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第2話 漆黒の皇帝
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熱のこもった囁きと、私だけを映す深紅の瞳。
ヴァルヘイム帝国の皇帝、カイザー陛下が私の手を取って跪いている。この異常な光景に、水を打ったように静まり返っていた大広間が、再びざわめきを取り戻した。
「か、カイザー陛下……? 人違いではございませんか……?」
かろうじてそれだけを口にするのが精一杯だった。
冷徹と噂される皇帝が、なぜ私のような者に、これほど優しく触れるのだろう。
私の戸惑いを打ち破ったのは、アルフォンス王太子殿下の甲高い声だった。
「カイザー陛下! いくら貴方でも、我が国の者に無礼を働かないでいただきたい! 一体何の茶番ですかな? そいつはただの無能な女だ!」
侮辱に満ちた言葉。しかし、カイザー陛下は私から視線を外すことなく、心底おかしそうに鼻で笑った。
「無能? 茶番を演じているのは貴様の方だろう、小国の王子よ」
「なっ……!」
カイザー陛下はゆっくりと立ち上がると、私の手を握ったまま、アルフォンス殿下を冷然と見据えた。その眼光の鋭さに、殿下が思わずたじろぐ。
「この国が瘴気に侵されず、豊かな実りを保てていたのが、誰のおかげかも知らずによく吠える。貴様らが『無能』と蔑むこの女性が、その身を削ってこの国を守護していた、唯一無二の存在だというのにな」
「何を……訳の分からぬことを!」
「いずれ分かる。手放したものの本当の価値を、貴様は国そのもので味わうことになるだろう」
カイザー陛下の言葉は、まるで未来をすべて見通しているかのような、絶対的な響きを持っていた。
私が、この国を守護? そんなはずがない。私には、人に誇れるような力など何一つ……。
私の混乱をよそに、カイザー陛下は高らかに宣言した。
「エリアーナ嬢は、我が帝国が妃として迎え入れる。もはや貴様らには一片たりとも関わりない」
「き、妃だと!?」
アルフォンス殿下だけでなく、会場中の誰もが息を呑んだ。私も、もちろん例外ではない。
「ふ、ふざけるな! 私が捨てた女だぞ! それを貴国が妃にとは、我が国への侮辱か!」
「侮辱? 違うな。至宝をゴミのように扱った愚か者から、正当な価値を認める者が保護する。ただそれだけのことだ」
カイザー陛下はそう言い放つと、私の腰を優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで引き寄せた。ふわりと上質で落ち着く香りが私を包む。
そして次の瞬間、私の体は軽々と宙に浮いていた。いわゆる、お姫様抱っこというものだ。
「きゃっ……!」
「少し強引で済まないな、我が聖女殿」
耳元で囁かれた甘い声に心臓が大きく音を立てる。
「ま、待て! エリアーナをどこへ連れていくつもりだ!」
アルフォンス殿下が衛兵に目配せするが、皇帝陛下の圧倒的な覇気の前に、誰一人として動けない。
カイザー陛下はそんな者たちをせせら笑うかのように、私を腕に抱いたまま、悠然と大広間を横切っていく。
貴族たちが道を開ける中、私は陛下の胸に顔を埋めることしかできなかった。
王宮の出口に用意されていたのは、ヴァルヘイム帝国の紋章である「黒龍」が刻まれた、壮麗な馬車だった。
陛下は私を抱いたまま馬車に乗り込むと、扉が静かに閉まる。やがて馬車がゆっくりと動き出し、私は生まれ育った王宮から、そして私のすべてを否定した国から、遠ざかっていくのを感じていた。
ヴァルヘイム帝国の皇帝、カイザー陛下が私の手を取って跪いている。この異常な光景に、水を打ったように静まり返っていた大広間が、再びざわめきを取り戻した。
「か、カイザー陛下……? 人違いではございませんか……?」
かろうじてそれだけを口にするのが精一杯だった。
冷徹と噂される皇帝が、なぜ私のような者に、これほど優しく触れるのだろう。
私の戸惑いを打ち破ったのは、アルフォンス王太子殿下の甲高い声だった。
「カイザー陛下! いくら貴方でも、我が国の者に無礼を働かないでいただきたい! 一体何の茶番ですかな? そいつはただの無能な女だ!」
侮辱に満ちた言葉。しかし、カイザー陛下は私から視線を外すことなく、心底おかしそうに鼻で笑った。
「無能? 茶番を演じているのは貴様の方だろう、小国の王子よ」
「なっ……!」
カイザー陛下はゆっくりと立ち上がると、私の手を握ったまま、アルフォンス殿下を冷然と見据えた。その眼光の鋭さに、殿下が思わずたじろぐ。
「この国が瘴気に侵されず、豊かな実りを保てていたのが、誰のおかげかも知らずによく吠える。貴様らが『無能』と蔑むこの女性が、その身を削ってこの国を守護していた、唯一無二の存在だというのにな」
「何を……訳の分からぬことを!」
「いずれ分かる。手放したものの本当の価値を、貴様は国そのもので味わうことになるだろう」
カイザー陛下の言葉は、まるで未来をすべて見通しているかのような、絶対的な響きを持っていた。
私が、この国を守護? そんなはずがない。私には、人に誇れるような力など何一つ……。
私の混乱をよそに、カイザー陛下は高らかに宣言した。
「エリアーナ嬢は、我が帝国が妃として迎え入れる。もはや貴様らには一片たりとも関わりない」
「き、妃だと!?」
アルフォンス殿下だけでなく、会場中の誰もが息を呑んだ。私も、もちろん例外ではない。
「ふ、ふざけるな! 私が捨てた女だぞ! それを貴国が妃にとは、我が国への侮辱か!」
「侮辱? 違うな。至宝をゴミのように扱った愚か者から、正当な価値を認める者が保護する。ただそれだけのことだ」
カイザー陛下はそう言い放つと、私の腰を優しく、しかし有無を言わせぬ力強さで引き寄せた。ふわりと上質で落ち着く香りが私を包む。
そして次の瞬間、私の体は軽々と宙に浮いていた。いわゆる、お姫様抱っこというものだ。
「きゃっ……!」
「少し強引で済まないな、我が聖女殿」
耳元で囁かれた甘い声に心臓が大きく音を立てる。
「ま、待て! エリアーナをどこへ連れていくつもりだ!」
アルフォンス殿下が衛兵に目配せするが、皇帝陛下の圧倒的な覇気の前に、誰一人として動けない。
カイザー陛下はそんな者たちをせせら笑うかのように、私を腕に抱いたまま、悠然と大広間を横切っていく。
貴族たちが道を開ける中、私は陛下の胸に顔を埋めることしかできなかった。
王宮の出口に用意されていたのは、ヴァルヘイム帝国の紋章である「黒龍」が刻まれた、壮麗な馬車だった。
陛下は私を抱いたまま馬車に乗り込むと、扉が静かに閉まる。やがて馬車がゆっくりと動き出し、私は生まれ育った王宮から、そして私のすべてを否定した国から、遠ざかっていくのを感じていた。
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