溺愛令嬢は死ねない魔術師に恋をする。

柚木音哉

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23.瞳の奥に見える真実

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 赤茶の髪を靡かせ、暗く、長い廊下を駆け抜ける。

 ここはティバリー側のアルディアとの国境付近にあるケイオスの森の深くにある古びた城館だ。
 コーウェンが人々の少ない目撃情報を得つつ、アイリスの持つ外套から漂う彼女の祖母の微かな魔力の気配を辿り、国境まで二日、国境から森の奥深くにあるこの邸に着くまで更に丸二日程かかってしまった。

 魔術師とて人間であることには変わりない。コーウェンとて気持ちは焦っていたが、ただ焦るだけでは彼女を見つけ出すことは出来ない。
 その場で殺す訳でも無く、連れ去ったからには『彼女を生きたまま連れ帰る』ことが必要だったのだろう。
 ――だから、彼女はきっと生きている。
 そう思うのに、胸の奥には焦燥感が渦巻いている。
(無事……だよな?)
 美しく成長したアイリスの顔を思い浮かべながら、自分はどうしてこんなにも焦っているのかと思う。

(あのじゃじゃ馬がこんな所で参るわけない……)
 だけど、もしも相手が人買いや犯罪者なら?
 考えれば考える程に、冷静ではいられなくなるような気がした。

(俺は、アイリスを失うのが怖い――のか?)
 再会したばかりの、懐かしい思い出を持つ親友の愛娘。ただの知り合いでは無い。

 だからと言って、こんなにも自分が彼女に執着するのは何故だ?

 こんなにも気持ちがざわつくのは?


 邸の周囲には魔術師の国ティバリーらしく、侵入者避けの結界が張られていたが、コーウェンはそれを軽々と破った。
 家主以外には誰も居ないのだろうかと言うほど、この邸は静かだ。
 重々しい邸の門扉は拍子抜けをする程、あっさりと開いた。

(誘い込まれているのか?)

 息を弾ませて走る自分の足音と息遣い以外には、生きているものの気配を感じず、邸の外には深い森が広がっているが、動物の鳴き声も、木の葉の擦れ合う音も、外部からの音は分厚い石で出来た壁に阻まれて聞こえもしない。
 邸内は不気味な静寂に満たされていた。

 コーウェンがこれほど焦ったのは久しぶりだ。

(アイリス……)

「……、て――!」

 ある部屋の前に差し掛かった時、よく知る声が聞こえた気がして立ち止まった。
 外套は身に付けていないのかアイリスがそこに居るのか魔力から探る事は出来ない。しかし、妙な確信を持っていた。そこに彼女が居ることを。

 コーウェンは焦る気持ちを抑えながら、その部屋の両開きの扉を開けた。

 ガチャ。ギィィー……
 軋んだ音を立てて、扉が開く。

「――ッ?!」

 ――しかし、扉を開いた先で、コーウェンは目の前の光景に目を疑った。

 必死に探し求めたはずのアイリスが、知らない男とまるで恋人同士のようにぴたりと密着して抱き合ったまま、うっとりとした瞳で彼を見つめ、濃厚な口付けを交わしている。

「……ッ、ん……」

 微かに溢れる声は、彼女を組み敷いたことのある自分しか知らないはずの、鼻に掛かるような甘い響きを含んでいる。
 驚いて目を見開いたまま、目の前で彼女がぽってりとした唇を合わせて交わされる濃厚な口付けに、コーウェンは声も無く、立ち尽くすことしか出来ない。

 そんなコーウェンにまるで見せつけるかのように相手の男はアイリスの細い腰に手を回し、引き寄せる。彼女の薄っすらと開いた長い睫毛の下からは、熱に浮かされたように潤んだ紫水晶の瞳が熱心に唇を合わせた相手の男を見つめている。

 つい先日、自分に縋ったその瞳は、少なくとも今、コーウェン以外の、その男以外を捉えて居らず、全く眼中に無い様子だった。

「……アイリス?」

 呆然と……そして、その様子を成すすべも無く、ただ立ち尽くしたまま、コーウェンは見ていた。
 見ていることしか出来なかったのだ。

「……あぁ……これは、とんだ失礼を。彼女が僕から離れたがらなくて……」

 暫くして、まるでコーウェンの入室に今気づいたかのように、絡みつくアイリスの腕をそっと外し、相手の男がコーウェンに微笑みかけた。
 優越感を含んだそれを見た瞬間、コーウェンは煮え返るような怒りを覚えた。

「……ロイス!!」

 この邸に来た時から、無数にある魔術師特有の濃厚な魔力の気配を感じていた。
 邸を取り巻くように感じる結界の魔力からは、コーウェンのそれと何故か限り無くちかしいもののように感じた。その気配に違和感を覚えはしたものの、その時点でここに居るのがそれなりに力ある魔術師であることは分かっていた。
 同族などと口にしたくも無いが、紛れも無く自分と同じ匂いのする男だ。

 黒髪で色白の……整った容貌。
 よく見ると目尻に小さなホクロがある優男。
 エーディス公爵家の侍従。

 男と視線が絡んだ。
 雰囲気がまるで違う。ロイスは寡黙な男だが、この男は饒舌で、しかも、かなりの自信家のように見えた。
 その青い瞳に既視感を覚えたのは、気のせいだっただろうか?

「こんばんは。我が家へようこそ……魔術師コーウェン殿」
「お前……ッ」

 一歩前に出たコーウェンを牽制するかのようにロイスはにやりと笑い、彼の前でアイリスを抱く腕に更に力を込めて引き寄せ、背後から抱き締めて手を彼女のお腹の前に回す。そうして、再びコーウェンに見せつけるように、彼女の白い頸に口付けてそっと舌でなぞると、腕の中で恍惚とした表情をして彼にしなだれかかっていたアイリスが女の顔になり、ぴくんとその華奢な身体を小さく跳ねさせた。

 ――それを見た途端、コーウェンは先程よりももっと強く、腹の底から沸々と抑えきれない程の怒りが込み上げて来るのを感じた。

「可愛いでしょう? お嬢様は感じやすいんです。普段からあんなに元気の良くて天真爛漫な彼女がこんな風に乱れるなんて……」

「……うるせぇな……アイリスを情婦のように扱うんじゃねぇ!」

 低く、唸るような声が威嚇するかのように目の前の男に向けられる。

「おお、怖い……嫌だな。もちろん彼女は情婦なんかじゃ無いさ。もう俺のモノなんです。アンタがグズグズしている間に、さ」

 勝ち誇ったかのようにロイスがそう言って笑い、それから……彼女の紅潮した頬に唇を落とした。

 その瞬間、怒りで目の前が真っ赤に染まる。
 この男が、アイリスをいいように扱っていることに、訳もわからず無性に苛ついてしまう。

(……アイリスもアイリスだ。何故、こんな奴に好き勝手に触られて黙ってる?)

 男がベタベタと彼女の白い肌膚に触れる度、アイリスがうっとりと男を見つめる度に怒りが込み上げる。ギリリ、と歯を食いしばりながら、コーウェンはロイスをめ付けた。
 怒りの矛先は男へと向かっているのに、触られても一切抵抗せずにいるアイリスにも腹が立つ。
 蕩けた紫瞳は恥じらいに潤み、頬を赤らめてロイスに身体を預けている。アイリスの腰から這い上がる男の手が細腰の辺りを彷徨い、時折彼女を煽るように上下する。

(アイリス! 何で抵抗しない? こんな男に触れられて……いつものお前なら思いっきり抵抗するだろ?!)

「そんなに睨まないで下さいよ。貴方とは、エーディス公爵家で何度かお会いしていますね。……ああ、ちゃんとした自己紹介もまだでしたか。俺の名はメンフィス。公爵家では『ロイス』と名乗ってましたが」

「メンフィス……?」

(……その名前、どっかで――?)

 訝しげに眉根を寄せ、表情を動かしたコーウェンは、その名を耳にして初めてメンフィスの青い瞳を真正面から見据えた。

「ああ、久しぶりだから覚えておられないのかな? 俺はね……貴方の父君、アルクゥエイド様のですよ」

 アルクゥエイドの弟子、メンフィス。

 そう名乗った彼は、コーウェンの顔を見て満足そうに笑っている。まるで、念入りに準備をしたサプライズを成功させたかのように。

(……親父の弟子?)

 アルクゥエイドには、確かに弟子がいた。
 しかし、ティバリーの魔術師長であった彼に弟子がいたこと自体は別段おかしな話では無い。

 だが、アルクゥエイドの弟子ならば、この時代に生きている訳が無いのだ。
 何故ならば――

 コーウェンの父、アルクゥエイドは……今から遡ること三百年も前に、のだから。

「くくっ……」
「――お前……俺と同じ……“死ねない魔術師”か?」

 コーウェンが苦々しく呟くと、メンフィスはニンマリと笑った。この笑い方は、この男の癖であるようだ。

「ご名答」

「お前……アイリスに何をした?」

 この男も自分と同じ“死ねない魔術師”ならば、十中八九アイリスは何らかの術をかけられているのだろう。

(別人みたいに見える……本当に同じ男か?)
 コーウェンはメンフィスを見た後、その腕に収まるアイリスを見る。

 相手が“死ねない魔術師”と知って、急に頭が冷えた。
 考えてみれば、アイリスと言う娘は物の考え方はしっかりしていた。それに、嫌だと思えば全力で抵抗するような気の強い所もある。簡単に男に身を預けるような性格では無い。

(……嫌だと思えば、全力で――)

 ふと、自らの思考に彼女を組み敷いた時の言葉が脳裏に蘇る。


『……だって、私、嫌じゃないんだもの。でも、多分コーウェンは……私が嫌がるようなこと、しないでしょ? 昔からそうだったよね。意外と紳士だもの』


 背後から抱き竦められ、身体を預けるその表情は一見、恋する女のようだ。しかし、よく見ると彼女の紫水晶の瞳は、焦点が定まらないようにも見える。

「アイリス」
「無駄ですよ。彼女はもう俺のものです」

 コーウェンの声に、アイリスは反応しない。
 相変わらず、とろりとした瞳でメンフィスを見つめているだけだ。


「おい! アイリス! ……聞こえてるか?」




 
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