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『世界樹の聖女』プロローグ
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宰相閣下がルキノ・ヴェルディ伯爵令息と呼んだように、懲役刑で北の辺境へ送られたルキノだが、彼は今もヴェルディ伯爵家の長男だ。
彼には兄弟が多く、現伯爵は四十代半ばでバリバリの現役、去年も娘が一人増えている。
さらに、二年前に息子の責任を取る形で近衛騎士団副団長の任から退いて領地経営に専念出来ていることもあり、誰が家を継ぐかはまだ決まっていないのだ。
そんな彼は、王太子を殴り飛ばしたルキノに関しては「よくやった」と肯定的だ。
これは実の父親だからというわけではなく、婚約破棄を宣言する直前に王太子の口を閉ざさせたのは、手段はともかくルキノの英断だったと評価する人はとても多い。
国の上層部でさえ明言しないだけで感謝している者は多い。主神の加護持ちが次代の婚約者だという事実は、国内にとっても、国外に対しても非常に重要なことだからだ。
だからといって卒業パーティの最中という公衆の面前で行われた王族への暴行をなかったことには出来なかったからルキノは北の辺境へ送られて国境警備に就かされた。
魔物が跋扈する未開の地。
世界樹から最も離れている地域の一つであるせいか魔物も凶悪な部類のものが多く、実力が無ければ三カ月生き延びることさえ難しいと言われているのだが、ルキノはそこで二年間生き延びている。
否、生き延びているどころか現地では英雄のごとき活躍で、本来なら牢とそれほど変わらない簡素な空間で複数人が一緒に寝起きするところ、彼には寝心地の良いベッドがついた個室が用意されたそうだ。
手紙にはそれなりに楽しく過ごしているとあったが、その言葉は嘘ではなかったらしい。
「辺境騎士団からも刑期を短縮し早々に正式な団員として派遣してくれと頼まれているくらいです」
「そうでしたか」
貴族牢の看守へ、これからテオフィロが向かうという報せが届くまでの間、彼は謁見の間で宰相閣下からルキノの辺境での暮らしを聞いて喜んでいた。
主神の加護持ちを育てた彼は、剣の訓練、魔力操作の練習などもテオフィロと一緒に励んだ。時にはニョルズも参加し、膨大な魔力で弄ばれたものだ。
恐らくだが国内に彼ほど魔力に慣らされた騎士はおらず、魔物に対してもかなり優位に立てたに違いない。
「今回こうして王都に呼び戻した時には恨まれましたよ」
「ではすべてが片付いたらヴェルディ伯爵令息と辺境に移住するのも良いですね」
「ははは、さすがに気が早いですよオルトラーニ侯爵令息」
「婚約解消後の生活が今から楽しみです」
ふふふ、はははと本音が見え透いたやり取りに、壇上の国王陛下は胃を抑えていたが、反省はしない。
そうこうしているうちに看守側から了承の返答があり、テオフィロは謁見の間を後にした。
刑期が言い渡された時には五年間だったが、いまこうして半分以下の期間で王都に戻って来た。
その理由が王太子絡みというのは些か思うところがないでもないが、任務への貢献度によっては恩赦を与えられる。
自分は婚約解消が近い。
お互い自由になればもう離れ離れにならずに済むかもしれない。
そんな期待がテオフィロの足取りを軽くしていた。
犯罪者を拘束しておくための牢にもいろいろある。
大まかにはどの騎士団、またはどの魔導部隊が捕まえた犯人かによるのだが、テオフィロが主に捕まえる犯人は城下の犯罪者だから、牢は城下町の各所にある分駐所で、犯人の身分は庶民がほとんどだ。
一方、近衛が捕まえるのは王族に害を為した犯人で、捕まった時点でほぼ極刑が確定しているため城内の地下牢に送られる。拷問などで情報を吐かせるのもここだ。
王太子を殴ったキルノを捕まえたのはもちろん近衛だったが状況が状況だっただけにいきなり地下に送られることはなく、それなりの寝台と水回りが整った貴族用の牢に留め置かれた。
いま彼がいるのもそこだ。
刑が確定するまでは外部との接触の一切を禁じられ、刑が確定した後は一度だけ顔を見ることが出来た。その後は今日まで手紙のやり取りだけだったが。
(ルゥ兄さまに会える)
顔が緩む。
人形のように整った顔立ちが赤みを帯びて人間らしくなる。
(兄さま。兄さま……!)
見えて来た貴族牢の手前、看守室。
そこには三十代手前だろう若い男性騎士が二人いて、テオフィロの、子どものようにはしゃぐ姿を見て目を丸くしている。
「あの、宰相閣下から通達があったかと思うのですが、魔導部隊第二班班長のテオフィロ・オルトラーニです。こちらで拘束中のルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人になるため伺いました!」
「は……はい、お話は伺っております」
看守たちはテオフィロがすぐに来ることも聞いていたようで、それぞれ名乗りを上げてから事務机の上に用意してあった数枚の書類と魔導具が入った小箱を手に取ると、テオフィロにソファへ座るよう促した。
「宰相閣下からすでにお聞きだと伺っておりますが」
「はい」
「こちらの二枚にはルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人になるにあたっての条件が記載されています。内容をご確認いただき、問題がなければ二枚ともここにサインをお願いいたします」
書面には彼らが言うようにルキノの身柄をテオフィロが預かること、国が定めた規則を守ること、ルキノの所在を常に把握するための魔導具の装着を受け入れることなどが記載されていた。
魔導具に関してはルキノ本人に確認したいところだが現時点では罪人の彼にこれを拒否する権利はない。
テオフィロは、こんなものを彼に装着させたくないと思いつつも今後の任務のことを思えば受け入れないわけにはいかなかった。
定められた箇所にサインを済ませると、一枚は国が、一枚は本人が保管するものだと説明される。
「それから、こちらはオルトラーニ侯爵令息がルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人となる旨を国が承認するという書類です。宰相閣下のサインが記入済みです。こちらにもサインをお願いいたします……そして一枚はご自身で保管してください」
「判りました」
先ほどの書類と重ねて手元に寄せる。
「次にこちらです。右側がオルトラーニ侯爵令息、左側がヴェルディ伯爵令息に装着して頂く魔導具になります」
看守が蓋を開けた箱の中には、右にブレスレット、左にはベルトのような魔道具が納められていたが、腰に巻くには短いし細すぎる。
「これはどこに装着するのですか」
「着けやすいところで構いませんが、一般的には手首、足首でしょうか。先端の金具部分に魔力を登録することで、付け外しは身元引受人にしか出来ない仕様になっております。それに耐久値が高く、水は弾きますので風呂のたびに外すといった必要はございません」
「……多少は長さが調節出来るのですね」
「はい。また、ベルトを装着した者――今回はヴェルディ伯爵令息の行動範囲はオルトラーニ侯爵令息を中心とした一キロ圏内に限定され、所在地も即座に把握出来るようになっています」
「意外に遠くまで離れられるのですね」
テオフィロが言うと、看守は面白そうに笑う。
「普通はあり得ません。離れられても精々百から二百メートルでしょう」
「では、なぜ」
「オルトラーニ侯爵令息は転移の魔術が使えるから、ですよ」
「あ……」
つまりテオフィロの魔術を考慮して制限を設定してくれたということだ。
「お気遣いありがとうございます」
テオフィロが頭を下げると、二人の看守は「いいえ」と慌てて手を振る。
王城の勤め人としての立場も、生まれ持った身分も遥かに上で、しかも主神の加護持ちにこのような対応をされては焦るし、困る。
「お礼を言うべきはむしろ私たちの方です! ヴェルディ伯爵令息を受け入れてくださって本当にありがとうございます」
「彼が予定よりずっと早く王都に戻れたのはオルトラーニ侯爵令息のおかげです」
意外な言葉に、問い返す。
「……お二人は、ヴェルディ伯爵令息とは」
「学園の同級生でした」
「面倒見の良い男で、試験の前などよく助けてもらったものです」
確かに面倒見の良い男だったと自分が子どもの頃の日々を思い出す。面倒見というか、もはや父親……否、母親代わりだったのかもしれない。何せ人に挨拶をすること、感謝や謝罪することなど、人間としての常識を教えてくれたのは彼なのだ。六つも歳の差がなければ学園生活だって一緒に過ごしたかった。彼と一緒なら、きっと目の前の彼らと同じような顔で学園生活を振り返れただろう。
「彼が自由になったら旧交を温めてくださいね。自由といってもしばらくは一キロ圏内ですが」
「いやいやその時はオルトラーニ侯爵令息もぜひご一緒に」
「ヴェルディ伯爵令息の学園時代の話は幾らでもありますよ!」
「それは楽しみです」
思わず前のめりに本音を漏らしたら看守たちが楽し気に笑う。
この調子だと遠からず食事会――というよりは城下町の酒場のような気安い場所での飲み会が実現するだろう。テオフィロはそれを本心から楽しみに、書類の続きを読み込んでいく。
そうして手に取った最後の書類。
看守の一人が口を開く。
「そちらは実際にヴェルディ伯爵令息が魔導具を装着して牢を出た後にサインしていただくものです。いまは内容のみご確認下さい」
「判りました」
細かい字でいろいろと記載してあるが、要は牢を出た後のヴェルディ伯爵令息に関して、その言動の責任のすべてはオルトラーニ侯爵令息が負うこと、これを了承した上で彼を牢から出して連れ帰りました、というものだ。なるほど最後の書類らしい。
読み終えて机上に戻したタイミングで看守が立ち上がる。
書類はもう一人の看守が持った。
「ではヴェルディ伯爵令息を迎えに行きましょう」
「はい」
二人に促され、テオフィロは応接室から貴族牢へ移動する。
たまに案内役の彼らと同じ格好をした巡回中の看守とすれ違ったが、みなテオフィロには好意的な態度だったように思う。
「そういえば、ここにはソルヴィーノ男爵令嬢も収監されていたと聞きましたが」
「ぁ……ええ。二週間くらい前だったでしょうか。……その、主神様の加護を賜ったからという事情でお出になられました」
「ソルヴィーノ男爵令嬢が加護を賜った件は宰相閣下からもお聞きしていますから、大丈夫ですよ」
気まずそうな彼らにそう声を掛ける。
実際、この件に関して彼らが気に病むことなど何一つないのだ。
それより彼女が加護を賜ったのが二週間というのには少なからず驚いた。同時に二人の主神の加護持ちが現れたというのに今日までまったくそんな話は聞かなかったのは、情報統制が思っていたよりもしっかりと機能しているからだ。
それに、ルキノの件。
一度はソルヴィーノ男爵令嬢に協力するよう要請して断られた結果、テオフィロが身元引受人になった経緯を考えると、上層部で会議も開かれただろうしそれくらい時間が掛かっていて当然だ。
(でもそう考えると、兄さまはいつから此処に居たのだろう。本当ならもっと早くに会えていたのでは……)
たらればの話など無意味なのに、つい恨み言が胸中から溢れ出そうになる。
(ルゥ兄さま……二年も辺境で魔物相手に戦い続けてきたなら、きっと最後にお会いした時よりもずっと逞しくなっていらっしゃるはず……)
王太子を殴る前、二十四歳の彼は実力を認められて騎士爵を与えられていた。下位貴族の無茶な要求は断っても良いという意味を持った、本人一代限りの爵位だ。それも王族暴行罪で取り上げられて伯爵令息という立場しか残らなかった――罪人になっても家を追放されなかったこと自体が異例だ――が、実力が損なわれたわけではない。
事実、辺境の最前線にいながら二年も生き延びている意味は大きい。
「こちらです」
テオフィロが考え込んでいる間に目的地に着いたらしい。
貴族牢は、部屋の広さこそ普通で、支度を手伝ってくれる侍女もつかないが、他人の目を気にしなくていいようきちんと壁に囲まれているし、日当たりの良い窓もある。
ベッド、机、クローゼットといった最低限の家具が揃えられ、服装は自由。洗濯こそ一日一回専用のカゴに入れて外部に頼むことになるものの風呂と洗面所は室内に完備されているし、食事は一日三食出る決まりだ。
扉に掛けられている番号札はルキノの囚人番号で、外側からのみ開けられる小窓が設置されていた。
看守の一人がそこをノックする。
「ルキノ・ヴェルディ伯爵令息、オルトラーニ侯爵令息をお連れしました」
テオフィロの呼称を告げた途端に中から物音がする。
「開けますよ」
「ああ」
看守の言葉に返る即答。
鍵を開けて扉を開けば、すぐそこに佇んでいた背の高い男の姿。記憶にある彼とはまるで別人のような体格だが、でも――。
「……ルゥ兄さま……?」
思わず。
本当に無意識に、馴染んだ呼称が零れ出た。途端に目の前の男が破顔した。嬉しそうな、気恥ずかしそうな、それでいて今にも泣き出しそうな笑顔で、広げられる両腕。
「フィー」
「っ……兄さま!」
テオフィロは迷わずその腕の中に飛び込んだ。
彼には兄弟が多く、現伯爵は四十代半ばでバリバリの現役、去年も娘が一人増えている。
さらに、二年前に息子の責任を取る形で近衛騎士団副団長の任から退いて領地経営に専念出来ていることもあり、誰が家を継ぐかはまだ決まっていないのだ。
そんな彼は、王太子を殴り飛ばしたルキノに関しては「よくやった」と肯定的だ。
これは実の父親だからというわけではなく、婚約破棄を宣言する直前に王太子の口を閉ざさせたのは、手段はともかくルキノの英断だったと評価する人はとても多い。
国の上層部でさえ明言しないだけで感謝している者は多い。主神の加護持ちが次代の婚約者だという事実は、国内にとっても、国外に対しても非常に重要なことだからだ。
だからといって卒業パーティの最中という公衆の面前で行われた王族への暴行をなかったことには出来なかったからルキノは北の辺境へ送られて国境警備に就かされた。
魔物が跋扈する未開の地。
世界樹から最も離れている地域の一つであるせいか魔物も凶悪な部類のものが多く、実力が無ければ三カ月生き延びることさえ難しいと言われているのだが、ルキノはそこで二年間生き延びている。
否、生き延びているどころか現地では英雄のごとき活躍で、本来なら牢とそれほど変わらない簡素な空間で複数人が一緒に寝起きするところ、彼には寝心地の良いベッドがついた個室が用意されたそうだ。
手紙にはそれなりに楽しく過ごしているとあったが、その言葉は嘘ではなかったらしい。
「辺境騎士団からも刑期を短縮し早々に正式な団員として派遣してくれと頼まれているくらいです」
「そうでしたか」
貴族牢の看守へ、これからテオフィロが向かうという報せが届くまでの間、彼は謁見の間で宰相閣下からルキノの辺境での暮らしを聞いて喜んでいた。
主神の加護持ちを育てた彼は、剣の訓練、魔力操作の練習などもテオフィロと一緒に励んだ。時にはニョルズも参加し、膨大な魔力で弄ばれたものだ。
恐らくだが国内に彼ほど魔力に慣らされた騎士はおらず、魔物に対してもかなり優位に立てたに違いない。
「今回こうして王都に呼び戻した時には恨まれましたよ」
「ではすべてが片付いたらヴェルディ伯爵令息と辺境に移住するのも良いですね」
「ははは、さすがに気が早いですよオルトラーニ侯爵令息」
「婚約解消後の生活が今から楽しみです」
ふふふ、はははと本音が見え透いたやり取りに、壇上の国王陛下は胃を抑えていたが、反省はしない。
そうこうしているうちに看守側から了承の返答があり、テオフィロは謁見の間を後にした。
刑期が言い渡された時には五年間だったが、いまこうして半分以下の期間で王都に戻って来た。
その理由が王太子絡みというのは些か思うところがないでもないが、任務への貢献度によっては恩赦を与えられる。
自分は婚約解消が近い。
お互い自由になればもう離れ離れにならずに済むかもしれない。
そんな期待がテオフィロの足取りを軽くしていた。
犯罪者を拘束しておくための牢にもいろいろある。
大まかにはどの騎士団、またはどの魔導部隊が捕まえた犯人かによるのだが、テオフィロが主に捕まえる犯人は城下の犯罪者だから、牢は城下町の各所にある分駐所で、犯人の身分は庶民がほとんどだ。
一方、近衛が捕まえるのは王族に害を為した犯人で、捕まった時点でほぼ極刑が確定しているため城内の地下牢に送られる。拷問などで情報を吐かせるのもここだ。
王太子を殴ったキルノを捕まえたのはもちろん近衛だったが状況が状況だっただけにいきなり地下に送られることはなく、それなりの寝台と水回りが整った貴族用の牢に留め置かれた。
いま彼がいるのもそこだ。
刑が確定するまでは外部との接触の一切を禁じられ、刑が確定した後は一度だけ顔を見ることが出来た。その後は今日まで手紙のやり取りだけだったが。
(ルゥ兄さまに会える)
顔が緩む。
人形のように整った顔立ちが赤みを帯びて人間らしくなる。
(兄さま。兄さま……!)
見えて来た貴族牢の手前、看守室。
そこには三十代手前だろう若い男性騎士が二人いて、テオフィロの、子どものようにはしゃぐ姿を見て目を丸くしている。
「あの、宰相閣下から通達があったかと思うのですが、魔導部隊第二班班長のテオフィロ・オルトラーニです。こちらで拘束中のルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人になるため伺いました!」
「は……はい、お話は伺っております」
看守たちはテオフィロがすぐに来ることも聞いていたようで、それぞれ名乗りを上げてから事務机の上に用意してあった数枚の書類と魔導具が入った小箱を手に取ると、テオフィロにソファへ座るよう促した。
「宰相閣下からすでにお聞きだと伺っておりますが」
「はい」
「こちらの二枚にはルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人になるにあたっての条件が記載されています。内容をご確認いただき、問題がなければ二枚ともここにサインをお願いいたします」
書面には彼らが言うようにルキノの身柄をテオフィロが預かること、国が定めた規則を守ること、ルキノの所在を常に把握するための魔導具の装着を受け入れることなどが記載されていた。
魔導具に関してはルキノ本人に確認したいところだが現時点では罪人の彼にこれを拒否する権利はない。
テオフィロは、こんなものを彼に装着させたくないと思いつつも今後の任務のことを思えば受け入れないわけにはいかなかった。
定められた箇所にサインを済ませると、一枚は国が、一枚は本人が保管するものだと説明される。
「それから、こちらはオルトラーニ侯爵令息がルキノ・ヴェルディ伯爵令息の身元引受人となる旨を国が承認するという書類です。宰相閣下のサインが記入済みです。こちらにもサインをお願いいたします……そして一枚はご自身で保管してください」
「判りました」
先ほどの書類と重ねて手元に寄せる。
「次にこちらです。右側がオルトラーニ侯爵令息、左側がヴェルディ伯爵令息に装着して頂く魔導具になります」
看守が蓋を開けた箱の中には、右にブレスレット、左にはベルトのような魔道具が納められていたが、腰に巻くには短いし細すぎる。
「これはどこに装着するのですか」
「着けやすいところで構いませんが、一般的には手首、足首でしょうか。先端の金具部分に魔力を登録することで、付け外しは身元引受人にしか出来ない仕様になっております。それに耐久値が高く、水は弾きますので風呂のたびに外すといった必要はございません」
「……多少は長さが調節出来るのですね」
「はい。また、ベルトを装着した者――今回はヴェルディ伯爵令息の行動範囲はオルトラーニ侯爵令息を中心とした一キロ圏内に限定され、所在地も即座に把握出来るようになっています」
「意外に遠くまで離れられるのですね」
テオフィロが言うと、看守は面白そうに笑う。
「普通はあり得ません。離れられても精々百から二百メートルでしょう」
「では、なぜ」
「オルトラーニ侯爵令息は転移の魔術が使えるから、ですよ」
「あ……」
つまりテオフィロの魔術を考慮して制限を設定してくれたということだ。
「お気遣いありがとうございます」
テオフィロが頭を下げると、二人の看守は「いいえ」と慌てて手を振る。
王城の勤め人としての立場も、生まれ持った身分も遥かに上で、しかも主神の加護持ちにこのような対応をされては焦るし、困る。
「お礼を言うべきはむしろ私たちの方です! ヴェルディ伯爵令息を受け入れてくださって本当にありがとうございます」
「彼が予定よりずっと早く王都に戻れたのはオルトラーニ侯爵令息のおかげです」
意外な言葉に、問い返す。
「……お二人は、ヴェルディ伯爵令息とは」
「学園の同級生でした」
「面倒見の良い男で、試験の前などよく助けてもらったものです」
確かに面倒見の良い男だったと自分が子どもの頃の日々を思い出す。面倒見というか、もはや父親……否、母親代わりだったのかもしれない。何せ人に挨拶をすること、感謝や謝罪することなど、人間としての常識を教えてくれたのは彼なのだ。六つも歳の差がなければ学園生活だって一緒に過ごしたかった。彼と一緒なら、きっと目の前の彼らと同じような顔で学園生活を振り返れただろう。
「彼が自由になったら旧交を温めてくださいね。自由といってもしばらくは一キロ圏内ですが」
「いやいやその時はオルトラーニ侯爵令息もぜひご一緒に」
「ヴェルディ伯爵令息の学園時代の話は幾らでもありますよ!」
「それは楽しみです」
思わず前のめりに本音を漏らしたら看守たちが楽し気に笑う。
この調子だと遠からず食事会――というよりは城下町の酒場のような気安い場所での飲み会が実現するだろう。テオフィロはそれを本心から楽しみに、書類の続きを読み込んでいく。
そうして手に取った最後の書類。
看守の一人が口を開く。
「そちらは実際にヴェルディ伯爵令息が魔導具を装着して牢を出た後にサインしていただくものです。いまは内容のみご確認下さい」
「判りました」
細かい字でいろいろと記載してあるが、要は牢を出た後のヴェルディ伯爵令息に関して、その言動の責任のすべてはオルトラーニ侯爵令息が負うこと、これを了承した上で彼を牢から出して連れ帰りました、というものだ。なるほど最後の書類らしい。
読み終えて机上に戻したタイミングで看守が立ち上がる。
書類はもう一人の看守が持った。
「ではヴェルディ伯爵令息を迎えに行きましょう」
「はい」
二人に促され、テオフィロは応接室から貴族牢へ移動する。
たまに案内役の彼らと同じ格好をした巡回中の看守とすれ違ったが、みなテオフィロには好意的な態度だったように思う。
「そういえば、ここにはソルヴィーノ男爵令嬢も収監されていたと聞きましたが」
「ぁ……ええ。二週間くらい前だったでしょうか。……その、主神様の加護を賜ったからという事情でお出になられました」
「ソルヴィーノ男爵令嬢が加護を賜った件は宰相閣下からもお聞きしていますから、大丈夫ですよ」
気まずそうな彼らにそう声を掛ける。
実際、この件に関して彼らが気に病むことなど何一つないのだ。
それより彼女が加護を賜ったのが二週間というのには少なからず驚いた。同時に二人の主神の加護持ちが現れたというのに今日までまったくそんな話は聞かなかったのは、情報統制が思っていたよりもしっかりと機能しているからだ。
それに、ルキノの件。
一度はソルヴィーノ男爵令嬢に協力するよう要請して断られた結果、テオフィロが身元引受人になった経緯を考えると、上層部で会議も開かれただろうしそれくらい時間が掛かっていて当然だ。
(でもそう考えると、兄さまはいつから此処に居たのだろう。本当ならもっと早くに会えていたのでは……)
たらればの話など無意味なのに、つい恨み言が胸中から溢れ出そうになる。
(ルゥ兄さま……二年も辺境で魔物相手に戦い続けてきたなら、きっと最後にお会いした時よりもずっと逞しくなっていらっしゃるはず……)
王太子を殴る前、二十四歳の彼は実力を認められて騎士爵を与えられていた。下位貴族の無茶な要求は断っても良いという意味を持った、本人一代限りの爵位だ。それも王族暴行罪で取り上げられて伯爵令息という立場しか残らなかった――罪人になっても家を追放されなかったこと自体が異例だ――が、実力が損なわれたわけではない。
事実、辺境の最前線にいながら二年も生き延びている意味は大きい。
「こちらです」
テオフィロが考え込んでいる間に目的地に着いたらしい。
貴族牢は、部屋の広さこそ普通で、支度を手伝ってくれる侍女もつかないが、他人の目を気にしなくていいようきちんと壁に囲まれているし、日当たりの良い窓もある。
ベッド、机、クローゼットといった最低限の家具が揃えられ、服装は自由。洗濯こそ一日一回専用のカゴに入れて外部に頼むことになるものの風呂と洗面所は室内に完備されているし、食事は一日三食出る決まりだ。
扉に掛けられている番号札はルキノの囚人番号で、外側からのみ開けられる小窓が設置されていた。
看守の一人がそこをノックする。
「ルキノ・ヴェルディ伯爵令息、オルトラーニ侯爵令息をお連れしました」
テオフィロの呼称を告げた途端に中から物音がする。
「開けますよ」
「ああ」
看守の言葉に返る即答。
鍵を開けて扉を開けば、すぐそこに佇んでいた背の高い男の姿。記憶にある彼とはまるで別人のような体格だが、でも――。
「……ルゥ兄さま……?」
思わず。
本当に無意識に、馴染んだ呼称が零れ出た。途端に目の前の男が破顔した。嬉しそうな、気恥ずかしそうな、それでいて今にも泣き出しそうな笑顔で、広げられる両腕。
「フィー」
「っ……兄さま!」
テオフィロは迷わずその腕の中に飛び込んだ。
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誰も不幸にならない、偽りと真実のハッピーエンド。
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