触れられ触れて、人になる。

佐倉 悦巳(さくら えつみ)

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 平和に過ぎていくかに思われた日々に問題が生じたのは、ある朝のことだった。
  (あぁもう。油断、した)
  俺は、布団にくるまったまま、苦々しい気持ちで身じろいだ。
  身の回りにある物を認識できるくらいには部屋が明るいので、もう起床してもおかしくはない時間なのだろう。
  しかし、俺は時計を確認することを避けた。下手に動いて、気配を悟られたくない。
  昨夜、珍しく土曜である今日に休みをもらえたのだと言っていた狭山さやまの様子を、テーブル越しにうかがう。どうやらまだ目覚めてはいないようだ。できることなら、少しでも長く眠っていてもらいたかった。
  行動するなら今か……?と思案しつつも、このまま何とかならないものかと目が覚めた瞬間から悪あがきしている。
  狭山と暮らすようになって、一ヶ月と少し。
  (……一ヶ月、か)
  いや、正確に言えば少なくとも一ヶ月、だ。まさか同居人ができるだなんて思ってもいなかったから、いつが最後だったかなんて気に留めてもいなかった。
  早い話が、目が覚めたら、勃っていた。
  元々酷く淡白な性質タチなので、ひとりでするときも劣情に駆られるのではなく、必要な作業を仕方なくこなすかのような感覚だ。だから、そんな行為のことはすっかり頭から抜け落ちていた。
  こんなことになるのなら、風呂に入ったときにでも済ませておけばよかった。
  目が覚めた瞬間には単なる生理現象のはずだった。なのに、そういえばもうずっとシていなかったと自覚してしまった途端に熱が体の中で渦を巻きはじめて、ちっとも落ち着かない。後悔してみたところで、抜かなればおさまりそうになかった。
 ……頼むから、寝ててくれ。
 そう祈りながらゆっくりと体を起こす。細心の注意を払って肌掛けをよけ、そっと床に足を下ろした。息を殺して、ゆっくりと体重をベッドから床へと移動する。立ち上がったところで恐る恐るテーブルの向こうをのぞき込むと、状態を知られたくないと願う相手は、よく眠っているように見えた。観察している余裕などないのに、穏やかな寝顔を目にして安堵した。緊張せずに暮らせているのなら、それが一番良い。
 仰向けで寝入っている狭山の布団はほとんど乱れていない。ただ寝ているだけなのに、こんなところにまで育ちの良さがにじみ出ているように思う。起きている時の暮らしぶりだって、細部まで気遣いが行き届いていて細やかだ。同じ男であるはずなのに、効率を最優先してしまう自分とは、根本的こんぽんてきに違う生き物なんじゃないかとさえ感じる。きちんと畳まれた洗濯物、毎日取り換えられているタオル、腹を満たすためだけではない食事。
 今の生活は、まるで……。
 一瞬浮かんだ馬鹿げた想像を、頭を左右に振って追い払う。
 ……何を考えてるんだ、俺は。
 いくら自分が状態だからって。
 狭山は兄が巻き込まれた死亡事故の加害者で、贖罪として投げ出そうとするその命を、俺が繋ぎ止めているにすぎない。ただ、それだけだ。
 そもそも、俺は男に対して恋愛感情を持つような人間ではない。……かといって、女性に対してだって、積極的に関心を持てたりはしないのだけれど。
 ……客観的に判断して、俺は容姿が悪い方ではないのだと思う。高校にしろ大学にしろ、異性が言い寄ってくることは珍しくなかった。
 ただ性格がこんな風なのも残念ながら事実で、彼女たちはいつだって、ごく短い期間で俺の隣から去って行った。そんな状況に直面しても、相手に対して少しの執着もわかない。ただ、そうか、これで終わりか、と思うだけ。
 だから、こんな自分が誰かと結婚する日など来やしないのだろう、と漠然と感じている。きっと死ぬまでに経験することもない未来を、狭山との生活で垣間見た気になるなど、どうかしている。

 起こさないようにと気を配りつつ足を踏み出したけれど、数歩進んだところでギシリと床が軋んだ。こればかりはどうにもできず、契約しているのは自分だというのに、安アパートめと舌打ちしたくなる。
「……文人あやと、さん?」
 名前を呼ばれ、ギクリと体がこわばるのを自覚したけれど、できるだけ何気ない風を装って答える。
「すみません、起こしましたね。まだ寝てて大丈夫ですよ」
「ん……でも……」
 いや、むしろぜひとも寝ていて欲しい。そんな俺の思いもむなしく、律儀な狭山は“居候いそうろうの身で文人さんより遅くまで寝ていては”と上体を起こす。
 そして、俺に目を向けた時、ちょうど目線の高さに見えたものに、
「あ……」
 と小さく声を漏らした。
 トイレへ向かうために立っていた俺と、布団から上体を起こしただけの狭山。その高低差に、隠しておきたかったものがあっけなく暴かれる。
「あー……すみません。変なものを見せて」
 気まずさで、狭山の視線から逃げるように背を向けると、
「文人……さん」
 狭山の声がためらいがちに俺を呼んだ。
「話、後でもいいですか?とりあえず、トイレ……行かせてください」
 そう答えた俺の手首を、距離を詰めた狭山がそっと掴む。一緒に住むようになってから、体に触れられたことなんて一度もなかったから、驚いた俺は振り返る。
「こっち来てください。文人さん」
 引っ張ると表現するのすら過剰に思えるような弱い力で、こっち、と自分の方を示して狭山は言った。そのわずかな力に逆らえずに、俺は導かれるまま、狭山へと近づいた。
「あの、今、そんな場合じゃなくて……」
「コレ」
 掴んでいるのと逆の手が、するりと股間をたどる。
「……っ」
「僕のせい、でしょう?」
 硬くなったものを撫で上げられて、刺激に息を詰まらせた俺に、狭山は言った。
「不自由ですよね、文人さん。ずっと、大学が終わるとまっすぐ帰って来てくれているでしょう?自分の部屋なのに、僕がいたらプライバシーなんてないですし、恋人だって呼べない」
 すみません、と心底申し訳なさそうにするので、つい余計なことが口をつく。
「恋人はいません。だから、そんなことは気にしなくて大丈夫です」
 すると、狭山は独り言のように呟いた。
「だったら、僕が気にしなければいけないのは、文人さんの気持ちだけってことですね」
「は?」
 意味を理解できずに聞き返すと、
「文人さん」
 といつもより少し低い声に名前を呼ばれた。
「……っ」
 薄暗い中で見上げてきた狭山の視線が、なまめかしく熱を帯びているように感じて、思わず息をのむ。
「文人さんは、男に……僕に触られるのは、気持ち悪いですか?」
 俺に確認させるかのように、狭山が指先で内腿をなで上げる。
「……ん、っ」
 薄いスウェット越しに感じた細い指の感触に声が漏れてしまい、俺は慌てて口を手で覆った。
 様子をうかがいながらゆっくりと触れる部分の面積を増やし、部位も少しずつ際どいところへと移動する。
「狭山、さん……何して」
 抗議しようとするけれど、一度熱を持ってしまった体は、触れられるところから次々と快感を拾い上げていく。
「あっ!?」
 少しずつ中心へと近づいていた手が、一番触れられたくない、触れさせてはならない場所へそっと重なる。
「嫌だったら、言ってください」
  そう言うや否や、狭山は服の上から俺自身を握り込んだ。驚きすぎて勢いをなくしかけていたそれは、握ったまま何度か擦られると、情けないほどあっけなく硬さを取り戻す。
「狭山さん、やめ……」
「恥ずかしいのが理由なら、やめません。男同士が気持ち悪いのだったら、目を閉じていてください。相手が僕なのが嫌なら……嫌だ、と言ってください。その時は、やめます」
  告げた狭山は、首をかしげるようにして、勃ち上がったものを服ごとんだ。軽い圧迫感と、服越しでも分かる狭山の息の熱さに、ドクンと心臓が跳ねた。
  唇でついばむように口づけ、手でなぞる。そんなことを何度か繰り返したのち、不意にスウェットのウエストの部分に指をかけた。
「やめ……っ」
  制止する間もなく、下着ごとずるりと下にずらされる。引っかかった硬く反り返っている性器が弾かれるようにこぼれ出て、反動で俺の腹を打った。
「……っ」
  そんな様子を見られているのだと思うと、恥ずかしすぎてどうにかなりそうだ。
「狭山さん……っ、俺は、あなたにこんなことまでさせたいわけじゃ……」
  必死に訴える言葉にも、狭山は微笑むだけで取り合おうとしない。
「文人さんが欲求不満なのは、僕のせいでしょう?抵抗がないのなら、させてください」
「抵抗なんて……」
  (あるに決まってる)
  目の前で跪いている相手は、自分と同じ男で、年上で……何より、俺たちは遺族と加害者なのだ。
「ん……」
  狭山が、俺のモノを両手で包んで、先端に口づける。ちゅっと軽い音が響く。途端にビクンと陰茎が震え、一気に硬さを増したのが分かって、情けなさに涙が出そうだった。堪えようとして天井を睨み付けていると、根元から先の方へと、温かく柔らかい感触が伝う。舌で舐め上げられたのだろう。
  「ふ……ん、ん」
  狭山が漏らした声につられて視線を落とすと、俺の足元にひざまずいている様子が目に入る。伏せた長い睫毛、唾液で濡れた薄い唇、隙間から覗く赤い舌。あまりの淫猥いんわいさに、体が硬直する。
  やめさせたい。でも、拒絶できない。どうしたらいいかわからず、俺はただ、目の前で繰り広げられる行為を見つめて、固まっているだけだった。
  しかし、手にしたモノのそこかしこに口づけ、舌先で舐め上げる、という一連の動作にいつの間にか見とれていたと気づいたときには、既に呼吸が上がっていた。
「う……狭山さん、やめ……あっ!」
  亀頭部分を一度に口に含まれ、思わず声を漏らす。
  咄嗟に口を押さえたけれど、咥えたままくびれた部分を舌でぐるりとなぞられて、その程度では声を抑えるには足りないと思い知った。
「ふ……っ、う……ぅ」
  少しずつ深く飲み込まれていく、熱くてぬるりとした生々しい感触を、親指の付け根あたりに歯を立てることでやり過ごす。
  絡んだ唾液が立てる音に耐えきれず、耳も塞いでしまいたかった。
  ……こんな風に思うのに、なぜ嫌だと言えない。
「文人さん。手、そんなことしないでください」
  自分の手を噛んでいることに気づいた狭山が、そっと手を添えて口から外す。
「お行儀、悪いですけど」
  とそのまま俺をテーブルの上に座らせた。
「膝が震えてるでしょう。怪我をさせたくないので」
  そう告げつつ、自分は俺の脚の間にうずくまった。
  右手で支えた屹立の先端にちゅっと音を立てて口づけ、“あっ”という声と共に開いてしまった俺の口に、自らの左手の指を差し込む。
「あに……?」
  何?と尋ねたつもりだったが、指を含まされたせいで間の抜けた音になった。
「噛むのならこっちにしてください」
んあのそんなのむりむい……っ」
  音を発する度に舌が狭山の指に当たり、存在を強く意識してしまう。……今にも理性が飛びそうな状況で、あんなに細い指を噛むなんて、怖くてできるわけがない。
「あ……あっ、ふ……ぁ、ん」
  狭山の口淫に翻弄されながら、それでも必死で噛まないように心がけるけれど、口内に差し込まれた指のせいで声は漏れるわ、唾液は垂れるわ、自分がどんな醜態醜態しゅうたいさらしているのか想像したくもない。
  自分の手を噛んでいた方がずっとマシだったと悪態をつく余裕は、今はない。
「さや……っ、さ、も、でうでる……っ」
  怖い。汚い。嫌だ、人の口に出すなんて。
  罪悪感と背徳感、そして抗いがたい快感とに揺さぶられる俺は、必死で狭山に訴えた。
「いいですよ。このまま……っ、出して。その方が、後も楽です」
  確かに、ティッシュにでも吐き出してもらえば、ぶちまけるよりは始末が楽だろう。
  でも。
  思い切り顔を背け、指を口から追い出して訴えた。
「そういう問題じゃな……あ、ん、あぁっ!!」
  まだ言葉の途中だというのに、茎を握った手が一際強く擦りあげ、同時にじゅっと音を立てて先端を強く吸われる。
  ギリギリのところで耐えていた俺は、あっけなく限界を迎えた。
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