恋する嘘つき霊能者

灰羽アリス

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 あの日。
 リンが誘拐されかけたあの日。

 リンは小学校6年生で、おれは、中学一年生だった。

 塾の帰り道。夜だった。
 街灯の少ない一本道。
 夜空の星を見上げて不安を紛らわしながら、家に繋がる唯一のその道を、しかたなく歩く。
 聞こえてきたのは、少女の悲鳴だった。
 ハッとして、道の先を睨む。暗闇の中、ピンク色のシャツが見えた。長い黒髪も。小さな影が、もう一度悲鳴を上げる。

「助けて、お兄ちゃん!」

 おれはすぐさま駆け出していた。
 助けを求めているのは、リンだと気づいた。
 心臓がドクドク鳴って、吐きそうだった。
 誰だ。リンに悲鳴を上げさせたのは誰だ。
 ワゴン車と、メガネをかけた太った男の姿が見えた。男はリンの腕をつかみ、車に引きずり込もうとしている。
 その光景を見た途端、カッとなった。
 雄叫びを上げながら、男に突っ込む。

 殺してやる。殺してやる。

 ひたすら殴った。
 お兄ちゃん、とリンの泣き声が背中に聞こえる。

 おれはまだ中学一年生だった。もやしのような体躯から繰り出されるパンチでは、大人の男にたいしたダメージを与えることができない。

 男はおれを突き飛ばし、再びリンに手をかけた。
 リンはとっさに、男の腕を噛んだ。

 ぎゃっ

 男は声をあげ、リンを投げ捨てた。
 リンが投げ飛ばされた位置には、鉄骨がむき出しになったブロック塀が。
 むき出しの鉄骨は、リンの額に深い傷をつけた。
 薄闇の中、リンの額から流れた血が、顔やピンクの服を赤黒く染めあげた。
 男はぎょっとして、あわてて車に逃げ込むと、そのまま走り去っていった。

「リン!」

 おれはリンを抱え起こし、震える手で、リンの傷を押さえた。とにかく、血を止めなければと思った。何度も瞬きして、視界をぼやけさせる涙を払い落した。
 焦点の合わない瞳が、おれを見上げる。

「お兄ちゃん、助けてくれて、ありがとう」

 おれは悔しくて、唇を噛み締めた。鉄臭い血が涙とまざって、口の中をうるおした。
 おれはリンを、しっかり助けてやれなかった。
 おれがもっと強ければ、あの男をパンチ一発でノックダウンさせるくらい、強ければ。
 リンが傷を負うことなんて、なかったのに。
 リンは、女の子なのに。

 ひまわりのピンを買って、リンにあげた。
 それは、傷を隠すためのピン。おれをいましめるための、ピン。

 傷ができても、リンの明るい笑顔は少しも陰らなかった。
 傷なんて、どうってことないと、からっと笑う。
 そんなリンに、おれは言った。

「もし、大人になってもリンの傷が消えなかったら、おれがリンをお嫁さんにもらうから」

 すると、リンは寂しそうな顔をする。

「私が怪我をしたのは、お兄ちゃんのせいじゃないのに」
「それでも」
「傷のために、好きでもない人と結婚するの? それって、なんだかむなしいよ」
「違うよ。おれはリンが好きだから、結婚するんだ」
「好き?」
「うん、リンより大切なものなんてないよ」

 傷の責任をとって、結婚する。それは、おれにとって都合のいい言い訳だった。
 リンを誰にも渡さない。傷は、リンにかけた首輪だ。傷のせいで、リンがほかの男に嫌煙されるのなら、嬉しいとさえ思ってしまうあさましい心。ほの暗い幸せ。

「じゃあ、リンは、この傷、一生消さない」
 はにかみながら、リンが言う。
「そしたら、リンはお兄ちゃんのお嫁さんになれるよね」

 リンとおれは、家が隣同士の幼馴染。
 結婚の約束は、物心つかないうちから何度となく繰り返してきた。この約束を、リンの傷が確固たるものにした。

「そろそろ、ちゃんと付き合おうよ」

 中学にあがったばかりのリンがじれたように言ってくる。

「まだ、だめ」
「なんで」
「まだ子どもだから」
「じゃあ、いつになったらいいの」
「リンが高校生になったら、かな」
「高校は一緒のとこに行きたい。そしたら、いつでもラブラブできるよ」
「空き教室で?」
「あとは、階段裏とか」
「屋上とか」
「中庭とか」
 お互いに顔を見合わせて笑う。
「それなら、受験頑張らないと」
「ああ、もう」
 リンがげんなりため息をつく。
「お兄ちゃんてば、なんでそんな頭いい学校に行っちゃうかなぁ」

 おれは、中学から私立の学校に通っていた。高校もエスカレーターで、同じ学校に通うことになる。リンはおれと同じ学校に行きたがり、中学受験をしたものの、失敗していた。
 次は、高校受験、と息巻いている。

「まあ、がんばれ」
「もう、他人事だと思って」
「だって、他人事だもん。けど、まあ、勉強は教えてあげるよ」
「頼りにしてるよ、お兄ちゃん」


「───リン、もういい、もう、思い出したから」

 ワゴン車に駆け込み、おれはリンに縋りついた。

「おれに思い出させるために、あのときの事件を再現しようとしたんだろ。もう、わかったから。危ないこと、しないで」

 リンがやっとおれを見た。大きく見開かれた瞳から、ぽろぽろ、涙がこぼれ落ちていく。

 震える唇が、つむぐ。

「お兄ちゃん……」

「逃げるぞ!」
「うん……!」

 ドアが閉まる直前のワゴン車から飛び出す。あとはひたすら走った。リンを呼ぶ御手洗さんの声が追いかけてくる。校舎にかけこんだ頃には、その声も消えていた。どうやら、今回は諦めたようだ。 

 息を切らしたリンが、階段裏の壁にもたれる。

「無茶するにもほどがあるよ。あいつに連れ去られてたら、どうするつもりだったんだ。おれは、助けに行けないんだぞ」

 おれは怒った。

「ごめんなさい」

 ひくひくと、リンは泣く。赤い頬がたまらなく愛おしい。
 すっと怒りが静まっていく。

「御手洗さんのことが好きっていうのは」
「うそ」
「最初からあの事件と同じシチュエーションを作るために、御手洗さんに近づいたんだな?」
「うん」
「危ないやつって、尾行する前から、知ってたんだろ」
「うん。だから、御手洗さんに目を付けたの」
「『その二』の方法で、除霊執行中だったってわけか」

 リンが押し黙る。沈黙は、肯定だ。

 その二。やんわりアプローチをかけ、本人に、名前と死亡理由、そしてこの世にとどまっている理由を思い出させる。心残りを晴らしてやり、昇天させる。

 リンがおれを秋尾の除霊に付き合わせたのは、「やんわりアプローチ」の一環。

『この傷を見て、どう思う?』
 あの質問も。

「お兄ちゃん、ぜんぶ、思い出した?」
「うん、思い出したよ」

 じゃあ、とリンの顔が涙に歪む。

「教えて、お兄ちゃん。お兄ちゃんは、自殺したの?」
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