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零参 欄干擬宝珠に駆引きの舞
一刀 (20/5/30研直し)
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「……では、担当を配る」
環樹国いちの忍び衆「墨染」の詰め所、天守閣から数えて一の堀と二の堀の間では、今日も朝から長の陽炎さんが声を張り上げている。僕はいつもの通り、渡された帳面を受け取った。つい先日「稲妻」の件を終わらせたばかりだが、僕自身は怪我もしていないため任務を受けるのに問題はない。軽くめくって見る。
(……二人の任務? しかも……)
いつも独りの件ばかり与えられる僕には珍しく、数人と関わる事になる。相方となる者を確認して、僕は……そっと、帳面を閉じた。
朝の集会は担当を配れば終わりだ。普段通りならここで解散の声がかかるはずだったが、
「それから、急な話ではあるが……」
陽炎さんが、妙な間を取った。
「最近国を開いた、露霧を知っているな? 仮面舞踏会に加わっていた、あの国だ。今度、そこにある忍び衆『小紫』と合同で訓練を行うことになった。一月後、場所は露霧だ。参加者はある程度定めているが、希望する者はさっさと私に名乗り出ておけ」
「ろ、露霧……?」
「……『小紫』?」
静かだった忍びの間から、ざわめきが漏れた。珍しく陽炎さんが私語を咎めず、黙って見渡すので、囁き合ったり、早速何か書き始めている者もいる。全体を見るに、初耳で困惑している者が多いようだ。
露霧。幽理海を挟んだ隣国虹紀の陸続きの国、つまり隣々国とでもいえる国だ。つい最近まで国を閉ざしていた、知らぬ者には善い国にも見える、国……。
(……露霧との、露霧での、合同練習)
『……近いうちに、環樹国の皆さんをお呼びして忍び同士での合同練習が企画されているとか……』
『……秘密にしておいてくださいね? もし噂が間違っていたら恥ずかしいので……』
耳に蘇る、忘れるはずもない声。忘れるはずもない、響。
僕は静かに息を吐いてから、適当に周囲に合わせて困ったような顔を作った。まだざわめきは、止まない。その中に溶け込む。
「あの……」
前に座る背高の男が、とうとう陽炎さんに向かって声を上げた。あの忍びは、僕もよく知っている者だ。
「どうして急に行うことになったのでしょう? それも遠いのに向こうで、なんて……」
「分からないのか、甲田貴様ぁ!」
「ひぃ! 分かりません!」
「隣国だろうが隣々国だろうが! 墨染のすることは変わらないから、だ! 墨染の印の届くところ、全てを見張り、犯人を捕らえ、犯行を防ぐ。そこに友好国も敵国もなく、関係の無い国も存在しない! 分かったな、甲田ぁ!」
「分かりました!」
「よし、かかれ! 解散!」
今日も一日に十ほどの、問い答えになっているのか分からないようなやり取りを交わして、集会は解散となる。まだ動揺の消えない忍びの合間を縫って、僕は目立たぬよう場を抜け出した。今は誰かに捕まるわけにはいかない。
僕はそのまますぐに、部屋へとって返した。同室のあいつに気づかれていないか気を遣ったが、追けられてはいないようだ。僕は物音に気をつけながら、着流しの合わせの内から小さな水晶を取り出した。親指ほどもないそれを、口に含むと、かすかに光る。
「……司様」
口の中だけで声を出す。
大陸に名高い裁の国では、この石が採れる。双晶という形で出てくるこの石は、異能という特殊な力者が力を込め、割って二つの欠片を互いが持つことで、想いを伝えることができるのだ。片方の石が光ればもう片方も光り、片方が震えればもう片方も震える。つまり、離れた司様に僕が情報を伝えることができるのだ。
「露霧との、合同練習。一月後。環樹からの方針は無し」
それだけ言って水晶を吐くと、光は消えてただの水晶に戻る。僕はすぐに水晶をしまい込んで、部屋を出た。一息つく程度の時間。誰にも気づかれはしないだろう。
部屋を出てから、僕は、自分の任務が記された紙束の帳面を改めて見やる。
紙束の上に重要を示す朱墨はなし。二人の任務、となっているが、中を見るに、他の者にもいくつか頼み事をする必要がある。そう、あまり会いたくはない相手に……。
「ようよう霜月、どこにいる?!」
「浅知恵で逃げようにも話はあがってるんですよ?」
「俺様たちから逃げられると……思うなよ?」
部屋前の廊下にまでやって来た騒々しい声に、僕は隠すことなくため息を吐いた。
蘭茶、烏羽、召鼠。墨染の抱える技術屋集団「椋実衆」の中でも最も騒がしい男三人組「巴」だ。それぞれ組屋、弄り、紛い、という役目。つまり必要な物を作り、直し、整える、という椋実衆の任務を、この三人がいれば一通りこなせる事になる。実際、「巴」は、連携が良く、腕も良い、優秀な組み合わせだと評判だ。……働きぶりだけを見れば。
「よう、この前はちょろりと逃げやがってよお。とりあえず裏来いや?」
すてごろで人を殴り倒す事に生き甲斐を感じる喧嘩狂いの蘭茶。
「おや、こんな所にいたんですか。あまりにも細くて小さくてその貧相な体つきでは気づきませんでしたよ。……おっと、踏むところだった」
他者を見下すことに喜びを覚える烏羽色よりも腹黒の烏羽。
「踏み潰す前に味を見たって良いだろう? 何、男同士も良いもんだ、可愛がってやるよ」
老若男女問わず気に入った者を執拗に狙う色欲の召鼠。
裏でそう呼ばれる、というよりも、もはや自称している彼ら「巴」に会えば、ほぼ誰もが少なからず因縁をつけられる事になる。僕の場合は、三人共に目をつけられているらしい。
(面倒臭い)
思いを顔と態度で隠しもしないまま、僕は帳面から必要な紙を三枚、破って彼らに叩きつける。
「さあて、手足が無事で済むと思ぷぎゃっ」
「そういえば失態を犯したそうじゃないでふばっ」
「ほら、大人しく俺様に全部従ぶへっ」
それぞれ顔面に当ててやれば、前に物語で見た、顔を呪符で隠される死人妖怪の画になんとなく似た様子になる。
「てめー何すんだこんな紙っ……あ? 随分挑戦的なぶつじゃねえかよ、これを俺に作れってか? それがお前の果たし状だな! 受けた!」
「全く、小火なんて起こすような輩は無粋でいけない……ん? この依頼、書いたのは誰です? また彼ですか仔細問い詰めに行かなくては全くこんな杜撰な注文で『弄り』を動かそうなんて……」
「おいおい、ずいぶん情熱的じゃあ……ん、何、何だこの絵は。こんな美しい品、紛うしかないじゃないか!」
……幸いな事に、任務を目に入れれば、彼らは動いてくれる。僕はさりげなく尻を狙ったらしい召鼠の手を避けて、早々に彼らの近くを離れた。
(疲れた……)
目を閉じて少し、彼らを忘れるための時間を取る。この時間を取るとその後が少し楽になる。そして、これ以上は余計な者に会わぬよう、急いで僕はその場を離れ
「ん? 誰が余計な者なんだ?」
「……別に、何も言っていないだろう、紫煙」
僕は、同室のこの男が現れる時の気配を感じ取れた試しがない。檸檬の香りで普段は存在を示してくるくせに、こういう時は不意に現れるから困る。
「まあ、色濃い奴らに紛れて忘れられちゃ困るってだけさ。なんせ今回の件は二人の任務だからな。ご不満かもしれないが」
「……独りでなくとも、与えられた任務は遂行する。それ以外にない」
「ははっ」
紫煙は笑って僕の肩を叩くのだ。僕が女だと、質が異なると知っていながら、告げ口もせず、何一つとして態度を変えることもなく。
「……忘れられるほどに色が薄いのは、忍びとして本望じゃないか」
色の濃すぎる「巴」への軽い怨みと、少しだけ紫煙への皮肉を乗せて言えば、意外にも、
「違いないな」
真面目な調子で頷き返された。
ヰヰヰヰヰヰヰ
「さて、ここだ」
紫煙が僕を連れてきたのは、枯洲川に架かる大橋の一つ、山吹橋だった。この間通っていたえび橋や縹橋よりも、だいぶ上流にある橋だ。山吹というより少し茶がかった色で、酒場が近い。
「……随分と目立つ場所だ」
「昼にはな。夜にはばらけて酔った奴らが通るばかりだ」
「しかし、酒場に来るのは町人ばかりだろう」
「普段はそうだが、たまには刀士の皆様が町人用の酒場に入ることもあるだろう?」
刀士は、忍びと違い武士として国を守る者達のことだ。忍びが調べ事を主に扱うのに対し、戦い事を担う彼らは、常に刀などの武器を持ち歩く事ができる。といっても、忍びも暗器を持ち歩くし、その境目はわりかし曖昧だ。どちらも町人にとっては、少し近寄りがたい存在。町人が主に使う酒場と忍び・刀士のものが分かれているのが良い例か。
「……この付近の酒場には、町人の所に踏み込む物好きな刀士も少なかった覚えがあるんだが」
「つい最近、話が変わったのさ」
紫煙は普通に世間話でもするかのように見える、それでいて、ごく近くの者にしか聞こえない話し方で話し続ける。
「あの酒場に、美人が入ったんだと」
「は?」
「本気で言ってるからな。美人が一人勤めるようになって、近くの独り身の刀士の皆様が毎晩いらっしゃるようになったのさ。それと同時に、近くの山吹橋で小競り合いが多くなった」
紫煙は片目を瞑ってみせる。うぃんくと呼ぶ仕草らしい。何故今したのかは謎だ。
「……何というか」
「まあ十中八九その美人さんを巡っての事なんだろうよ。……で、おまけに、同じ頃に広がった噂だ。『どこぞの黄色い橋で月夜に、擬宝珠の上に飛び乗ると、落ち武者の亡霊が現れて斬りかかってくる』らしいぜ? 訴えがいくつも届いてる、早く亡霊を討伐してくれってな」
「……くだらない」
僕は欄干に掛けた手に力を込め、近くにあった金ね製の橋の飾り、擬宝珠の上の宝珠に飛び乗った。尖った先に片足を載せる。
「おお」
「これで、何が起きるというんだ? 雷でも降って来なければ、滑り落ちる危険しか感じないな。ふざけて乗った者が落ちて怪我をしたのを大袈裟に話している可能性は?」
「お前、罰当たりだとか考えないんだな」
「葱の頭を模した飾りにまで罰当たりだとか考える方が考え過ぎだ」
僕は余計な見物人が近づく前に、と飛び降りた。特に降りるのに苦労は感じない。そもそも降りられる算段がなければ登ったりなどしなかったが。
「お前の言いたい事は分かる。実際、寄せられてる話のほとんどは大した事ない怪我だからな。だが」
紫煙は帳面を閉じて、表紙を、ぽん、と叩く。
「この橋からどう落ちたって刀傷はできない。その数件については調べなきゃあいけないだろう?」
僕は頷く。あくまでも、今回の任務は表紙に書かれた通り、刃傷沙汰の調査だ。
初めは刀士の喧嘩かと紫煙だけで当たっていたそうだが、町人が不自然に刀傷を負う件がいくつか現れた。話を聞けば皆揃って「落ち武者の亡霊」だ。危険もあり、独りでは扱えないと判断されたらしい。
「……しかし、それでなぜ、僕が?」
「危ない任務を首振り一つで受けてくれるのがお前しかいなかったんじゃないか?」
「しかし適任とは思えないな」
「後は、普段から刀士にも負けず劣らず色々持ち歩いてるから、なんてな」
「……」
こいつと話すと、調子が狂う。
「どこから始めるつもりだ?」
「昼よりも夜の張り込みに気を使うべきだろ? で、俺はさっき言った、近くの酒場の競り合いがこの件に関わっていると見てる。酒場が閉まるまでは酒場に一人、橋に一人。酒場が閉まってからは橋に二人で張り込もうぜ」
「……夜は、そうだな」
「それから、ほい」
どこから出したのか、木の板を手渡される。
「『橋の欄干に上るべからず』って、一応札を掛けとけ、ってお達しだ」
「ないよりはましだな」
それを四箇所ほどに留めてしまえば、橋の上でやる事は無くなってしまった。
「橋の上だけじゃない。聞き込みもある程度済ませちまったし、本当、昼はやる事無いんだよな」
「……それでこの前、昼から詰め所に居たのか」
「そういう事だ」
「それでこの前、別件にも手を出していたわけか」
「……はは、そういう事だ」
煙管も持っていないのに、紫煙はくるりと回す仕草をした。その仕草が、妙に苛立つ。
「って訳で、今晩からの作戦でも話しに、またこの間の甘味屋でも行こうぜ」
「行かない」
「おいおい拗ねるなって。奢るぜ」
「借りを作る必要はない。それに、誰が聞いているかも分からない所で話す事などない」
この前、甘味屋で秘め事を暴かれた不満を込めて言うと、紫煙は肩をすくめた。
「よし、なら折半で、ただの茶飲み話でもしに行こうか」
「いや僕は」
「ここからあの茶屋までの間に、ちょいと面白い抜け道を見つけたんだよな。多分お前さんはまだ気づいていないと思うんだが」
「何?」
「行くよな?」
「……分かった」
僕はまだ、こいつに勝てそうにない。
環樹国いちの忍び衆「墨染」の詰め所、天守閣から数えて一の堀と二の堀の間では、今日も朝から長の陽炎さんが声を張り上げている。僕はいつもの通り、渡された帳面を受け取った。つい先日「稲妻」の件を終わらせたばかりだが、僕自身は怪我もしていないため任務を受けるのに問題はない。軽くめくって見る。
(……二人の任務? しかも……)
いつも独りの件ばかり与えられる僕には珍しく、数人と関わる事になる。相方となる者を確認して、僕は……そっと、帳面を閉じた。
朝の集会は担当を配れば終わりだ。普段通りならここで解散の声がかかるはずだったが、
「それから、急な話ではあるが……」
陽炎さんが、妙な間を取った。
「最近国を開いた、露霧を知っているな? 仮面舞踏会に加わっていた、あの国だ。今度、そこにある忍び衆『小紫』と合同で訓練を行うことになった。一月後、場所は露霧だ。参加者はある程度定めているが、希望する者はさっさと私に名乗り出ておけ」
「ろ、露霧……?」
「……『小紫』?」
静かだった忍びの間から、ざわめきが漏れた。珍しく陽炎さんが私語を咎めず、黙って見渡すので、囁き合ったり、早速何か書き始めている者もいる。全体を見るに、初耳で困惑している者が多いようだ。
露霧。幽理海を挟んだ隣国虹紀の陸続きの国、つまり隣々国とでもいえる国だ。つい最近まで国を閉ざしていた、知らぬ者には善い国にも見える、国……。
(……露霧との、露霧での、合同練習)
『……近いうちに、環樹国の皆さんをお呼びして忍び同士での合同練習が企画されているとか……』
『……秘密にしておいてくださいね? もし噂が間違っていたら恥ずかしいので……』
耳に蘇る、忘れるはずもない声。忘れるはずもない、響。
僕は静かに息を吐いてから、適当に周囲に合わせて困ったような顔を作った。まだざわめきは、止まない。その中に溶け込む。
「あの……」
前に座る背高の男が、とうとう陽炎さんに向かって声を上げた。あの忍びは、僕もよく知っている者だ。
「どうして急に行うことになったのでしょう? それも遠いのに向こうで、なんて……」
「分からないのか、甲田貴様ぁ!」
「ひぃ! 分かりません!」
「隣国だろうが隣々国だろうが! 墨染のすることは変わらないから、だ! 墨染の印の届くところ、全てを見張り、犯人を捕らえ、犯行を防ぐ。そこに友好国も敵国もなく、関係の無い国も存在しない! 分かったな、甲田ぁ!」
「分かりました!」
「よし、かかれ! 解散!」
今日も一日に十ほどの、問い答えになっているのか分からないようなやり取りを交わして、集会は解散となる。まだ動揺の消えない忍びの合間を縫って、僕は目立たぬよう場を抜け出した。今は誰かに捕まるわけにはいかない。
僕はそのまますぐに、部屋へとって返した。同室のあいつに気づかれていないか気を遣ったが、追けられてはいないようだ。僕は物音に気をつけながら、着流しの合わせの内から小さな水晶を取り出した。親指ほどもないそれを、口に含むと、かすかに光る。
「……司様」
口の中だけで声を出す。
大陸に名高い裁の国では、この石が採れる。双晶という形で出てくるこの石は、異能という特殊な力者が力を込め、割って二つの欠片を互いが持つことで、想いを伝えることができるのだ。片方の石が光ればもう片方も光り、片方が震えればもう片方も震える。つまり、離れた司様に僕が情報を伝えることができるのだ。
「露霧との、合同練習。一月後。環樹からの方針は無し」
それだけ言って水晶を吐くと、光は消えてただの水晶に戻る。僕はすぐに水晶をしまい込んで、部屋を出た。一息つく程度の時間。誰にも気づかれはしないだろう。
部屋を出てから、僕は、自分の任務が記された紙束の帳面を改めて見やる。
紙束の上に重要を示す朱墨はなし。二人の任務、となっているが、中を見るに、他の者にもいくつか頼み事をする必要がある。そう、あまり会いたくはない相手に……。
「ようよう霜月、どこにいる?!」
「浅知恵で逃げようにも話はあがってるんですよ?」
「俺様たちから逃げられると……思うなよ?」
部屋前の廊下にまでやって来た騒々しい声に、僕は隠すことなくため息を吐いた。
蘭茶、烏羽、召鼠。墨染の抱える技術屋集団「椋実衆」の中でも最も騒がしい男三人組「巴」だ。それぞれ組屋、弄り、紛い、という役目。つまり必要な物を作り、直し、整える、という椋実衆の任務を、この三人がいれば一通りこなせる事になる。実際、「巴」は、連携が良く、腕も良い、優秀な組み合わせだと評判だ。……働きぶりだけを見れば。
「よう、この前はちょろりと逃げやがってよお。とりあえず裏来いや?」
すてごろで人を殴り倒す事に生き甲斐を感じる喧嘩狂いの蘭茶。
「おや、こんな所にいたんですか。あまりにも細くて小さくてその貧相な体つきでは気づきませんでしたよ。……おっと、踏むところだった」
他者を見下すことに喜びを覚える烏羽色よりも腹黒の烏羽。
「踏み潰す前に味を見たって良いだろう? 何、男同士も良いもんだ、可愛がってやるよ」
老若男女問わず気に入った者を執拗に狙う色欲の召鼠。
裏でそう呼ばれる、というよりも、もはや自称している彼ら「巴」に会えば、ほぼ誰もが少なからず因縁をつけられる事になる。僕の場合は、三人共に目をつけられているらしい。
(面倒臭い)
思いを顔と態度で隠しもしないまま、僕は帳面から必要な紙を三枚、破って彼らに叩きつける。
「さあて、手足が無事で済むと思ぷぎゃっ」
「そういえば失態を犯したそうじゃないでふばっ」
「ほら、大人しく俺様に全部従ぶへっ」
それぞれ顔面に当ててやれば、前に物語で見た、顔を呪符で隠される死人妖怪の画になんとなく似た様子になる。
「てめー何すんだこんな紙っ……あ? 随分挑戦的なぶつじゃねえかよ、これを俺に作れってか? それがお前の果たし状だな! 受けた!」
「全く、小火なんて起こすような輩は無粋でいけない……ん? この依頼、書いたのは誰です? また彼ですか仔細問い詰めに行かなくては全くこんな杜撰な注文で『弄り』を動かそうなんて……」
「おいおい、ずいぶん情熱的じゃあ……ん、何、何だこの絵は。こんな美しい品、紛うしかないじゃないか!」
……幸いな事に、任務を目に入れれば、彼らは動いてくれる。僕はさりげなく尻を狙ったらしい召鼠の手を避けて、早々に彼らの近くを離れた。
(疲れた……)
目を閉じて少し、彼らを忘れるための時間を取る。この時間を取るとその後が少し楽になる。そして、これ以上は余計な者に会わぬよう、急いで僕はその場を離れ
「ん? 誰が余計な者なんだ?」
「……別に、何も言っていないだろう、紫煙」
僕は、同室のこの男が現れる時の気配を感じ取れた試しがない。檸檬の香りで普段は存在を示してくるくせに、こういう時は不意に現れるから困る。
「まあ、色濃い奴らに紛れて忘れられちゃ困るってだけさ。なんせ今回の件は二人の任務だからな。ご不満かもしれないが」
「……独りでなくとも、与えられた任務は遂行する。それ以外にない」
「ははっ」
紫煙は笑って僕の肩を叩くのだ。僕が女だと、質が異なると知っていながら、告げ口もせず、何一つとして態度を変えることもなく。
「……忘れられるほどに色が薄いのは、忍びとして本望じゃないか」
色の濃すぎる「巴」への軽い怨みと、少しだけ紫煙への皮肉を乗せて言えば、意外にも、
「違いないな」
真面目な調子で頷き返された。
ヰヰヰヰヰヰヰ
「さて、ここだ」
紫煙が僕を連れてきたのは、枯洲川に架かる大橋の一つ、山吹橋だった。この間通っていたえび橋や縹橋よりも、だいぶ上流にある橋だ。山吹というより少し茶がかった色で、酒場が近い。
「……随分と目立つ場所だ」
「昼にはな。夜にはばらけて酔った奴らが通るばかりだ」
「しかし、酒場に来るのは町人ばかりだろう」
「普段はそうだが、たまには刀士の皆様が町人用の酒場に入ることもあるだろう?」
刀士は、忍びと違い武士として国を守る者達のことだ。忍びが調べ事を主に扱うのに対し、戦い事を担う彼らは、常に刀などの武器を持ち歩く事ができる。といっても、忍びも暗器を持ち歩くし、その境目はわりかし曖昧だ。どちらも町人にとっては、少し近寄りがたい存在。町人が主に使う酒場と忍び・刀士のものが分かれているのが良い例か。
「……この付近の酒場には、町人の所に踏み込む物好きな刀士も少なかった覚えがあるんだが」
「つい最近、話が変わったのさ」
紫煙は普通に世間話でもするかのように見える、それでいて、ごく近くの者にしか聞こえない話し方で話し続ける。
「あの酒場に、美人が入ったんだと」
「は?」
「本気で言ってるからな。美人が一人勤めるようになって、近くの独り身の刀士の皆様が毎晩いらっしゃるようになったのさ。それと同時に、近くの山吹橋で小競り合いが多くなった」
紫煙は片目を瞑ってみせる。うぃんくと呼ぶ仕草らしい。何故今したのかは謎だ。
「……何というか」
「まあ十中八九その美人さんを巡っての事なんだろうよ。……で、おまけに、同じ頃に広がった噂だ。『どこぞの黄色い橋で月夜に、擬宝珠の上に飛び乗ると、落ち武者の亡霊が現れて斬りかかってくる』らしいぜ? 訴えがいくつも届いてる、早く亡霊を討伐してくれってな」
「……くだらない」
僕は欄干に掛けた手に力を込め、近くにあった金ね製の橋の飾り、擬宝珠の上の宝珠に飛び乗った。尖った先に片足を載せる。
「おお」
「これで、何が起きるというんだ? 雷でも降って来なければ、滑り落ちる危険しか感じないな。ふざけて乗った者が落ちて怪我をしたのを大袈裟に話している可能性は?」
「お前、罰当たりだとか考えないんだな」
「葱の頭を模した飾りにまで罰当たりだとか考える方が考え過ぎだ」
僕は余計な見物人が近づく前に、と飛び降りた。特に降りるのに苦労は感じない。そもそも降りられる算段がなければ登ったりなどしなかったが。
「お前の言いたい事は分かる。実際、寄せられてる話のほとんどは大した事ない怪我だからな。だが」
紫煙は帳面を閉じて、表紙を、ぽん、と叩く。
「この橋からどう落ちたって刀傷はできない。その数件については調べなきゃあいけないだろう?」
僕は頷く。あくまでも、今回の任務は表紙に書かれた通り、刃傷沙汰の調査だ。
初めは刀士の喧嘩かと紫煙だけで当たっていたそうだが、町人が不自然に刀傷を負う件がいくつか現れた。話を聞けば皆揃って「落ち武者の亡霊」だ。危険もあり、独りでは扱えないと判断されたらしい。
「……しかし、それでなぜ、僕が?」
「危ない任務を首振り一つで受けてくれるのがお前しかいなかったんじゃないか?」
「しかし適任とは思えないな」
「後は、普段から刀士にも負けず劣らず色々持ち歩いてるから、なんてな」
「……」
こいつと話すと、調子が狂う。
「どこから始めるつもりだ?」
「昼よりも夜の張り込みに気を使うべきだろ? で、俺はさっき言った、近くの酒場の競り合いがこの件に関わっていると見てる。酒場が閉まるまでは酒場に一人、橋に一人。酒場が閉まってからは橋に二人で張り込もうぜ」
「……夜は、そうだな」
「それから、ほい」
どこから出したのか、木の板を手渡される。
「『橋の欄干に上るべからず』って、一応札を掛けとけ、ってお達しだ」
「ないよりはましだな」
それを四箇所ほどに留めてしまえば、橋の上でやる事は無くなってしまった。
「橋の上だけじゃない。聞き込みもある程度済ませちまったし、本当、昼はやる事無いんだよな」
「……それでこの前、昼から詰め所に居たのか」
「そういう事だ」
「それでこの前、別件にも手を出していたわけか」
「……はは、そういう事だ」
煙管も持っていないのに、紫煙はくるりと回す仕草をした。その仕草が、妙に苛立つ。
「って訳で、今晩からの作戦でも話しに、またこの間の甘味屋でも行こうぜ」
「行かない」
「おいおい拗ねるなって。奢るぜ」
「借りを作る必要はない。それに、誰が聞いているかも分からない所で話す事などない」
この前、甘味屋で秘め事を暴かれた不満を込めて言うと、紫煙は肩をすくめた。
「よし、なら折半で、ただの茶飲み話でもしに行こうか」
「いや僕は」
「ここからあの茶屋までの間に、ちょいと面白い抜け道を見つけたんだよな。多分お前さんはまだ気づいていないと思うんだが」
「何?」
「行くよな?」
「……分かった」
僕はまだ、こいつに勝てそうにない。
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状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
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