煙草屋さんと小説家

男鹿七海

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第十八章

微かな影と、揺れる距離

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 午後の商店街には、まだ人の気配が残っていた。
 日差しは西に傾き始めているが、店を閉めるには少し早い。

 霧弥はカウンターに肘をつき、何を見るでもなく窓の外を眺めていた。

 ――龍二は、今どこに居るんだ。

 考えたところで答えが出るわけでもないのに、頭の中に浮かんでしまう。
 ふと視線を落とすと、引き出しの奥にしまったままの付箋のことを思い出した。
 昨日、龍二が残していった、あの小さな紙切れ。

 宝物みたいだ、と思ってしまった自分が、少しだけ情けない。

 霧弥は無意識に引き出しを閉め、短く息を吐いた。「……俺、何やってんだよ」

 自覚はある。
 龍二に対して、妙な感情が芽生え始めていることも。
 ほんの少し距離ができただけで、胸の奥が落ち着かなくなる。

 独占欲――そんな言葉を使うほど大げさじゃないと思いたい。
 けれど、否定しきれない何かが、確かにそこにあった。



 1

 街外れの喫茶店。
 木漏れ日が差し込む窓際の席で、龍二は南雲と向かい合っていた。

 南雲は原稿に目を落とし、淡々と赤を入れていく。

「茶ケ原先生、ここの表現ですが……もう一段、踏み込めそうですね」

「そうですね。ありがとうございます」

 丁寧に返事をしながらも、龍二の意識は時折、窓の外へと引っ張られていた。
 理由は自分でもわかっている。

 南雲は、その微妙な視線の揺れを見逃さなかった。

「……今日は、少し様子が違いますね」

「え?」

「距離感、というか……どこか慎重な感じがします」

 龍二は小さく笑ってみせた。

「仕事の疲れでしょうか」

 南雲はそれ以上踏み込まなかったが、納得もしていない顔だった。

「……大切な方、いらっしゃるんですか?」

 一瞬、言葉に詰まる。
 だが龍二は、平静を装った。

「……いえ」

「ふふ。無理に答えなくても大丈夫ですよ」

 そう言って、南雲は何気ない仕草で龍二の手に触れた。
 反射的に、龍二の指先が強張る。

「……すみません」

「気にしないでください」

 龍二はカップを持ち直しながら、胸の内で小さく息をついた。

 ――気を許しすぎるわけにはいかない。
 ――それなのに、霧弥のことを考えると、どうしても表情が緩む。

 その事実が、少しだけ怖かった。



 2

 夕方の店内は静かだった。
 霧弥はいつの間にか煙草に火をつけ、立て続けに吸っていた。

 煙が肺に落ちるたび、ほんの少しだけ落ち着く。
 けれど、胸のざわめきまでは消えない。

 ――俺、何を気にしてんだ。
 ――龍二、どこ行ってやがる。

 そう思った瞬間、ドアのベルが鳴った。

「……霧弥、遅くなった。打ち合わせが長引いてさ」

 少し慌てた様子で入ってきた龍二を見て、心臓が跳ねる。

「……別に、待ってたわけじゃねぇ」

 そっけなく返しながらも、視線は自然と龍二を追ってしまう。
 近くに来た途端、匂いも、気配も、やけに鮮明に感じられた。

「……おかえり」

「ただいま。ごめん」

 それだけのやり取りなのに、空気が少しだけ熱を帯びる。

 霧弥は煙草を灰皿に押しつけ、深く息を吐いた。



 3

 夜。
 店を閉めたあと、二人はいつものように二階で並んで座っていた。

「……霧弥」

「……ん?」

「今日は、南雲さんと打ち合わせしてた」

「……そうか」

「……霧弥のこと、考えてたらさ。ちょっと、顔に出てたみたいで」

 霧弥は視線を逸らす。
 胸の奥が、じんわりと熱を持つ。

「……誰かに近づかれたのか」

「違う。ただ……考え事」

「……ふん」

 納得したわけじゃない。
 けれど、追及するのも違う気がした。

「……俺、そんな顔、あんまり見たくねぇ」

「……気をつけます」

 素直な返事だった。
 そのまま龍二の手が、霧弥の肩に置かれる。

「……落ち着く」

 その一言に、霧弥は目を閉じた。
 体温が伝わってくる。
 胸のざわめきも、独占欲も、消えはしないが――不思議と静まっていく。

 ポケットの中で、付箋にそっと指を触れる。
 誰にも見せない、ただ自分だけのもの。

「……俺、馬鹿だな」

「どうして?」

「……なんでもねぇ」

 龍二は何も言わず、霧弥の手を握った。

 その温もりは、夜の静けさの中で、確かな光として胸に残った。


 
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