江戸夢草紙 〜仇討ちから始まる町人革命〜

鈴武謙

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納涼市、笑顔の戦場

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八月十五日――江戸城裏門・御成門前。
年に一度、町人も武士も商人も一堂に会する「納涼市」の幕が上がった。
色とりどりの屋台が並び、芸人たちの踊りや囃子が響く。
だが今年は違った。すべての注目は、二つの屋台に集まっていた。

一つは、加賀屋とその配下・高津屋重兵衛による金箔をあしらった豪華な店構え。
一つは、天野惣一郎率いる芝屋台連合の“動く縁日”。

「派手だな、あっちは……」「いや、子ども連れてくならこっちだろ」

客たちがざわつく中、加賀屋の清兵衛が惣一郎の前に立つ。

「江戸の納涼市は甘くない。町民の人気など、上の者には響かぬのだよ」

「……いいや、響くさ。町の声こそが、未来を変えるんだ」



惣一郎の屋台は、前回よりさらに進化していた。

唐辛子団子、くじ引き、射的、冷やし飴。
そこに加え、“移動舞台”による芝居小屋まで備えられていた。

舞台では、子どもたちが笑い転げる寸劇が繰り広げられる。
主役は信次郎。滑稽な“暴れ天狗”役に扮し、観客を笑わせる。

「将軍様の使者が来る? だったらなおさら、江戸の“今”を見せてやるさ!」

惣一郎の狙いは明確だった――

「“豪華さ”ではなく、“人の心”で勝つ」



やがて、将軍家の使者一行が到着する。

使者の名は稲葉大和守正則(いなば・やまとのかみ・まさのり)。
表情一つ動かさぬ冷厳な男で、加賀屋と古くからの繋がりを持っていた。

「商いとは、秩序を守るもの。笑いや遊びなど、軽薄の極みだな」

加賀屋の屋台で酒と肴を受け取ると、静かに言い放つ。
惣一郎の屋台にも足を運ぶが、無言のまま団子を一つ手にする。

(……やはり、“笑顔”では通じぬのか)

そのとき――。

「おじちゃん、団子美味しい?」

小さな女の子が、使者に声をかけた。
使者が答えに窮していると、信次郎が舞台から飛び出してきた。

「おうおう! そっちの立派なお侍さん、なんだか怖い顔してるじゃねぇか!
まさか、うちの団子が辛すぎて、舌が死んだってんじゃ――!」

どっと笑いが起きる。
そして――使者が、微かに笑った。

「……団子の辛さではなく、心の温かさにほだされたようだ」



その夜。
使者は町奉行に書状を渡した。

《芝の新商いは、江戸に新風を吹き込むものなり。
民の喜びこそ、商の本懐である。推薦す》

惣一郎の名は、ついに幕府の記録に記されることとなった。



「勝ったな、兄ちゃん!」
「……いや、始まったばかりだ。俺たちの“逆転劇”は、ここからだ」

だが――。

祭りの片づけが終わるころ、惣一郎のもとに一本の書状が届く。

《天野惣一郎殿
父・修斎殿の冤罪に関し、改めて話し合いたい。
夜、神田明神裏の屋敷にて待つ――
――堀内玄蕃》

加賀屋の背後にいた、幕府の黒幕からの招待状。
惣一郎の“宿命”が、ついに姿を現した。
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