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第1章 宿敵の家の当主を妻に貰うまで
第1話 路地裏の雪だるま
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「ゼロード、カイラス、他の貴族達に失礼のないようにな。ノヴァは挨拶だけでいい、それ以外は何もするな」
昔から父上は俺に期待していなかった。
「良かったなノヴァ、楽が出来て。代わりに帰ったら稽古につき合えよ。丁度いい発散がしたかったんだ」
一番上の兄上は、弱い俺の事が嫌いだった。
「…………」
二番目の兄は、何の価値もない俺に言葉すらかけなかった。
貴族の名家に生まれながら、なんの才能もなかった俺。それを嫌というほど分からされるのは家族といる時だった。今もこうして王都を訪れているけど、父上や他の大人たちから期待されている兄上達と違って、何一つ期待されていない俺にはこの空間が苦痛で仕方なかった。
だから、その場から逃げた。いつも屋敷の中で自室に閉じこもっているときのように。
気晴らしだと言って街に繰り出すときのように、逃げ出した。
×××
ほんのりと雪が降る季節。夜の王都は肌寒くて俺の体と心を震えさせる。家族から逃げるように走ったけど、それすら必要ないことに気づいて速度を緩めた。追ってきてくれる家族なんて、いるわけがなかった。
期待していなかったけど、こうして現実になると辛い。沈んだ心のまま、俺は路地裏へと足を踏み入れた。店のなのかは分からないけど、物が乱雑に置かれている。
そこで雪だるまは小さく、今にも崩れそうに震えていた。
人通りのない裏通りに入り込んだ俺をすぐに出迎えてくれた雪だるまは壁に寄りかかり、顔をうずめて泣いているようにも見えた。
「こんなところで、なにをしているの?」
今この場には俺と雪だるましかいないからだと思うけど、俺はそれを見てすぐに声をかけていた。俺の言葉にピクリと反応して、雪だるまがゆっくりと顔を上げる。フードにかかった雪と一緒に、闇夜を思わせる黒髪がはらりと垂れた。
俺と同じくらいの年の女の子が目を腫らして泣いていた。彼女は涙の溜まった目で俺を見上げる。灰色の瞳が、降る雪の中で綺麗に輝いていた。
「………………」
雪だるまの……彼女の様子からただならぬものを感じて、俺は断りもいれずに横に腰を下ろした。行き場なんてなかったし、追ってきてくれる家族もいない。だからこの場がちょうどよかったんだと思う。隣に座った俺に対して、彼女は物言わぬ雪だるまと同じように何も言わなかった。
「帰りたくないのか?」
「…………」
こくりと、一回だけ頷いてくれた。
「俺も帰りたくないんだ。皆が俺の事をできそこないって言うから」
「……できそこない?」
初めて聞いた彼女の声は、まるで鈴を転がしたようだった。
「ああ……俺の家、結構厳しくてさ。でも俺が全然できないから、皆から見放されてさ」
「……私も……同じ」
首を動かせば、彼女は俺を見ていた。灰色の瞳がまっすぐに俺を捉えていて、その中に俺自身の姿も見えた。帰りたくなくて辛そうな少年が同じような顔をした少女の瞳に映っていた。
「私、魔力の制御が全然できなくて……全く使えないか、使えたとしても暴走しちゃうの。だから家族からはもう何もするなって……」
「そう……だったのか」
同じだと、俺は思った。家族で唯一、覇気という一族の力が全く使えずに将来性がないと判断された俺と、魔力の制御が出来なくて家族から見捨てられたという彼女。
「同じ……だな」
「……そう……だね」
誰とも分かり合えない苦悩を抱えている筈だったけど、こうして同じように苦しんでいる人に出会えたのが嬉しかった。きっと同じ気持ちだったから、彼女も微笑みで返してくれたんだと思う。すこし力のない、ぎこちない笑い方だったけど、笑顔だったから。
雪だるま――ではなく仲間意識が芽生え始めた少女――に対して、俺は自分の事をポツリポツリと話し始める。今この時だけは、彼女にだけは全部を聞いて欲しかった。
「なんでなんだろうな。必死に頑張ってるのに全然できなくて。いつかできる筈だ!って思っても、全然ダメで……でも兄上たちはあんなに簡単にできて……」
「うん……お姉ちゃんたちは何でもできるのに、妹だって出来るのに、私だけ……私、頑張ったんだよ? 何度も何度も、暴走しないように必死に練習して……誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝て……なのに……」
落ち込む彼女に対して幼い日の俺はどうしていいか分からず、何もすることが出来なかった。
「う……あ……」
急に左の拳を右の手のひらで包んで苦しそうに呻く彼女は何かを必死で押さえつけているようだった。けどそれが難しいのか、苦しそうに顔を歪めている。覗き込んでみれば額には汗すらかいていた。
「お、おい……大丈夫か?」
「だ、大丈夫……いつもの……ことだからっ……」
それが彼女の言う魔力の暴走だということが分かって、でもどうすればいいかなんて当時の俺には分からなくて。それでも黙って見ていることなんて出来なくて、俺は正面に移動して彼女の手を両手で握った。
考えなんてなかった。ただ突き動かされるままにそうして、頭を過ぎった言葉を叫んだ。
昔、今はもういない優しい母親にほんの数回だけ言われた言葉を。
「ダメだろ!」
我ながら、本当に子どもだったと思う。彼女の中で暴れまわる魔力に対して何かするわけでもなく、ただ出来たことは言葉任せに叱りつけるだけだった。魔力にそんなことをしても意味はないのに。
けどこの時は奇跡が起きた。彼女の苦しそうな顔が安らかになっていく。額に浮かぶ脂汗も消え、強く閉じていた瞼がゆっくりと開いた。
初めて面と向かって、こんな至近距離で彼女と目を合わせた。さっきは誰にも認められず、分かり合えない情けない少年が見えた灰色の瞳は俺には輝いて見えた
――綺麗だ
そう思ったのはよく覚えている。彼女の驚いたような顔も、鮮明に記憶に残っている。
「あ、ありがとう……」
「本当に大丈夫か? 辛いところとか、ないか?」
「う、うん、本当に大丈夫……嘘みたいに、平気になっちゃった」
驚きと戸惑い、そして少しだけ照れが混じってそう言った少女から手を離して、安堵の息を吐いた。どうやら最悪の展開だけは避けられたみたいだった。
「そうか、それなら良かったよ。あんまりひどくない暴走だったみたいで、良かった」
「う、うん……そうだね……」
笑顔でそう言ったけど少女はどこか釈然としない感じで、それを聞こうとしたとき。
『ノヴァさまー!』
タイムリミットの呼び声が、聞こえてしまった。
「まずい! ターニャだ! ごめん、俺行かなきゃ!」
彼女に捕まればまた家族の元に連れ戻される。それが嫌で、もう少しだけ逃げていたくて、慌てて立ち上がった。この場に留まれば少女にも迷惑がかかるっていう思いもあったとは思う。
そうして走り出そうとした俺の手を、彼女は強く掴んだ。
「待って!」
腕を掴まれたことで脱臼しそうになり、ぐぇという声を漏らしながら俺は振り返る。文句の一つでも言ってやろうとしたけど、見上げてくる彼女を見ているとそんな言葉は出なかった。
「名前……ノヴァっていうの?」
「あ、ああ……そうだよ。君は?」
「私はシア」
「そっか……魔力の暴走、なんとか収められたみたいで良かったな。じゃあ俺、急いでるから! ごめんな!」
「あっ!」
力が緩んだ隙を見て腕を引き抜き、俺は路地裏に向けて走り始める。この時にはもう、ターニャから逃げることしか考えていなかった。
「ノヴァくん! ありがとう!」
立ち上がってお礼を叫ぶ少女。彼女が何にあそこまでのお礼を言っているのかはよく分からなかったけど、俺は振り返って。
「ああ! またな!」
そう言って手を振った。たまたま訪れた街で出会っただけで、次があるかも分からないのにそう言った。
×××
脱兎のごとく駆けだしたその背中を、私は今でも覚えています。細部まで鮮明に思い出すこともできます。雪の降った王都で、ノヴァという名前の少年を私は見送りました。
彼の姿が見えなくなった後に自分の手のひらを見つめて、その異変に気付きました。いえ、この時は異変だと分かったわけではなく、違和感でしたが。
「ノヴァ……くん……」
後に大人になるまでの日々の中で、私は自分の身に何が起こっていたのかを理解して、彼に対する恋心をどんどん募らせていくことになります。ですが全ての始まりはこの瞬間でした。
この時から誰もいなかった私の心の中に、ノヴァさんという存在が刻み込まれました。大きくて大きくて、他には何も入れないくらい大きく、刻み込まれたんです。
昔から父上は俺に期待していなかった。
「良かったなノヴァ、楽が出来て。代わりに帰ったら稽古につき合えよ。丁度いい発散がしたかったんだ」
一番上の兄上は、弱い俺の事が嫌いだった。
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二番目の兄は、何の価値もない俺に言葉すらかけなかった。
貴族の名家に生まれながら、なんの才能もなかった俺。それを嫌というほど分からされるのは家族といる時だった。今もこうして王都を訪れているけど、父上や他の大人たちから期待されている兄上達と違って、何一つ期待されていない俺にはこの空間が苦痛で仕方なかった。
だから、その場から逃げた。いつも屋敷の中で自室に閉じこもっているときのように。
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×××
ほんのりと雪が降る季節。夜の王都は肌寒くて俺の体と心を震えさせる。家族から逃げるように走ったけど、それすら必要ないことに気づいて速度を緩めた。追ってきてくれる家族なんて、いるわけがなかった。
期待していなかったけど、こうして現実になると辛い。沈んだ心のまま、俺は路地裏へと足を踏み入れた。店のなのかは分からないけど、物が乱雑に置かれている。
そこで雪だるまは小さく、今にも崩れそうに震えていた。
人通りのない裏通りに入り込んだ俺をすぐに出迎えてくれた雪だるまは壁に寄りかかり、顔をうずめて泣いているようにも見えた。
「こんなところで、なにをしているの?」
今この場には俺と雪だるましかいないからだと思うけど、俺はそれを見てすぐに声をかけていた。俺の言葉にピクリと反応して、雪だるまがゆっくりと顔を上げる。フードにかかった雪と一緒に、闇夜を思わせる黒髪がはらりと垂れた。
俺と同じくらいの年の女の子が目を腫らして泣いていた。彼女は涙の溜まった目で俺を見上げる。灰色の瞳が、降る雪の中で綺麗に輝いていた。
「………………」
雪だるまの……彼女の様子からただならぬものを感じて、俺は断りもいれずに横に腰を下ろした。行き場なんてなかったし、追ってきてくれる家族もいない。だからこの場がちょうどよかったんだと思う。隣に座った俺に対して、彼女は物言わぬ雪だるまと同じように何も言わなかった。
「帰りたくないのか?」
「…………」
こくりと、一回だけ頷いてくれた。
「俺も帰りたくないんだ。皆が俺の事をできそこないって言うから」
「……できそこない?」
初めて聞いた彼女の声は、まるで鈴を転がしたようだった。
「ああ……俺の家、結構厳しくてさ。でも俺が全然できないから、皆から見放されてさ」
「……私も……同じ」
首を動かせば、彼女は俺を見ていた。灰色の瞳がまっすぐに俺を捉えていて、その中に俺自身の姿も見えた。帰りたくなくて辛そうな少年が同じような顔をした少女の瞳に映っていた。
「私、魔力の制御が全然できなくて……全く使えないか、使えたとしても暴走しちゃうの。だから家族からはもう何もするなって……」
「そう……だったのか」
同じだと、俺は思った。家族で唯一、覇気という一族の力が全く使えずに将来性がないと判断された俺と、魔力の制御が出来なくて家族から見捨てられたという彼女。
「同じ……だな」
「……そう……だね」
誰とも分かり合えない苦悩を抱えている筈だったけど、こうして同じように苦しんでいる人に出会えたのが嬉しかった。きっと同じ気持ちだったから、彼女も微笑みで返してくれたんだと思う。すこし力のない、ぎこちない笑い方だったけど、笑顔だったから。
雪だるま――ではなく仲間意識が芽生え始めた少女――に対して、俺は自分の事をポツリポツリと話し始める。今この時だけは、彼女にだけは全部を聞いて欲しかった。
「なんでなんだろうな。必死に頑張ってるのに全然できなくて。いつかできる筈だ!って思っても、全然ダメで……でも兄上たちはあんなに簡単にできて……」
「うん……お姉ちゃんたちは何でもできるのに、妹だって出来るのに、私だけ……私、頑張ったんだよ? 何度も何度も、暴走しないように必死に練習して……誰よりも早く起きて誰よりも遅く寝て……なのに……」
落ち込む彼女に対して幼い日の俺はどうしていいか分からず、何もすることが出来なかった。
「う……あ……」
急に左の拳を右の手のひらで包んで苦しそうに呻く彼女は何かを必死で押さえつけているようだった。けどそれが難しいのか、苦しそうに顔を歪めている。覗き込んでみれば額には汗すらかいていた。
「お、おい……大丈夫か?」
「だ、大丈夫……いつもの……ことだからっ……」
それが彼女の言う魔力の暴走だということが分かって、でもどうすればいいかなんて当時の俺には分からなくて。それでも黙って見ていることなんて出来なくて、俺は正面に移動して彼女の手を両手で握った。
考えなんてなかった。ただ突き動かされるままにそうして、頭を過ぎった言葉を叫んだ。
昔、今はもういない優しい母親にほんの数回だけ言われた言葉を。
「ダメだろ!」
我ながら、本当に子どもだったと思う。彼女の中で暴れまわる魔力に対して何かするわけでもなく、ただ出来たことは言葉任せに叱りつけるだけだった。魔力にそんなことをしても意味はないのに。
けどこの時は奇跡が起きた。彼女の苦しそうな顔が安らかになっていく。額に浮かぶ脂汗も消え、強く閉じていた瞼がゆっくりと開いた。
初めて面と向かって、こんな至近距離で彼女と目を合わせた。さっきは誰にも認められず、分かり合えない情けない少年が見えた灰色の瞳は俺には輝いて見えた
――綺麗だ
そう思ったのはよく覚えている。彼女の驚いたような顔も、鮮明に記憶に残っている。
「あ、ありがとう……」
「本当に大丈夫か? 辛いところとか、ないか?」
「う、うん、本当に大丈夫……嘘みたいに、平気になっちゃった」
驚きと戸惑い、そして少しだけ照れが混じってそう言った少女から手を離して、安堵の息を吐いた。どうやら最悪の展開だけは避けられたみたいだった。
「そうか、それなら良かったよ。あんまりひどくない暴走だったみたいで、良かった」
「う、うん……そうだね……」
笑顔でそう言ったけど少女はどこか釈然としない感じで、それを聞こうとしたとき。
『ノヴァさまー!』
タイムリミットの呼び声が、聞こえてしまった。
「まずい! ターニャだ! ごめん、俺行かなきゃ!」
彼女に捕まればまた家族の元に連れ戻される。それが嫌で、もう少しだけ逃げていたくて、慌てて立ち上がった。この場に留まれば少女にも迷惑がかかるっていう思いもあったとは思う。
そうして走り出そうとした俺の手を、彼女は強く掴んだ。
「待って!」
腕を掴まれたことで脱臼しそうになり、ぐぇという声を漏らしながら俺は振り返る。文句の一つでも言ってやろうとしたけど、見上げてくる彼女を見ているとそんな言葉は出なかった。
「名前……ノヴァっていうの?」
「あ、ああ……そうだよ。君は?」
「私はシア」
「そっか……魔力の暴走、なんとか収められたみたいで良かったな。じゃあ俺、急いでるから! ごめんな!」
「あっ!」
力が緩んだ隙を見て腕を引き抜き、俺は路地裏に向けて走り始める。この時にはもう、ターニャから逃げることしか考えていなかった。
「ノヴァくん! ありがとう!」
立ち上がってお礼を叫ぶ少女。彼女が何にあそこまでのお礼を言っているのかはよく分からなかったけど、俺は振り返って。
「ああ! またな!」
そう言って手を振った。たまたま訪れた街で出会っただけで、次があるかも分からないのにそう言った。
×××
脱兎のごとく駆けだしたその背中を、私は今でも覚えています。細部まで鮮明に思い出すこともできます。雪の降った王都で、ノヴァという名前の少年を私は見送りました。
彼の姿が見えなくなった後に自分の手のひらを見つめて、その異変に気付きました。いえ、この時は異変だと分かったわけではなく、違和感でしたが。
「ノヴァ……くん……」
後に大人になるまでの日々の中で、私は自分の身に何が起こっていたのかを理解して、彼に対する恋心をどんどん募らせていくことになります。ですが全ての始まりはこの瞬間でした。
この時から誰もいなかった私の心の中に、ノヴァさんという存在が刻み込まれました。大きくて大きくて、他には何も入れないくらい大きく、刻み込まれたんです。
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