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第4章 思い出は、ダンジョンの中に
第34話 亡き妻の面影
客室に案内した後、桜井さんは、特に何かをするでもなく、縁側にただ一人、静かに座っていた。その背中は、秋の少し寂しげな風景に溶け込んでしまいそうなくらい、儚げに見えた。
俺とリサは、かつてこの場所を訪れたアキラさんの時を思い出し、彼の時間を邪魔しないように、そっと距離を置くことにした。
リサはピクニコ動画の企画を考えるのも休み、静かに本を読んでいる。民宿全体が桜井さんの心に寄り添うように、いつもより穏やかな空気に包まれていた。
夕食の準備を始める少し前。
庭にいつものようにキノコうさぎの親子がひょっこりと姿を現した。縁側に座る桜井さんは、その存在に気づいたが、特に驚いたりはしなかった。ただ、その黒い瞳で、てちてちと歩く親子の姿を静かに追っている。
やがて、子うさぎの一匹が好奇心に負けたのか、桜井さんの足元までおそるおそる近づいてきた。そして、彼のズボンの裾を小さな鼻先でくんくんと嗅ぎ始める。
桜井さんは、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばした。その動きは、まるでガラス細工に触れるかのように、慎重で優しかった。
指先が、子うさぎのふわふわの背中に、そっと触れる。
一度だけ、優しく撫でると、彼は静かに手を引っ込めた。その横顔に、ほんの一瞬だけ、痛みを堪えるような、そんな表情が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
夕食の時間。
俺は、秋の味覚をふんだんに使った、胃に優しく、心も温まるような和食を用意した。
カボチャのポタージュ、ゴブ吉が採ってきてくれたキノコの炊き込みご飯、そして丁寧に焼き上げた鮭の塩焼き。
食卓についた桜井さんは、最初はあまり食が進まない様子だった。
だが、一口、また一口と、ゆっくりと確かめるように箸を進めていく。
「……おいしいです」
ぽつりと、彼が呟いた。
今日、ここに来てから、初めて感情のこもった言葉を聞いた気がした。
食事の途中、桜井さんは、窓の外に浮かぶ月を見上げながら、自分から静かに口を開いた。
「……妻が、好きだったんです。北海道が」
俺とリサは、顔を見合わせた。そして、ただ黙って彼の言葉の続きを待った。
「少し前、に……亡くしまして。病気でした」
彼は、淡々と、しかし時折言葉を詰まらせながら語り始めた。
奥様の名前は美咲さん。とても明るく、花や、動物や、美しい自然が、本当に大好きな人だったこと。
長い闘病生活の中でも、決して笑顔を絶やさず、いつも旅行雑誌やテレビの旅番組を見ては、「元気になったら、絶対ここに行こうね」と、未来の話をしていたこと。それが二人にとっての、何よりの希望だったこと。
そして、と彼は続けた。
リサの「ダンジョン民宿だより」の動画も、その美咲さんが病室のベッドの上で見つけてきたのだという。
「妻が、笑いながら言うんです。『ねえ、あなた。北海道の果てに、変な宿があるよ。ダンジョンの中に泊まれるんだって』って」
桜井さんの口元に、寂しげな、愛おしさに満ちた笑みが浮かんだ。
「『でも、なんだか、すごく優しそうな場所だね』って。動画に映る田中さんや、モンスターたちを見て、そう言っていました。『いつか、ここのおじさんのパスタ、食べてみたいなあ』なんて、言いながら……」
俺とリサは言葉を失っていた。
ただの気まぐれで始めた、このささやかな民宿が俺たちの、他愛のない日常を切り取っただけの動画が、誰かの暗闇の中に差し込む、一筋の光になっていたのだ。
その事実がずしりと俺たちの胸に響いた。
「だから、来たんです。四十九日を終えたら絶対に来ようって、決めていました」
桜井さんは、少しだけ吹っ切れたような顔で、俺たちを見た。
「私だけでも。あいつが……美咲が見たがっていた景色を、この目に焼き付けておきたくて」
彼の深い悲しみ。そして、その奥にある、奥様へのどこまでも深い愛情。
俺は、この人のために、何かできることはないだろうか。心から、そう思った。
「桜井さん」
俺は意を決して、彼に語りかけた。
「もし、よろしければ……。明日、奥様が一番、見たがっていた、あのダンジョンを。俺が、ご案内させていただけませんか」
桜井さんは驚いたように俺の顔を見た。
そして頷いてくれたのだった。
彼の心の再生に向けた、小さな、しかし大切な一歩が、今、踏み出されようとしていた。
俺とリサは、かつてこの場所を訪れたアキラさんの時を思い出し、彼の時間を邪魔しないように、そっと距離を置くことにした。
リサはピクニコ動画の企画を考えるのも休み、静かに本を読んでいる。民宿全体が桜井さんの心に寄り添うように、いつもより穏やかな空気に包まれていた。
夕食の準備を始める少し前。
庭にいつものようにキノコうさぎの親子がひょっこりと姿を現した。縁側に座る桜井さんは、その存在に気づいたが、特に驚いたりはしなかった。ただ、その黒い瞳で、てちてちと歩く親子の姿を静かに追っている。
やがて、子うさぎの一匹が好奇心に負けたのか、桜井さんの足元までおそるおそる近づいてきた。そして、彼のズボンの裾を小さな鼻先でくんくんと嗅ぎ始める。
桜井さんは、ゆっくり、ゆっくりと手を伸ばした。その動きは、まるでガラス細工に触れるかのように、慎重で優しかった。
指先が、子うさぎのふわふわの背中に、そっと触れる。
一度だけ、優しく撫でると、彼は静かに手を引っ込めた。その横顔に、ほんの一瞬だけ、痛みを堪えるような、そんな表情が浮かんだのを、俺は見逃さなかった。
夕食の時間。
俺は、秋の味覚をふんだんに使った、胃に優しく、心も温まるような和食を用意した。
カボチャのポタージュ、ゴブ吉が採ってきてくれたキノコの炊き込みご飯、そして丁寧に焼き上げた鮭の塩焼き。
食卓についた桜井さんは、最初はあまり食が進まない様子だった。
だが、一口、また一口と、ゆっくりと確かめるように箸を進めていく。
「……おいしいです」
ぽつりと、彼が呟いた。
今日、ここに来てから、初めて感情のこもった言葉を聞いた気がした。
食事の途中、桜井さんは、窓の外に浮かぶ月を見上げながら、自分から静かに口を開いた。
「……妻が、好きだったんです。北海道が」
俺とリサは、顔を見合わせた。そして、ただ黙って彼の言葉の続きを待った。
「少し前、に……亡くしまして。病気でした」
彼は、淡々と、しかし時折言葉を詰まらせながら語り始めた。
奥様の名前は美咲さん。とても明るく、花や、動物や、美しい自然が、本当に大好きな人だったこと。
長い闘病生活の中でも、決して笑顔を絶やさず、いつも旅行雑誌やテレビの旅番組を見ては、「元気になったら、絶対ここに行こうね」と、未来の話をしていたこと。それが二人にとっての、何よりの希望だったこと。
そして、と彼は続けた。
リサの「ダンジョン民宿だより」の動画も、その美咲さんが病室のベッドの上で見つけてきたのだという。
「妻が、笑いながら言うんです。『ねえ、あなた。北海道の果てに、変な宿があるよ。ダンジョンの中に泊まれるんだって』って」
桜井さんの口元に、寂しげな、愛おしさに満ちた笑みが浮かんだ。
「『でも、なんだか、すごく優しそうな場所だね』って。動画に映る田中さんや、モンスターたちを見て、そう言っていました。『いつか、ここのおじさんのパスタ、食べてみたいなあ』なんて、言いながら……」
俺とリサは言葉を失っていた。
ただの気まぐれで始めた、このささやかな民宿が俺たちの、他愛のない日常を切り取っただけの動画が、誰かの暗闇の中に差し込む、一筋の光になっていたのだ。
その事実がずしりと俺たちの胸に響いた。
「だから、来たんです。四十九日を終えたら絶対に来ようって、決めていました」
桜井さんは、少しだけ吹っ切れたような顔で、俺たちを見た。
「私だけでも。あいつが……美咲が見たがっていた景色を、この目に焼き付けておきたくて」
彼の深い悲しみ。そして、その奥にある、奥様へのどこまでも深い愛情。
俺は、この人のために、何かできることはないだろうか。心から、そう思った。
「桜井さん」
俺は意を決して、彼に語りかけた。
「もし、よろしければ……。明日、奥様が一番、見たがっていた、あのダンジョンを。俺が、ご案内させていただけませんか」
桜井さんは驚いたように俺の顔を見た。
そして頷いてくれたのだった。
彼の心の再生に向けた、小さな、しかし大切な一歩が、今、踏み出されようとしていた。
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