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第40話 語られる過去、氷の心が溶けた日
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「……寝たか?」
「ええ。モチも子供たちも、遊び疲れてぐっすりですよ」
深夜のリビング。
暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが響く静かな空間で、私とジルベール様はソファに並んで座っていた。
テーブルの上には、私が用意した『ホットワイン』。赤ワインに、シナモン、クローブ、オレンジの皮、そしてたっぷりの蜂蜜を加えて温めたものだ。
湯気と共に立ち上るスパイシーで甘い香りが夜の冷気を優しく溶かしている。
「……美味いな」
ジルベール様がカップを両手で包み込み、一口啜る。
「体が芯から温まる。……昔の私なら、こんな飲み物があることすら知らなかっただろうな」
彼は炎を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
その横顔は、いつもの自信満々な公爵ではなく、どこか儚げで寂しそうに見えた。
「昔の話、聞かせてもらってもいいですか?」
私が尋ねると、彼は静かに頷き、少し自嘲気味に笑った。
「……知っての通り、私は強すぎる魔力を持って生まれた。『氷の魔公爵』などと呼ばれているが、幼い頃の私にとって、その力は呪いでしかなかった」
彼は自分の手を見つめた。
「触れるものを凍らせ、感情が高ぶれば部屋ごと氷漬けにする。……両親すら私を恐れ、遠ざけた。使用人たちは震えながら食事を運び、すぐに逃げ出していく」
想像するだけで胸が痛む。
幼い少年が広い屋敷でたった一人、誰にも触れられずに過ごす日々。
「食事は、ただの『燃料補給』だった。冷え切ったスープ。硬くなったパン。……味などしなかった。いや、味を感じることが怖かったのかもしれない」
「怖かった?」
「ああ。いつ毒が入っているかわからないからな。味見役が死ななかったから安全、というだけの物体を機械的に胃に流し込む日々だ。……そこには『美味しい』という感情も、『温かい』という記憶もなかった」
だから、彼はあんなに痩せていたのか。
私が出会った頃の彼が常に空腹で不機嫌だった理由。それは単にお腹が空いていたからではなく、心が飢えていたからなのだ。
「だが……あの日。君が現れた」
ジルベール様が私の方を向き、愛おしそうに微笑んだ。
「廃屋の暗い厨房で、君は私にハンバーグを差し出した。……毒味だと言って、自分が先に食べようとしたな」
「ふふ、だって自信作でしたから」
「あの瞬間だ。私の世界が変わったのは」
彼は私の手を握りしめた。
その手は、もう冷たくない。ホットワインの熱と、彼自身の体温で温かい。
「熱々の肉汁。甘いソース。……そして何より、君が『美味しいですか?』と覗き込んでくる、その笑顔。……それが、私の凍りついていた世界に初めて『色』をつけてくれたんだ」
ジルベール様の瞳が揺れている。
氷のようなアイスブルーの瞳が暖炉の火を映して、今は優しいオレンジ色に輝いている。
「レティシア。君は私の胃袋を掴んだと言うが……本当は、君が私の『生きる意味』そのものを救ってくれたんだ」
「……ジルベール様」
私は涙が溢れそうになるのを堪えて、彼の肩に頭を預けた。
「大げさですよ。私はただ、貴方に美味しいって言ってほしかっただけです」
「それが私には救いだった。……ありがとう、レティシア。君と出会えて、私は初めて『幸せ』の味を知った」
「私もです。……貴方が美味しそうに食べてくれるから、私はもっと料理が好きになりました」
私たちは言葉を切り、静かにホットワインを口にした。
甘酸っぱくて、少しほろ苦いスパイスの味。
それは彼が歩んできた孤独な過去と、それを乗り越えた今の幸せな味がした。
「……さて」
カップを置いたジルベール様が、私の顎を持ち上げた。
「しんみりした話は終わりだ。……体が温まったら、別の熱が欲しくなったな」
「もう、すぐにそういう雰囲気に持っていくんですから」
「嫌か?」
「……いいえ」
重なり合う唇。
ホットワインよりも甘く、暖炉よりも熱い口づけ。
かつて孤独だった食卓の王は、もう一人ではない。その隣には、いつだって食いしん坊な私と温かい料理があるのだから。
「ええ。モチも子供たちも、遊び疲れてぐっすりですよ」
深夜のリビング。
暖炉の薪がパチパチと爆ぜる音だけが響く静かな空間で、私とジルベール様はソファに並んで座っていた。
テーブルの上には、私が用意した『ホットワイン』。赤ワインに、シナモン、クローブ、オレンジの皮、そしてたっぷりの蜂蜜を加えて温めたものだ。
湯気と共に立ち上るスパイシーで甘い香りが夜の冷気を優しく溶かしている。
「……美味いな」
ジルベール様がカップを両手で包み込み、一口啜る。
「体が芯から温まる。……昔の私なら、こんな飲み物があることすら知らなかっただろうな」
彼は炎を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
その横顔は、いつもの自信満々な公爵ではなく、どこか儚げで寂しそうに見えた。
「昔の話、聞かせてもらってもいいですか?」
私が尋ねると、彼は静かに頷き、少し自嘲気味に笑った。
「……知っての通り、私は強すぎる魔力を持って生まれた。『氷の魔公爵』などと呼ばれているが、幼い頃の私にとって、その力は呪いでしかなかった」
彼は自分の手を見つめた。
「触れるものを凍らせ、感情が高ぶれば部屋ごと氷漬けにする。……両親すら私を恐れ、遠ざけた。使用人たちは震えながら食事を運び、すぐに逃げ出していく」
想像するだけで胸が痛む。
幼い少年が広い屋敷でたった一人、誰にも触れられずに過ごす日々。
「食事は、ただの『燃料補給』だった。冷え切ったスープ。硬くなったパン。……味などしなかった。いや、味を感じることが怖かったのかもしれない」
「怖かった?」
「ああ。いつ毒が入っているかわからないからな。味見役が死ななかったから安全、というだけの物体を機械的に胃に流し込む日々だ。……そこには『美味しい』という感情も、『温かい』という記憶もなかった」
だから、彼はあんなに痩せていたのか。
私が出会った頃の彼が常に空腹で不機嫌だった理由。それは単にお腹が空いていたからではなく、心が飢えていたからなのだ。
「だが……あの日。君が現れた」
ジルベール様が私の方を向き、愛おしそうに微笑んだ。
「廃屋の暗い厨房で、君は私にハンバーグを差し出した。……毒味だと言って、自分が先に食べようとしたな」
「ふふ、だって自信作でしたから」
「あの瞬間だ。私の世界が変わったのは」
彼は私の手を握りしめた。
その手は、もう冷たくない。ホットワインの熱と、彼自身の体温で温かい。
「熱々の肉汁。甘いソース。……そして何より、君が『美味しいですか?』と覗き込んでくる、その笑顔。……それが、私の凍りついていた世界に初めて『色』をつけてくれたんだ」
ジルベール様の瞳が揺れている。
氷のようなアイスブルーの瞳が暖炉の火を映して、今は優しいオレンジ色に輝いている。
「レティシア。君は私の胃袋を掴んだと言うが……本当は、君が私の『生きる意味』そのものを救ってくれたんだ」
「……ジルベール様」
私は涙が溢れそうになるのを堪えて、彼の肩に頭を預けた。
「大げさですよ。私はただ、貴方に美味しいって言ってほしかっただけです」
「それが私には救いだった。……ありがとう、レティシア。君と出会えて、私は初めて『幸せ』の味を知った」
「私もです。……貴方が美味しそうに食べてくれるから、私はもっと料理が好きになりました」
私たちは言葉を切り、静かにホットワインを口にした。
甘酸っぱくて、少しほろ苦いスパイスの味。
それは彼が歩んできた孤独な過去と、それを乗り越えた今の幸せな味がした。
「……さて」
カップを置いたジルベール様が、私の顎を持ち上げた。
「しんみりした話は終わりだ。……体が温まったら、別の熱が欲しくなったな」
「もう、すぐにそういう雰囲気に持っていくんですから」
「嫌か?」
「……いいえ」
重なり合う唇。
ホットワインよりも甘く、暖炉よりも熱い口づけ。
かつて孤独だった食卓の王は、もう一人ではない。その隣には、いつだって食いしん坊な私と温かい料理があるのだから。
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