朱色のおくるみ

だんだん

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買い物

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 どのくらいそうしていたのだろうか。遥には永遠に感じられたが、時計を見るにそう何分と経っていない。奏絵はまたオムツ漏れをしてしまったのか、背中がしっとりとしていた。また着替えさせないと…。
 そろそろ4月になるというのに、まだまだ寒い日が続いている。奏絵が風邪を引いては大変だ。

「お着替えしようね。」

 のろのろと奏絵を抱えたまま立ち上がり、赤ちゃん服の入った収納ボックスの蓋を開ける。薄手の肌着とロンパースを取り出すと片手で服を広げ、その上にそっと奏絵を置いた。泣いている赤ん坊の服を着替えさせるのは難しい。赤ちゃんに慣れていないなら尚更だ。そんな母の気も知らずバタバタと足を動かす奏絵。

「うーうー…ギャァァア!」

 赤ん坊の泣き声に混ざってキーンと耳を塞ぎたくなるような音がする。

「良い子…良い子だから…じっとして………。」

 お願いだから…と絞り出した声は、遥が想像していたよりも震えていた。

「服、変えられないよ…。あ、これじゃあオムツ、後ろ前逆だ…。直さないと…。寝返り今しないで。お願いだから…。」

 部屋の電気がチカチカと点滅する。気が付けば、遥は天井を見上げていた。電気が付いては消え、付いては消え……。それを遥はじっと見つめた。

「LEDライトっていくらするんだっけ。」

 スマホを取り出してシーリングライトの値段を調べ始める。

「この子の服も買わないといけないのに…。どうしよう…。」

 やっぱり夫に連絡するしかないだろう。遥はメッセージアプリを開いて夫の名前を探す。すぐに見つかった。

『和希…体調は大丈夫?
お願いがあるの。仕送りの額を今月だけ増やして欲しいんだけど…。
奏絵にお金がかかるの…。』

 メッセージを送信する。
 
「パパ、忙しいもんね。返信、いつ来るかな?」

 止めていた手を動かして、奏絵に服を着せる。

「可愛いね。奏絵…。」

 遥は奏絵の今にも落ちそうなもちもちのほっぺに頬ずりする。そうこうしていると気持ちがだいぶ落ち着いたのか笑顔になる。

「それにしてもお腹減ったな…。」

 遥は朝から何も食べてない事に気が付いた。冷蔵庫に向かうと扉を開けて、調味料だけの中身を見てそっと閉じた。

「ネットスーパーじゃ届くのに時間かかるし…買い物…私一人で行ったら駄目だよね。離れるとまた泣くだろうし…泣いたらまた隣の人に文句を言われるかもしれない…。」

 遥は意を決したように寝室に向かい、抱っこ紐を取り出した。

「あれ…どうやって使うんだっけ?店員さんに聞いたのにな…。この紐は何?どうするの?」

 娘が産まれてから殆ど外出をしていない遥は、抱っこ紐を装着するのすら戸惑っていた。しかし、これが無ければいくら奏絵が軽いとは言え買い物は難しいだろう。
 スマホで検索しながら装着し終わった頃には夕日がカーテンの隙間から差していた。

「そういえば…あの人、流石にもういないよね…。」

 遥はカーテンをそっと開けて確認した。アパートは住宅街にあることもあり、人通りが少ない。
 誰もいない事を確認して、遥はそっと抱っこ紐の上から抱っこ紐用のケープを被せる。

「フードもしっかり被ろうね。まだ寒いから…。」

 人の体温に落ち着いたのだろうか、奏絵は抱っこ紐の中で静かに眠っている。そんな奏絵に小声で話しかけ、そっと家のドアを開けた。





(隣の家の人もいなかったし、大丈夫…。)

 遥は人目を避けるようにして俯きながら歩いた。先日の苦情という言葉が響いているのだろうか。遥はそのまま足早にアパートを抜けた。
 最寄りのスーパーは、十分程歩いた所にある。少し遠いけれど仕方ない、と遥は独りごちた。
 久し振りに外を歩くので息が切れた。春の陽気で温かい風が吹いていると思いきや、冬の残り香のような刺すように冷たい風が遥の頬を撫でた。
 やっとスーパーに着いた頃には遥は息が切れていた。弾む息を深呼吸で抑えて明るい店内へと進む。



「可愛い赤ちゃんですね。」


 60代程の女性に声を掛けられ、遥は思わず肩を震わせた。

「あ、ありがとうございます…。」

 反射的に奏絵のフードを抑えた。SNSで、親切に話し掛けてきた人が、赤ちゃんの足に触った、その後激しく泣く赤ちゃんの様子におかしいと思った親が病院へ連れて行くと骨折していたという話を見た。その話がよぎり、遥は女性と反対側へ奏絵を向けた。
 女性はそんな遥の様子に仕方がないとばかりに微笑んで話を続けた。


「何ヶ月?女の子かしら。」

「えっと…今6ヶ月の女の子です。」

「可愛いわね。ママ、頑張ってるわね。」

「ありがとう、ございます…。」


 遥は小さく会釈してその場を離れる合図とした。遥の心臓が大きく鼓動していてうるさい程だった。


「ねえ…あなた大丈夫…?顔色が悪いわよ。」


 女性が心配そうに顔を覗き込んでくるのを、遥は顔を逸らした。


「だ、大丈夫ですから…!」


 早足でその場を立ち去り、手早く惣菜や冷凍食品を選ぶ。奏絵が産まれてからというもの、遥はすっかり手料理を作らなくなっていた。奏絵を見ながら一人分の料理を作るというのは億劫だった。
 買い物カゴがどんどん重くなっていき、奏絵の入った抱っこ紐の重さも相まって遥の肩が悲鳴を上げた。心なしか、腰もミシミシと痛んだ。

 何とか買い物を終えた遥は、帰り道でそっと溜息を吐いた。


「でも…これで何日かは持つかな…。」


 肩がキリキリと悲鳴を上げるのを無視して歩き始めた。奏絵は、小さな寝息を立てて眠っている。その小さな額に口付けを落とすと、遥は夕焼けの中をふらふらとした足取りで歩き始めたのだった。



    
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