あをによし ~年下宰相様は日本画家の地味系女子にご執心です~

柚木音哉

文字の大きさ
40 / 47

40.絵が完成しました。

しおりを挟む
 絵皿の上の群青を、下から黄口本朱のオレンジに似た朱色と辰砂しんしゃの黄味がかった丹色が透けて見える白緑の上から、刷毛と連筆れんぴつを使って背景に強弱をつけて塗っていく。白っぽい白緑から様々な青を塗り重ねた背景に奥行きと、静寂を表したかったからだ。
 美月は出来上がりつつある作品に向かい、無心に取り組んでいた。

 途中で塗った丹色は、塗り重ねていくうちに目立たなくなっているが、重ねた色の下から薄く絵にニュアンスを与えている。
 レオンハルトが夕闇が迫る執務室で、机に向かう姿を描いている。
「…………」
 彼のその笑みを浮かべた表情が、薄暗くなっていく部屋の中でも何故かよく見えたのを覚えている。ふとした時の表情なのに、印象的だった。
 ざらりとした画面のまだ湿り気のある絵の具の上から、彼の軽く口角が上がった唇に触れる。胡粉の白を残しながら浮き上がるように立つレオンハルトの顔は、本人さながらのどこか艶めかさしい生々しさを残していた。美月の絵は写実的だが、骨となる線は残っている。

 髪の毛の一本一本まで、細い面相筆を使いながら魂を込めて描いた愛しい人の絵を、美月は完成させた。

「……出来た」

 辺りは既に真っ暗になっている。

 出来上がった作品を表面の水気が乾きつつあるか確認し、壁に立てかける。
 数歩後ろへ退がり、リーリアがいつのまにか用意してくれていたゆらゆらと揺れる蝋燭立ての灯りの中で、美月は静かに自分の絵を見つめた。

 この世界に音が無いのではないかと言う程静かな夜だった。

 しん、と静まりかえった部屋の中で、様々な角度から自分の絵を見る。床の豪奢な毛足の長い絨毯のおかげで足音も無い。

「……完成したんですか?」
「――ッ、ひゃっ?!」
 突然声を掛けられて、飛び上がりそうになった胸を押さえて振り向けば、レオンハルト本人が美月の元へと歩み寄る。
 彼がこうやって声をかけて来るのは、初めてでは無いのに、相変わらず驚いてしまう。
 彼がそっとお腹に手を回し、耳元に唇を寄せられて擽ったそうに身を捩ると、引き寄せられた身体を温めるように更に力を込められる。
「ああ……良い絵ですね。美月らしい、透明感のある……それでいて、どこか艶めかしい色合い。僕は、君の前でこんな顔をしてるんでしょうか……」
「レオンの好きな表情は沢山あるけど、この表情が特に……好きなの」

「……何だか……恥ずかしいものですね」
 戸惑ったような彼の声が、可愛いらしく感じて、背後から抱きとめられたまま自分の肩口に載せられたレオンハルトの頭をぽんぽん、と軽く触れると、さらさらとした柔らかな金の髪が指先に触れた。
「美月の絵、すごく好きです。言葉に表すのは難しいけれど、やっぱり綺麗だ……すごく、気に入りました。良い出来だと思います」
「よかった! 気に入って貰えたら嬉しい」
 嬉しそうにはしゃぐ彼女にレオンハルトも優しく笑う。しかし、レオンハルトが先ほどからいつもより心なしか言葉が少ないことに、美月は気付いていた。

「……どうしたの?」
 どこか落ち着かない気分で問いかける。

 いつもより少しだけ甘えたようなそぶりで背中から抱き着く年下の恋人を、訝しげに肩口から振り向くようにして覗き込むと、彼は珍しく狼狽えたように反対側へ埋めて顔を隠す。
「レオン?」
「いいえ……何でも無いんですよ。ただ、今はこうしていたい……です」
「?」
 ふぅ、と大きく息を吐いたレオンハルトが美月を改めて抱き締め直す。人の温もりが触れ合った背中から、じわりと伝わって来る。彼の心臓がとくとくと動くのを感じると、何故かとても安心した。

「美月、早く式を挙げたいです」
「え、あ……う、うん。私も……」
「ふふふ。嬉しいです。君が僕の奥さんになるのが」
 奥さんと言う言葉に、どこか気恥ずかしさと擽ったさを覚える。貴族の家に嫁ぐと言うことが、どういうことなのか……まだ、修行中の美月には分からないが、毎日絵を描くだけではいられなくなることは理解している。
 レオンハルトは、今まで自分一人でやって来れたのだから、こちらの世界の貴婦人と同じことをしようと思わなくて良いと言ったが、美月はそれを固辞した。
 彼に負んぶに抱っこでは、意味が無い。
 オーレリアと言う国の宰相であるレオンハルトは、極めて地位が高い役職を持つ人だ。彼が伴う女性が、絵だけ得意で何も出来ない、何もしない、何も考えない女であっては、彼の隣りに居る意味が無い。
 ……そう思っている。

「私、もっと頑張るからね!」
 貴族の子女ならば、美月の年齢であれば当然知っているであろう知識を、異世界からやって来た客人まれびとである彼女は知らない。そのことを恥じている訳では無いが、何とか覚える努力をしている。しかし、付け焼き刃でどこまで通用するかは分からない。
 けれど、だからこそ、絵を描かない時間はいつもその勉強に当てている。更に、間近に迫る婚礼の際に着るドレスの衣装合わせもあって、毎日多忙を極めていた。

「美月、レッスンや勉強は、疲れたら無理しないで休んでいいんですよ?」
 あれやこれやと忙しい身の彼女を案じ、そう心配気に言うレオンハルトに、美月は鼻息荒く頑張る! と、笑った。

 彼女は優しい。
 レオンハルトの負担を減らしたい、彼の隣りに居るのなら、出来ることをしようとしてくれている彼女のいじましさや善良さが、レオンハルトは何よりも愛おしい。

「愛しています」
 一瞬、その言葉に、美月は固まった。
 一生のうちに聞けるだろうかぐらいにしか思っていた言葉を、彼は口にする。
「え」

「美月を、僕は愛しています」

 ぱぁっ、と染め上げたように赤くなる美月の顔を隠す黒髪を掻き上げて、レオンハルトは彼女のうなじに口付ける。それから、彼女の顎をとり、その唇にそっと口付ける。
 赤い顔の彼女を見つめ、そっと彼の手が不埒な動きを始めるのを、必死で止める。

「……っ、だめっ」
「どうして?」

 エプロンの肩紐を落とされ、ドレスの上から胸を持ち上げるように揉まれる。ドレスの裾が脚の付け根近くまで捲れ上がり、その下の太腿が見え隠れしている。

「……っ、だめ……恥ずかしい……」

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

わたしのヤンデレ吸引力が強すぎる件

こいなだ陽日
恋愛
病んだ男を引き寄せる凶相を持って生まれてしまったメーシャ。ある日、暴漢に襲われた彼女はアルと名乗る祭司の青年に助けられる。この事件と彼の言葉をきっかけにメーシャは祭司を目指した。そうして二年後、試験に合格した彼女は実家を離れ研修生活をはじめる。しかし、そこでも彼女はやはり病んだ麗しい青年たちに淫らに愛され、二人の恋人を持つことに……。しかも、そんな中でかつての恩人アルとも予想だにせぬ再会を果たして――!?

泡風呂を楽しんでいただけなのに、空中から落ちてきた異世界騎士が「離れられないし目も瞑りたくない」とガン見してきた時の私の対応。

待鳥園子
恋愛
半年に一度仕事を頑張ったご褒美に一人で高級ラグジョアリーホテルの泡風呂を楽しんでたら、いきなり異世界騎士が落ちてきてあれこれ言い訳しつつ泡に隠れた体をジロジロ見てくる話。

【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)

かのん
恋愛
 気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。  わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・  これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。 あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ! 本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。 完結しておりますので、安心してお読みください。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております

紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。 二年後にはリリスと交代しなければならない。 そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。 普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…

婚約者の本性を暴こうとメイドになったら溺愛されました!

柿崎まつる
恋愛
世継ぎの王女アリスには完璧な婚約者がいる。侯爵家次男のグラシアンだ。容姿端麗・文武両道。名声を求めず、穏やかで他人に優しい。アリスにも紳士的に対応する。だが、完璧すぎる婚約者にかえって不信を覚えたアリスは、彼の本性を探るため侯爵家にメイドとして潜入する。2022eロマンスロイヤル大賞、コミック原作賞を受賞しました。

処理中です...