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とある日のニュース
しおりを挟む腕の中でうとうととする奏絵を見つめながら、そういえば最近テレビを付けていないということが何となく気になった。
テレビの音がしない無音の空間は心地良くもあるが、奏絵の泣き声が聞こえないと手持ち無沙汰で、何をして良いのかも分からない。
遥は片手で奏絵を抱き、リモコンの電源ボタンを押した。
真っ暗な画面から一転、お昼のニュース番組が流れ始める。
『1週間前の3月12日午後8時ごろ、〇〇県△△市に住む28歳の会社員・勝部茜さんが、自宅で腹部を数カ所刺された状態で発見され、病院に搬送されました。しかし、翌日午前8時に心肺停止が確認されました。
また、茜さんの長女で生後4カ月の女の子が行方不明となっており、警察は当初、茜さんと女の子がいた部屋に何者かが侵入したとみて、殺人および誘拐の容疑で捜査を進めています。
第一発見者である茜さんの夫の―――』
遥はテレビを見ながら腕の中の奏絵を抱き締めた。ニュースに出ている住所は遥の住む隣の市で起きた事件であり、同じ年頃の娘がいる遥には非常に身近で、恐ろしい出来事だった。
犯人はまだ捕まっていない、犯人の目途も立っていないとニュースキャスターが続けて告げるのを聞いて戦慄する。もしかしたら犯人はまだ近くにいるのではないか…遥の不安を感じ取ったように娘の奏絵が火のついたように泣く。
「大丈夫。何があってもママが守るからね。」
娘をあやしながら遥はニュースから目が離せなかった。せめて赤ちゃんだけでも無事でありますように…月並みだが心の底からそう思う。
『ーーー警察は情報提供を呼び掛けています。』
ニュースが政治に切り替わった頃、遥はやっとテレビから目を離した。
しかし、どうして母親は殺され、娘は誘拐なんてされたのだろう。遥は考えた。ニュースに出ていた被害者の写真は、年頃は遥とそう変わらないが、明るい髪の毛にピアスが何か所も開いていた。
きっとこの母親か父親に何か良くない交友関係でもあったに違いない…。自分はそんな友人はいないから大丈夫だ。急に力が抜けて、奏絵に視線を落とす。
奏絵は激しく泣いていた。遥は息を吐く。
「よしよし、泣き止んで…。」
娘の奏絵は癇が強い子なのか、一度泣き始めると顔を真っ赤にさせて泣き続ける。いくら可愛いからと言ってもこれでは辟易としてしまう。
夫の和也は単身赴任で中々帰って来られない距離にいる。仕事が忙しいとのことで心配だ。奏絵が生まれる前…妊娠中からずっと帰って来ていないのだ。
遥は実家とは疎遠で父母に頼ることが出来ない。もし関係性が良好だったとしても県外にある実家に生後間もない赤ん坊を連れて気軽に行けるはずもなく、一人で育てる事になったに違いはないだろうが…。
「あっ…。」
あやしているうちにお尻の辺りがじんわりと温かくなってきた。オムツが漏れてしまったのだろう。
「はぁ。」
遥は溜息を吐いてから、奏絵を抱いたまま呆然と立ち尽くす。
1LDK、リビングの広さは8畳程度。寝室は辛うじて5畳。その狭い空間に赤ん坊の泣き声が木霊する。築30年、鉄骨造のアパートは隣の生活音も聞こえてくる程度の防音設備だ。赤ん坊の泣き声はさぞ迷惑だろうと、日々肩身が狭くなっていく。
「早く…引っ越ししたいな。」
和希の単身赴任が終わったら、マンションを購入しようかという話をしている。それまではここに住むしかないのだが、いつになるのかが分からない。それまでこのアパートで肩身の狭い思いをしながら子育てをしないとならないと考えると、鬱屈した思いが溜まっていく。
「あぅー、あぅー、うーっ、ひっひっ……ぎゃーーーっ!!!!!!」
娘の泣き声に遥ははっとして娘をトントンとあやす。クローゼットから奏絵の着替えを持って、奏絵をそっと床の上に置いて服を脱がせた所で、オムツの青い線に気が付いた。膨らんだオムツには、もう尿を吸収する余地は無いように見えた。
「あぁ、オムツも持って来ないといけないんだった…。」
これがマミーブレインとでも言うのだろうか、遥は以前の自分では信じられない程に物忘れが激しくなっていた。
「もう…本当に………。」
自分への失望と、娘への苛立ちの言葉を口に出しそうになった遥は、はっとして押し黙った。
急いで新品のオムツを取り出し時計を見る。もう17時…。自分の事なんてする余裕も無いまま今日という日が過ぎていく事の、なんて虚しいのだろう。遥はオムツの両端を切り裂き、新しいオムツに替えようとする。泣き叫ぶ赤ん坊の、しかも生後六カ月を超えた赤ん坊のオムツ替えは難しい。激しく足をバタつかせて暴れる様子に焦燥ばかりが募る。
「それじゃあ、オムツが変えられないよ…っ!」
気付いたら大きな声を出してしまった事に遥はハッとした。
「ごめん。ごめんね奏絵。ママ、そんなつもりじゃ…。」
慌てて抱き上げた途端、腹部が温かくなってじんわりとしたアンモニアの匂いが漂ってきた。
下を見れば再び服に大きな染みが浮かんでいる。
遥の瞳に涙が浮かんだ。
遥は孤独だった。
『娘だけでも返してください。犯人にはそう言いたいです。お願いですから愛莉だけは…。』
付けっぱなしのリビングのテレビには、先程のニュースが再び流され、記者会見を開いた被害者の夫の涙ながらのコメントが繰り返されていた。
やっと落ち着いた頃には、すっかり夜だった。遥は空腹も忘れて、奏絵を抱いていた。
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