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第6章 老紳士とギャルと、時を超えた約束
第48話 ひまわりの笑顔と、五十年の時
「見つかりました……! 旧姓が佐々木小夜子さん。確かに、この町にお住まいです! あくまでたまたま見つかっただけなので……」
役場の佐藤さんからの弾むような声。
その一報は、静まり返っていた民宿の空気を一瞬にして震わせた。
篠田さんは、受話器を置いた俺の顔を、信じられないといった表情で見つめている。その指先が微かに、しかし確かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
「じいじ……」
アカリさんが、そっと彼の肩に手を置く。
「……よかったじゃん」
そのぶっきらぼうな言葉には、心からの安堵と喜びが滲んでいた。
佐藤さんから教えてもらった住所は、民宿から車で15分ほどの、海の見える小高い丘の上だったという。今は、結婚されて「中村」という苗字になり、数年前にご主人を亡くされた後、一人で静かに暮らしているらしい。
「……すぐ、に、行かれますか?」
俺が尋ねると、篠田さんは、ゆっくりと首を横に振った。
「いや……。少しだけ、心の準備が必要だ。……みっともない姿では、彼女に会えんからな」
彼はそう言うと、一度自分の部屋に戻り、持ってきた中で一番上等だという、濃紺の品の良いジャケットに丁寧に袖を通した。
それは、五十年という長い間、ずっと夢にまで見てきた瞬間に対する、彼の最大限の誠意の表れだった。
俺の運転する車に、篠田さんとアカリさんが乗り込む。
リサは「私は、野暮なことはしませんから」と言って、民宿でプルたちと留守番をしてくれることになった。
彼女なりの最大限の気遣いだ。
車中、篠田さんは、ほとんど何も話さなかった。
ただ、窓の外に流れていく、懐かしいであろう留咲萌町の景色を愛おしそうに、そして、どこか寂しそうに、じっと眺めている。
やがて、車は小高い丘を上り、潮風が心地よく吹き抜ける、見晴らしの良い場所に出た。そこに一軒の、趣のある古民家が静かに佇んでいた。
庭には、コスモスやリンドウ、たくさんの秋の花が、まるで誰かの愛情に応えるように、色とりどりに咲き誇っている。
「……ここ、か」
篠田さんは、大きく、深く、深呼吸をすると決意を固めたように車を降りた。
そして、たった一人で、その家の玄関へと一歩、また一歩と、進んでいく。
俺とアカリさんは、少し離れた車のそばから祈るような気持ちで、固唾をのんで、その背中を見守っていた。
篠田さんが震える指でインターホンを押す。
しばらくの沈黙。
やがて、ゆっくりと玄関のドアが開かれた。
中から現れたのは、ふんわりとした銀色の髪を結い上げた、上品で優しい笑顔が印象的なおばあちゃんだった。
彼女は、目の前に立つ、見知らぬ老紳士を見て、最初は不思議そうな顔で小さく首を傾げた。
篠田さんが震える声を、なんとか絞り出す。
「……小夜子、くん。わしだ。……篠田、幸太郎だ」
その名前を聞いた瞬間。
彼女のまとっていた穏やかな時間が、ぴたり、と止まった。
大きく見開かれた瞳が、驚きと懐かしさ、喜びと戸惑い、あまりにも多くの感情で大きく揺れているように見える。
どんなドラマチックな言葉が交わされるのだろうか。
俺が、ごくりと息をのんだ、その時。
彼女は、ふわりと咲いた。
まるで五十年の時など、なかったかのように。
昔、篠田さんが愛した、ひまわりのような笑顔で。
「……まあ、幸太郎さん。お久しぶりね」
その声は、あまりにも穏やかで自然だった。
「ずっと、お元気でいらした? よかったわ」
それは、彼を責める言葉ではなかった。忘れていたわけでも、もちろんない。
長すぎるほどの年月が、かつての恋する乙女を、すべてを優しく受け入れられる、強く、そして温かい一人の女性へと変えていたのだ。
篠田さんも、その変わらない笑顔を見て、心から安堵したように、全ての緊張から解き放たれた、最高の笑顔を返した。
「ああ。君こそ……。その笑顔は、少しも変わらないな」
小夜子さんは、にっこりと微笑む。
「さあ、立ち話もなんだから。どうぞ、上がって。お茶でも、いかが?」
彼女は、篠田さんをゆっくりと家の中へと招き入れた。
玄関のドアが静かに閉まる。
残された俺とアカリさんは、その光景を、ただ黙って見つめていた。
アカリさんの大きな瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちたのを、俺は見ないフリをした。
五十年という長すぎた時を超えて。
二人の物語が今、再び、静かに交差した。
閉ざされた扉の向こう側で、一体、どんな言葉が紡がれているのだろうか。
俺たちは、ただ、その家の庭で秋風に揺れるコスモスを眺めながら、その時を待つことしかできなかった。
役場の佐藤さんからの弾むような声。
その一報は、静まり返っていた民宿の空気を一瞬にして震わせた。
篠田さんは、受話器を置いた俺の顔を、信じられないといった表情で見つめている。その指先が微かに、しかし確かに震えているのを、俺は見逃さなかった。
「じいじ……」
アカリさんが、そっと彼の肩に手を置く。
「……よかったじゃん」
そのぶっきらぼうな言葉には、心からの安堵と喜びが滲んでいた。
佐藤さんから教えてもらった住所は、民宿から車で15分ほどの、海の見える小高い丘の上だったという。今は、結婚されて「中村」という苗字になり、数年前にご主人を亡くされた後、一人で静かに暮らしているらしい。
「……すぐ、に、行かれますか?」
俺が尋ねると、篠田さんは、ゆっくりと首を横に振った。
「いや……。少しだけ、心の準備が必要だ。……みっともない姿では、彼女に会えんからな」
彼はそう言うと、一度自分の部屋に戻り、持ってきた中で一番上等だという、濃紺の品の良いジャケットに丁寧に袖を通した。
それは、五十年という長い間、ずっと夢にまで見てきた瞬間に対する、彼の最大限の誠意の表れだった。
俺の運転する車に、篠田さんとアカリさんが乗り込む。
リサは「私は、野暮なことはしませんから」と言って、民宿でプルたちと留守番をしてくれることになった。
彼女なりの最大限の気遣いだ。
車中、篠田さんは、ほとんど何も話さなかった。
ただ、窓の外に流れていく、懐かしいであろう留咲萌町の景色を愛おしそうに、そして、どこか寂しそうに、じっと眺めている。
やがて、車は小高い丘を上り、潮風が心地よく吹き抜ける、見晴らしの良い場所に出た。そこに一軒の、趣のある古民家が静かに佇んでいた。
庭には、コスモスやリンドウ、たくさんの秋の花が、まるで誰かの愛情に応えるように、色とりどりに咲き誇っている。
「……ここ、か」
篠田さんは、大きく、深く、深呼吸をすると決意を固めたように車を降りた。
そして、たった一人で、その家の玄関へと一歩、また一歩と、進んでいく。
俺とアカリさんは、少し離れた車のそばから祈るような気持ちで、固唾をのんで、その背中を見守っていた。
篠田さんが震える指でインターホンを押す。
しばらくの沈黙。
やがて、ゆっくりと玄関のドアが開かれた。
中から現れたのは、ふんわりとした銀色の髪を結い上げた、上品で優しい笑顔が印象的なおばあちゃんだった。
彼女は、目の前に立つ、見知らぬ老紳士を見て、最初は不思議そうな顔で小さく首を傾げた。
篠田さんが震える声を、なんとか絞り出す。
「……小夜子、くん。わしだ。……篠田、幸太郎だ」
その名前を聞いた瞬間。
彼女のまとっていた穏やかな時間が、ぴたり、と止まった。
大きく見開かれた瞳が、驚きと懐かしさ、喜びと戸惑い、あまりにも多くの感情で大きく揺れているように見える。
どんなドラマチックな言葉が交わされるのだろうか。
俺が、ごくりと息をのんだ、その時。
彼女は、ふわりと咲いた。
まるで五十年の時など、なかったかのように。
昔、篠田さんが愛した、ひまわりのような笑顔で。
「……まあ、幸太郎さん。お久しぶりね」
その声は、あまりにも穏やかで自然だった。
「ずっと、お元気でいらした? よかったわ」
それは、彼を責める言葉ではなかった。忘れていたわけでも、もちろんない。
長すぎるほどの年月が、かつての恋する乙女を、すべてを優しく受け入れられる、強く、そして温かい一人の女性へと変えていたのだ。
篠田さんも、その変わらない笑顔を見て、心から安堵したように、全ての緊張から解き放たれた、最高の笑顔を返した。
「ああ。君こそ……。その笑顔は、少しも変わらないな」
小夜子さんは、にっこりと微笑む。
「さあ、立ち話もなんだから。どうぞ、上がって。お茶でも、いかが?」
彼女は、篠田さんをゆっくりと家の中へと招き入れた。
玄関のドアが静かに閉まる。
残された俺とアカリさんは、その光景を、ただ黙って見つめていた。
アカリさんの大きな瞳から、ぽろり、と一筋の涙がこぼれ落ちたのを、俺は見ないフリをした。
五十年という長すぎた時を超えて。
二人の物語が今、再び、静かに交差した。
閉ざされた扉の向こう側で、一体、どんな言葉が紡がれているのだろうか。
俺たちは、ただ、その家の庭で秋風に揺れるコスモスを眺めながら、その時を待つことしかできなかった。
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