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 二人分の体重をかけると、安物のベッドは抗議の声を上げるかのようにぎしりと軋んだ。
  秋久さんは、簡単に水分を拭き取っただけの身体をシーツの上に横たえる。誘うように伸ばされた手に導かれて、俺は彼を組み敷いた。
「寒くない?エアコン、もっと強くする?」
「平気。暑いくらい」
  ほんのりと上気した頬が、その言葉を裏付ける。季節外れの桜色が嬉しくて、愛おしくて、俺の中の好きを全部込めるつもりで口づけた。すると、桜は一気に薔薇へとその濃さを増す。
「……っ、今、なんか、すっごく大切にしてもらってるって気がする」
「すっごく大切だからね」
  甘い雰囲気が耐えられないとばかりに赤く染まった顔を逸らされてしまったけれど、
「好きだよ」
  そのせいで無防備に晒された耳に向かって囁く。きっと、今までで一番感情のこもった声で。
  すると、ビクリと震えた目の前の身体は、顔だけでなく肩まで染まった。
「俺、秋久さんを大事にしたい。怖かったり、痛かったりしたら言って?それでも俺が止まらなかったら、殴ってでも止めて」
「そんな余裕、僕にあると思う?怖くても痛くても、どんなでもいいから、もう文人くんが欲しくてたまらないのに」
「……っ」
  伸びてきた手が首に回り、強引に口づけられる。
「ふ、ぁ……っ、ん」
  秋久さんの言葉と、キスの合間に漏れる甘い声に煽られて、俺は硬く張り詰めたモノを後ろへと宛がう。
  浴室で念入りに解したその場所は、先端が触れると急かすようにヒクついてナカへと誘った。粉々になった理性をなんとかかき集めて、性器をこすりつける。俺の先走りを塗りたくって潤滑剤の代わりにしたところで、ようやく抑えていた衝動を解放することを自分に許した。
挿入れるよ」
「ん……はや、く」
  ぐ、と体重をかけると、ゆっくりと秋久さんのナカへと入り込んでいく。
「あ、あ……っ」
「せま……、い」
  誰も受け入れたことのないソコは、解したとはいえ想定していない侵入者に抵抗を示す。一番狭い入り口の部分を通るのに、時間をかけていてはかえって辛いのではないかと、かける圧を強めた。
「あぁっ!」
  くびれの部分まで一気に押し込むと、秋久さんが悲鳴とも嬌声ともつかない声を上げる。
「ごめん。辛いよね?」
  首に回っていた手はいつの間にか背中へと移り、慣れない感覚に耐えるようにきつくしがみついている。
  初めて感じる秋久さんのナカは熱くて、柔らかくて、気持ちイイ。どうにかなってしまいそうだ。けれど、体で感じる快感よりも精神的な快感の方が大きい。心も体も、俺を受け入れてくれている。その事実に溶けてしまいそうだった。
  ……一方で、秋久さんは辛そうなのに、自分だけが満たされていることに罪悪感を覚える。
  そんな俺の思いを知るわけもないのに、腕の中の彼は額に汗を浮かべながらも笑って言った。
「……っ、正直、辛くなくはない、けど……そんなの、どうだっていいくらい嬉しい」
  その言葉を聞いた途端、頭の中が真っ白に染まった。
「え!?あ、文人く、ふ、あぁっ」
  我慢できずに、強く腰を進める。最も太い部分はすでに秋久さんのナカに収まっていたので、勢いのままに俺の熱が飲み込まれていく。
  はく、と秋久さんが口を開けたけれど、亀頭の圧迫感に身体が慣れる前に結合を深められ、声すら漏らせないでいる。頭の片隅ではそれを認識しているのに、腰を止めてあげられない。
  トンッと奥に当たったことで、それ以上奥に進めなくなって我に返る。
「あ……あ……」
  俺の下でけいれんするかのように秋久さんが身体を震わせていて、それを見た瞬間、頭に上っていた血の気が今度は一度に引いていく。
「ごめ……」
  しかし、謝罪を口にしたのは俺ではなく相手の方だった。
「え?」
「また、先、に……」
  と申し訳なさそうに告げられ、一拍おいて何のことか理解した。視線を下に移すと、秋久さんの腹のあたりがべったりと濡れている。
「良かった……」
  一気に身体の力が抜けてしまって、そのまま覆い被さるように秋久さんを抱きしめる。
「文人くん、汚れる!」
「後でどうせシャワー浴びる」
「それでも!」
「飲むのだって平気なのに、身体につくのが嫌なわけないでしょう」
  それより、とくっついたままで続ける。
「抑えがきかなくて強引に挿入れちゃったから心配したけど、気持ち良かったみたいで安心した……」
  “でも、ごめん”と謝ると、秋久さんは“気にしてない”と俺の頭を撫でた。
「ここからはゆっくりするから。動いて良くなったら教えて」
  身体を起こす途中、頬にキスをして告げる。正直、今すぐにでも動きたい。ぎっちりと締め付けられたまま、自分のナカで暴れ回る熱をなだめ続けるのは辛かった。けれど、相手に辛いことを強いておいて俺だけが好き勝手する訳にいかないと必死に耐える。
  そんな葛藤が顔に出てしまっていたのだろうか。秋久さんがくすりと笑う。
「一生懸命我慢してくれてる顔もドキドキするけど、僕、余裕のない顔も見たいなぁ」
  狭山さんがそう言うのと同時に、きゅっとナカが締まった。
「く……っ」
 思わず呻いた俺に、ワザと締め付けて挑発してきた彼は、一転して乞うように告げる。
「動いてよ、文人くん」
  その言葉で抽挿を許された俺は、大きく腰を引いた。
  抜けてしまうギリギリまで抜いて、一度に奥まで押し戻す。
「……あっ!」
  自分のセックスが上手いなんて少しも思えない。なけなしの知識も経験も、何の役にも立たなかった。
  それでも、夢中で突き上げる俺に秋久さんは応えてくれる。
「あ、気持ちイイ……文人く……っ」
  その言葉が、彼が浅いところより深いところを好むのだと教えてくれる。
「や、ダメ、ダメ……!」
  背中に回っている手に力が入る。軽く引いて小刻みに刺激するより、入り口まで引き抜いて大きなストロークで奥を突く方が気持ちよさそうだ。
  俺と繋がることを気持ちイイと思ってくれたのだったら、揺すって、突き上げて、たくさん感じて欲しい。
  “全部伝える”
  秋久さんの言葉が脳裏によみがえる。
  うん。全部伝わってくる。
  ちゃんと分かる。秋久さんのこと。
「あ、も……イっちゃ……」
  きゅ、っと秋久さんの身体に力が入る。
  俺のことも、ちゃんと伝わってる?
「秋久さん、好き」
  思ってるだけじゃ伝わらない。兄に指摘された日のことが頭をよぎる。
「好き。好き……!」
  自分の中に留めておけないほど強い感情なんて、今までに持ったことがなかった。
  それを言葉に、行為にして伝えるから、一つ残らず秋久さんに届いて欲しい。
「僕も……っ、好きっ」
  秋久さんの言葉に、ドクン、と大きく心臓が跳ねた。
  届いてる。
  一方的に伝えるだけじゃなく、同じものが同じだけ、返ってきてる。
  嬉しくて、幸せで、あたたかい。
「あ、俺も、もう、イ……っ」
  一瞬早く達した秋久さんにキツく締め付けられて、俺も絶頂を迎える。
「あ、あ、あ……っ」
  達している途中で白濁を奥に注がれて、秋久さんが大きく震える。
「く……っ、あ、ぅ」
  一層強くなる締め付けに、俺はたまらず精を放った。
  
  壊れてしまうんじゃないかと思うほどに強い快感。
  達した後もその波はなかなか引かず、二人して荒い息のまま互いを抱きしめる。
「ふふっ」
  最初に声を出したのは秋久さんだった。
  楽しそうに笑うその様子に、視線だけで理由を尋ねる。
  すると伸びてきた手が俺の頭を撫でた。
「こんなに満たされたの、初めてだなぁと思って。頑張ってくれてありがとう」
  それはまるで小さな子供にするようなもので、いや、実際に俺の方が年下なのだけれど、さすがに成人しているのだからと気恥ずかしくなる。けれどその仕草に背中を押されるように、俺は身体を起こして引っかかっていることを尋ねた。
「秋久さんは、良かったの?」
「えっ!?」
  俺につられて起き上がった彼の頬が一遍に赤くなるのを見て、慌てて付け足した。
「そっちの役?で。年下に抱かれるなんて、嫌じゃない?」
  足された言葉を聞いて自分の勘違いに気づいた秋久さんは、更に赤くなった。
「……嫌じゃ、ない」
  そう言って、ぐい、と俺を引き寄せる。肩口に顔をうずめた彼は、
「あと、ね。……きもち、よかった」
  意味を取り違えた“良かったの?”の答えも、俺に与えてくれたのだった。
「……っ!」
  不意打ちでもたらされた言葉に思わず動揺した俺の背中に腕を回して、顔を見せてはくれないまま、秋久さんは言葉を続けた。
「ここに来たばかりの頃はね、本当に何をされてもいいって思ってたんだ。どんなにひどいことでも、文人くんが望むなら受け入れようって、一日のうちに何度も覚悟を確認してた。……その……性的なことも、含めて……ね」
  初めて秋久さんに触れて、互いに抜き合った日。ひどく昏い目をした彼が、自慰をして見せようかと自分の性器に指を絡めたことを思い出した。
「今なら、それがほんの少しだって文人くんのためなんかじゃなかったって分かる」
 ぎゅ、と俺にしがみつく手に、力がこもる。
「僕は事故を起こして、真臣まさおみさんの人生を終わらせてしまった。真臣さんを大切に思っている文人くんやご両親や……たくさんの人に、辛い思いをさせてしまった。そんな取り返しのつかないことをしでかしたのが、自分なんだってことが怖くて……。あの日、キミの家に行ったんだ」
  腕の中で、秋久さんの身体が震えている。
  無理をさせたくない。傷口をこじ開けるようなことはしなくていい。
  そう思うのに、何も言葉をかけることができない。
  秋久さんが目を逸らしてきたことと向き合って、その先に進もうとしているのが分かるから。
「何より、僕がこんなにひどいことをした人間だって誰かに知られたら……、知られることで、見捨てられてしまったら……って想像すると、耐えられなかった。罰を受けることで、償ったことにしたかった。責任をとったんだから自分を許してもいいんだと思いたかったし、周りの人に僕と関わっても大丈夫なんだと思って欲しかった。でも、人を死なせるほどの大きな罪をどうやったら償いきれるのか僕には分からなかった。だから、与えられる罰はすべて受け入れるなんて言い方で、ご両親や文人くんに判断を押しつけた。本当はそうやって悩むことだって、僕が受けるべき罰のひとつなのにね。……結局僕は、自分が楽になりたいだけだったんだ」
  最後の一言は、まるで血を吐くようだった。
  どんなに辛いだろうと思う。でも、彼は逃げなかった。
  一番口にしたくない、認めたくない部分をあえて俺の前に晒してみせた。
  宣言したとおり、彼はどんなことだって伝えようとしてくれているのだ。
「ごめんね。卑怯でしょう?僕。こんな汚い人間のこと、嫌だと思って当然なんだ。けど、どんなに軽蔑されてしまっても、僕は文人くんと一緒にいたい」
  体を離し、顔を上げた秋久さんは、凜とした表情で告げた。
「努力する。他人の目を恐れて、僕にとって何が本当に大切か、見失ったりしたりしないように。大事なものを守るためなら、僕が選ばなかった誰かに嫌われることも受け入れる。傷つく強さを持てるようになってみせるよ」
  “だから”と真っ直ぐな目が俺を見る。
「今はまだ、胸を張って文人くんの隣に並べるような僕ではないけど、傍にいさせてください」
  あぁ……、と天を仰ぎたい気持ちにさせられる。
  俺の負けだ、と思う。いや、そもそも勝ち負けではないのだけれど、敵わないと思ってしまうのだから仕方ない。
  この人にはどんな小細工も通用しない。ただ本音でぶつかるしかないのだ。
「俺は秋久さんが完璧であることなんて求めてない。弱いところも、ダメなところも、あっていいよ。けど、もし秋久さんの大切なものに俺も入れてくれるなら、他の人のために俺の大切なものを投げ出したりしないで。頼むから」
  “分かる?”と尋ねると、秋久さんはピンと来ないような顔をしている。
「秋久さんのことだよ」
  小さく身体を揺らした秋久さんの頬が赤く染まる。
「誰かが秋久さんをいらないって言ったとしても、俺には必要だ。一人で全部を完璧になんてできなくていい。秋久さんに足りないものを、俺が持っているなら使ってよ。俺の中にないものを秋久さんが持ってるなら、貸して欲しい。完璧じゃないからこそ、一緒にいる理由が増えるでしょう?」
  “良かったね、お互いダメなところがあって。おかげで、ずっと傍にいられる”俺の言葉に、秋久さんは少し呆れた様子で“文人くんは時々驚くほどポジティブだね”と言った。
「好きな人を口説いてるんだから、デメリットだって全部メリットに変えてみせる。どんな詭弁きべんでも、なりふり構わず使うくらいに必死なんだよ」
「もうとっくに落ちてるのに?」
「うん、もっと深くまで落ちて欲しい。好きで好きで、抜け出せなくなるくらい」
  顔を見合わせて笑った後に告げた言葉は、二人して同じだった。
  「「愛してる」」
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