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Ep.6:ガレージの錬金術師(試行錯誤のDIY)
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帰宅したのは、午後二時を回った頃だった。
予定より二時間もオーバーしている。
俺は玄関の前で深呼吸をし、乱れた呼吸と、未だにバクバクといっている心臓を落ち着かせた。
問題は、この左手だ。
俺はボストンバッグの奥から、帰りにドラッグストアで慌てて購入した包帯と、LLサイズのサポーターを取り出した。
駅のトイレで応急処置はしたが、改めて見ると絶望的な光景だ。肘から先が、完全に変質している。艶消しの黒い金属質の皮膚。以前より一回り、いや二回りほど太くなった前腕。そして指先は、鋭利なナイフのような爪に変わっている。
試しに爪先で玄関のドアノブを軽くつつくと、カチンという硬質な音がして、塗装が剥げた。
……凶器だ。
こんな手で、愛する妻や娘に触れられるわけがない。
俺は震える手で、包帯を巻き始めた。
「痛っ……くそ、引っかかるな」
包帯を巻こうとするたびに、鋭い爪が布地に引っかかり、糸を引きつらせる。
まるで、不器用な猫が毛糸玉と格闘しているようだ。
それでも何重にも巻きつけ、ドラえもんの手のように丸くしてから、無理やりサポーターを被せた。
パンパンだ。どう見ても「ちょっと挫いた」レベルではない。
「複雑骨折してギプスで固定中」と言った方が信憑性がある太さだ。
俺は泥だらけのジャージをボストンバッグの最深部に隠し、意を決してドアを開けた。
「た、ただいまー……」
リビングに入ると、妻の友里が心配そうな顔で飛んできた。
「あなた! 遅かったじゃない。電話も出ないし……って、その手どうしたの!?」
当然の反応だ。
俺は用意していた言い訳を、早口でまくし立てた。
「あー、いや、ウォーキング中にね。ちょっと段差で躓いて、手をついたらグキッとな。病院行ったら、重度の捻挫と腱鞘炎だって言われてさ。固定されちゃったよ、あはは」
嘘八百だ。
だが、友里は疑う様子もなく、眉を下げた。
「もう、気をつけてよ……。運動不足なのに急に張り切るから。ご飯食べる? 温め直すけど」
「ああ、頼むよ」
第一関門突破。
安堵してソファに腰を下ろそうとした、その時だった。
自室から降りてきた娘の凛が、リビングに入ってきた瞬間、鼻をつまんで露骨に顔をしかめたのだ。
「……くさっ」
心臓が止まるかと思った。
「え? な、何がだ?」
「パパ、なんか臭い。ドブみたいな、変な薬品みたいな臭いする。ちゃんとシャワー浴びた?」
致命的な指摘だ。
ダンジョンの出口で、義務付けられた洗浄シャワーは浴びた。
だが、あの業務用石鹸の質が悪かったのか、それともスライムの体液やゴブリンの血の臭いが強烈すぎたのか。
俺の体には、ダンジョン特有の「魔素臭」が染み付いていたのかもしれない。
「あー、その、湿布だよ! 病院の湿布がキツくてさ!」
「ふーん。それにしても臭い。公衆トイレみたい。近寄らないで」
凛はそれだけ言うと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、俺から半径二メートル以上の距離を保って去っていった。
近寄らないで。
その言葉が、ゴブリンの殴打よりも重く、心に突き刺さる。
命がけで戦って帰ってきた結果が、これか。
俺は涙を呑んで、左手の包帯をさすった。
◇
深夜一時。
家族が寝静まったのを確認して、俺は聖域へと向かった。
自宅の庭の隅にある、三坪ほどのプレハブ小屋。
通称、ガレージ。
俺の趣味であるDIY道具や、釣り具(一度しか使っていない)、そして過去の遺物たちが眠る場所だ。
ここだけが、家庭内で俺に残された唯一の不可侵領域だ。
作業机の上に、今日の戦利品を並べる。
ビー玉ほどの大きさの赤い石――スライムの核が十個。
帰り道、ガントレットの身体強化能力のおかげで、襲ってきたスライム数匹を返り討ちにして手に入れたものだ。
恐怖のあまり過剰防衛気味にモンキーレンチを振り回したら、面白いようにスライムが弾け飛んだのだ。
「さて……」
俺は電卓を叩く。
一個五十円。十個で五百円。
往復の電車賃が九百八十円。
ジャージの破損代、プライスレス。
どう計算しても大赤字だ。
非課税だの手取り一〇〇%だの喜んでいたが、元が少なすぎて話にならない。これでは「副業」どころか「道楽」だ。
「これじゃあ、凛に新しいバッグも買ってやれないな」
俺は溜息をつき、スマホで「スライムの核 活用法」と検索をかけた。
画面に並ぶのは、相変わらず「相場下落中」「ゴミ」「子供のオモチャ」といったネガティブなワードばかり。
だが、検索結果の二十ページ目。
ある大学の研究論文のPDFに、俺の目は釘付けになった。
『スライム核の主成分分析:高純度コラーゲンおよび低分子ヒアルロン酸の結晶体。ただし、魔素による不純物が多く、精製コストが採算割れするため産業利用は困難』
元・エンジニアである俺の勘が、ピクリと反応した。
――仮説1:素材自体は優秀である。
――仮説2:市場価値が低いのは、「不純物を取り除くコスト」が高すぎるからだ。
つまりだ。
もし、個人レベルで、低コストに不純物を取り除くことができれば? このゴミ同然の石ころが、高級化粧品の原料に化ける可能性がある。
メーカーは「工場での大量生産」を前提にするからコストが合わない。
だが、俺には自分の人件費(タダ)と、週末の時間がある。
「やってみる価値はあるな」
俺の中の理系魂に火がついた。
早速、実験開始だ。
まずは物理的な分離を試みる。
キャンプ用のカセットコンロと、手鍋を用意する。
スライムの核を五個ほど鍋に入れ、水を加えて煮込む。
融点は低いらしく、核はすぐに溶けて、どろりとした赤い液体になった。
「うっ……!」
直後、猛烈な悪臭がガレージに充満した。
腐った卵と、アンモニアを煮詰めたような臭い。
これだ。凛が「ドブ臭い」と言った原因は、この魔素の臭いだ。
「やばい、近所迷惑になる!」
慌てて換気扇を「強」にし、消臭スプレーを乱射する。
ガスマスクが欲しい。
涙目で鍋をかき混ぜるが、液体は濁ったままだ。
黒い粒のような不純物が浮遊しており、とても肌に塗れる代物ではない。
――実験1:煮沸法。
結果:失敗。悪臭の発生と、分離不全。
次は濾過――フィルタリングだ。
コーヒー用のドリッパーとフィルターをセットし、煮溶かした液体を流し込む。
ポタ、ポタ……。
落ちてくる液体は、多少マシにはなったが、まだ薄汚れた赤色をしている。
これでは化粧水には程遠い。
「くそっ、やっぱり専用の遠心分離機とか、魔法的な触媒がないと無理なのか……」
俺は頭を抱えた。
所詮は素人のDIY。
企業の研究所が匙を投げた案件を、おっさんが鍋一つで解決できるわけがなかったのだ。
ビーカー(計量カップ)の中で濁っている液体を見つめる。
ただの汚い汁だ。
これを友里にプレゼントしたら、離婚届を突きつけられるだろう。
諦めて、廃棄しようと手を伸ばした時だった。
ドクン。
左手の包帯の下で、ガントレットが脈打った。
「うおっ、またかよ」
痛みはない。だが、何かが「欲しがっている」ような感覚。
空腹? いや、これは……?
俺の意思とは無関係に、左手が勝手にビーカーへと伸びる。
包帯の隙間から、黒いモヤのようなものが滲み出した。
それはまるで生き物のように蠢き、細い触手となってビーカーの中へ垂れ下がっていく。
「おい、やめろ! 汚い!」
止めようとしたが、体か動かない。
黒い触手は液体の中に浸ると、スポイトのように何かを吸い上げ始めた。
ジュル、ジュルル……。
不快な音。
だが、驚くべき現象が起きていた。
触手が吸い上げているのは、液体そのものではない。
液体の中に混じっていた、「黒い不純物」だけを選んで吸収しているのだ。
みるみるうちに、濁っていた赤黒い液体が、透き通っていく。悪臭の元となっていた魔素のカスを、ガントレットが「餌」として捕食している。
「……マジか」
俺は息を呑んでその光景を見守った。
一分もしないうちに、ビーカーの中身は劇的に変形していた。
不純物が完全に除去され、クリスタルのように輝く、透明感のあるピンク色の液体。
そして、ガントレットは満足げに、ドクンと大きく脈打った。
その直後だった。
シュルル……。
左手に変化が起きた。
あれほど邪魔だった鋭利な鉤爪が、音もなく黒い装甲の内側へとスライドし、収納されたのだ。
それだけではない。
一太く、無骨でゴツゴツしていた装甲の表面が滑らかになり、俺の腕の筋肉に合わせるようにギュッと収縮した。
まだ普通の腕よりは太いが、先ほどまでの「異物感」はかなり薄れている。
「……お前、腹がいっぱいになって落ち着いたのか?」
恐る恐る左手を握ったり開いたりしてみる。
軽い。
指の動きもスムーズだ。これならキーボードも打てるし、包帯を巻くのも格段に楽になる。
どうやらこのガントレットは、使えば使うほど(食わせれば食わせるほど)、持ち主に馴染んで進化する性質があるのかもしれない。
今はまだ黒い手甲のままだが、いつか完全に普通の腕に見えるよう擬態できるようになるかもしれない。そんな予感がした。
――仮説3:ガントレット(影喰らい)は、魔素や不純物を「影」として認識し、捕食・分離する能力を持つ。さらに、成長(適合)する。
俺は震える手で、精製された液体をスポイトで取り、手の甲に垂らしてみた。
スゥッと肌に馴染む。
ベタつきはない。
それどころか、塗った瞬間から肌が内側から潤い、キメが整っていくのが肉眼で分かる。
カサカサだった俺の中年の手の甲が、まるで赤ちゃんの肌のようにモチモチになっているではないか。
「す、すげぇ……」
これは、ただのコラーゲンじゃない。
魔素という不純物を取り除いたことで、純粋な魔力成分だけが凝縮された「超高純度魔法美容液(ポーション)」だ。
市販の高級化粧水が「水で薄めたカルピス」だとしたら、これは「原液」そのものだ。
俺はガレージの天井を仰いだ。
スキル名をつけるなら、『影の遠心分離(シャドウ・セパレート)』といったところか。
科学の知識と、ガントレットの力。
この二つが融合した時、ゴミは宝に変わる。
俺は百均で買っておいた小さな小瓶に、その奇跡の液体を慎重に移し替えた。
これなら。
これを友里にプレゼントすれば、もしかしたら。
俺の家庭内ランクも、EからDくらいには上がるかもしれない。
ガレージの蛍光灯の下で、ピンク色の小瓶が希望の光のように輝いていた。
少しだけスリムになった左手を撫でながら、俺はニヤけそうになる顔を引き締め、そっと小瓶をポケットにしまった。
明日の朝が、勝負だ。
予定より二時間もオーバーしている。
俺は玄関の前で深呼吸をし、乱れた呼吸と、未だにバクバクといっている心臓を落ち着かせた。
問題は、この左手だ。
俺はボストンバッグの奥から、帰りにドラッグストアで慌てて購入した包帯と、LLサイズのサポーターを取り出した。
駅のトイレで応急処置はしたが、改めて見ると絶望的な光景だ。肘から先が、完全に変質している。艶消しの黒い金属質の皮膚。以前より一回り、いや二回りほど太くなった前腕。そして指先は、鋭利なナイフのような爪に変わっている。
試しに爪先で玄関のドアノブを軽くつつくと、カチンという硬質な音がして、塗装が剥げた。
……凶器だ。
こんな手で、愛する妻や娘に触れられるわけがない。
俺は震える手で、包帯を巻き始めた。
「痛っ……くそ、引っかかるな」
包帯を巻こうとするたびに、鋭い爪が布地に引っかかり、糸を引きつらせる。
まるで、不器用な猫が毛糸玉と格闘しているようだ。
それでも何重にも巻きつけ、ドラえもんの手のように丸くしてから、無理やりサポーターを被せた。
パンパンだ。どう見ても「ちょっと挫いた」レベルではない。
「複雑骨折してギプスで固定中」と言った方が信憑性がある太さだ。
俺は泥だらけのジャージをボストンバッグの最深部に隠し、意を決してドアを開けた。
「た、ただいまー……」
リビングに入ると、妻の友里が心配そうな顔で飛んできた。
「あなた! 遅かったじゃない。電話も出ないし……って、その手どうしたの!?」
当然の反応だ。
俺は用意していた言い訳を、早口でまくし立てた。
「あー、いや、ウォーキング中にね。ちょっと段差で躓いて、手をついたらグキッとな。病院行ったら、重度の捻挫と腱鞘炎だって言われてさ。固定されちゃったよ、あはは」
嘘八百だ。
だが、友里は疑う様子もなく、眉を下げた。
「もう、気をつけてよ……。運動不足なのに急に張り切るから。ご飯食べる? 温め直すけど」
「ああ、頼むよ」
第一関門突破。
安堵してソファに腰を下ろそうとした、その時だった。
自室から降りてきた娘の凛が、リビングに入ってきた瞬間、鼻をつまんで露骨に顔をしかめたのだ。
「……くさっ」
心臓が止まるかと思った。
「え? な、何がだ?」
「パパ、なんか臭い。ドブみたいな、変な薬品みたいな臭いする。ちゃんとシャワー浴びた?」
致命的な指摘だ。
ダンジョンの出口で、義務付けられた洗浄シャワーは浴びた。
だが、あの業務用石鹸の質が悪かったのか、それともスライムの体液やゴブリンの血の臭いが強烈すぎたのか。
俺の体には、ダンジョン特有の「魔素臭」が染み付いていたのかもしれない。
「あー、その、湿布だよ! 病院の湿布がキツくてさ!」
「ふーん。それにしても臭い。公衆トイレみたい。近寄らないで」
凛はそれだけ言うと、冷蔵庫から麦茶を取り出し、俺から半径二メートル以上の距離を保って去っていった。
近寄らないで。
その言葉が、ゴブリンの殴打よりも重く、心に突き刺さる。
命がけで戦って帰ってきた結果が、これか。
俺は涙を呑んで、左手の包帯をさすった。
◇
深夜一時。
家族が寝静まったのを確認して、俺は聖域へと向かった。
自宅の庭の隅にある、三坪ほどのプレハブ小屋。
通称、ガレージ。
俺の趣味であるDIY道具や、釣り具(一度しか使っていない)、そして過去の遺物たちが眠る場所だ。
ここだけが、家庭内で俺に残された唯一の不可侵領域だ。
作業机の上に、今日の戦利品を並べる。
ビー玉ほどの大きさの赤い石――スライムの核が十個。
帰り道、ガントレットの身体強化能力のおかげで、襲ってきたスライム数匹を返り討ちにして手に入れたものだ。
恐怖のあまり過剰防衛気味にモンキーレンチを振り回したら、面白いようにスライムが弾け飛んだのだ。
「さて……」
俺は電卓を叩く。
一個五十円。十個で五百円。
往復の電車賃が九百八十円。
ジャージの破損代、プライスレス。
どう計算しても大赤字だ。
非課税だの手取り一〇〇%だの喜んでいたが、元が少なすぎて話にならない。これでは「副業」どころか「道楽」だ。
「これじゃあ、凛に新しいバッグも買ってやれないな」
俺は溜息をつき、スマホで「スライムの核 活用法」と検索をかけた。
画面に並ぶのは、相変わらず「相場下落中」「ゴミ」「子供のオモチャ」といったネガティブなワードばかり。
だが、検索結果の二十ページ目。
ある大学の研究論文のPDFに、俺の目は釘付けになった。
『スライム核の主成分分析:高純度コラーゲンおよび低分子ヒアルロン酸の結晶体。ただし、魔素による不純物が多く、精製コストが採算割れするため産業利用は困難』
元・エンジニアである俺の勘が、ピクリと反応した。
――仮説1:素材自体は優秀である。
――仮説2:市場価値が低いのは、「不純物を取り除くコスト」が高すぎるからだ。
つまりだ。
もし、個人レベルで、低コストに不純物を取り除くことができれば? このゴミ同然の石ころが、高級化粧品の原料に化ける可能性がある。
メーカーは「工場での大量生産」を前提にするからコストが合わない。
だが、俺には自分の人件費(タダ)と、週末の時間がある。
「やってみる価値はあるな」
俺の中の理系魂に火がついた。
早速、実験開始だ。
まずは物理的な分離を試みる。
キャンプ用のカセットコンロと、手鍋を用意する。
スライムの核を五個ほど鍋に入れ、水を加えて煮込む。
融点は低いらしく、核はすぐに溶けて、どろりとした赤い液体になった。
「うっ……!」
直後、猛烈な悪臭がガレージに充満した。
腐った卵と、アンモニアを煮詰めたような臭い。
これだ。凛が「ドブ臭い」と言った原因は、この魔素の臭いだ。
「やばい、近所迷惑になる!」
慌てて換気扇を「強」にし、消臭スプレーを乱射する。
ガスマスクが欲しい。
涙目で鍋をかき混ぜるが、液体は濁ったままだ。
黒い粒のような不純物が浮遊しており、とても肌に塗れる代物ではない。
――実験1:煮沸法。
結果:失敗。悪臭の発生と、分離不全。
次は濾過――フィルタリングだ。
コーヒー用のドリッパーとフィルターをセットし、煮溶かした液体を流し込む。
ポタ、ポタ……。
落ちてくる液体は、多少マシにはなったが、まだ薄汚れた赤色をしている。
これでは化粧水には程遠い。
「くそっ、やっぱり専用の遠心分離機とか、魔法的な触媒がないと無理なのか……」
俺は頭を抱えた。
所詮は素人のDIY。
企業の研究所が匙を投げた案件を、おっさんが鍋一つで解決できるわけがなかったのだ。
ビーカー(計量カップ)の中で濁っている液体を見つめる。
ただの汚い汁だ。
これを友里にプレゼントしたら、離婚届を突きつけられるだろう。
諦めて、廃棄しようと手を伸ばした時だった。
ドクン。
左手の包帯の下で、ガントレットが脈打った。
「うおっ、またかよ」
痛みはない。だが、何かが「欲しがっている」ような感覚。
空腹? いや、これは……?
俺の意思とは無関係に、左手が勝手にビーカーへと伸びる。
包帯の隙間から、黒いモヤのようなものが滲み出した。
それはまるで生き物のように蠢き、細い触手となってビーカーの中へ垂れ下がっていく。
「おい、やめろ! 汚い!」
止めようとしたが、体か動かない。
黒い触手は液体の中に浸ると、スポイトのように何かを吸い上げ始めた。
ジュル、ジュルル……。
不快な音。
だが、驚くべき現象が起きていた。
触手が吸い上げているのは、液体そのものではない。
液体の中に混じっていた、「黒い不純物」だけを選んで吸収しているのだ。
みるみるうちに、濁っていた赤黒い液体が、透き通っていく。悪臭の元となっていた魔素のカスを、ガントレットが「餌」として捕食している。
「……マジか」
俺は息を呑んでその光景を見守った。
一分もしないうちに、ビーカーの中身は劇的に変形していた。
不純物が完全に除去され、クリスタルのように輝く、透明感のあるピンク色の液体。
そして、ガントレットは満足げに、ドクンと大きく脈打った。
その直後だった。
シュルル……。
左手に変化が起きた。
あれほど邪魔だった鋭利な鉤爪が、音もなく黒い装甲の内側へとスライドし、収納されたのだ。
それだけではない。
一太く、無骨でゴツゴツしていた装甲の表面が滑らかになり、俺の腕の筋肉に合わせるようにギュッと収縮した。
まだ普通の腕よりは太いが、先ほどまでの「異物感」はかなり薄れている。
「……お前、腹がいっぱいになって落ち着いたのか?」
恐る恐る左手を握ったり開いたりしてみる。
軽い。
指の動きもスムーズだ。これならキーボードも打てるし、包帯を巻くのも格段に楽になる。
どうやらこのガントレットは、使えば使うほど(食わせれば食わせるほど)、持ち主に馴染んで進化する性質があるのかもしれない。
今はまだ黒い手甲のままだが、いつか完全に普通の腕に見えるよう擬態できるようになるかもしれない。そんな予感がした。
――仮説3:ガントレット(影喰らい)は、魔素や不純物を「影」として認識し、捕食・分離する能力を持つ。さらに、成長(適合)する。
俺は震える手で、精製された液体をスポイトで取り、手の甲に垂らしてみた。
スゥッと肌に馴染む。
ベタつきはない。
それどころか、塗った瞬間から肌が内側から潤い、キメが整っていくのが肉眼で分かる。
カサカサだった俺の中年の手の甲が、まるで赤ちゃんの肌のようにモチモチになっているではないか。
「す、すげぇ……」
これは、ただのコラーゲンじゃない。
魔素という不純物を取り除いたことで、純粋な魔力成分だけが凝縮された「超高純度魔法美容液(ポーション)」だ。
市販の高級化粧水が「水で薄めたカルピス」だとしたら、これは「原液」そのものだ。
俺はガレージの天井を仰いだ。
スキル名をつけるなら、『影の遠心分離(シャドウ・セパレート)』といったところか。
科学の知識と、ガントレットの力。
この二つが融合した時、ゴミは宝に変わる。
俺は百均で買っておいた小さな小瓶に、その奇跡の液体を慎重に移し替えた。
これなら。
これを友里にプレゼントすれば、もしかしたら。
俺の家庭内ランクも、EからDくらいには上がるかもしれない。
ガレージの蛍光灯の下で、ピンク色の小瓶が希望の光のように輝いていた。
少しだけスリムになった左手を撫でながら、俺はニヤけそうになる顔を引き締め、そっと小瓶をポケットにしまった。
明日の朝が、勝負だ。
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