灰の傭兵と光の園~人型巨大兵器が灰の戦場を駆ける。守ったのは誰だ。生き残ったのは誰だ。

青羽イオ

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第二章 守る者たち

第6話 守られるもの

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 食堂には、今夜から使う子ども専用区画が新しく作られていた。
 床には細いラインが引かれ、端ごとに小さな区画灯が置かれている。その柔らかな光が、子ども用の机と椅子の並びをぐるりと囲むように灯っていた。

 親子連れは迷わずその内側へ入っていき、大人たちの大きな荷物は、自然と外側の集積スペースのほうへ押しやられていく。
 灯りの列を境目にして、「子どもの場所」と「それ以外」が、ゆっくり形を分けていった。

 ザクレロ兄弟は、そんな食堂の片隅で黙々と手を動かしていた。

 兄ザクレロは、通路を塞いでいた荷物を「ほいっ」と軽々と持ち上げて、別の場所へ運んでいく。
 通り道が少し広くなるたび、人の流れがすっとなめらかになった。

「ほら、こっちだ。通れ通れ!」

 弟ポチは、そのすぐ横でしゃがみ込み、キャスターが固まって動かなくなったベビーカーをじっと覗き込んでいた。
 固着したブレーキ部分に工具を当て、何度か確かめるように動かす。

「固まってただけだ。……ほら、もう動く」

 押してみせると、ベビーカーは素直に前へ転がった。
 子どもを抱いた母親が深々と頭を下げ、何度もお礼を言う。ポチは照れくさそうに片手を振った。

「いいって。俺らのほうがヒマしてんだ」

 そう言いつつ、腰の工具入れを直してまた次のベビーカーへ向かう。

 温かいスープの匂いと、皿やスプーンの音が重なって、食堂の空気がゆっくりと食事前のざわめきに変わっていく。

 ザクレロ兄弟も列に並び、手洗い場では無言のまま消毒液を丹念にこすり合わせていた。
 兄ザクレロは頑丈な肩幅と、日焼けした頬に落としきれない油じみ。
 弟ポチは歩くたび、腰の金具がカチリ、カチリと小さく鳴る。

「兄貴、腹の音がこの艦の唸りよりデカいぞ」

「俺の腹に合わせて鳴るんだ」

 そんなやりとりに、近くの避難民がくすっと笑った。

 サキが、こんなに近くで傭兵を見るのは、これが初めてだった。

 「傭兵」と聞くと、頭の中にはいつも同じ姿が浮かぶ。
 声が大きくて、目が鋭くて、子どもなんかが近づいたらすぐ怒鳴られそうな大人たち。

 町で大人たちが噂話をするときも、たいていそんな調子だったから、サキもどこかでそう信じ込んでいた。

 けれど、目の前の二人は少し違っていた。
 体格は大きく、腕も太い。なのに、軽口を飛ばし合いながら、トレイの扱いは驚くほど丁寧だ。
 子どもの前を通るときは、自然と歩幅を落とし、トレイがぶつからない距離をきちんと取っている。

 その所作を見ているうちに、サキの肩からふっと力が抜けた気がした。
 想像していたような乱暴さは、どこにも見当たらない。
 目につくのは、決められた手順どおりに動いて、子どもたちの間をそっとすり抜けていくトレイと、それを支える大きな手だけだった。

 そのとき、食堂の隅のほうで金属トレイが小さく鳴った。
 サキは反射的にそちらへ目を向ける。

 *

 隅のテーブルで、アキヒトが伏せていた端末を静かに持ち上げ、画面を一度だけ見直してから、向かいの相手に報告を口にした。

「……先週の観測班。未復帰のまま」

 言いながら、自分でもその言い方がいちばん角が立たないと分かっていた。

 先週、カルディアの依頼で、戦闘要員として観測班に同行した。
 レゾナンド・シティ由来の旧研究所に向かい、無線が途絶えた班の生死を確認する任務だった。

 研究所の入口は、いかにも「管理されています」という顔で整然としていたが、奥へ進むほど壁の焼け焦げが増えていった。
 主要な扉は外側から封がされ、誰かが無理やり閉じ込めたような痕跡がそのまま残っていた。

 中層では骸蛾〈ガイガ〉と交戦し、翅を落としてどうにか退けた。
 死に際に吐き出した噴出物で視界が一瞬真っ白になり、生きて戻れたのは、本当に紙一重だったと今でも思う。

 拾い上げた記録データと、回収した物は、すべてカルディアに送られた。
 手元に残ったのは、転送されてきた数字と分析結果の一覧だけだ。

 その数字を現場で拾っていたはずの観測班の所属記録も、死亡報告も、どこにも見当たらない。

(いるのか、もういないのか。その肝心なところだけ、抜け落ちたまま)

 帰り道、奥歯のあいだから鉄のような苦い味がずっと消えなかった。
 報告書に書ける事実は「未復帰」だけ。それが、いちばん軽くて、いちばん痛みの少ない言葉だと分かってしまうのが、なおさら嫌だった。

 向かいに座るヒロは、缶コーヒーをテーブルに戻し、視線を落としたまま答える。

「詳報は明日でいい。……まず食え」

 こういうとき、まず飯を押しつけてくるのがヒロだと、アキヒトは知っている。
 腹を動かしてから頭を動かす。隊を持つ人間の言い方だ。

 二人のあいだを、温かいスープの湯気が細く渡っていく。

「生きて戻る。それが仕事だ」

 短い言葉なのに、その中に「真相より先に胃袋。成果より先に、生存」という考えが、全部詰まっている気がした。

 アキヒトは短くうなずき、余計な言葉は挟まずにスープを口へ運ぶ。
 塩気が舌に触れた瞬間、内側にこびりついていた冷たさが、ほんの少しだけほどけていった。

「しかし、カルディアらしいな」

 向かいでヒロがぼそっとこぼす。声は低いが、どこか乾いている。

「金で雇った傭兵には何も知らせない。事前情報すらまともにない、なんてざらだ」

「カルディアは“企業”だからな。国じゃない」

 スプーンを皿のふちに置きながら、アキヒトが短く返す。

「国のほうが、もうほとんど死んでるだけだろ」

 ヒロは肩をすくめた。

「白帯も橋も資源都市も、今はカルディアの持ち物だ。軍も役所も、看板だけ残して、まとめてあいつらの管理下だ」

「住んでるやつは、市民じゃなくて顧客か社員番号、ってわけか」

 アキヒトが、半分ため息みたいに言う。

「守るかどうかも、帳簿の数字で決まる。……そういう連中だ」

 ヒロは空になった皿を指先で回し、ふっと口の端だけで笑った。

「で、外側の穴埋めは、うちみたいな傭兵任せ」

「仕事は来る。文句を言う筋合いもない」

 そう言いながらも、アキヒトはスプーンを持つ手に、ほんの少しだけ力をこめた。

「観測班はカルディアの人間だったはずだ」

「だろうな」

 ヒロはスプーンの先で皿の縁を軽くたたき、短く息を吐く。

「やつらには、そんなことはどうでもいい。ほしいのはデータだ。人の命は、データより軽い」

 最後の一文だけ、わずかに声に重さが乗った。
 それが、どこか遠い話ではないと知っている響きだった。

 アキヒトは、ほんの少し眉を寄せる。

「そうか」

 それ以上、言葉は足さない。
 ヒロの横顔に、同じものを見てきた者の影があるのを知っているから、踏み込み過ぎない距離を、無意識に選んでしまう。

「気に入らんがな」

 ヒロはそう締めくくると、それ以上は何も言わずにスープをすすった。
 アキヒトも視線を皿に戻しながら、相づちのように口を開く。

「そうだな」

 二人のあいだに、短い沈黙が落ちる。
 ただ、スープの湯気だけが、静かに立ちのぼり続けていた。

 ヒロが空になった缶コーヒーを無言で潰した。
 その音がテーブルに響いた刹那、食堂の扉から入っていた風がぴたりと止まる。

 ヒロの鼻先に、金属を水で薄めたような重い匂いがひっかかった。
 灰霧が濃くなったときにだけ混じる、嫌な匂いだ。

 照明が一度だけ暗くなり、その直後、壁の継ぎ目から細い水の筋がにじみ出す。
 足元の区画ライン灯が、警告灯のように点滅を始めた。

「……いまの、何?」

 近くのテーブルで、誰かが小さくつぶやく。

「停電じゃない。艦が揺れてる」

 隅の席にいた整備員が顔を上げる。
 耳を澄ますと、遠くで何かが艦の外殻を叩く、鈍い連打が確かに聞こえた。

「子ども、席から立たせないで!」

 配膳台の向こうから、はるゑの声が飛ぶ。
 いつもより少し高い声色に、周囲の大人たちの表情が引き締まった。

 椅子が軋み、泣き声が喉のところで詰まる。小さな肩が一斉にこわばる。

 ヒロは一拍だけ間を置き、全体に届くような低い声で指示を出した。

「動くな。この区画から出るな」

 兄ザクレロは即座に近くの荷物を脇へよけ、万が一のための通路を確保する。
 弟ポチは端末を引き寄せ、ドローンの状態を一目で確認したあと、すぐに画面から顔を上げて子どもたちを見回した。

 サキは、不安をそのまま映さないように気をつけながら、子どもたち一人ひとりの目を見て、やさしく声をかける。

「ここは大人がみんなで守ってる。大丈夫だよ」

 恐怖に震える小さな手が伸びてきて、袖口をつかんだ。
 その手を、今度はサキのほうから包み込むように握り返す。

 細い指先にこもった力を感じながら、サキもまた、自分の足をこの場所に踏みとどまらせていた。
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