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第1章 ダンジョン民宿、はじめました
第14話 おもてなし
「ようこそお越しくださいました。何もありませんが、ゆっくりしていってください」
俺は、前回のように気負うことなく、ただ静かに頭を下げた。アキラさんは、こくりと小さく頷くと、力ない足取りで家の玄関をくぐった。
その瞬間、俺の足元で控えていたプルが、「ぷるん!」と小さく鳴いた。
アキラさんは、その青いスライムの存在に一瞬だけ目を留めたが、特に驚くでもなく、ただぼんやりと見つめている。
その反応の薄さに、彼がどれほど心に余裕を失っているのかが透けて見えた。
「お部屋はこちらです。お荷物、お持ちしますよ」
リサが明るく、しかし相手を疲れさせない絶妙なトーンで声をかける。
「……いえ、大丈夫です。これだけなので」
アキラさんが持っていたのは、小さなボストンバッグ一つだけだった。
客室に案内すると、彼は荷物を置くのもそこそこに、縁側に座り込んで、ただ黙って庭を眺め始めた。その背中は、あまりにも小さく、頼りなく見えた。
俺とリサは顔を見合わせ、そっと部屋を後にした。今、彼に必要なのは、過剰な干渉ではなく、ただ一人になれる時間と空間なのだろう。
「……すごいですね、田中さん」
台所で昼食の準備をしながら、リサがぽつりと呟いた。
「何がだ?」
「いえ、お客さんの雰囲気を見て、おもてなしのスタイルを完璧に変えてるじゃないですか。山田さん一家の時とは、まるで別人みたい。プロの宿屋の主人って感じです」
「買いかぶりすぎだ。ただ、昔の自分を見てるみたいで、放っておけないだけだよ」
俺は苦笑しながら、ポトフを煮込む鍋の火加減を調整した。野菜の優しい香りが、静かな古民家の中に満ちていく。
昼食の時間になっても、アキラさんは縁側から動かなかった。
俺は、お盆にポトフのスープと、焼きたてのパンを乗せて、彼の隣にそっと置いた。
「もし、お腹が空いていたら。ここに置いておきますね」
「……すみません」
アキラさんは、庭から視線を外さないまま、か細い声でそう言った。
俺はそれ以上何も言わず、その場を離れた。
結局、彼がポトフに手をつけることはなかった。
ただひたすらに、時間が流れていく。風が木々を揺らす音、遠くで鳴く鳥の声、時折聞こえるプルやゴブ吉の立てる微かな物音。
アキラさんは、その全てを、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、全身で受け止めているように見えた。
夕方になっても、その状態は変わらなかった。
リサが心配そうな表情を浮かべる。
「本当に、このままでいいんでしょうか」
「いいんだ」
俺は静かに答えた。
「彼が、動き出すまで待とう」
俺は夕食の準備をしながら、時折、彼の様子をうかがった。
陽が傾き、庭の景色がオレンジ色に染まっていく。その光景を、アキラさんは瞬きも忘れたかのように、じっと見つめている。
夜。
夕食もほとんど手付かずだったアキラさんに、俺はリサが提案してくれた「出汁の効いた温かいおにぎり」と、熱いほうじ茶をお盆に乗せて、再び彼の部屋へと運んだ。
「夜分にすみません。もし、小腹が空いたら、と思って」
「……」
アキラさんは、何も言わない。
だが、俺がお盆を置いて部屋を出ようとした、その時だった。
「……あの」
初めて、彼の方から声がかけられた。
「はい」
俺が振り返ると、アキラさんは畳に視線を落としたまま、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「僕……東京で、音楽を作っていました」
その告白は、あまりにも唐突だった。
「でも、もう、何も聞こえなくなったんです。どんな音が美しいのか、どんなメロディが人の心を打つのか……全く、分からなくなってしまった。周りからは、才能があるって言われて……期待されて……プレッシャーに押しつぶされて……気づいたら、耳に栓をしたみたいに、世界から音が消えていた」
彼の声は震えていた。
無理もない。たった一人で、どれほどの重圧と戦ってきたのだろう。
「もう、全部やめてしまおうと思って……逃げるように、ここに来ました。リサさんの動画で見た、あのダンジョンなら……何の音もしない、静かな場所なら……何か変われるかもしれないって」
そう言って、彼はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、今までなかった、確かな「意志」の光が宿っていた。
「田中さん。お願いがあります」
彼は、俺の目をまっすぐに見て言った。
「僕を……あの、静かなダンジョンへ、連れて行っていただけませんか」
無理に誘うのではなく、待つ。
鈴木さんのアドバイスは、正しかった。
彼自身の足で、再び歩き出そうとする、その瞬間が、ついにやってきたのだ。
俺は、力強く頷いた。
「ええ、喜んで」
俺は、前回のように気負うことなく、ただ静かに頭を下げた。アキラさんは、こくりと小さく頷くと、力ない足取りで家の玄関をくぐった。
その瞬間、俺の足元で控えていたプルが、「ぷるん!」と小さく鳴いた。
アキラさんは、その青いスライムの存在に一瞬だけ目を留めたが、特に驚くでもなく、ただぼんやりと見つめている。
その反応の薄さに、彼がどれほど心に余裕を失っているのかが透けて見えた。
「お部屋はこちらです。お荷物、お持ちしますよ」
リサが明るく、しかし相手を疲れさせない絶妙なトーンで声をかける。
「……いえ、大丈夫です。これだけなので」
アキラさんが持っていたのは、小さなボストンバッグ一つだけだった。
客室に案内すると、彼は荷物を置くのもそこそこに、縁側に座り込んで、ただ黙って庭を眺め始めた。その背中は、あまりにも小さく、頼りなく見えた。
俺とリサは顔を見合わせ、そっと部屋を後にした。今、彼に必要なのは、過剰な干渉ではなく、ただ一人になれる時間と空間なのだろう。
「……すごいですね、田中さん」
台所で昼食の準備をしながら、リサがぽつりと呟いた。
「何がだ?」
「いえ、お客さんの雰囲気を見て、おもてなしのスタイルを完璧に変えてるじゃないですか。山田さん一家の時とは、まるで別人みたい。プロの宿屋の主人って感じです」
「買いかぶりすぎだ。ただ、昔の自分を見てるみたいで、放っておけないだけだよ」
俺は苦笑しながら、ポトフを煮込む鍋の火加減を調整した。野菜の優しい香りが、静かな古民家の中に満ちていく。
昼食の時間になっても、アキラさんは縁側から動かなかった。
俺は、お盆にポトフのスープと、焼きたてのパンを乗せて、彼の隣にそっと置いた。
「もし、お腹が空いていたら。ここに置いておきますね」
「……すみません」
アキラさんは、庭から視線を外さないまま、か細い声でそう言った。
俺はそれ以上何も言わず、その場を離れた。
結局、彼がポトフに手をつけることはなかった。
ただひたすらに、時間が流れていく。風が木々を揺らす音、遠くで鳴く鳥の声、時折聞こえるプルやゴブ吉の立てる微かな物音。
アキラさんは、その全てを、まるで乾いたスポンジが水を吸うように、全身で受け止めているように見えた。
夕方になっても、その状態は変わらなかった。
リサが心配そうな表情を浮かべる。
「本当に、このままでいいんでしょうか」
「いいんだ」
俺は静かに答えた。
「彼が、動き出すまで待とう」
俺は夕食の準備をしながら、時折、彼の様子をうかがった。
陽が傾き、庭の景色がオレンジ色に染まっていく。その光景を、アキラさんは瞬きも忘れたかのように、じっと見つめている。
夜。
夕食もほとんど手付かずだったアキラさんに、俺はリサが提案してくれた「出汁の効いた温かいおにぎり」と、熱いほうじ茶をお盆に乗せて、再び彼の部屋へと運んだ。
「夜分にすみません。もし、小腹が空いたら、と思って」
「……」
アキラさんは、何も言わない。
だが、俺がお盆を置いて部屋を出ようとした、その時だった。
「……あの」
初めて、彼の方から声がかけられた。
「はい」
俺が振り返ると、アキラさんは畳に視線を落としたまま、ぽつり、ぽつりと話し始めた。
「僕……東京で、音楽を作っていました」
その告白は、あまりにも唐突だった。
「でも、もう、何も聞こえなくなったんです。どんな音が美しいのか、どんなメロディが人の心を打つのか……全く、分からなくなってしまった。周りからは、才能があるって言われて……期待されて……プレッシャーに押しつぶされて……気づいたら、耳に栓をしたみたいに、世界から音が消えていた」
彼の声は震えていた。
無理もない。たった一人で、どれほどの重圧と戦ってきたのだろう。
「もう、全部やめてしまおうと思って……逃げるように、ここに来ました。リサさんの動画で見た、あのダンジョンなら……何の音もしない、静かな場所なら……何か変われるかもしれないって」
そう言って、彼はゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、今までなかった、確かな「意志」の光が宿っていた。
「田中さん。お願いがあります」
彼は、俺の目をまっすぐに見て言った。
「僕を……あの、静かなダンジョンへ、連れて行っていただけませんか」
無理に誘うのではなく、待つ。
鈴木さんのアドバイスは、正しかった。
彼自身の足で、再び歩き出そうとする、その瞬間が、ついにやってきたのだ。
俺は、力強く頷いた。
「ええ、喜んで」
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