46 / 51
第6章 老紳士とギャルと、時を超えた約束
第46話 泉に溶ける、遠い日の約束
泉の広場を包むのは、どこまでも穏やかな静寂。
光る苔が放つ青白い光が、水面にゆらゆらと反射し、まるで時間が止まったかのような、幻想的な空間を作り出していた。
篠田さんは、泉のほとりにゆっくりと腰を下ろすと、その静寂を味わうように、しばらくの間、目を閉じていた。
やがて彼は、遠い昔を懐かしむように、ゆっくりと、その重い口を開いた。
「わしはな、若い頃、この留咲萌町で働いておったんじゃよ」
その告白は、今の彼の上品で洗練された姿からは、少し想像がつかないものだった。
それは、今からもう50年以上も前の話だという。大学を卒業したばかりの、希望に満ちた若い技術者として、彼は、この町の未来を左右する、大きな港湾開発の仕事に携わっていたのだそうだ。
「当時は、そりゃあ、活気があった。日本の高度経済成長期の真っ只中でな。この町も、人も、誰もが未来を信じて、キラキラと輝いておったよ」
そして彼の人生を、誰よりも輝かせてくれていた存在がいた。
「……結婚を、約束した女性が、いたんじゃ」
彼の声が少しだけ潤んだ。
名前は佐々木小夜子さん。町の小さな食堂で働いていた、ひまわりのような笑顔が太陽みたいに明るい女性だった。
仕事漬けの毎日の中で、彼女のいる食堂で食べる、温かい定食だけが、彼の唯一の癒やしだった。
「仕事の合間を縫って、よく二人で、この近くの岬へ行ったもんじゃ。もちろん、当時はこんな不思議なダンジョンはなかったが……」
彼は泉の水面を見つめながら、懐かしそうに目を細めた。
「あの岬から見た、月明かりに照らされた、夜の海の色に、ここの景色は、どこかよう似ておるんじゃよ。あの時も、こんな風に青くて、静かで……二人で、いつまでも見ていられた」
だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
彼は、その優秀さを買われ、東京の本社で始まる、さらに大きな国家的なプロジェクトのリーダーとして抜擢されることになったのだ。
「わしは、小夜子くんに約束した。『必ず、この仕事を成功させて、君を迎えに来るから。だから、待っていてくれ』と」
しかし東京での仕事は、彼の想像を絶するほど過酷だった。成功を収め、地位と名声を手に入れるにつれて、彼は故郷に帰る時間も、手紙を書く余裕さえも失っていったのだ。
いつしか、二人の間の距離は、どうしようもなく離れてしまっていた。
「わしは、夢と引き換えに、一番大切な約束を破ってしまった。彼女を……彼女の、ひたむきな想いを、裏切ってしまったんじゃよ」
彼の声には、50年という長い時間が経っても、決して消えることのない、深い、深い後悔の念が滲んでいた。
隣で話を聞いていたアカリさんも、いつものような軽口は叩かず、ただ黙って、じっと彼の話に耳を傾けている。
篠田さんは、数年前に会社を完全に引退し、自分の人生を静かに振り返った時、心の奥深くに、ずっと棘のように刺さり続けていた、この留咲萌町での思い出と向き合うことを決意したのだという。
そして、最近になって、人づてに風の噂で聞いたのだ。
佐々木小夜子さんが、今も、この留咲萌町で元気に暮らしているらしい、と。
「ヨリを戻したいなどと、そんな、おこがましいことを考えているわけではないんじゃ」
彼は俺たちの方を、まっすぐに見て言った。
「ただ……一目でいい。彼女が幸せに暮らしているのか、その顔を確かめたい。そして……あの日の約束を果たせなかったことを、ただ、一言……謝りたいんじゃよ」
それが、この北の果ての小さなダンジョン民宿を訪れた本当の目的だった。
切なくて、あまりにも一途な、50年越しの想い。
俺とリサは、その言葉の重みに、ただ胸を打たれるばかりだった。
篠田さんは、おもむろに立ち上がると、俺に向かって、深々と、その頭を下げた。
「ご主人。リサさん。不躾なお願いなのは、重々承知の上じゃが……。この町で、佐々木小夜子という女性を探すのを、手伝ってはいただけんだろうか」
俺は迷うことなどあり得なかった。
「――もちろんです」
俺は、彼のそのシワの刻まれた手を力強く握り返していた。
「篠田さんの、その想い。俺たちダンジョン民宿が全力でサポートさせていただきますよ」
こうして俺たちの民宿の新たなミッションが始まった。
それは一人の老紳士の、時を超えた初恋の思い出を探す、最高に温かくて、少しだけ切ない大捜索の始まりだった。
光る苔が放つ青白い光が、水面にゆらゆらと反射し、まるで時間が止まったかのような、幻想的な空間を作り出していた。
篠田さんは、泉のほとりにゆっくりと腰を下ろすと、その静寂を味わうように、しばらくの間、目を閉じていた。
やがて彼は、遠い昔を懐かしむように、ゆっくりと、その重い口を開いた。
「わしはな、若い頃、この留咲萌町で働いておったんじゃよ」
その告白は、今の彼の上品で洗練された姿からは、少し想像がつかないものだった。
それは、今からもう50年以上も前の話だという。大学を卒業したばかりの、希望に満ちた若い技術者として、彼は、この町の未来を左右する、大きな港湾開発の仕事に携わっていたのだそうだ。
「当時は、そりゃあ、活気があった。日本の高度経済成長期の真っ只中でな。この町も、人も、誰もが未来を信じて、キラキラと輝いておったよ」
そして彼の人生を、誰よりも輝かせてくれていた存在がいた。
「……結婚を、約束した女性が、いたんじゃ」
彼の声が少しだけ潤んだ。
名前は佐々木小夜子さん。町の小さな食堂で働いていた、ひまわりのような笑顔が太陽みたいに明るい女性だった。
仕事漬けの毎日の中で、彼女のいる食堂で食べる、温かい定食だけが、彼の唯一の癒やしだった。
「仕事の合間を縫って、よく二人で、この近くの岬へ行ったもんじゃ。もちろん、当時はこんな不思議なダンジョンはなかったが……」
彼は泉の水面を見つめながら、懐かしそうに目を細めた。
「あの岬から見た、月明かりに照らされた、夜の海の色に、ここの景色は、どこかよう似ておるんじゃよ。あの時も、こんな風に青くて、静かで……二人で、いつまでも見ていられた」
だが、幸せな時間は長くは続かなかった。
彼は、その優秀さを買われ、東京の本社で始まる、さらに大きな国家的なプロジェクトのリーダーとして抜擢されることになったのだ。
「わしは、小夜子くんに約束した。『必ず、この仕事を成功させて、君を迎えに来るから。だから、待っていてくれ』と」
しかし東京での仕事は、彼の想像を絶するほど過酷だった。成功を収め、地位と名声を手に入れるにつれて、彼は故郷に帰る時間も、手紙を書く余裕さえも失っていったのだ。
いつしか、二人の間の距離は、どうしようもなく離れてしまっていた。
「わしは、夢と引き換えに、一番大切な約束を破ってしまった。彼女を……彼女の、ひたむきな想いを、裏切ってしまったんじゃよ」
彼の声には、50年という長い時間が経っても、決して消えることのない、深い、深い後悔の念が滲んでいた。
隣で話を聞いていたアカリさんも、いつものような軽口は叩かず、ただ黙って、じっと彼の話に耳を傾けている。
篠田さんは、数年前に会社を完全に引退し、自分の人生を静かに振り返った時、心の奥深くに、ずっと棘のように刺さり続けていた、この留咲萌町での思い出と向き合うことを決意したのだという。
そして、最近になって、人づてに風の噂で聞いたのだ。
佐々木小夜子さんが、今も、この留咲萌町で元気に暮らしているらしい、と。
「ヨリを戻したいなどと、そんな、おこがましいことを考えているわけではないんじゃ」
彼は俺たちの方を、まっすぐに見て言った。
「ただ……一目でいい。彼女が幸せに暮らしているのか、その顔を確かめたい。そして……あの日の約束を果たせなかったことを、ただ、一言……謝りたいんじゃよ」
それが、この北の果ての小さなダンジョン民宿を訪れた本当の目的だった。
切なくて、あまりにも一途な、50年越しの想い。
俺とリサは、その言葉の重みに、ただ胸を打たれるばかりだった。
篠田さんは、おもむろに立ち上がると、俺に向かって、深々と、その頭を下げた。
「ご主人。リサさん。不躾なお願いなのは、重々承知の上じゃが……。この町で、佐々木小夜子という女性を探すのを、手伝ってはいただけんだろうか」
俺は迷うことなどあり得なかった。
「――もちろんです」
俺は、彼のそのシワの刻まれた手を力強く握り返していた。
「篠田さんの、その想い。俺たちダンジョン民宿が全力でサポートさせていただきますよ」
こうして俺たちの民宿の新たなミッションが始まった。
それは一人の老紳士の、時を超えた初恋の思い出を探す、最高に温かくて、少しだけ切ない大捜索の始まりだった。
あなたにおすすめの小説
貧乏冒険者で底辺配信者の生きる希望もないおっさんバズる~庭のFランク(実際はSSSランク)ダンジョンで活動すること15年、最強になりました~
喰寝丸太
ファンタジー
おっさんは経済的に、そして冒険者としても底辺だった。
庭にダンジョンができたが最初のザコがスライムということでFランクダンジョン認定された。
そして18年。
おっさんの実力が白日の下に。
FランクダンジョンはSSSランクだった。
最初のザコ敵はアイアンスライム。
特徴は大量の経験値を持っていて硬い、そして逃げる。
追い詰められると不壊と言われるダンジョンの壁すら溶かす酸を出す。
そんなダンジョンでの15年の月日はおっさんを最強にさせた。
世間から隠されていた最強の化け物がいま世に出る。
ダンジョンで有名モデルを助けたら公式配信に映っていたようでバズってしまいました。
夜兎ましろ
ファンタジー
高校を卒業したばかりの少年――夜見ユウは今まで鍛えてきた自分がダンジョンでも通用するのかを知るために、はじめてのダンジョンへと向かう。もし、上手くいけば冒険者にもなれるかもしれないと考えたからだ。
ダンジョンに足を踏み入れたユウはとある女性が魔物に襲われそうになっているところに遭遇し、魔法などを使って女性を助けたのだが、偶然にもその瞬間がダンジョンの公式配信に映ってしまっており、ユウはバズってしまうことになる。
バズってしまったならしょうがないと思い、ユウは配信活動をはじめることにするのだが、何故か助けた女性と共に配信を始めることになるのだった。
アイテムボックスの最も冴えた使い方~チュートリアル1億回で最強になったが、実力隠してアイテムボックス内でスローライフしつつ駄竜とたわむれる~
うみ
ファンタジー
「アイテムボックス発動 収納 自分自身!」
これしかないと思った!
自宅で休んでいたら突然異世界に拉致され、邪蒼竜と名乗る強大なドラゴンを前にして絶対絶命のピンチに陥っていたのだから。
奴に言われるがままステータスと叫んだら、アイテムボックスというスキルを持っていることが分かった。
得た能力を使って何とかピンチを逃れようとし、思いついたアイデアを咄嗟に実行に移したんだ。
直後、俺の体はアイテムボックスの中に入り、難を逃れることができた。
このまま戻っても捻りつぶされるだけだ。
そこで、アイテムボックスの中は時間が流れないことを利用し、チュートリアルバトルを繰り返すこと1億回。ついにレベルがカンストする。
アイテムボックスの外に出た俺はドラゴンの角を折り、危機を脱する。
助けた竜の巫女と共に彼女の村へ向かうことになった俺だったが――。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
レベルを上げて通販で殴る~囮にされて落とし穴に落とされたが大幅レベルアップしてざまぁする。危険な封印ダンジョンも俺にかかればちょろいもんさ~
喰寝丸太
ファンタジー
異世界に転移した山田(やまだ) 無二(むに)はポーターの仕事をして早6年。
おっさんになってからも、冒険者になれずくすぶっていた。
ある日、モンスター無限増殖装置を誤って作動させたパーティは無二を囮にして逃げ出す。
落とし穴にも落とされ絶体絶命の無二。
機転を利かせ助かるも、そこはダンジョンボスの扉の前。
覚悟を決めてボスに挑む無二。
通販能力でからくも勝利する。
そして、ダンジョンコアの魔力を吸出し大幅レベルアップ。
アンデッドには聖水代わりに殺菌剤、光魔法代わりに紫外線ライト。
霧のモンスターには掃除機が大活躍。
異世界モンスターを現代製品の通販で殴る快進撃が始まった。
カクヨム、小説家になろう、アルファポリスに掲載しております。
【完結】スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜
かの
ファンタジー
世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。
スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。
偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。
スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!
冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!
クラス転移で無能判定されて追放されたけど、努力してSSランクのチートスキルに進化しました~【生命付与】スキルで異世界を自由に楽しみます~
いちまる
ファンタジー
ある日、クラスごと異世界に召喚されてしまった少年、天羽イオリ。
他のクラスメートが強力なスキルを発現させてゆく中、イオリだけが最低ランクのEランクスキル【生命付与】の持ち主だと鑑定される。
「無能は不要だ」と判断した他の生徒や、召喚した張本人である神官によって、イオリは追放され、川に突き落とされた。
しかしそこで、川底に沈んでいた謎の男の力でスキルを強化するチャンスを得た――。
1千年の努力とともに、イオリのスキルはSSランクへと進化!
自分を拾ってくれた田舎町のアイテムショップで、チートスキルをフル稼働!
「転移者が世界を良くする?」
「知らねえよ、俺は異世界を自由気ままに楽しむんだ!」
追放された少年の第2の人生が、始まる――!
※本作品は他サイト様でも掲載中です。
捨てられた貴族六男、ハズレギフト『家電量販店』で僻地を悠々開拓する。~魔改造し放題の家電を使って、廃れた土地で建国目指します~
荒井竜馬@書籍発売中
ファンタジー
ある日、主人公は前世の記憶を思いだし、自分が転生者であることに気がつく。転生先は、悪役貴族と名高いアストロメア家の六男だった。しかし、メビウスは前世でアニメやラノベに触れていたので、悪役転生した場合の身の振り方を知っていた。『悪役転生ものということは、死ぬ気で努力すれば最強になれるパターンだ!』そう考えて死ぬ気で努力をするが、チート級の力を身につけることができなかった。
それどころか、授かったギフトが『家電量販店』という理解されないギフトだったせいで、一族から追放されてしまい『死地』と呼ばれる場所に捨てられてしまう。
「……普通、十歳の子供をこんな場所に捨てるか?」
『死地』と呼ばれる何もない場所で、メビウスは『家電量販店』のスキルを使って生き延びることを決意する。
しかし、そこでメビウスは自分のギフトが『死地』で生きていくのに適していたことに気がつく。
家電を自在に魔改造して『家電量販店』で過ごしていくうちに、メビウスは周りから天才発明家として扱われ、やがて小国の長として建国を目指すことになるのだった。
メビウスは知るはずがなかった。いずれ、自分が『機械仕掛けの大魔導士』と呼ばれ存在になるなんて。
努力しても最強になれず、追放先に師範も元冒険者メイドもついてこず、領地どころかどの国も管理していない僻地に捨てられる……そんな踏んだり蹴ったりから始まる領地(国家)経営物語。
『ノベマ! 異世界ファンタジー:8位(2025/04/22)』
※別サイトにも掲載しています。