江戸夢草紙 〜仇討ちから始まる町人革命〜

鈴武謙

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石川屋襲撃と父の影

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芝での商いが成功を収めた数日後――
惣一郎は信次郎と共に、乾物問屋・石川屋源左衛門の店へ向かっていた。

「兄ちゃん、本当にあの密書、親父さんと関係あんのか?」

「筆跡に見覚えがある。父が切腹する前、机に置いていた最後の書状。……筆の癖が、まったく同じだった」

密書の警告通り、石川屋には加賀屋の圧力がすでに忍び寄っていた。



「ここの干し貝柱、腐ってたって噂だぞ」「倉庫にネズミが湧いてるらしい」

突如、町に広まった根も葉もない風評。
商売相手の料理屋たちは次々と取引を中止し、石川屋の帳簿は真っ赤に染まっていた。

源左衛門は静かにお茶をすすりながら言った。

「……わしのような老いぼれが、今さら潰れようと、大勢に影響はない」
「何を言っているんですか! 今こそ“真っ当な商い”が必要です!」

惣一郎が立ち上がると、奥から一人の人物が現れた。

「真っ当な商い、ね。そんなものでは加賀屋には勝てんぞ」

それは、源左衛門の旧友であり、かつて惣一郎の父・修斎と対立していた御用商人、高津屋重兵衛(こうづや・じゅうべえ)。

「天野修斎――あの男は“まっすぐすぎた”のだ。貴様も同じ轍を踏むか?」

「……父上は間違っていなかった。正しさが負ける世の中なら、俺が勝つことで証明するだけです」

重兵衛が嘲笑うように言う。

「ならば証明してみせよ。明後日、加賀屋主催の納涼市で、お前が俺を上回ってみせろ」

「納涼市……?」

「江戸城の裏門、御成門前で開かれる祭りだ。将軍家の使者も訪れる。
商人たちの“腕試し”として名高い催しよ。そこに出店することこそ、名誉。だが――」

「加賀屋が出す以上、出展の口は一つだけに決まってる。俺が出れば、お前は出られないということだ」

静まり返る部屋に、重兵衛の高笑いが響いた。



その夜、惣一郎は父の遺書を読み返していた。

《人の正しさは、時に刃より脆い。だが、志は誰にも奪えぬ》

(父上……俺は、同じ轍を踏むつもりはない。だが、敵から逃げるつもりもない)



翌朝。
惣一郎は、奉行所の門を叩いた。

「納涼市への出展――**新たな“催し主”を立てて申請いたしたい」
「催し主だと……? お前は誰の後ろ盾も持たぬ、ただの町人ではないか」

惣一郎は、懐から一通の文書を差し出す。
そこには、芝寺社奉行による“商業振興推薦状”が記されていた。

「これは……!」

芝の町民たちが集まり、惣一郎の商いを支持し、奉行に届けた署名の束。
惣一郎は“町の力”で、加賀屋とは別の枠で出展許可を取りに動いていたのだ。



「これで……出られる」

惣一郎の手が、かすかに震えていた。
だがその背に、確かな声が届く。

「……やるじゃねぇか、兄ちゃん」

信次郎が笑っていた。

「けど、ここからが本番だ。向こうは“将軍の使者”をも動かす化け物だ。俺たちはどうする?」

惣一郎は静かに答えた。

「“楽しさ”で勝つ。“笑顔”で打ち負かす。商いの本質を見せてやる」

そして彼の胸には、亡き父の言葉が再び響いていた。

――正しさを、勝ち取れ。
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