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第11話 埃まみれの図書室
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その日、私は屋敷の北側にある図書室の扉を開けた。
暇つぶしに本でも読もうかと思ったのだが、扉を開けた瞬間に舞い上がったのは、知識の香りではなく、物理的な埃の壁だった。
「ごほっ、ごほっ! ……これは凄い」
広大な吹き抜けの空間に、天井まで届く本棚。
本来なら圧巻の光景なのだろうが、今はすべての本が灰色の綿埃に埋もれ、蜘蛛の巣がシャンデリアのように垂れ下がっている。
貴重な古書もカビの危機だ。本好きの私としては見過ごせない。
「本の虫干し、やっちゃいましょう」
私は気合を入れて指を鳴らした。
『書庫修復』
私の魔力が、数万冊の本を一斉に包み込む。
パラパラパラ……と、無数の本がひとりでに開き、ページの間に入り込んだ埃を吐き出す。
湿気で歪んでいた表紙はピシッと張りを取り戻し、虫食いの穴は修復され、金文字のタイトルが輝きを取り戻していく。空中に舞い上がった塵は、ひとまとめにして窓の外へポイッ。
「ふぅ、スッキリ。これで気持ちよく読書ができるわ」
綺麗になった本棚を眺めていると、一冊の分厚い古書が目についた。
『ダリウス公爵家・年代記』。
黒い革表紙のその本だけ、なぜか私の浄化魔法を弾くような重い気配を纏っていたのだ。
「……これ、レオンハルト様の家のこと?」
好奇心に駆られ、私はその本を手に取った。
ページを捲ると、そこには公爵家の歴史と共に、あの「呪い」の起源が記されていた。
――三百年前、初代当主が『黒竜』を討伐した際、その返り血と共に強力な呪詛を受けた。呪いは代々受け継がれ、当主の体を蝕み、周囲に災厄(瘴気)を撒き散らす。
解呪の方法はただ一つ。『純粋なる浄化の光』を持つ聖女による、魂の洗浄のみ。
「純粋なる、浄化の光……」
私は文字を指でなぞった。
王城では、私の魔法は「地味な掃除」だと笑われた。聖女として求められていたのは、ミリア様のような派手な発光現象や、攻撃魔法だったからだ。
けれど、もしこの本が真実なら。
本当に必要な力は、汚れを落とし、あるべき姿に戻す、私のこの力だったのではないだろうか。
「……何を読んでいる」
不意に背後から影が落ちた。
ビクリとして振り返ると、レオンハルト様が痛ましげな表情で立っていた。
彼は私の手にある本を見て、自嘲気味に口元を歪めた。
「読んだか。……そうだ、俺は呪われた化け物の末裔だ。いずれこの瘴気に飲み込まれ、理性を失い、黒竜のように暴れ回る運命にある」
彼は一歩、私から後ずさった。
「屋敷が綺麗になったのは感謝している。だが、俺自身の呪いは……お前の手には負えん。深入りすれば、お前まで黒く染まってしまうぞ」
「レオンハルト様」
私は本をパタンと閉じ、机に置いた。
そして逃げ腰の彼に向かって真っ直ぐに歩み寄る。
「逃げないでください。まだ掃除の途中ですよ」
「掃除だと? これはそんな軽いものでは……」
「私にとっては同じです。カビも、埃も、竜の呪いも。そこに『不要な汚れ』があるなら、落とすだけです」
私は躊躇なく手を伸ばし、彼の方に触れた。
ビクリと彼が身を固くする。
今まで誰も触れようとしなかった、瘴気が最も濃く溜まっている場所。
「……っ、よせ! 手が腐り落ちても知らんぞ!」
「腐りません。見てください」
私の手が触れた部分から、ジュワッという音と共に黒い靄が霧散していく。
まるで、熱いお湯で雪を溶かすように。
私の掌からは、いつもの掃除魔法よりも一層温かく、強い光が溢れ出していた。
「あ……」
レオンハルト様の瞳が揺れる。
頬を覆っていた黒い影が消え、本来の美しい肌があらわになる。
私はそのまま、両手で彼の顔を包み込んだ。
「ね? 大丈夫でしょう? 確かに頑固な汚れですけど、毎日少しずつ洗っていけば、きっと全部綺麗になります」
「フローラ……」
「だから、自分を化け物なんて言わないでください。今の貴方は、少し泥んこ遊びをして帰ってきた男の子みたいで、可愛いですよ」
私が悪戯っぽく微笑むと、彼は力が抜けたようにへなへなとその場に膝をついた。
そして、私の腰に腕を回し、顔を埋める。
「……敵わんな、お前には」
震える声が服越しに伝わってくる。
「俺はずっと、この闇の中で孤独に死ぬのだと思っていた。……だが、お前という光を見つけてしまった」
彼は顔を上げ、濡れた赤い瞳で私を見上げた。
その瞳には、かつての冷たい絶望の色はなく、ただ熱情のような強い光が宿っていた。
「もう離さんぞ。お前が俺を綺麗にしてくれるというなら、俺の生涯をかけて、お前を守り抜く」
それは、実質的なプロポーズにも聞こえた。
図書室の窓から差し込む陽光が、埃一つない空間で二人を照らし出している。
私の胸は、魔法を使った時とは違う理由で、トクンと大きく高鳴った。
こうして、私たちは主従関係を超えた、より深い絆で結ばれたのだった。
暇つぶしに本でも読もうかと思ったのだが、扉を開けた瞬間に舞い上がったのは、知識の香りではなく、物理的な埃の壁だった。
「ごほっ、ごほっ! ……これは凄い」
広大な吹き抜けの空間に、天井まで届く本棚。
本来なら圧巻の光景なのだろうが、今はすべての本が灰色の綿埃に埋もれ、蜘蛛の巣がシャンデリアのように垂れ下がっている。
貴重な古書もカビの危機だ。本好きの私としては見過ごせない。
「本の虫干し、やっちゃいましょう」
私は気合を入れて指を鳴らした。
『書庫修復』
私の魔力が、数万冊の本を一斉に包み込む。
パラパラパラ……と、無数の本がひとりでに開き、ページの間に入り込んだ埃を吐き出す。
湿気で歪んでいた表紙はピシッと張りを取り戻し、虫食いの穴は修復され、金文字のタイトルが輝きを取り戻していく。空中に舞い上がった塵は、ひとまとめにして窓の外へポイッ。
「ふぅ、スッキリ。これで気持ちよく読書ができるわ」
綺麗になった本棚を眺めていると、一冊の分厚い古書が目についた。
『ダリウス公爵家・年代記』。
黒い革表紙のその本だけ、なぜか私の浄化魔法を弾くような重い気配を纏っていたのだ。
「……これ、レオンハルト様の家のこと?」
好奇心に駆られ、私はその本を手に取った。
ページを捲ると、そこには公爵家の歴史と共に、あの「呪い」の起源が記されていた。
――三百年前、初代当主が『黒竜』を討伐した際、その返り血と共に強力な呪詛を受けた。呪いは代々受け継がれ、当主の体を蝕み、周囲に災厄(瘴気)を撒き散らす。
解呪の方法はただ一つ。『純粋なる浄化の光』を持つ聖女による、魂の洗浄のみ。
「純粋なる、浄化の光……」
私は文字を指でなぞった。
王城では、私の魔法は「地味な掃除」だと笑われた。聖女として求められていたのは、ミリア様のような派手な発光現象や、攻撃魔法だったからだ。
けれど、もしこの本が真実なら。
本当に必要な力は、汚れを落とし、あるべき姿に戻す、私のこの力だったのではないだろうか。
「……何を読んでいる」
不意に背後から影が落ちた。
ビクリとして振り返ると、レオンハルト様が痛ましげな表情で立っていた。
彼は私の手にある本を見て、自嘲気味に口元を歪めた。
「読んだか。……そうだ、俺は呪われた化け物の末裔だ。いずれこの瘴気に飲み込まれ、理性を失い、黒竜のように暴れ回る運命にある」
彼は一歩、私から後ずさった。
「屋敷が綺麗になったのは感謝している。だが、俺自身の呪いは……お前の手には負えん。深入りすれば、お前まで黒く染まってしまうぞ」
「レオンハルト様」
私は本をパタンと閉じ、机に置いた。
そして逃げ腰の彼に向かって真っ直ぐに歩み寄る。
「逃げないでください。まだ掃除の途中ですよ」
「掃除だと? これはそんな軽いものでは……」
「私にとっては同じです。カビも、埃も、竜の呪いも。そこに『不要な汚れ』があるなら、落とすだけです」
私は躊躇なく手を伸ばし、彼の方に触れた。
ビクリと彼が身を固くする。
今まで誰も触れようとしなかった、瘴気が最も濃く溜まっている場所。
「……っ、よせ! 手が腐り落ちても知らんぞ!」
「腐りません。見てください」
私の手が触れた部分から、ジュワッという音と共に黒い靄が霧散していく。
まるで、熱いお湯で雪を溶かすように。
私の掌からは、いつもの掃除魔法よりも一層温かく、強い光が溢れ出していた。
「あ……」
レオンハルト様の瞳が揺れる。
頬を覆っていた黒い影が消え、本来の美しい肌があらわになる。
私はそのまま、両手で彼の顔を包み込んだ。
「ね? 大丈夫でしょう? 確かに頑固な汚れですけど、毎日少しずつ洗っていけば、きっと全部綺麗になります」
「フローラ……」
「だから、自分を化け物なんて言わないでください。今の貴方は、少し泥んこ遊びをして帰ってきた男の子みたいで、可愛いですよ」
私が悪戯っぽく微笑むと、彼は力が抜けたようにへなへなとその場に膝をついた。
そして、私の腰に腕を回し、顔を埋める。
「……敵わんな、お前には」
震える声が服越しに伝わってくる。
「俺はずっと、この闇の中で孤独に死ぬのだと思っていた。……だが、お前という光を見つけてしまった」
彼は顔を上げ、濡れた赤い瞳で私を見上げた。
その瞳には、かつての冷たい絶望の色はなく、ただ熱情のような強い光が宿っていた。
「もう離さんぞ。お前が俺を綺麗にしてくれるというなら、俺の生涯をかけて、お前を守り抜く」
それは、実質的なプロポーズにも聞こえた。
図書室の窓から差し込む陽光が、埃一つない空間で二人を照らし出している。
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