだろう。その瞬間に、どっと痺れるような、黒い霧のようなものが押し寄せてきた、ような気がした。まるで悪意そのものを、夏冬がもてあそんでいるかのように。仮面をつけていて無駄な情報が無かったのも、はっきりと感じられた一因かもしれない。
 あくまでも優しげだったけれど、慈悲の欠片も感じられない、目。僕を骨の髄まで利用しようとする者たちと、同じ目だった。

 これから、きっとあの男と何度も会うことになる。そして会わなくなる時は、僕が使い捨てられるか、いざ露霧を白日の下に晒すため、あの男を倒すときだ。そんな気がした。
 覚悟を決めなければならない。
 今はただ、その次の機会に備えることしかできない。少しだけ、目を閉じる。



 そして、体を跳ね上げた。

「……!」

 素早く身を起こして、柔椅子から降り、片膝をつく。
 先ほどまで夏冬の居た向かいの柔椅子に、いつの間にか、一人のお方がお掛けになっていた。
 化粧を施してもいかな衣装で顔と体を覆っても、このお方のことを間違えるはずがない。神々しさを、隠しきれない。

「お見苦しいところをお見せしました、『さばき』」

 僕は深くこうべを垂れた。

「良い。顔を上げておくれ、我が子よ。いつものように」

 裁の国の長である、「裁」こと、つかさ様が、いらしていた。

「……直接、司様がお越しになるとは」
「お主の姿をこの目で見たくなってのぅ」
「もったいないことでございます」

 あいつの前では興味がないふりをした。誰の前でも、このような態度を見せたことはない。誰にも明かすことはできない秘め事だ。
 僕は、本当は環樹の国の者ではない。幼い頃、死ぬばかりで倒れていたところを、司様に拾い、育てて頂いた裁の国の養い子だ。
 司様は僕のような者にも実の子と変わらぬ愛情を注ぎ、育てて下さった。今も「我が子」と呼び、気にかけてくださる。僕は、司様の恩義に報いたくて、忍びの技を学び、環樹の国に入り込んでいる。いわば、環樹と、幽理ゆうり海をめぐる地の様子を探る密偵だ。

「環樹はどうじゃ?」
「今のところ安定してはおりますが、気になることがあります」
「露霧、じゃな」

 僕は深くうなずいた。

「今日、露霧の者と接触しました」

 僕は手早く聞き出した情報を伝えると、最後に、

「あの者の悪意は、かつて感じたことのない、比べることもできぬほど深いものでした」

 感じたことを加えた。

「……まったく、お主は」

 司様は軽く微笑まれる。

「一人でそのような者に挑みおって、顔も見せたというか」
「申し訳ありません」
「己を大切にせよ。わしがお主をどれだけ代えがたいものに思っておるか、まだ分からぬようじゃの」
「もったいのうございます」
「頼れるものもおるのじゃろう? 信じすぎることはないが、荷をいくらか分けてやれ。お主は独りで背負いすぎておる」
「……はい」
「もし危ういことがあれば、儂を頼り、裁を頼ると良い。いつでもお主は裁国の我が子じゃ」
「ありがとうございます」
「では、の。次こそは報告だけでなく環樹での楽しい出来ごとなどお主の口から聞きたいものじゃ」

 僕は再び頭を下げて、去る司様を見送った。





「よう。どうだった?」

 会場を引き上げて間もなく、が狭い街路の闇から声だけを僕へ掛けてきた。僕ははたから怪しく見えないよう、近くの柱に寄り掛かって時計を見る。

「最悪だった」

 思いつく限り短く、口を動かさずに言うと、「ははっ」と明るい笑い声が帰ってきた。

「生きて帰って来てくれて何よりだ」

 冗談だろうか。特に返す言葉が思いつかなかったので、反応しないことにした。

「……露霧の者に会った」
「そりゃそうだろうな。感触は?」
「当たった」
「お前が言うってことは、相当なんだろうな?」
「ああ」
「……っと、悪い、そろそろ行く。また後で聞かせてくれ」

 音も立てずに闇から気配が完全に消えた。僕も、数秒待ってから自然な仕草で歩き出す。
「当たる」というのは、あいつと僕の間だけの表現だ。その意味は、「強く響いた」……つまり、危険な者を見つけた、ということ。
 あいつは、僕の体質のことを知っている数少ない人間だ。ただの同輩に話すつもりではなかったのだが、何故かいつの間にか知られて、聞き出されていた。
 あいつのことは、好きじゃない。ただ、あいつが勝手に僕に関わろうとするだけだ。

「……『頼れる者』か」

 人の危険を背負おうとするあいつのことは、好きじゃない。僕もまた、闇へ向かって歩き出した。


(……そういえば)

 夏冬に、薔薇ばらについて何も説明をしていなかった。聞かれたら「口に薔薇が刺さったのにも気づかないほど気分が悪かったようです」などと言い訳するつもりだったのだが、気にしなかったのだろうか。といって、これから後、聞く機会があるとも思えなかった。
 、衆しゅの道があると思われては、困る。普通の男なら避けるだろうし、もし夏冬も衆の道に足を踏み入れているなら……。

(困る)

 僕は胸を押さえた。胸だ。もちろん下には、何もついていない。
 司様が過剰なほどに僕に気をかけてくださるのは、こういうわけだ。不意を打って襲われでもしたら、僕が女であることが分かってしまう。

(慎重にならなければ)

 秘め事は秘めてこそ意味がある。僕は深く息をついた。今なら、月夜に溶けて消える。





ヰヰヰヰヰヰヰ

「ああ。もちろん終わったよ、は。そう伝えておいてくれ」

 その口調はとても穏やかで、橋の欄干にもたれ、雲一つない月夜の光を浴びた姿は、甘い空気すら漂わせる。
 その直下、川に小舟を浮かべて、全身を黒く染めた人影が、彼の話を聞いて小さく口を開く。

「花の鮮度は、如何でしたか?」
「あの程度の赤薔薇ロザ手折たおってもたのしくはない。次からは出向く価値のある花を手向たむけろ」
「……」
「それに引き換え、さすがは環樹だ。見事な青薔薇だった」

 一瞬強い口調になった男は、すぐに声を和らげると恋の詩歌をうたうような調子で言の葉を吐いた。

「……環樹の産品の青薔薇は、我が国にも輸入はいっております」
「その薔薇じゃない。先程から言っている『薔薇』だ」

 一片ひとひら二片ふたひら、青薔薇の花弁はなびらが散った。

「霜月」

 愉しげに、誰にも知られずに散った。
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