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Ep.7:『週末ダンジョンDIY』始動(ネットの反応)
しおりを挟む翌朝。決戦の日曜日。
俺はダイニングテーブルにつき、向かいに座る妻の友里の様子を窺っていた。
心臓の鼓動が早い。昨日のゴブリン戦の時とは違う、種類の異なる緊張感だ。
これは、いわば新商品のプレゼンテーション前のような、ヒリつくプレッシャー。
俺のポケットには、昨夜ガレージで精製したピンク色の小瓶が入っている。
百均で買ったガラス瓶だが、中身は命がけで手に入れたプライスレスな逸品だ。
友里は食パンにマーガリンを塗りながら、けだるそうにコーヒーを啜っている。パートの疲れが溜まっているのだろう。目の下のクマが化粧で隠しきれていない。
「あのさ、友里」
俺は意を決して切り出した。
声が少し上ずる。営業部係長として、数々の謝罪――クレーム対応を乗り越えてきた俺としたことが。
「ん? 何?」
「これ、ちょっと試してみてくれないか」
俺は小瓶をテーブルの上に滑らせた。
コトッ、と乾いた音が響く。
ピンク色の液体が、朝の光を受けてキラリと輝いた。
「何これ? 化粧水?」
「ああ。実は昨日、ウォーキング中に……その、知り合いのツテで、珍しい素材が手に入ってな。俺が趣味で調合してみたんだ」
嘘だ。
「ダンジョンのゴミ捨て場で拾った鉄の手にスライムの不純物を食わせて作った」なんて言ったら、即座に保健所に通報される。
ここは「趣味のDIY」というオブラートに包むのが、大人の作法(マナー)というものだ。
「ふーん……」
友里は小瓶を手に取り、光にかざした。
疑わしげな目だ。当然だろう。夫がいきなり謎の液体を渡してきたのだ。
普通なら警戒レベルマックスだ。
「成分はコラーゲンとヒアルロン酸がメインだ。添加物は一切なし。……たぶん、肌にいいはずだ」
「たぶんって何よ。でもまあ、色は綺麗ね」
友里はキャップを開け、匂いを嗅いだ。
俺は息を止める。
昨夜、徹底的に不純物は除去したが、まだあの「ドブ臭さ」が残っていたらアウトだ。
「……無臭ね。変な香料が入ってなくていいかも」
セーフ!
心の中でガッツポーズを決める。
「まあ、せっかくだからもらっておくわ。膝とか肘のカサカサしてるところに使ってみる」
「お、おう。ぜひ感想を聞かせてくれ」
顔には塗ってくれないのか。
まあいい。まずは市場――ユーザーへの導入実績を作ることが先決だ。
俺は残りのコーヒーを一気に飲み干した。
左手の包帯の下で、ガントレットが「俺の手柄だぞ」と言わんばかりに、微かに温かくなった気がした。
◇
その日の夜。
俺はリビングで、明日の会議資料に目を通していた。
テレビからはバラエティ番組の笑い声が聞こえているが、頭には入ってこない。
気になっているのは、先ほど風呂に入った友里のことだ。
あの美容液を使っただろうか。
もしかして、肌がただれたりしていないだろうか。
一応、自分の手でパッチテストは済ませたが、あくまで俺はおっさんだ。女性のデリケートな肌に合う保証はない。
PL法――製造物責任法の恐怖に震えていると、脱衣所の方から悲鳴が聞こえた。
「きゃあああああっ!」
ビクッとして書類を取り落とす。
やらかしたかーーッッ!?
やっぱりスライムなんて塗るもんじゃなかったか!?
俺は弾かれたように立ち上がり、脱衣所へ駆けつけた。
「どうした! 大丈夫か友里!」
ドアを開けると、そこには鏡の前で顔を両手で覆っている妻の姿があった。
パジャマ姿の彼女は、俺の方を振り向き、目を丸くして叫んだ。
「あなた! これ凄い!」
怒号ではない。歓喜だ。
友里は自分の頬を、プニプニと押している。
「見てこれ! 吸い付くの! 全然違う!」
「え?」
「さっきの化粧水よ! 顔に塗ってみたら、一瞬で染み込んで……見て、目尻のシワが消えてる!」
俺は妻の顔をマジマジと見た。
……本当だ。
風呂上がりとはいえ、肌の艶が明らかに違う。
内側から発光しているような透明感。頬のたるみが消え、十年前――いや、結婚当初の彼女に戻ったような瑞々しさがある。
俺の中のエンジニア魂が、冷静に分析結果を弾き出す。
『効果:劇的改善(ビフォーアフター詐欺レベル)』。
「すごいわこれ……どこのブランド? 一本数万円するやつでしょ?」
「い、いやあ、まあ、原価は……五十円だけど」
「え?」
「なんでもない! 企業秘密だ!」
友里は上機嫌で、「明日、パートの同僚に自慢しなきゃ」と鼻歌交じりにリビングへ戻っていった。
残された俺は、洗面台の鏡に映る自分の顔を見た。
ニヤけている。
誰かの役に立てた。
会社では「お荷物」扱いの俺が、家庭では「粗大ゴミ」扱いの俺が、妻を笑顔にできた。
俺はクローゼットの奥に隠した、あのジャージを思い出した。
背中にプリントされた『勝利』の二文字。
あれは予言だったんだ。
俺は今、人生における小さい「勝利」を噛みしめていた。
◇
この感動を、記録に残したい。
承認欲求という名の怪物が、俺の中で産声を上げた。
深夜二時。
俺は再びガレージに籠もっていた。
ノートパソコンを開き、昨夜スマホで撮影しておいた動画ファイルを取り込む。
動画編集ソフトなんて触るのは初めてだ。
だが、会社でパワーポイントのアニメーション機能と格闘してきた経験が、意外なところで役に立った。
「ここをカットして……テロップを入れて……」
素材は、スライムの核を鍋で煮込むところから、悪臭に悶絶し、最後にキラキラの液体が完成するまでのプロセスだ。
もちろん、ガントレットが触手を伸ばして捕食するシーンは、巧みにカット編集した。
そこだけ見ると、まるで「煮込んで濾過したら成功しました」という風に見えるように。
これは捏造ではない。演出だ。テレビ局もよくやる手法だ。
顔出しはNG。
映っているのは、包帯でぐるぐる巻きになった俺の手元と、汚れた作業机だけ。
BGMは、フリー素材の軽快な口笛ソング。
テロップは、あえて無骨なゴシック体を選んだ。
『準備するもの:スライムの核(10個)、鍋、やる気』
『注意:めちゃくちゃ臭いです。換気扇必須』
『結果:奥さんが若返りました』
完成だ。
動画時間は五分弱。
さて、アップロード先はどうするか。
やはり世界最大手の動画投稿サイトだろう。
チャンネル名が必要だ。
カッコいい名前は似合わない。俺の等身大の活動を表す名前がいい。
『週末ダンジョンDIY』
これだ。
パパの日曜大工感と、ダンジョンという非日常のミスマッチ。
我ながら悪くないネーミングセンスだ。
動画タイトルは、検索に引っかかりそうなワードを盛り込む。
『【検証】スライムの核(50円)から高級化粧水を作ってみた#ダンジョン#DIY#検証』
投稿ボタンにカーソルを合わせる。
人差し指が震える。
これを押せば、俺は世界に発信することになる。
ただの中年サラリーマンが、クリエイター(笑)の仲間入りだ。
ええい、飛んでけーーッッ!
カチッ。
『アップロードが完了しました』
画面に表示された文字を見て、俺は深く息を吐いた。
さて、反応はどうだ?
F5キーを押してページを更新する。
再生数:0。
まあ、そんなもんだろう。
もう一度更新。
再生数:0。
……世の中、そんなに甘くない。
俺のような無名のおっさんが動画を上げたところで、大海原に小石を投げ込むようなものだ。
だが、満足感はあった。
俺は「何か」を作った。誰かの指示ではなく、自分の意志で。
それだけで、今日は十分だ。
俺はパソコンを閉じ、明日の社畜ライフに備えて寝ることにした。
◇
翌朝。
月曜日の憂鬱な通勤電車。満員電車の圧力に耐えながら、俺は吊り革に捕まり、スマホを取り出した。昨夜の動画のことなど、半ば忘れていた。
どうせ再生数ゼロのままだろう。
惰性で管理画面を開く。
『再生数:3』
「おっ……」
思わず声が出た。
3回!
世界中の誰か、三人の人間が、俺の動画を見てくれたのだ。ゼロとイチの差は無限大だ。それがサンとなれば、宇宙創成レベルの奇跡だ。
しかも、通知欄に赤いバッジがついている。
『新着コメント:1件』
心臓が跳ねる。
アンチコメントか? 「死ね」とか「つまらん」とか書かれていたらどうしよう。
俺のガラスのメンタルは耐えられるのか。
恐る恐るコメントを開く。
『名無しの探索者: これマジ? 成分分析表見せて。煮込んだだけでこんな綺麗になるわけないだろ。合成乙』
辛辣だ。
だが、興味を持っている。
「合成乙」ということは、完成品のクオリティが高すぎて合成かCGだと疑われているということだ。
これほどの褒め言葉はない。俺はこの日、ご機嫌で仕事に勤しんだ。
◇
帰りの電車で再度、管理画面を開いた。
さらに、コメントにリンクが表示されている。某巨大掲示板のまとめサイトだ。
スレタイを見て、俺はスマホを落としそうになった。
『【悲報】おっさんがスライム煮込んでてワロタ3スレ目』
……は?
3スレ目?
震える指でリンクをタップする。
1:名無しの探索者:202X/11/XX(月)07:15:23ID:xxxxxxxx
例の動画見た?
スライムの核を鍋で煮込んでるやつwww
2:名無しの探索者:
見た見たwww
投稿者名『週末ダンジョンDIY』ってwww
日曜大工感覚で錬金術すんなし
3:名無しの探索者:
でもさ、最後の液体の色、ヤバくね?
あんな透き通ったピンク色、Sランクポーションでしか見たことないぞ
4:名無しの探索者:
>>3
それな。
普通、スライム煮込んだらドブ色になるはずなんだよ。
どうやって不純物抜いたんだ?
動画だと肝心なところがカットされてる
5:名無しの探索者:
特定班カモン
この作業机の汚れ方、ガチの職人臭がする
6:名無しの探索者:
つーか、手元の包帯なに?
中二病?
7:名無しの探索者:
>>6
スライムの酸でやられたんだろw
名誉の負傷乙
……盛り上がっている。
俺の知らないところで、俺の動画がネタにされ、議論されている。
「おっさん」「中二病」と馬鹿にされつつも、成果物のクオリティには誰もが驚いている。
なんだ、この感覚は。
腹の奥が熱くなるような、むず痒いような。会社で褒められたことなんて、ここ十年一度もない。「余計なことするな」と怒られることばかりだった。
だが、ここでは。
顔も名前も知らない連中が、俺の仕事(DIY)を見てくれている。
俺はスマホを握りしめた。
左手の包帯の下、ガントレットがドクンと小さく脈打った気がした。
電車が駅に到着し、ドアが開く。
吐き出される群衆の流れに乗りながら、俺は小さく呟いた。
「……次も、やってやるか」
足取りが、いつもより少しだけ軽い気がした。
こうして、メタボ親父の週末は、世界を巻き込む騒動へと転がり始めたのだ。
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