幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾

文字の大きさ
32 / 44
ミヤコ幼少期編

第3話:小さな鱗と、初めてのブラシ

しおりを挟む

 雨が上がり、ロシロ村には本格的な夏の陽光が降り注ぐようになった。
 窓の外では、眩しい緑の木々が風に揺れ、生命の輝きを謳歌している。けれど、ジョゼクの家の中には、それとは対照的な、ひんやりと澱んだ空気が漂っていた。

 ミヤコは、部屋の隅にある窓辺の椅子に座り、ただじっと遠くの森を見つめていた。
 ジョゼクが用意してくれた服は、質素だが、糊が効いていて真っ白に透き通っている。彼女の手も、今は汚れ一つなく白く輝いていた。

(お家は、とても綺麗。私の手も、ピカピカ……)

 ミヤコは、膝の上で自分の指を一本ずつ見つめた。
 清潔であることは、彼女にとって唯一の心の拠り所だ。けれど、外側がどれほど清らかになっても、胸の奥に溜まった重たい澱みだけは、どうしても消えてはくれなかった。

 目を閉じれば、今でもあの不快な泥の匂いと、冷たくなった両親の服の感触が蘇る。

 ガタッ、という重厚な音が玄関から響いた。
 卵の世話や飼育舎の仕事を終えたジョゼクが戻ってきたのだ。彼は、家の中に「汚れ」を持ち込まないよう、玄関先で泥にまみれた大きなブーツを、驚くほど丁寧に脱いでから上がってくる。
 それは、この小さな同居人に対する、彼なりの不器用な配慮だった。

「……ミヤコ、ずっとそこにいても退屈だろう。少し、手伝ってほしいことがあるんだが」

 ジョゼクの声が、部屋のしじまを優しく揺らした。
 ミヤコがゆっくりと顔を上げると、ジョゼクは脇に小さな、編み込みの籠を抱えていた。

「……おてつだい、ですか?」

 ミヤコの消え入りそうな問いかけに、ジョゼクは静かに頷き、その籠をテーブルの上に置いた。



 ジョゼクが籠の蓋をそっと開けた、その瞬間。
 ミヤコの鼻先を、あの忌まわしい「不純物」の匂いが掠めた。

 籠の中で震えていたのは、ジョゼクが森から獲ってきた卵から、今朝がた孵ったばかりのユニコリザードの「幼獣」だった。

 その全身は、卵の殻の残滓と、粘り気のある泥のような汚れにべったりと覆われている。人工孵化の際に付着した不浄な何かが、幼い命の輝きを曇らせていた。

「あ……っ!」

 ミヤコは、その姿を認めた瞬間に悲鳴を上げた。
 椅子の背もたれに激しく体を打ち付け、転げ落ちるようにして後退する。

「嫌……嫌ぁ! あの子よ……あの子たちが、お父様とお母様を……!」

 震える指先が、目に見えない脅威を指し示す。
 幼いミヤコの脳裏に、あの日、馬車を壊し、大好きだった両親を引き裂いた「あの怪物」の姿が鮮烈にフラッシュバックした。姿形は小さくとも、それは間違いなく、自分の世界を奪った憎い種族だった。

 ミヤコは耳を塞ぎ、蹲った。呼吸が浅くなり、全身がガタガタと小刻みに震え出す。
 けれど、ジョゼクはそんな彼女のパニックを、静かな眼差しで受け止めた。

「落ち着け。……よく見るんだ。この子はまだ、何者でもねぇ。ただの、生まれたばかりの赤ん坊だ」

 ジョゼクは、自身の大きな掌を幼獣の背中に添えた。

「見てみろ。この子は、ひどく汚れている。……不潔なままだと、この小さな命の火はすぐに消えちまうんだ。……お前のその綺麗な手で、この子を助けてやってくれないか」

「……たすける……?」

 ミヤコが、指の隙間から恐る恐る顔を上げた。
 籠の中の幼獣は、自分に向けられた敵意など知る由もなく、「キュゥ……」と、か細い、今にも途絶えそうな声で鳴いていた。
 その瞳は濁り、全身を覆う汚れのせいで、呼吸をするのさえ苦しそうに見える。

「……この子も、……汚れだらけで、苦しいの?」

 ミヤコの胸の奥で、恐怖とは別の、ちりちりとした疼きが生まれた。
 自分を苦しめてきた「不潔」という重みが、この小さな命にも覆いかぶさっている。
 
 ジョゼクは何も言わず、棚から一本の小さなブラシを取り出した。
 それは、銀の装飾が施された、驚くほど柔らかい猪の毛のブラシ。

「今のお前にできる、唯一の仕事だ。やってくれるかい?」



 ミヤコは、吸い寄せられるようにしてブラシを受け取った。

 彼女はおずおずとテーブルに歩み寄り、籠の中の幼獣へと手を伸ばした。
 触れた瞬間、指先から伝わってきたのは、しっとりと柔らかな鱗の質感。そして、その下で懸命に、けれど不安げに刻まれる心臓の鼓動。

(生きてる……。……あったかい……)

 その熱が、ミヤコの凍りついていた感覚を呼び覚ましていく。
 彼女は深く息を吐くと、小さな背中にそっとブラシを当てた。

「……痛くない? ……そう、いい子ね。今、綺麗にしてあげるから」

 ミヤコがブラシを滑らせた、その刹那。
 彼女の指先から、本人さえ気づかないほど淡く、温かな桃色の光が漏れ出した。
 綺麗にしてあげたいという彼女の清らかな意志が、無意識のうちに魔力となってブラシに乗る。

 カサ、カサ……。

 ブラシが動くたび、粘ついていた汚れが、魔法の泡に包まれてさらさらとした粉へと変わっていく。
 汚れが剥がれ落ちるたび、下から現れたのは、真珠のように美しい、乳白色の鱗の輝き。
 
 ミヤコは、いつの間にか夢中になっていた。
 ブラシを入れる角度、汚れを浮かす力加減。彼女の指先は、以前から知っていたかのように、幼獣が求めている場所を的確に捉えていく。
 汚れを落とすたびに、自分の胸を圧迫していた「黒い霧」も、一緒に吸い取られていくような不思議な感覚。

「……きれいになってきた。もっと、ピカピカにしてあげましょうね」

 幼獣は、あまりの心地よさに驚いたように目を丸くしていたが、次第に力を抜き、ミヤコの手のひらに甘えるように顎を乗せた。
 
 ジョゼクはその様子を、背後で黙って見守っていた。
 幼獣が、少女の手のひらで一瞬にして凪いでいく。
 その実、ミヤコの横顔には、あの日以来一度も見せなかった、少女らしいまたたきが宿っていた。



 鱗の掃除が終わったとき、籠の中にいたのは、もはやあの汚れた塊・・・・ではなかった。
 朝の光を全身に浴びて、七色の光を弾く宝石のような、美しいユニコリザードの幼獣。
 
「……うん、できた。おわり」

 ミヤコがブラシを置くと、幼獣は誇らしげに胸を張り、ミヤコの頬をペロリと一度だけ舐めた。
 ざらりとした温かな舌の感触。
 
「ふふ……、くすぐったいわ」

 ミヤコの唇から、小さな笑みがこぼれた。
 それは、あの日からずっと消えていた、生きた喜びの微笑みだった。

「……ジョゼクさん。見て、この子……笑ってるみたい。綺麗になったら、とっても嬉しそう」

「ああ。……お前が、そいつを磨き上げたんだ」

 ジョゼクは岩のような顔をわずかに緩めると、棚から新しい赤い色のリボンを取り出した。
 彼はミヤコの白銀の髪に、不器用な手つきでそのリボンを結び直してやる。

「これからは、この子が寂しくねぇように、お前が毎日手入れをしてやってくれ」

「……はい! 私、この子のこと、もっとピカピカにしてあげたい」

 ミヤコは幼獣を大切に抱きしめた。
 その腕の中で、命が柔らかく脈打っている。

(そうか。綺麗にすれば、この子も。……私も。少しだけ、苦しくなくなるんだわ)

 彼女はこの時、自分自身の「救い」を見つけた。
 どんなに悲しい記憶も、不潔な過去も。この手で磨き続ければ、いつか本来の輝きを取り戻せるはずだという予感。

 山あいの静かな家。
 幼い少女と、小さなユニコリザード。
 温かなスープの匂いに包まれながら、世界で一番小さな幻獣トリマー・・・・・・は、静かに、その活動を始めたのである。

 ミヤコの瞳に宿った新しい光は、窓の外の夏の太陽よりも、ずっと眩しく澄み渡っていた。

しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

婚約破棄されたので、隠していた聖女の力で聖樹を咲かせてみました

Megumi
恋愛
偽聖女と蔑まれ、婚約破棄されたイザベラ。 「お前は地味で、暗くて、何の取り柄もない」 元婚約者である王子はそう言い放った。 十年間、寡黙な令嬢を演じ続けた彼女。 その沈黙には、理由があった。 その夜、王都を照らす奇跡の光。 枯れた聖樹が満開に咲き誇り、人々は囁いた。 「真の聖女が目覚めた」と——

遺産は一円も渡さない 〜強欲な夫と義実家に捨てられた私、真の相続人と手を組み全てを奪い返す~ (全10話)

スカッと文庫
恋愛
「お前の価値なんて、その遺産くらいしかないんだよ」 唯一の肉親だった祖父を亡くした夜、夫の健一と義母から放たれたのは、あまりにも無慈悲な言葉だった。 四十九日も待たず、祖父が遺した1億2000万円の遺産をアテに贅沢三昧を目論む夫。だが、彼には隠し通している「裏切り」があった――。 絶望の淵に立たされた由美の前に現れたのは、亡き祖父が差し向けた若き凄腕弁護士・蓮。 「おじい様は、すべてお見通しでしたよ」 明かされる衝撃の遺言内容。そして、強欲な夫たちを地獄へ叩き落とすための「相続条件」とは? 虐げられてきた妻による、一発逆転の遺産争奪&復讐劇がいま幕を開ける!

ヒロインと結婚したメインヒーローの側妃にされてしまいましたが、そんなことより好きに生きます。

下菊みこと
恋愛
主人公も割といい性格してます。 アルファポリス様で10話以上に肉付けしたものを読みたいとのリクエストいただき大変嬉しかったので調子に乗ってやってみました。 小説家になろう様でも投稿しています。

年増令嬢と記憶喪失

くきの助
恋愛
「お前みたいな年増に迫られても気持ち悪いだけなんだよ!」 そう言って思い切りローズを突き飛ばしてきたのは今日夫となったばかりのエリックである。 ちなみにベッドに座っていただけで迫ってはいない。 「吐き気がする!」と言いながら自室の扉を音を立てて開けて出ていった。 年増か……仕方がない……。 なぜなら彼は5才も年下。加えて付き合いの長い年下の恋人がいるのだから。 次の日事故で頭を強く打ち記憶が混濁したのを記憶喪失と間違われた。 なんとか誤解と言おうとするも、今までとは違う彼の態度になかなか言い出せず……

「憎悪しか抱けない『お下がり令嬢』は、侍女の真似事でもやっていろ」と私を嫌う夫に言われましたので、素直に従った結果……

ぽんた
恋愛
「おれがおまえの姉ディアーヌといい仲だということは知っているよな?ディアーヌの離縁の決着がついた。だからやっと、彼女を妻に迎えられる。というわけで、おまえはもう用済みだ。そうだな。どうせだから、異母弟のところに行くといい。もともと、あいつはディアーヌと結婚するはずだったんだ。妹のおまえでもかまわないだろう」 この日、リン・オリヴィエは夫であるバロワン王国の第一王子マリユス・ノディエに告げられた。 選択肢のないリンは、「ひきこもり王子」と名高いクロード・ノディエのいる辺境の地へ向かう。 そこで彼女が会ったのは、噂の「ひきこもり王子」とはまったく違う気性が荒く傲慢な将軍だった。 クロードは、幼少の頃から自分や弟を守る為に「ひきこもり王子」を演じていたのである。その彼は、以前リンの姉ディアーヌに手痛い目にあったことがあった。その為、人間不信、とくに女性を敵視している。彼は、ディアーヌの妹であるリンを憎み、侍女扱いする。 しかし、あることがきっかけで二人の距離が急激に狭まる。が、それも束の間、王都が隣国のスパイの工作により、壊滅状態になっているいう報が入る。しかも、そのスパイの正体は、リンの知る人だった。 ※全三十九話。ハッピーエンドっぽく完結します。ゆるゆる設定です。ご容赦ください。

行き遅れ王女、重すぎる軍団長に肉で釣られる

春月もも
恋愛
25歳、独身、第四王女システィーナ。 夜会でも放置されがちな行き遅れ王女の前に、ある夜突然現れたのは、ローストビーフを差し出す重すぎる第三軍団長だった。 形のない愛は信じない。 でも、出来立ての肉は信じてしまう。 肉に釣られ、距離を詰められ、気づけば下賜され、そして初夜へ。 これは、行き遅れ王女が重たい愛で満たされるまでの、ちょっとおかしなお話。

後妻の条件を出したら……

しゃーりん
恋愛
妻と離婚した伯爵令息アークライトは、友人に聞かれて自分が後妻に望む条件をいくつか挙げた。 格上の貴族から厄介な女性を押しつけられることを危惧し、友人の勧めで伯爵令嬢マデリーンと結婚することになった。 だがこのマデリーン、アークライトの出した条件にそれほどズレてはいないが、貴族令嬢としての教育を受けていないという驚きの事実が発覚したのだ。 しかし、明るく真面目なマデリーンをアークライトはすぐに好きになるというお話です。

さよなら王子、古い聖女は去るものなのです

唯崎りいち
恋愛
元聖女の私は、自分が無能だと思い、有能な新しい聖女に任せるために王都を去ることを選んだ。しかし幼なじみの王子は、私を追いかけてくる。王子の真剣な想いと、自分の無自覚な力が国や人々に影響を与えていることに気づき、私は王都へ戻る決意をする。こうして二人は互いの気持ちを確かめ合い、結ばれる――自己評価の低い少女が本当の価値と愛に気づく、ハッピーラブファンタジー。

処理中です...