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40.絵が完成しました。
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絵皿の上の群青を、下から黄口本朱のオレンジに似た朱色と辰砂の黄味がかった丹色が透けて見える白緑の上から、刷毛と連筆を使って背景に強弱をつけて塗っていく。白っぽい白緑から様々な青を塗り重ねた背景に奥行きと、静寂を表したかったからだ。
美月は出来上がりつつある作品に向かい、無心に取り組んでいた。
途中で塗った丹色は、塗り重ねていくうちに目立たなくなっているが、重ねた色の下から薄く絵にニュアンスを与えている。
レオンハルトが夕闇が迫る執務室で、机に向かう姿を描いている。
「…………」
彼のその笑みを浮かべた表情が、薄暗くなっていく部屋の中でも何故かよく見えたのを覚えている。ふとした時の表情なのに、印象的だった。
ざらりとした画面のまだ湿り気のある絵の具の上から、彼の軽く口角が上がった唇に触れる。胡粉の白を残しながら浮き上がるように立つレオンハルトの顔は、本人さながらのどこか艶めかさしい生々しさを残していた。美月の絵は写実的だが、骨となる線は残っている。
髪の毛の一本一本まで、細い面相筆を使いながら魂を込めて描いた愛しい人の絵を、美月は完成させた。
「……出来た」
辺りは既に真っ暗になっている。
出来上がった作品を表面の水気が乾きつつあるか確認し、壁に立てかける。
数歩後ろへ退がり、リーリアがいつのまにか用意してくれていたゆらゆらと揺れる蝋燭立ての灯りの中で、美月は静かに自分の絵を見つめた。
この世界に音が無いのではないかと言う程静かな夜だった。
しん、と静まりかえった部屋の中で、様々な角度から自分の絵を見る。床の豪奢な毛足の長い絨毯のおかげで足音も無い。
「……完成したんですか?」
「――ッ、ひゃっ?!」
突然声を掛けられて、飛び上がりそうになった胸を押さえて振り向けば、レオンハルト本人が美月の元へと歩み寄る。
彼がこうやって声をかけて来るのは、初めてでは無いのに、相変わらず驚いてしまう。
彼がそっとお腹に手を回し、耳元に唇を寄せられて擽ったそうに身を捩ると、引き寄せられた身体を温めるように更に力を込められる。
「ああ……良い絵ですね。美月らしい、透明感のある……それでいて、どこか艶めかしい色合い。僕は、君の前でこんな顔をしてるんでしょうか……」
「レオンの好きな表情は沢山あるけど、この表情が特に……好きなの」
「……何だか……恥ずかしいものですね」
戸惑ったような彼の声が、可愛いらしく感じて、背後から抱きとめられたまま自分の肩口に載せられたレオンハルトの頭をぽんぽん、と軽く触れると、さらさらとした柔らかな金の髪が指先に触れた。
「美月の絵、すごく好きです。言葉に表すのは難しいけれど、やっぱり綺麗だ……すごく、気に入りました。良い出来だと思います」
「よかった! 気に入って貰えたら嬉しい」
嬉しそうにはしゃぐ彼女にレオンハルトも優しく笑う。しかし、レオンハルトが先ほどからいつもより心なしか言葉が少ないことに、美月は気付いていた。
「……どうしたの?」
どこか落ち着かない気分で問いかける。
いつもより少しだけ甘えたようなそぶりで背中から抱き着く年下の恋人を、訝しげに肩口から振り向くようにして覗き込むと、彼は珍しく狼狽えたように反対側へ埋めて顔を隠す。
「レオン?」
「いいえ……何でも無いんですよ。ただ、今はこうしていたい……です」
「?」
ふぅ、と大きく息を吐いたレオンハルトが美月を改めて抱き締め直す。人の温もりが触れ合った背中から、じわりと伝わって来る。彼の心臓がとくとくと動くのを感じると、何故かとても安心した。
「美月、早く式を挙げたいです」
「え、あ……う、うん。私も……」
「ふふふ。嬉しいです。君が僕の奥さんになるのが」
奥さんと言う言葉に、どこか気恥ずかしさと擽ったさを覚える。貴族の家に嫁ぐと言うことが、どういうことなのか……まだ、修行中の美月には分からないが、毎日絵を描くだけではいられなくなることは理解している。
レオンハルトは、今まで自分一人でやって来れたのだから、こちらの世界の貴婦人と同じことをしようと思わなくて良いと言ったが、美月はそれを固辞した。
彼に負んぶに抱っこでは、意味が無い。
オーレリアと言う国の宰相であるレオンハルトは、極めて地位が高い役職を持つ人だ。彼が伴う女性が、絵だけ得意で何も出来ない、何もしない、何も考えない女であっては、彼の隣りに居る意味が無い。
……そう思っている。
「私、もっと頑張るからね!」
貴族の子女ならば、美月の年齢であれば当然知っているであろう知識を、異世界からやって来た客人である彼女は知らない。そのことを恥じている訳では無いが、何とか覚える努力をしている。しかし、付け焼き刃でどこまで通用するかは分からない。
けれど、だからこそ、絵を描かない時間はいつもその勉強に当てている。更に、間近に迫る婚礼の際に着るドレスの衣装合わせもあって、毎日多忙を極めていた。
「美月、レッスンや勉強は、疲れたら無理しないで休んでいいんですよ?」
あれやこれやと忙しい身の彼女を案じ、そう心配気に言うレオンハルトに、美月は鼻息荒く頑張る! と、笑った。
彼女は優しい。
レオンハルトの負担を減らしたい、彼の隣りに居るのなら、出来ることをしようとしてくれている彼女のいじましさや善良さが、レオンハルトは何よりも愛おしい。
「愛しています」
一瞬、その言葉に、美月は固まった。
一生のうちに聞けるだろうかぐらいにしか思っていた言葉を、彼は口にする。
「え」
「美月を、僕は愛しています」
ぱぁっ、と染め上げたように赤くなる美月の顔を隠す黒髪を掻き上げて、レオンハルトは彼女のうなじに口付ける。それから、彼女の顎をとり、その唇にそっと口付ける。
赤い顔の彼女を見つめ、そっと彼の手が不埒な動きを始めるのを、必死で止める。
「……っ、だめっ」
「どうして?」
エプロンの肩紐を落とされ、ドレスの上から胸を持ち上げるように揉まれる。ドレスの裾が脚の付け根近くまで捲れ上がり、その下の太腿が見え隠れしている。
「……っ、だめ……恥ずかしい……」
美月は出来上がりつつある作品に向かい、無心に取り組んでいた。
途中で塗った丹色は、塗り重ねていくうちに目立たなくなっているが、重ねた色の下から薄く絵にニュアンスを与えている。
レオンハルトが夕闇が迫る執務室で、机に向かう姿を描いている。
「…………」
彼のその笑みを浮かべた表情が、薄暗くなっていく部屋の中でも何故かよく見えたのを覚えている。ふとした時の表情なのに、印象的だった。
ざらりとした画面のまだ湿り気のある絵の具の上から、彼の軽く口角が上がった唇に触れる。胡粉の白を残しながら浮き上がるように立つレオンハルトの顔は、本人さながらのどこか艶めかさしい生々しさを残していた。美月の絵は写実的だが、骨となる線は残っている。
髪の毛の一本一本まで、細い面相筆を使いながら魂を込めて描いた愛しい人の絵を、美月は完成させた。
「……出来た」
辺りは既に真っ暗になっている。
出来上がった作品を表面の水気が乾きつつあるか確認し、壁に立てかける。
数歩後ろへ退がり、リーリアがいつのまにか用意してくれていたゆらゆらと揺れる蝋燭立ての灯りの中で、美月は静かに自分の絵を見つめた。
この世界に音が無いのではないかと言う程静かな夜だった。
しん、と静まりかえった部屋の中で、様々な角度から自分の絵を見る。床の豪奢な毛足の長い絨毯のおかげで足音も無い。
「……完成したんですか?」
「――ッ、ひゃっ?!」
突然声を掛けられて、飛び上がりそうになった胸を押さえて振り向けば、レオンハルト本人が美月の元へと歩み寄る。
彼がこうやって声をかけて来るのは、初めてでは無いのに、相変わらず驚いてしまう。
彼がそっとお腹に手を回し、耳元に唇を寄せられて擽ったそうに身を捩ると、引き寄せられた身体を温めるように更に力を込められる。
「ああ……良い絵ですね。美月らしい、透明感のある……それでいて、どこか艶めかしい色合い。僕は、君の前でこんな顔をしてるんでしょうか……」
「レオンの好きな表情は沢山あるけど、この表情が特に……好きなの」
「……何だか……恥ずかしいものですね」
戸惑ったような彼の声が、可愛いらしく感じて、背後から抱きとめられたまま自分の肩口に載せられたレオンハルトの頭をぽんぽん、と軽く触れると、さらさらとした柔らかな金の髪が指先に触れた。
「美月の絵、すごく好きです。言葉に表すのは難しいけれど、やっぱり綺麗だ……すごく、気に入りました。良い出来だと思います」
「よかった! 気に入って貰えたら嬉しい」
嬉しそうにはしゃぐ彼女にレオンハルトも優しく笑う。しかし、レオンハルトが先ほどからいつもより心なしか言葉が少ないことに、美月は気付いていた。
「……どうしたの?」
どこか落ち着かない気分で問いかける。
いつもより少しだけ甘えたようなそぶりで背中から抱き着く年下の恋人を、訝しげに肩口から振り向くようにして覗き込むと、彼は珍しく狼狽えたように反対側へ埋めて顔を隠す。
「レオン?」
「いいえ……何でも無いんですよ。ただ、今はこうしていたい……です」
「?」
ふぅ、と大きく息を吐いたレオンハルトが美月を改めて抱き締め直す。人の温もりが触れ合った背中から、じわりと伝わって来る。彼の心臓がとくとくと動くのを感じると、何故かとても安心した。
「美月、早く式を挙げたいです」
「え、あ……う、うん。私も……」
「ふふふ。嬉しいです。君が僕の奥さんになるのが」
奥さんと言う言葉に、どこか気恥ずかしさと擽ったさを覚える。貴族の家に嫁ぐと言うことが、どういうことなのか……まだ、修行中の美月には分からないが、毎日絵を描くだけではいられなくなることは理解している。
レオンハルトは、今まで自分一人でやって来れたのだから、こちらの世界の貴婦人と同じことをしようと思わなくて良いと言ったが、美月はそれを固辞した。
彼に負んぶに抱っこでは、意味が無い。
オーレリアと言う国の宰相であるレオンハルトは、極めて地位が高い役職を持つ人だ。彼が伴う女性が、絵だけ得意で何も出来ない、何もしない、何も考えない女であっては、彼の隣りに居る意味が無い。
……そう思っている。
「私、もっと頑張るからね!」
貴族の子女ならば、美月の年齢であれば当然知っているであろう知識を、異世界からやって来た客人である彼女は知らない。そのことを恥じている訳では無いが、何とか覚える努力をしている。しかし、付け焼き刃でどこまで通用するかは分からない。
けれど、だからこそ、絵を描かない時間はいつもその勉強に当てている。更に、間近に迫る婚礼の際に着るドレスの衣装合わせもあって、毎日多忙を極めていた。
「美月、レッスンや勉強は、疲れたら無理しないで休んでいいんですよ?」
あれやこれやと忙しい身の彼女を案じ、そう心配気に言うレオンハルトに、美月は鼻息荒く頑張る! と、笑った。
彼女は優しい。
レオンハルトの負担を減らしたい、彼の隣りに居るのなら、出来ることをしようとしてくれている彼女のいじましさや善良さが、レオンハルトは何よりも愛おしい。
「愛しています」
一瞬、その言葉に、美月は固まった。
一生のうちに聞けるだろうかぐらいにしか思っていた言葉を、彼は口にする。
「え」
「美月を、僕は愛しています」
ぱぁっ、と染め上げたように赤くなる美月の顔を隠す黒髪を掻き上げて、レオンハルトは彼女のうなじに口付ける。それから、彼女の顎をとり、その唇にそっと口付ける。
赤い顔の彼女を見つめ、そっと彼の手が不埒な動きを始めるのを、必死で止める。
「……っ、だめっ」
「どうして?」
エプロンの肩紐を落とされ、ドレスの上から胸を持ち上げるように揉まれる。ドレスの裾が脚の付け根近くまで捲れ上がり、その下の太腿が見え隠れしている。
「……っ、だめ……恥ずかしい……」
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